佐藤久志のモデルは伊藤久男!戦争戦後の実話も

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佐藤久志(さとうひさし)は、朝ドラ「エール(えーる)」でちょっと(かなり(^_^;))変わったお坊ちゃん風な男の子。

佐藤久志の子ども時代は、現在山口太幹(やまぐちたいき)くんが演じていますが、大きくなった佐藤久志は山崎育三郎(やまざきいくさぶろう)さんが演じます(≧∇≦)

山崎育三郎さんが演じるということで、もうお分かりですね?そう、佐藤久志は将来歌手になります!

モデルは伊藤久男(いとうひさお)さんですが、さてどのような人物だったのでしょうか?

大きくなった佐藤久志のネタバレといっしょにご紹介させていただきます!

また戦争中、戦後の佐藤久志が話題になっているのですが、これは伊藤久男さんの実話なのでしょうか?史実もまとめていきたいと思います。

目次

佐藤久志とは?モデルは伊藤久男で実在の歌手

おっさんずラブ獅子丸役は山崎育三郎!ミュージカル俳優の出演ドラマは?

佐藤久志(さとう ひさし):山崎育三郎(子役・山口太幹)

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裕一の小学校の同級生で、県議会議員をつとめる裕福な家の息子。
のちに東京の音楽学校を卒業し、歌手となって裕一の曲を歌い人気を博す。

引用元 公式サイト

まだ子供たちは着物を着ているのに、いつもおしゃれな洋服を着ていて、話すこともかなりおませな佐藤久志。

突然現れたかと思うと、気づけばもうそこにはいない。。。そんな神出鬼没な少年です(笑)

古山裕一(のちの窪田正孝)は作曲の才能を、そしてガキ大将の村野鉄男(のちの中村蒼)は詩の才能をもっていることがわかってきました。

ですが佐藤久志はまだ歌手のか「か」の字も出ていませんね~。

3人の中では一番最後に開花するのかもしれません。

でも家にはピアノがあると言っていたので、おそらく音楽は身近にある生活をしていると思われます。

そんな佐藤久志のモデルは、歌手の伊藤久男さん!

さてどんな人物だったのでしょうか?

 

 

佐藤久志のモデルは伊藤久男!福島三羽ガラスの1人

エール時代背景と年齢設定!時系列や実年齢差も

伊藤久男(いとう ひさお)

伊藤久男さんは1910年、明治43年に福島で生まれました。

「エール」の主人公、古山裕一(のちの窪田正孝)、それに村野鉄男(のちの中村蒼)の3人で、福島三羽ガラスと呼ばれるようになります。

みなさん福島出身ですが、生年月日と出身地を比較してみました。

◆野村俊夫(村野鉄男)1904年~1966年(62歳没) 福島市

◆古関裕而(古山裕一)1909年~1989年(80歳没) 福島市

◆伊藤久男(佐藤久志)1910年~1983年(72歳没) 本宮市

このように村野鉄男のモデル、野村俊夫さんだけ少し年上ですが、野村俊夫さんと古関裕而さんはご近所さんで、子供のころからよく一緒に遊んでいたといいます。

さて、伊藤久男さんですが明治43年生まれということで、本名は四三男(しさお)さんといいます。

父親はドラマと同じ県会議員で大変裕福な家で育ちました。ちなみに兄は自民党衆議院議員だった伊藤幟さんです。

当時まだ珍しかったピアノが家にあり、小さなころからピアノに没頭していたそうです。ドラマでも久志は家にピアノがあると言ってましたよね~。

そんなことで本当はピアニストになりたかった久男さん。音楽家になることを反対されたため、東京農業大学に入学し上京。

そのころにコロムビアレコードの専属作曲家となっていた古関裕而さんと知り合います。ドラマと違うのは、幼馴染ではなかったというところですね。

その後久男さんは家族に内緒で(^_^;)、大学を中退。帝国音楽学校に進みますが、それが家族にバレてしまい(笑)仕送りを止められてしまいました・・・。

そのため久男さんはコロムビアでレコーディングのお手伝いのアルバイトを始めました。お囃子や合いの手を入れるお仕事だったそうです。

ピアニストになるためのアルバイトでしたが、これがきっかけで歌手への道へ進むことになりました。

そして1933年。「今宵の雨」で伊藤久男としてコロンビアの別レーベルから歌手デビュー♪コロムビアからは宮本一夫名義での「ニセコスキー小唄」がデビュー曲となります。

またタイヘイレコードでは「内海四郎」という名義で歌手活動を。こんなにたくさん名義があると大変でしたでしょうね(^_^;)

レーベルで名義を変えていましたが、1935年からは伊藤久男に統一。その後は軍歌が多くなります。

このころのヒット曲は1938年の「湖上の尺八」♪その後も「暁に祈る」「お島千太郎旅唄」などヒット曲が続き、スター歌手になりました。

同時に「征戦愛馬譜 暁に祈る」「歌う狸御殿」などの映画に出演、俳優活動もしています。

戦後も「イヨマンテの夜」「あざみの歌」「山のけむり」など多くのヒット曲を歌い、1953年の映画「君の名は」の主題歌「君、いとしき人よ」が大ヒット♪

NHK紅白歌合戦にも1952年から11回出場されています。

福島三羽ガラスでの作品にはこのようなものがあります。

1940年「暁に祈る」

1942年「シンガポール晴れの入城」

1948年「若き日のエレジー」

1953年「岬の灯り」

1954年「福島音頭」

1956年「メコンの舟歌」

1957年「二本松少年隊」

などなどです。長年共同の作品を作られていたんですね~♪

古関裕而さん作曲で有名な、全国高校野球大会歌「栄光は君に輝く」も伊藤久男さんが歌っています。

かなりの酒豪だったという伊藤久男さん。1983年、肺水腫により72歳でお亡くなりになりました。

さて、そんな伊藤久男さんをモデルにした、山崎育三郎さんが演じる大人になった佐藤久志。

あの久志少年はどんな人物になったのでしょうか?

 

 

佐藤久志のモデルの伊藤久男の戦争戦後の史実とは?召集令状や酒に溺れた過去も

佐藤久志に召集令状が!しかし痔が理由で・・・

戦争中では、軍歌を歌い、ヒットを飛ばし、慰問をして、いわゆる国に貢献していた佐藤久志。

そんな佐藤久志に、召集令状が来ました。

裕一たちに、送別会を開いてもらい、盛大に見送られたものの・・・なんと痔であることがわかり戻ってきた佐藤久志(^^;

これって、実話なのでしょうか?

実は・・・ほぼ実話なんです。もちろんすべてではないと思いますが(^^;

以下の記事に詳しくまとめてありますが

伊藤久男は戦争で召集令状が来た?エールの痔は実話?

まず伊藤久男さんには、ドラマと同じように、召集令状がきます。

古山裕一のモデルになった古関裕而さんが作曲した「暁に祈る」を歌いヒットした伊藤久男さん。それから3年後のことでした。

召集令状が来たとき、伊藤久男さんは、ちょうど痔を悪くして入院していたそうなんです。

そしてその病院の先生が伊藤久男さんの大ファンで、出征しなくてもいいように計らってくれたそうです。

ドラマでは、最初は痔であることがわからず、出征するので、少し設定は違いますが、召集令状が来て、痔が理由で実際に出征しなかったことは実話でした。

佐藤久志の戦後は酒浸りで落ちぶれた?伊藤久男の実話なの??

軍歌のヒット曲を飛ばし、慰問をしていた佐藤久志でしたが、戦後大きな変化が。

久志は福島の実家が戦後の農地改革で、土地や財産も取り上げられてしまい、父親が亡くなってからはすっかり荒れてしまいました。

父親が久志が軍歌を歌っていたことで、若者たちを戦地に送ったということで、責められていたことにも胸を痛めていたようです。

そして・・・お酒やギャンブルに明け暮れる日々となってしまったのです。

これは、実話なのでしょうか?伊藤久男さんも同じようになってしまったのでしょうか?実は・・・なんと実話だったんです。

伊藤久男さんは終戦、 軍歌を歌った責任感から、疎開先で酒におぼれてしまうんです。

物資がなかったため、メチルアルコールまで飲んでいたということでした。

以下に詳しくまとめてあるのですが・・・

伊藤久男の戦後の酒に溺れたり「栄冠は君に輝く」歌唱は実話?

このときは声や人相までもすっかり変わってしまたそうです。

一時は再起不能説まで出た伊藤久男さん。しかし周りの助けもあり、1947年の映画「地獄の顔」の主題歌「夜更けの街」で見事カムバックを果たします。

その後も「イヨマンテの夜」「あざみの歌」「ひめゆりの塔」など次々とヒット曲を飛ばします。

そして1949年には「栄冠は君に輝くを歌唱。またその後も「イヨマンテの夜」や「君いとしき人よ」と、古関裕而さん作曲の歌がヒットとなり、戦前よりも活躍することになります。

と言う訳で、戦後に酒に溺れてしまったことはなんと実話でした。

 

 

佐藤久志のネタバレ原作は?

エール佐藤ひさしの子役は山口太幹!山崎育三郎の幼少期

佐藤久志(山崎育三郎)が登場するのは、第7週目に入ってから。

世界的作曲コンクールで2位に入賞した古山裕一(窪田正孝)。その功績が新聞で大々的に取り上げられます。

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その記事を目にしたのが、関内音(二階堂ふみ)です♪感動した音はさっそく熱烈な手紙を出したことから、ふたりの文通がスタート。

そしてその後裕一は、コロンブスレコードから専属契約の話が決まり、村野鉄男(中村蒼)も「俺も行くから一緒に曲を作ろう!」と激励。

裕一は上京して音と結婚しました。

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音は東京帝国音楽学校で声楽を学び始めます。一方裕一は、なかなか作った曲が認められず、ボツばかり続く日々。

そんなある日、音の通う学校のオペラ実習の授業中、3年生のプリンスと呼ばれる男子生徒がやってきます。

女性とたちの憧れのその人物・・・そう、彼こそが佐藤久志です(≧∇≦)

それからしばらくして、裕一と音はささいなことで喧嘩をしてしまいます。

浮かない顔で発声練習をする音。その音に久志が声をかけます。

と、そこへ偶然やってきた裕一。その裕一に「古山か!僕だよ!佐藤久志!」と声をかけました。

小学校卒業以来の偶然の再会(^^)

曲作りに悩んでいると聞かされた久志は、こう励ましました。

焦ることはない。君は選ばれし者。いつか必ず道は開ける

その後裕一は早稲田の応援歌を作り上げたことで自信を取り戻します。

そして福島で記者として働いていた村野鉄男を呼び出し、一緒に曲を作らないかと誘いました。

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そこへ久志もやってきて、3人はこんな約束をします。

いつか鉄男が詩を書き、裕一が作曲し、それを久志が歌う

音が通う音楽学校では、記念公演「椿姫」が開かれることになり、最終予選に音と誰もが認める実力者の千鶴子が残りました。

その審査には、あの教会の白い歌姫だった双浦環(柴咲コウ)の姿も!

音は環から厳しい言葉を投げかけられます。

何を伝えたいの?どこまで理解してるの?何も伝わってこなかった

落ち込む音に、久志は「椿姫」の世界を理解することだ、とアドバイスします。

「椿姫」は青年貴族と高級娼婦の悲恋を描いたオペラ。

音には男女の微妙な心理が理解出ず、カフェで女給として1週間働くことにしました。

そのカフェで一緒に働いていた希穂子は、鉄男の元カノ。鉄男に良縁が舞い込んだことで、身を引いて東京にやってきたのです。

結局鉄男のプロポーズを断り、涙を流して去って行った希穂子。

鉄男は恋愛の詩「福島行進曲」を書き、それに裕一が曲をつけました。

その作品はコロンブスレコードでも採用され、レコード化することになりましたが、佐藤久志はまだ学生だったので、歌は他の人が歌うことに。

3人の夢はお預けとなりました。

そんなふたりの悲恋を見てきた音は、素晴らしい歌を歌うことができ、音の主演がきまりました。

佐藤久志が登場するネタバレは、現在わかっているのはここまでです。

実際に伊藤久男さんは、古関裕而さんの奥様、金子さんと同じ音楽学校に通っていました。金子さんはかなり歌が上手だったそうです。

伊藤久男さんがプリンスだったかどうかは、わかりませんが(^_^;)、かなりの二枚目なのでその可能性はありますね。

そんな伊藤久男さんをモデルにした、佐藤久志を演じる半端なく歌の上手い山崎育三郎さん。その歌声、とても楽しみですね(≧∇≦)

佐藤久志の今後のネタバレとモデルで歌手の伊藤久男についてのまとめ

村野鉄男のモデルは野村俊夫で作詞家!ネタバレも

佐藤久志はお金持ちのお坊ちゃん。大きくなった久志は音楽学校のプリンスとして登場。山崎育三郎さんが演じます。

佐藤久志のモデルは歌手の伊藤久男さん。多くの楽曲を歌ってきた、当時では知らない人がいない国民的な歌手です。

実際に伊藤久男さんと古関裕而さん、それに野村俊夫さんの3人は福島出身。

この三人で「福島三羽ガラス」と呼ばれていたそうです。

そんな3人の友情もこれから描かれることと思います。

3人のイケメンの登場、楽しみです!

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