梅丸少女歌劇団【USK】のモデル・元ネタは実在で現在のOSK日本歌劇団!

  • URLをコピーしました!
#ad #PR #スポンサー

NHK連続テレビ小説朝ドラ「ブギウギ」が2023年10月から始まりました!

ブギの女王と呼ばれた大スター、笠置シヅ子さん(かさぎしづこ)さんをモデルにしたオリジナル作品です。

ヒロイン花田鈴子(はなだ・すずこ)で後のスター歌手・福来スズ子(ふくらい・すずこ)を演じるのは趣里(しゅり)さん!1週目からの少女時代は澤井梨丘(さわいりおか)ちゃんが演じています。

歌と踊りが大好きな鈴子は、小学校を卒業後花咲少女歌劇団(はなさきしょうじょかげきだん)を受験しましたが、残念ながら不合格に(>_<)

ここで突然のネタバレですが、このあと鈴子は梅丸少女歌劇団(うめまるしょうじょかげきだん)、通称「USK(ユーエスケー)」に入団し、スター歌手への第一歩を歩むことになります。

今回は朝ドラ「ブギウギ」で鈴子が入団する梅丸少女歌劇団(USK)の実在モデルについて調べてみました!

梅丸少女歌劇団(USK)モデルは笠置シヅコさんが同じように少女時代に入団した「松竹楽劇部(しょうちく・らくげきぶ)」で現在の「OSK日本歌劇団(オーエスケー・ニホンカゲキダン)」思われますが、どんなところなのでしょうか?

笠置シヅ子さんが松竹楽劇部に入った実話や、「ブギウギ」で鈴子が梅丸少女歌劇団に入った経緯のネタバレを、ご紹介させていただきます!

目次

梅丸少女歌劇団【USK】のモデル元ネタは実在!鈴子が入団するネタバレとは?

大和礼子のモデルは飛鳥明子!娘役トップで「桃色争議」のリーダー

梅丸少女歌劇団【USK】に鈴子が入団するネタバレとは?

「ブギウギ」梅丸少女歌劇団(USK)に鈴子が入団した経緯のネタバレです!

花咲音楽学校の受験に落ちてしまった鈴子(澤井梨丘)。ショックで翌朝なかなか起きれずにいると、父親の梅吉(柳葉敏郎)が鈴子のもとへ駆け込んできました。

「鈴子!これや!梅丸少女歌劇団!略してUSK!」

梅丸少女歌劇団は道頓堀に新しくできた歌劇団。鈴子は梅吉に連れられ、道頓堀にある劇場に向かいました。

映画に続き、いよいよ歌劇団のレビューショーが始まり、きらびやかな衣装をまとった女性たちに、鈴子の目は輝きだします。

なかでもトップスター、大和礼子(蒼井優)や橘アオイ(翼和希)の踊りに感動した鈴子。

まるでジュディ・オングさんの「魅せられて」!若い方ご存じないですよね(;^^)

家に戻った鈴子は、母親のツヤ(水川あさみ)に「ワテ、梅丸受けるで!」と叫びます。

梅吉によると、試験は明日とのこと。翌日意気揚々と鈴子は会場に向かいますが。。。

なんと試験は前日に終わっていました(>_<)梅吉が読み間違えていたのです。

「歌と踊りだけでも見てください!」と必死に頭を下げる鈴子。ツヤも一緒に頭を下げます。

そこに林部長がやってきて、「しゃーない」と鈴子に歌わせました。

お礼を言って鈴子は「恋はやさし野辺の花よ」を歌い始めましたが、自然と踊り出します。

黙って鈴子を見ていた林は、こう言いました。

「入れたれや。どうせすぐ何人かやめるだろう。上にはわしから言っとく」

これが朝ドラ「ブギウギ」で、鈴子がUSKこと、梅丸少女歌劇団に入団した経緯です!

鈴子は1927年に研究生として、梅丸少女歌劇団に入団。梅丸少女歌劇団はまだ設立から5年目であり、花咲少女歌劇団に対し、力強さと逞しさがウリです。

同期は全部で7人。デビューすれば月給がもらえるようになります!

今後の鈴子の活躍が楽しみですね♪

梅丸少女歌劇団【USK】のモデル・元ネタは実在の松竹楽劇部!

白川幸子役の子役は小南希良梨!ブギウギでリリー白川の幼少期役キャスト

朝ドラ「ブギウギ」ヒロイン鈴子が研究生として入団する、USKこと梅丸少女歌劇団!モデルは「松竹楽劇部」です!

鈴子のモデルである、笠置シヅ子さんも小学校を卒業した後に入団した少女歌劇団です。

実はモデルの「松竹歌劇部」は現在も活動されている歌劇団なんです。以降で詳しくご紹介していきます。

梅丸少女歌劇団【USK】のモデル・元ネタは実在で現在のOSK日本歌劇団

ブギウギ梅丸少女歌劇団キャスト!USKの部長や男役トップなど

松竹楽劇部の創立!現在のOSK日本歌劇団

1922年、現在の松竹となる「松竹キネマ合名社」が、大阪に「松竹楽劇部」を創設しました。のちの、現在のOSK日本歌劇団です。

OSK日本歌劇団は、宝塚歌劇団・松竹歌劇団(SKD)と並ぶ三大少女歌劇の1つで、2022年で創立100周年を迎えたばかりです。

ちなみに梅丸少女歌劇団【USK】の男役スター橘アオイ役を演じているのは、OSK日本歌劇団に所属の翼和希さんなんです。

華やかな舞台ですよね~。

そんな現在の「OSK日本歌劇団 」少女歌劇が最初に作られたのは、阪急グループ創設者である、小林一三さんが作った宝塚少女歌劇団。

少女歌劇団はどんどん普及していき、大阪松竹の社長、白井松次郎さんの目に留まり、松竹楽劇部が作られました。

1922年に「松竹楽劇部養成所」が創設され、およそ30名の生徒が集まります。

道頓堀松竹座を拠点に、短期公演を中心とした興行が行われました。

ショーは少女たちによる舞踊を中心に行われ、映画上映に併設された、アトラクションという形で上演されました。

少女劇団ブーム

白川幸子【リリー白川】モデルは実在のアーサー美鈴と芦原千津子で娘役トップ

少女歌劇団は盛り上がりをみせ、昭和初期には黄金期に入ります。

多くの観客が集まり、たくさんのスターたちも誕生。松竹は東京にも「東京松竹楽劇部」を発足しました。

1930年に初の男役が登場しました(≧∇≦)第1期生の水の江瀧子さんです!

びっくりするくらいキレイですよね(≧∇≦)

松竹楽劇部の公演は、警察から演出内容の指導も受けたりしましたが、来日したタイ国王もご覧になり、社会的にも信用されるようになりました。

1932年ころからは、宝塚少女歌劇団とのレビュー合戦もおこなわれるようになり、「踊る松竹、歌う宝塚」と呼ばれるように。

このころ松竹楽劇部は「松竹少女歌劇部(SSK)」へと名を変えました。

ということで、名称は最初は「松竹少女楽劇団」でしたが、1932年ころから「松竹少女歌劇部」に変わっています。

「ブギウギ」で鈴子が入団するのは1927年なので、モデルの正式な名称は「松竹少女楽劇部」となりますね。

こうして大人気となった松竹少女歌劇部ですが、1933年にさらに名称変更し「松竹少女歌劇団(SKD)」に変わりました。

ちょっとややこしいですね(;^^)こうなります。

「松竹楽劇部→松竹歌劇部→松竹少女歌劇団」

「ブギウギ」の「梅丸少女歌劇団」は、この「松竹少女歌劇団」からつけられたものと思われます。

劇団員を要請する「松竹少女歌劇学校」も設立されました。

そんなとき、大きなトラブルが起こります!

桃色争議

桜庭辰美役【たつみ】の子役は木村湖音!桜庭和希が芸名【ブギウギ】

いわゆる「桃色争議」と呼ばれるもので、松竹座音楽部員が待遇改善要求をしたことで、歌劇団のみんなも合流し、最低賃金や休日の制定を訴えたもの。

東京の東京松竹楽劇部で最初に怒った「桃色争議」のリーダーは当時のトップスター、水の江瀧子さん!このとき18歳でした。

少女部員230名ほどで旅館に立てこもったのです。

この東京の動きに感化され、大阪の楽劇部でも当時、人気スターだった飛鳥明子さんをリーダーに舞台が中止されて高野山の金剛三昧院に立てこもりました。

笠置シヅ子さんもこの大阪の立てこもりに参加しています。

ちなみに飛鳥明子さんは「ブギウギ」に登場する蒼井優さん演じる大和礼子がモデルだと思われます。

大和礼子のモデルは飛鳥明子!娘役トップで「桃色争議」のリーダー

最初は反発し、水の江瀧子さんを懲戒解雇しようとしていた経営側でしたが、世論は少女たちの味方となりました。

こうして経営側が折れ、少女たちの勝利となったのです。

しかし水の江瀧子さんは謹慎処分で済んだものの、飛鳥明子さんをはじめとする幹部団員は責任を取り、退団となってしまいます。

水の江瀧子さんは「ターキー」というニックネームだったので「ターキー・ストライキ」とも呼ばれています。

人気の終焉

【ブギウギ】リリー白川役の大人キャストは清水くるみ!娘役トップスターへ

少女歌劇団の人気もさらにヒートアップ!1937年に3600人も収容できる「国際劇場」がオープンしました。

ですが、劇場が大きすぎたため、スターとの距離が遠くなりすぎ、ファンの熱は冷めていくことに・・・。

さらに戦争激化も追い打ちをかけます。

1941年に太平洋戦争がはじまると、上演内容にも軍から厳しい指導がくるようになり、1943年には水の江瀧子さんやオリエ津阪さんなど、トップスターたちが退団していきました。

退団者が相次ぎ、松竹少女歌劇団は1943年、いったん解散することになります。

団員たちは慰問興行を行うようになり、1945年に「松竹舞踊隊」として活動。そして終戦を迎えます。

戦後

ブギウギ桜庭和希役の大人キャストは片山友希!USK同期の男役

終戦のわずか1ヶ月後に、レビューを上演!観客からの喝さいを浴びます。

大劇場の特性を活かした舞台演出が好評となり、観客たちを魅了。

戦後は第2の黄金期となり、劇場は毎日大盛況。受験者も殺到しました。

ですが1960年を過ぎたころには、ほかの娯楽やミュージカルの人気があがってきて、少女歌劇団の人気に陰りが見え始め、1971年に近鉄グループの傘下になります。

1974年に「ベルサイユのばら」で盛り上がりを見せましたが、その後は赤字が続くようになり、1990年にレビュー公演の幕を閉じました。

その後ミュージカル劇団化しましたが、準備期間中に団員数は38人に激減。

1996年に松竹歌劇団は解散することになりました。

解散後

解散公演がなかったことで、最終メンバーたちが自主公演を行いました。

その後も元トップスターたちなどが結成した劇団が、レビューの継承を繋ぎ、「OSK存続の会」を結成し、現在も自主公演を続けています。

梅丸少女歌劇団【USK】のモデル・元ネタの松竹歌劇部に笠置シヅ子が入った実話とは?

ブギウギ中越典子【西野キヌ】正体ネタバレは?鈴子の母親との関係は?

朝ドラ「ブギウギ」に出てくる「梅丸少女歌劇団(USK)」のモデルは、「松竹歌劇部(SSK)」です!

鈴子と同じように、鈴子のモデル、笠置シヅ子さんも松竹歌劇部に入団しています。

笠置シヅ子さんは1914年生まれ。小学校を卒業後の1927年、13歳のころに宝塚音楽歌劇学校を受験しています。

朝ドラ「ブギウギ」のヒロイン鈴子と同じく、実家は銭湯を経営していて、笠置シヅ子さんもよく銭湯で踊り、歌っていたそうです。

宝塚音楽歌劇学校は、鈴子同様不合格になりました。

歌と踊りは問題なかったのですが、小柄で痩せすぎていたため、身長や体重が足りていなかったようです。

また厳しい生活に耐えられないのでは?と判断されたことも要因だったと思われます。

家族からも期待されていたという笠置シヅ子さん。

「おすましで気取り屋で、性に合わん」

と強がって見せたそうです(笑)

宝塚を不合格になった年、笠置シヅ子さんは生徒を募集していなかった、松竹楽劇部に乗り込みます(;^^)

当時音楽部長だった、松本四郎さんにこう頼み込んだそうです。

「道頓堀で一人前になって、体が小さくても芸に変わりがないところを見せたい」

こうして松本四郎さんにより、笠置シヅ子さんは入団することになりました。

ちなみに、松本四郎さんはブギウギに登場する、橋本じゅんさん演じる林部長こと林嶽男だと思われます。

入団後、普通ではない入り方をしたのだから、と惜しまない努力をされました。

幹部クラスの役者の部屋づきになったときは、2時間前に出社して、掃除や化粧品などの準備をし、いろいろな雑用をこなしたそうです。

しかもその合間を見て稽古をしなければいけません。

辛くてやめたいと思ったこともあったようです。

そんな頑張り屋なので、みんなから可愛がられる存在になりました。

欠員ができたとき、推薦してもらえることがあるので、セリフを頭に入れたりと、ここでも努力を惜しまない笠置シヅ子さん!

三笠静子という名前で初舞台を踏み、1933年には「恋のステップ」でレコードデビューも(≧∇≦)

こうして笠置シヅ子さんは、大スターへと昇りつめていくことになります。

ということで、朝ドラ「ブギウギ」のヒロイン鈴子が、直談判で松竹歌劇部に入団したのは、モデルである笠置シヅ子さんの実話でした!

梅丸少女歌劇団【USK】のモデル・元ネタまとめ

ブギウギ鈴子は養女?実母がなぜ手放したか笠置シヅ子の実話から

梅丸少女歌劇団、通称USKが、これからNHK連続テレビ小説「ブギウギ」に登場します!

ヒロインの鈴子が研究生として入団することになるのですが、今回はこのモデルである「松竹歌劇部」について、ご紹介させていただきました!

鈴子は宝塚音楽学校をモデルとした、花咲音楽学校の受験に落ちてしまいましたが、すぐにUSKこと梅丸少女歌劇団の存在を知り、直談判の末入団を許可されます。

これはすべて実話であり、鈴子のモデル、笠置シヅ子さんも宝塚音楽学校を体が小さいという理由で不合格に。

同じ年に松竹歌劇部を訪れ、やや強引に入団にこぎつけました。

でも普通の入り方をしなかったので、のちに辛くてやめたくなっても、なんとか頑張れたと自伝で語っておられます。

努力を惜しまなかった笠置シヅ子さん!人懐っこい性格もあり、周りから気に入られる存在となり、服部良一さんとの出会いから、大スターへと成長していきます。

おそらく鈴子も同じ道をたどるのでしょうね!

今後の鈴子の活躍、楽しみにしていましょう(≧∇≦)

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
目次