笠置シヅ子が養女だった!実母・実父は誰かと両親との関係についても

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女優の趣里(しゅり)さん主演のNHK連続テレビ小説・朝ドラ「ブギウギ(ぶぎうぎ)」が2023年10月からスタートしました。

大正時代終わりの大阪・東京を舞台に、歌って踊る歌手を目指すヒロインの花田鈴子(はなだ・すずこ)が、戦後の日本を明るく照らすスターの道へ駆け上がっていく姿を描いた物語。

ヒロインは後の歌手で福来スズ子(ふくらい・すずこ)でモデルは実在の昭和のスター歌手・笠置シヅ子(かさぎ・しづこ)さんです。

第1週では鈴子の小学生時代からスタートし、鈴子が実の両親に育てられたのではなく、養子・養女なのでは??実母と思われる女性が登場したシーンが話題になっていてその生い立ちに注目が集まっています。

ということは・・・鈴子のモデルの笠置シヅ子さんも養女・養子だった生い立ちなのでしょうか?そして実母・実父は誰で、育ての両親との関係はどうだったのでしょうか?

今回は朝ドラ「ブギウギ」でヒロインモデル・笠置シヅ子さんは養女・養子という生い立ちだったのか?そして実母や両親について史実をご紹介していきます。

目次

笠置シヅ子も養女だった!「ブギウギ」の鈴子の生い立ちで注目が集まる!

笠置シヅ子の娘の壮絶な出産秘話と殺害脅迫事件や現在についても

鈴子が養女の可能性?生い立ちが気になる展開に!

まずは、朝ドラ「ブギウギ」のストーリーのご紹介です。

大正の終わりごろ、大阪の下町の小さな銭湯の看板娘・花田鈴子は、歌って踊るのが大好きな天真爛漫てんしんらんまんな女の子です。小学校を卒業した鈴子は「歌と踊りでみんなを笑顔にしたい」と思うようになり、道頓堀に新しくできた歌劇団に入団。必死に稽古にはげんだ鈴子は、メキメキと成長、抜群の歌唱力で頭角を現していきます。

昭和13年、鈴子は上京。そこで、人気作曲家・羽鳥善一と出会い、大きく運命が変わります。鈴子は、作曲家の指導を受け、“スウィングの女王”と呼ばれ人気歌手になっていきます。

しかし、戦争が始まると、鈴子が置かれた状況は一変。鈴子の歌っていた歌は「敵性音楽」となり、鈴子の舞台での歌や踊りが厳しく制限されてしまいます。さらに、鈴子の弟は出征。また、ちょうどそのころ、鈴子の母も病気で亡くなってしまいます。

不幸が重なり悩んでいた鈴子の前に、ある青年が現れます。ふたりは恋に落ち、やがて結婚を誓いあうまでに。しかし、青年の家族は大反対、結婚はなかなか実現しません。やがて戦争が終わり、鈴子は青年の子を身ごもります。ところが、青年は病にかかってしまいます。会えない日々が続き、そして、臨月の鈴子のもとに届いたのは青年の訃報でした。死に目に会えず、結婚もできないままの別れ。数日後、鈴子はひとりで娘を出産しました。

鈴子は、ひとりで娘を育てながら舞台で歌います。そんな中、生まれたのが「東京ブギウギ」です。明るく、飾らず、全身で歌う、鈴子の真骨頂。戦後の傷ついた日本に、その歌声が響き渡ります。鈴子の歌声に合わせて、笑顔で歌い踊る人たちが日本中にあふれていきました。鈴子は“ブギの女王”と呼ばれるようになり、大スター歌手への階段を駆け上がっていきます。

引用元:https://www6.nhk.or.jp/nhkpr/post/original.html?i=39517

ヒロイン・花田鈴子の小学生時代からスタートした「ブギウギ」。

鈴子は、銭湯を営む両親の娘で歌と踊りが大好きな女の子です。

この少女が歌劇団に入り、歌手デビューを果たして昭和を代表するトップスターになるストーリー。

モデルは「東京ブギウギ」で知られている笠置シヅ子さんです。

初回の冒頭では「東京ブギウギ」を華麗に歌う後のヒロイン「福来スズ子」のシーンからスタートしました。

そんな鈴子の母親と父親は花田ツヤと花田梅吉。そしてかわいい弟の六郎。実は双子として生まれた鈴子ですが、双子の片割れの兄は早くに亡くなってしまっていました。

鈴子をかわいがっていて、仲の良い家族なのですが・・・母親のツヤの昔の回想シーンが話題になっていました。

ツヤが赤ちゃんを抱いていて、おそらくその赤ちゃんは鈴子だと思うのですが、そんなツヤの傍らには、中越典子さんが暗い表情で登場。

一体どういうシーン!?とツイッターでも困惑の声が。

また、別の回での回想シーンでは、ツヤが実家から、赤ちゃんを2人連れて梅吉のもとに戻ってきて双子やったかいな?」と1人赤ちゃんが増えている!?と驚く梅吉。

もともと1人だったのに、2人になった??ということは、双子ではなく、鈴子が養女・養子としてもらわれてきた???と話題になっています。

はっきりとは語られていませんが、おそらく双子ではなく、鈴子が実母の元からもらわれてきた、養子・養女だとわかる回想シーンでした。

笠置シヅ子も養女の生い立ちだった!

【四季の宴】梅丸少女歌劇団は実在のOSK「日本新八景おどり」がモデル?

ヒロインの鈴子が実母ではなく、育ての親の花田ツヤと花田梅吉の夫婦に育てられている生い立ちと思います。

ツイッターでは、ツヤの回想シーンに現れた女性、中越典子さん演じる西野キヌが実母では?と予想する声がありました。

そのあたりの真相ネタバレは以下の記事に詳しくまとめてあります!

ブギウギ中越典子【西野キヌ】正体ネタバレは?鈴子の母親との関係は?

ということはヒロインのモデル笠置シヅ子さんも、養女・養子だったのでしょうか?

実は、笠置シヅ子さんも実母・実父によって育てられたのではなく、養子・養女として育てられた生い立ちだったんです。

笠置シヅ子さんに関する書籍の多くに記載されている生い立ちなんです。

以降では、そんな笠置シヅ子さんが養子・養女であるという実話について詳しくご紹介していきます。

笠置シヅ子が養女だった史実①実母と実父は誰?養子に出した理由とは?

銭湯「はな湯」のモデルは笠置シヅ子の実家!大阪市福島の風呂屋

笠置シヅ子さんの本名は亀井静子さんといい、1914年(大正3年)8月25日に香川県大川郡相生村(現在の東かがわ市)で誕生しました。

シヅ子さんの実母は、谷口鳴尾さん。そして実母は三谷陳平さんです。

谷口鳴尾さんは、三谷陳平さんの家で家事見習いをしていて、2人は結婚していなかったことから、笠置シヅ子さんはいわゆる非摘出子として生まれました。

2人の結婚は三谷家で反対されていたそうで、谷口鳴尾さんは相生村と山つづきの引田の実家に戻ったそうです。

当時まだ18歳、19歳だったという谷口鳴尾さんは、父親なしで娘を育てなくてはいけなくなったそうです。

また父親の三谷陳平さんはシズ子さんが生まれた翌年の秋に病気で亡くなってしまったそうです。

この時に近所の引田で偶然、出産のため帰省していた亀井うめさんから、谷口鳴尾さんは貰い乳をしていたそうです。

当時うめさんは、すでに長男の頼一さんがいて、2番目の息子・正雄さんを生んだばかりでした。(残念ながらこの正雄さんは3歳で亡くなってしまいます。)

谷口鳴尾さんは心痛のためなのか、乳の出が悪かったとのことでもらい乳をさせてもらったようです。

この亀井うめさんが、「ブギウギ」の花田ツヤのモデルで、シヅ子にとって養母になる女性ですね。

亀井うめさんは、地元で手袋やメリヤス工場を経営していた裕福な家の生まれだったそうです。

そしてシヅ子さんは実親よりも亀井うめさんに懐くようになり、シヅ子さんに情が移ったとのこと。

その後、どういういきさつなのか、はっきりとはわかっていないのでですが、うめさんが笠置シヅ子さんを引き取り、大阪へ連れて行って育てることになったのでした。

ちなみにこの時に一緒にいた赤ちゃん、亀井うめさんと音吉さんの実の息子さんは、

おそらく父親もおらずまだ若い谷口鳴尾さんが子供を育てるのは難しかったことから、子供好きで面倒見の良かったうめさんが、シヅ子さんを引き取ることになったのでは?と思われます。

ドラマの中の回想シーンで、ツヤの夫・梅吉が、ツヤが連れてきたまだ赤ちゃんの鈴子を見て「双子になっている」と養女をいきなり連れてきたことをなんとなく受け入れていた驚きのシーンですが、シヅ子さんの養父となる、音吉さんは「うわあ、どないしてん、双子かいあん。こらあ、えらいこっちゃ」とすんなに受け入れたそうです。

「ブギウギ」のシーンが実話だったかと思うと、本当にすごいご夫婦ですよね。

笠置シヅ子が養女だった史実②両親・養母・養父とは?

梅丸少女歌劇団【USK】のモデルは松竹歌劇部で笠置シヅ子が入団の現・OSK日本歌劇団

そして「ブギウギ」の鈴子の母親・花田ツヤと父親の花田梅吉のモデルになっているシヅ子さんの両親・義母、義父は先ほども少しご紹介した亀井うめさんと亀井音吉さんです。

先ほども少しご紹介しましたが、シズ子さんが、養女として引き取られた時、すでに長男の頼一さんがいて、2番目の息子・正雄さんが生まれたばかりでしたが残念ながら正雄さんは3歳で亡くなってしまいます。

また長男の頼一さんも亡くなってしまったようです。

そしてのちに、生まれた弟の八郎さんが、シヅ子さんにとっての生きている兄弟でした。

シヅ子さんのご実家となる亀井家はもともとは米、薪炭、酒などを販売していましたがシズ子さんが小学生に上がるころ、1921年に銭湯(風呂屋)になっていたそうです。

当時、シヅ子さんは両親が芸事が好きだったこともあり、5歳から日本舞踊、三味線を習っていましたが、成長すると銭湯の脱衣所で得意だった歌や踊りを披露して近所では話題になっていたそうです。

そして銭湯の脱衣所を舞台に歌や踊りを披露したことが近所の評判となり、浪曲の歌劇団の依頼で子役として舞台にたったこともあったとのこと。

しかし養女だからと言って、実の弟と子供と分け隔てなく、大事に育てられたシヅ子さん。なので、ご自分が養女だと知らずに育ったそうです。

そんなシズ子さんが自分が養女として育てられたことを知ったのは、18歳ころだったそうです。

シズ子さんは両親から親戚の法事に出席するように言われ、そこで親戚が噂話をしているのを聞いてしまったのでした。

そこで実の母親と対面したシズ子さんですが、お互いに名乗ることなく、その後も、自分を実の子供同然に育ててくれた2人には申し訳ないと思い、亀井うめ・音吉にもそのことを告げなかったそうです。

このように、笠置シヅ子さん同様に「ブギウギ」でも、しばらくしてから自分の生い立ちについて知る展開になると思われます。

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