古関裕而代表曲一覧!エール作曲家古山裕一モデルの名曲動画も

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古関裕而(こせきゆうじ)さんは朝ドラ「エール(えーる)」で、窪田正孝(くぼたまさたか)さん演じる主人公の古山裕一(こやまゆういち)のモデルです。

古関裕而さんは天才作曲家として知られ、生涯で5000曲を生みだしました♪多くの名曲を生み出してきました!

主人公の小山祐一のモデルになった作曲家さんです。みなさん、気になりますよね~?どんな曲があるのか。代表曲は聞いたことあるのか??

そこで今回は朝ドラ「エール」で主人公の古山裕一のモデルになった古関裕而さんの代表曲・名曲を調べて、ジャンルごとに一覧にしてみました。

さて、小山祐一のモデル古関裕而さんはこれまでにどのような代表曲があったのでしょうか?聞いたことがあるあの曲とかあの名曲など・・・びっくりしてください!

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目次

エールの主人公古山裕一とは?モデル古関裕而は天才作曲家で代表曲がすごい

古山裕一のモデルは古関裕而!作曲家の代表曲がすごい!

「エール」の主人公は、NHK連続テレビ小説としては6年ぶりの男性が主人公(≧∇≦)

小山祐一を演じているのは窪田正孝さんで、その妻となる古山音(こやまおと)を演じるヒロインが二階堂ふみ(にかいどうふみ)さん。

お二人のモデルは作曲家の古関裕而さんと、奥様で声楽家の古関金子さんです♪

「エール」の古山裕一とは、こんな人物です(^^)

古山裕一(こやま ゆういち):窪田正孝

福島で代々続く老舗呉服屋の長男。
気弱でいじめられがちな少年だったが、音楽に出会うとその秘めた才能を発揮し、独学で作曲を始める。

跡取り息子として周囲の期待から商業を学び、伯父が経営する銀行に勤めるが、音楽への思いを断ち切れないでいた。

そんな中、歌手を目指しているという女学生・関内 音とひょんなことから知り合い、文通を始める。

恋に落ちた裕一はついには、彼女とともに音楽の道を歩むことを決める─。

引用元 公式サイト

「エール」は裕一の子供時代からスタートしています。子供のときは石田星空(いしだせら)くんが演じていました。

古山裕一はとっても気が弱く、思ったことをうまく表現できない男の子。それは大人になっても変わっていませんが。。。(^_^;)

そのためいじめっ子からいつもいじめの標的にされていました。そのいじめっ子のひとりと、高校では友達になりましたね。

プラス超がつくくらいの運動音痴(笑)跳び箱が飛べずに同級生に笑われるだけでなく、先生に叱られてしまうことも。。。

そして重い気持ちで迎えた運動会。予想通り(笑)徒競走で転んでしまった裕一。

そんな裕一を励ますかのように、藤堂先生(森山直太朗)指揮のもとハーモニカ隊が演奏を始めました。

その音楽に励まされ、裕一は立ち上がりなんとかゴール。自分への応援歌を始めて感じたときでした。

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裕一の音楽の才能を見抜いた藤堂先生。裕一の両親にそのことを伝えに来ます。裕一も学校でみんなが持ってきた詩に曲をつけるようになりました。

ですが小山祐一は老舗呉服屋「喜多一」の跡取り。商業学校へと進学します。

ハーモニカ倶楽部で活躍していた裕一ですが、そんなとき父親の三郎が騙され借金を背負うことに(>_<)

そのため小山祐一の母親、まさ(菊池桃子)の兄で、銀行を経営している実業家の権藤茂兵衛(風間杜夫)に融資を頼みます。

融資の条件はただひとつ。兄弟のどちらかを権藤家に養子に出すこと。

茂兵衛の妻は体が弱く、子供がいないため後継ぎが必要でした。

両親は悩みますが、喜多一は弟の浩二(佐久本宝)が継ぐことに決まっていたので、養子に出すなら裕一しかいません。

そのことを三郎が伝えると、裕一はそれを承諾。。。するしかありませんでした。

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こうして実家を離れ、川俣町まで引っ越すことになった裕一。

裕一については現在ここまで放送されています。

せっかく才能が開花してきたのに、運命とは皮肉なものですね~。

さて、モデルの古関裕而さんは天才作曲家なのですが、どのような人物だったのでしょうか?代表曲がすごいことになっているんです!以降で詳しく紹介していきます。

 

 

古関裕而とは?様々なジャンルの代表曲が存在

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古関裕而さんは、1909年(明治4年)に福島県にある老舗呉服店「喜多三」の9代目として誕生しました。

裕而さんの父親、三郎次さんが大の音楽好きということで、当時はまだ珍しかった蓄音機で、浪曲や民謡などの音楽を聴いていたそうです。

蓄音機から流れる音楽を楽しそうに聞いている裕而さんを見て、母親が卓上ピアノをプレゼント♪そのピアノで裕而さんは作曲をしていました。

そして小学3年のとき、担任だった遠藤喜美治先生の指導のもと、初めて作曲をします。

そのうち裕而さんはクラシックに目覚めます。当時人気だった山田耕筰さんに憧れ、楽譜は全て暗記したほどでした!

本を読んだりして独学で音楽を勉強していたという古関裕而さん。

将来は実家の「喜多三」を継がなければならないため、福島商業高校に進学します。

高校では当時盛んだったというハーモニカ・バンドに加入。そこで音楽理論を学びました。

ところが「喜多三」が倒産!

就職先が突然なくなってしまった裕而さん。母親の兄で叔父にあたる武藤茂平さんに誘われ、茂平さんが頭取をしていた川俣銀行に就職することになります。

銀行で働きながら、音楽も続けていた裕而さん。聖歌指揮者でもあった金須嘉之進さんから音楽を学ぶため、仙台まで通っていたそうです。

努力が実り、1929年に世界的な作曲コンクールで、日本人初となる受賞!

その快挙を知った内山金子さんからファンレターをもらい、文通を経ておふたりはご結婚されました。

古関裕而さんはそれからコロムビアレコードと専属契約を結び、流行歌の作曲家として活躍することになります。

作った曲はなんと5千曲!数えきれませんね(^_^;)

流行歌やクラシック以外にも、時代的に軍歌もあったり映画音楽なども。

またスポーツ関係や社歌、それに学校の校歌なども多く作曲されました。

1969年に紫綬褒章を受章。1979年には福島市名誉市民の第1号となっています。福島にとっても英雄なんですね(^^)

古関裕而さんは1989年、80歳でお亡くなりになりました。

では古関裕而さんが作った代表曲をご紹介しましょう。

 

 

古関裕而の代表曲ジャンルごとの一覧は?

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古関裕而さんの有名な代表曲をジャンルごとに分けて一覧にしてみました。

歌謡曲

1935年「船頭可愛や」(作詞:高橋掬太郎)

1947年「雨のオランダ坂」(作詞:菊田一夫)

1949年「長崎の鐘」(作詞:サトウハチロー)

1949年「イヨマンテの夜」(作詞:菊田一夫)

1951年「あこがれの郵便馬車」(作詞:丘灯至夫)

1954年「高原列車は行く」(作詞:丘灯至夫)

タイトルだけ見てもピンとこない方も多いかも・・・(^_^;)

「船頭可愛や」は古関裕而さんがコロムビア専属となり、5年目でようやくヒットした曲です。

「エール」で柴咲コウさんが演じる双浦環のモデル、三浦環さんも大絶賛したという曲♪

長崎の原爆被害の悲惨さを歌った「長崎の鐘」は、平和を願って作られた曲。みなさんもきっとご存知ですよ。

そして「高原列車は行く」も、みなさんきっとどこかで聞いているはずです。

この曲は中学校の音楽の教科書にも使われています。またJR福島駅の発車メロディとしても慕われている曲ですね。

またこの曲は「あなたが選ぶ古関メロディー ベスト30」で1位に輝いたみなさんに愛されている曲です。

軍歌

1937年「露營の歌」(作詞:薮内喜一郎)

1940年「暁に祈る」(作詞:野村俊夫)

1941年「海の進軍」(作詞:海老名正男)

1942年「斷じて勝つぞ」(作詞:サトウハチロー)

有名になった古関裕而さんには、戦争になると軍歌の依頼もくるように。

「露營の歌」は、前線にいた兵士たちも愛唱していたといいます。

「暁に祈る」は福島三羽ガラスによる作品。福島市の信夫山第一展望台にはこの歌碑があるそうです。

映画・ラジオなど

1943年「若鷲の歌(予科練の歌)」(作詞:西條八十)

1947年「白鳥の歌」(作詞:若山牧水

1953年「ひめゆりの塔」

1953年「君の名は」(作詞:菊田一夫)

1961年「モスラの歌」(作詞:本多猪四郎、田中友幸、関沢新一)

「若鷲の歌」は映画「決戦の大地へ」の主題です。古関裕而さんは航空隊に体験入団し、この曲を作ったそうです。

「白鳥の歌」はラジオドラマ「音楽五人男」の主題歌。当時の高校の教科書に採用されました。

「君の名は」もラジオドラマで大ヒットした曲♪放送中にオルガンの生演奏もしていたそうです。当時は何でもアリだったんですね(^_^;)

そしてザ・ピーナッツが歌った映画「モスラ」の「モスラの歌」はあまりにも有名。映画も大ヒットしました。

スポーツ関係

1936年「大阪タイガースの歌(六甲颪)」(作詞:佐藤惣之助

1948年「栄冠は君に輝く」(作詞:加賀大介)

1964年「オリンピック・マーチ」

1963年「巨人軍の歌(闘魂こめて)」(作詞:椿三平

1971年「純白の大地(札幌冬季オリンピックの歌)」

阪神タイガースの「六甲おろし」はあまりにも有名。

そして「栄冠は君に輝く」は高校野球の歌として皆さんも耳にしたことはあるはずです。

引用元 YouTube

JR福島駅の新幹線発車メロディとしても流れています。

この曲は高校野球主催の朝日新聞から依頼されたそうで、歌詞は全国から公募されました。

そして「オリンピック・マーチ」もみなさん耳にしたことのある曲です。

引用元 YouTube

1964年の東京オリンピックで、選手入場の行進曲として使われた曲です。「エール」はこのときの古山裕一夫婦から始まりましたね。その前の原始時代もありましたが・・・(^_^;)

この曲の依頼があったとき、古関裕而さんはとても喜んだそうで、人生の中で精魂を傾けた一世一代の曲だったそうです。

校歌や応援歌

1931年「紺碧の空 ~早稲田大学応援歌~」(作詞:住治男)

1935年「東京農業大学応援歌 カレッジソング」(作詞:吉田精一)

1968年「早慶讃歌 〜花の早慶戦〜」(作詞:藤浦洸)

1970年「我ぞ覇者 〜慶應義塾大学応援歌〜」(作詞:藤浦洸)

「早稲田大学応援歌」は、上京してから仲良くなった同郷の伊藤久男さんの親戚から頼まれて作ったそうです。

この伊藤久男さんは歌手で、福島三羽ガラスのひとり。「エール」では山崎育三郎さんが演じます。

「我ぞ覇者」は戦争が終わり、中断されていた東京六大学野球リーグ戦が再開されたことで、慶応大学から依頼されたものです。

早稲田の応援歌があまりにも素晴らしかったことから依頼されたそうで、古関裕而さんは早稲田の許可があれば、ということでお引き受けしたとか。とっても義理堅い古関裕而さんです(^^)

古関裕而さんのデビューレコードは「福島行進曲」です。当時ご当地ソングが流行っていて、同じ福島出身で福島三羽ガラスのひとり、野村俊夫さんが作曲しています。

野村俊夫さんをモデルにしているのが、あの魚屋のガキ大将だった村野鉄男。大人になった鉄男は中村蒼さんが演じます(^^)

このように多岐にわたるさまざまなジャンルの曲を作り上げてきた古関裕而さん。

ドラマでもいろんな曲がかかるといいですね♪

エールで古山裕一のモデル古関裕而の代表曲一覧まとめ

エール時代背景と年齢設定!時系列や実年齢差も

朝ドラ「エール」の主人公、古山裕一(窪田正孝)のモデルは、福島が生んだ天才作曲家の古関裕而さんです。

生涯で作った作品は5千曲にもおよび、戦前戦中戦後と国民に元気や癒しを与えてきました。

年代的に古いので、タイトルを見てもわからない曲ばかりだと思いますが、耳にしたことのある曲が多いと思います。

みなさんも「エール」で古関裕而さんの作曲された、明るく元気な曲からエールをもらってください!

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