笠置シヅ子と美空ひばりとの対立から和解までの騒動まとめ

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女優の趣里(しゅり)さんがヒロインを演じるNHK朝ドラ・連続テレビ小説「ブギウギ(ぶぎうぎ)」が2023年10月からスタートしました!

「ブギウギ」は戦後の大スター・笠置シヅ子(かさぎ・しずこ)さんがモデルのヒロインの花田鈴子(はなだ・すずこ)で後の歌手・福来スズ子(ふくらいすずこ)の波乱万丈な人生を描くストーリーです。

朝ドラがスタートして改めて注目されているのが、笠置シヅ子さんと、同様に「昭和の歌姫」と言われ人気を博した歌手の美空ひばり(みそらひばり)さんとの関係です。

実は2人には確執・対立が起こる事件があり、最終的に和解したという騒動があったんです。

笠置シヅ子さんと美空ひばりさんが対立した、確執とは?一体何があったのか??どんな理由なのでしょうか?

今回は朝ドラ「ブギウギ」のモデルとして話題の笠置シヅ子さんと美空ひばりさんの関係について、対立から和解の騒動をご紹介していきます。

目次

笠置シヅ子をモノマネした美空ひばりの登場!天才歌手が誕生

福来スズ子のモデルは笠置シヅ子の壮絶な生涯!旦那や子供の事件についても

笠置シヅ子は「東京ブギウギ」で日本を明るくした昭和のスター歌手!

まずは、笠置シヅ子さんについて簡単にご紹介です。

笠置シヅ子
◇ 本名:亀井静子
◇ 生年月日:大正3年8月25日
◇ 出身地:香川県大川郡相生村(旧:引田町・現:東かがわ市)

昭和2年、大阪松竹楽劇部(OSK日本歌劇団の前身)に入り、三笠静子の芸名で初舞台を踏む。
その後、芸名を笠置シズ子と改め、作曲家・服部良一と組んでジャズ歌手として売り出すも、戦時中ゆえ、当局の指導によりたびたびの公演中止を余儀なくされる。
昭和23年1月に発売した「東京ブギウギ」が大ヒット。“ブギの女王”と呼ばれたが、昭和30年に録音、翌31年1月に発売した「たよりにしてまっせ」を最後に歌手を引退。
その後は芸名を笠置シヅ子と改めて晩年まで芝居やテレビドラマなどで活躍した。
昭和60年3月30日、70歳で死去。

引用元:https://columbia.jp/artist-info/kasagi/prof.html

小学校を卒業後に、大阪松竹楽劇部(OSK日本歌劇団の前身)に入り初舞台を踏んだ後、歌手デビューを果たします!

ところが戦時中、笠置シズ子さんのパフォーマンスが敵性音楽と見なされ、ひどい弾圧を受け、活動ができなくなり、地方巡業を行うように。

そして終戦後、作曲家・服部良一がシズ子さんのために作曲した「東京ブギウギ」が大ヒット!戦後の人々の心を明るく照らします。

朝ドラでヒロイン役の趣里さんが再現していた、「東京ブギウギ」のパフォーマンス圧巻でした!

そして笠置シズ子さんは「ブギの女王」と呼ばれ大活躍するものの、歌手を引退し、女優として晩年まで芸能界で活動しました。

かなり簡単にまとめてしまったのですが、ご紹介すると非常に長くなる波乱万丈な人生を送ってきた笠置シヅ子さん。

以下の記事でさらに詳しくご紹介しています。

花田鈴子のモデルは笠置シヅ子!夫との衝撃の顛末と実家の両親との秘密とは?

美空ひばりは笠置シヅ子のモノマネで誕生?

梅丸少女歌劇団【USK】のモデルは松竹歌劇部で笠置シヅ子が入団の現・OSK日本歌劇団

美空ひばり
◇ 本名:加藤和枝
◇ 生年月日:昭和12年5月29日
◇ 出身地:神奈川県横浜市磯子区

昭和24年、「河童ブギウギ」でレコードデビュー。
以後、1500を超える曲を録音し、「悲しき口笛」、「東京キッド」、「リンゴ追分」、「港町十三番地」、「柔」、「悲しい酒」、「おまえに惚れた」、「愛燦燦(あいさんさん)」、「みだれ髪」、「川の流れのように」などなど、放ったヒット曲は数知れず。平成元年6月24日の死去まで、40有余年にわたって日本歌謡界の第一線で活躍した。
没後の平成元年7月、真摯な精進で歌謡曲を通じて国民に夢と希望を与えた功績が認められ、女性初の国民栄誉賞を受賞。

引用元:https://columbia.jp/artist-info/hibari/prof.html

一方、美空ひばりさんは、昭和12年に横浜の魚屋の娘として誕生。幼少期より歌が好きで、子供らしからぬ歌唱力を持っていました。

笠置シヅ子さんは「ブギの女王」と言われていましたが、美空ひばりさんは「歌謡曲の女王」という存在だったと思われます。

9歳の時にNHK「のど自慢」で歌を披露すると子供らしからぬ上手さに「ゲテモノ」と審査員に言われてしまいます。

そんな美空ひばりさんは、笠置シヅ子さんのモノマネ歌手として世に知られるようになります。

シヅ子さんの持ち歌を器用に歌ったことから「ベビー笠置」「豆笠置」というあだ名がついていたほどでした。

個人的にも実は「東京ブギウギ」を最初に知ったのは、歌番組で放送された子供時代の美空ひばりさんが歌っていたVTRからでした。

当初は笠置シヅ子さんは自分のモノマネをする子供時代の美空ひばりさんのことを面白がり、好意的に見ていたそうです。

しかし・・・ある出来事がきかっけで2人の関係は変わります。確執・対立が生まれた!?

笠置シヅ子と美空ひばりの対立が起こった事件①ブギを歌うことを禁じた?

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当時、自分の持ち歌がなかった美空ひばりさんは、シヅ子さんの楽曲を歌わせてほしいと、お願いしたが、作曲者の服部さんとシヅ子さんが断ったという噂がたちました。

しかし断ったのには仕方のない理由がありました。

ひばりさんが歌わせてほしいと言ってきた曲はシヅ子さんの新曲「ヘイヘイブギー」でした。

これから世に流行らせようとしている新曲を別の歌手に歌われるのが困るの言って断るのは当然ですよね。

ところがこの話が曲解されてシヅ子さんが美空ひばりさんに「ブギを歌うな」と禁止したという話が伝わってしまいます。

実際にはシヅ子さん側は代わりに「東京ブギウギ」を歌うことを許可したそうです。

しかしひばりさんは十分に練習する時間が取れずに歌い出しで失敗してしまい、楽屋で泣いて悔しがったそうです。

まだ子供だったひばりさんが悔しがって泣いてしまったというエピソードから、シヅ子さんが悪者として語られてしまったそうですが、真相は違っていたのでした。

その後、ひばりさんは「悲しい口笛」「東京キッド」などのオリジナル曲を歌い、昭和27年には「リンゴ追分」で当時としては史上最高枚数70万枚を売り上げるヒットに。

笠置シヅ子と美空ひばりの対立が起こった事件②アメリカ興行

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このように、世間では笠置シヅ子さんと美空ひばりさんが対立した!?という噂がたった騒動。昭和25年には、さらに2人の間に問題が発生します。

昭和25年6月にシヅ子さんと作曲者の服部良一さんがハワイを始めとするアメリカ興行に行くことに。

しかし、美空ひばりさんたちも1か月前に渡米することが決まってしまいます。当時、芸能人をはじめとする文化人がアメリカに行くことが一種の箔付けようになっていて、日米の交流も盛んだったとのこと。

シヅ子さんたちは「服部・笠置ブギウギコンビ」というキャッチフレーズで公演をして回る予定でした。しかし美空ひばりさんが、一足先に同じ歌を歌ってしまった場合、シヅ子さんたちのインパクトが弱くなってしまうことから、服部さんは公演旅行を取り仕切っている興行師から何とかしてほしいと頼まれます。

美空ひばりさんが歌おうとしている歌を作ったのは、服部良一さんです。なので、服部さんがNGを主張するのは仕方のないことだと思いました。

この時の美空ひばりさんは、13歳。新曲「ヘイヘイブギー」の件もそうでしたが、ご本人の意思ではなく周囲の大人たちによって話が進んでしまったいたと思われます。

かわいそうな状況でしたが、服部さんとシヅ子さんが引くわけにもいきません。

服部さんは仕方なく、音楽著作権協会を通じて、今回の渡米中に限って楽曲の使用は認めない旨を通達。ひばりさんは当時、本当に困ってしまったと、のちに話していたそうです。

この通達を受けたのは、ハワイ行きの直前だったそうで、本当に困ったのでは?と思われます。

そしてひばりさん側は著作権協会の許可を得ないまま、渡米して、なんと笠置シヅ子さんの歌を歌ってしまったんです。

言い分は「先方からの希望されながら、歌わなかったあら、問題になる。著作権使用料は払う!」というものでした。

笠置シヅ子さんも美空ひばりさんも、帰国後はヒット曲に恵まれ活躍していましたが、2人の間にはわだかまりが残ったそうです。

笠置シヅ子と美空ひばりとの対立後の和解に至った経緯とは?

笠置シヅ子の娘の壮絶な出産秘話と殺害脅迫事件や現在についても

新曲「ヘイヘイブギー」の許可の件、そしてハワイ興行の件もあり、マスコミは2人の不仲を騒ぎたてたそうです。

そうなると2人のイメージも悪くなります。

最終的には美空ひばりさんのマネージャーさんが服部さんに謝罪しました。しかし一般のファン、世間に向けて2人の間に確執がないことをアピールする必要がありました。

その後すぐに、シヅ子さんと美空ひばりさんは、NHKのラジオ番組で共演。そして番組の中で2人は和やかに談笑したことから、視聴者も2人の関係が良好になったと思ったそうです。

そして無事に和解した2人のスター歌手でした。

2人の関係にトラブルが発生したきかっけになった時、美空ひばりさんは、まだ子供でした。

なので、美空ひばりさんと笠置シヅ子さんの対立というよりも、美空ひばりさんの周囲の大人たちとの対立だったということだと思います。

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