光る君へ吉田羊は年取りすぎ?藤原詮子の年齢設定に違和感の声

  • URLをコピーしました!
#ad #PR #スポンサー

NHK大河ドラマ「光る君へ」に藤原詮子(ふじわらあきこ)役で吉田羊さんが出演中ですが年齢設定から年取りすぎでは?違和感とSNSなど話題です。「光る君へ」で吉田羊さん演じる藤原詮子の年齢設定は何歳なのか?本当に年取りすぎなのでしょうか?

目次

光る君へ吉田羊演じる藤原詮子の年齢設定は何歳?

光る君へ直秀の正体は実在の平安時代の散楽隊?藤原道長との関係も

藤原詮子は円融天皇に入内して後の一条天皇を産む!

道長の姉。円融天皇に入内(じゅだい)し、父の望みどおり皇子をもうける。その懐仁親王(やすひとしんのう/のちの一条天皇)を溺愛、成人しても常に寄り添い、次第に宮廷での勢力を増していく。

引用元:公式サイト

「光る君へ」で吉田羊さんが演じるのは、藤原家の娘・詮子で、後の一条天皇を産むことになる女性です。

父親は右大臣の藤原兼家(段田安則)で、兄に道隆(井浦新)、道兼(玉置玲央)、そして弟にかの有名な藤原道長(柄本佑)がいます。

詮子は父親の命を受けて、円融天皇(坂東巳之助)のもとに入内することになりました。

入内とは天皇の后になることです。

吉田羊演じる藤原詮子の年齢設定は何歳?

そんな詮子の年齢ですが、なんと当時まだ16歳!

天皇のもとに嫁ぐことに不安な詮子は、弟の道長にその胸の内を相談しているシーンなどもありましたね。

道長は兄の道兼から度々嫌がらせを受けたりしますが、詮子はそんな道長を庇ってあげる優しいお姉さんでもあります。

そして円融天皇の嫁いだ後、その寵愛を受けた詮子は見事に男児を産みました。

懐仁親王(かねひとしんのう)と名付けられて、詮子の父・兼家は成長した暁には天皇となり、自らも外祖父として権力を持てることを期待。

しかし円融天皇は、兼家が力を持つことを快く思っておらず、詮子を遠ざけて、藤原頼忠(橋爪淳)の娘・遵子(中村静香)を寵愛します。

詮子は懐仁親王のもとに帰ることになり、度々道長は姉の相談を乗ることになるのでした。

そんな藤原詮子ですが、第4話の時点では22歳です!

まだ若い10代から20代の詮子を吉田羊さんが演じていることに違和感を覚える視聴者の方も多いようで・・・(;’∀’)

いくつかSNSの声をご紹介したいと思います。

光る君へ吉田羊に年取りすぎ・違和感の声

藤原忯子【よしこ】の死因や最後とは?花山天皇の妻で出家との関係も

気になる吉田羊さんの年齢ですが、公式には非公開となっています。

しかし1974年2月3日生まれのようなので、実年齢は50歳です!

視聴者の皆さんも何となく吉田羊さんの実年齢は分かっていると思うので(;^_^A

第1話から10代を演じていたことにはちょっと無理がある?年取り過ぎではという声もありましたね。

結構否定的な声も目立ちましたが・・・個人的にはあまり違和感はありませんでした。

何故かと言うと大河ドラマを以前から試聴していると、10代の頃を大人の主人公が演じることは結構あったからです。

「江 姫たちの戦国」の主人公の上野樹里さんは7歳の頃から演じていたような(;’∀’)

それと比べたら吉田羊さんの10代設定は個人的には全く問題ありませんでした笑

ちなみに吉田羊さんが年齢を公表していない理由は、起用する側に好きに年齢を捉えて欲しい、実年齢にとらわれて欲しくないという意向があるそう。

藤原詮子はこれからもかなり重要な役どころになっていきます。

そんな役どころを若いころから、年を重ねてまで演じきれるのは吉田羊さんしかいない!!

キャスティング側としてはそのような意向もあり、吉田羊さんを起用したのかもしれませんよね(^^♪

それでは、気になる藤原詮子の史実について以降で詳しくご紹介します。

吉田羊が演じる藤原詮子の史実とは?

962年藤原兼家と時姫との間に生まれた詮子。

978年には円融天皇の女御として入内し、980年にはのちに一条天皇となる懐仁親王を産みました。

その後、天皇になったのは花山天皇です。

「光る君へ」では本郷奏多さんの怪演が話題になっていますよね~!

詮子の父・兼家は何とか自らの孫を天皇にしようと画策し、息子の道兼を使って花山天皇の退位をさせることに成功!

藤原道兼の死因や最後とは?花山天皇の出家との関係も

986年に懐仁親王は7歳にして一条天皇となり、詮子は皇太后となり、兼家は摂政の座に就くことが出来たのです。

ちなみに摂政とは若き天皇に代わって、政治を行う者のことを言います。

そして991年には円融天皇が亡くなり、詮子は上皇に準じる東三条院という立場となりました。

兼家が亡くなった後は、跡を継いだ道隆も程なく亡くなり、実権は道隆の息子・伊周と道長が争うことになります。

そのとき詮子が味方となったのは弟の道長でした。

ドラマでも描かれたように、幼いころから詮子と道長の仲は良かったと言われています。

一条天皇の皇后には道隆の娘・定子がいたのですが、ほぼ同格の妻の地位・中宮に道長の娘・彰子を付けようと画策したのも詮子だったとされているんです。

この彰子に仕えることになったのが紫式部、定子に仕えたのが清少納言として知られていますね!

その後、氏の長者として藤原家の栄華を極めることになった藤原道長。

道長をここまで出世させた陰の功労者は、姉の詮子と言っても過言では無いと思います。

そんな詮子ですが、長く天皇の生母として権力を持っていましたが、1002年に病のため40歳で亡くなったとされています。

 

まとめ

紫式部の弟・藤原惟規の死因とは?何歳で死んだ?

今回は「光る君へ」で吉田羊さんが演じる詮子の年齢設定についてご紹介しました。

2024年2月3日に50歳になった吉田羊さんが、10代の若き詮子を演じて違和感を覚える視聴者の声があるのも事実です。

しかしこれから詮子は天皇の母として力を持ち、藤原道長を権力の頂点に導いていきます。

そんな重要な役割を演じられるのは、実力派女優の吉田羊さん以外には考えられないですね!

これから年齢を重ねて深みを増していく詮子を演じる吉田羊さんの演技を、ぜひ皆さんご期待ください(^^♪

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
目次