信楽窯業研究所のモデルは信楽窯業試験場で実在【スカーレット】

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朝ドラ「スカーレット(すかーれっと)」ヒロイン川原喜美子(戸田恵梨香)の一人息子、武志(伊藤健太郎)が京都の美術大学へと旅立って行きました。

親子の別れのシーン。嬉しくもあり、でもやっぱり号泣しました(T_T)

その武志が大学を卒業してから「信楽窯業研究所(しがらきようぎょうけんきゅうじょ)」というところに入り研修します。

そこで朝ドラ「スカーレット」に登場する「信楽窯業研究所(しがらきようぎょうけんきゅうしょ)」のモデルについて調べてみました!

もしかしたら実在する「信楽窯業試験場」がモデル?さて本当でしょうか?

そして武志のモデルである神山賢一さんも、そこで研修されたのでしょうか?

目次

信楽窯業試験場は実在?何をするところなの?

スカーレット最終回はいつ?放送日と次の朝ドラは何?

「信楽窯業技術試験場」は実在します(≧∇≦)

滋賀県工業技術総合センターにある研究所で、原料の化学分析など、さまざまな研究をしています。

また研修生も募集していて、多くの陶芸家がここで研究生として学んだそうです。

研修は1年間で、信楽等県内窯業の後継者を養成するために始められました。

研修科目

・大物ロクロ成形科

全国的にも少ない大物の陶器製品を電動ロクロで整形する信楽伝統の技術

・小物ロクロ成形科

小物製品を正確に成型する技術とデザイン、焼成までおこなう

・素地釉薬科

素地と釉薬の調合の技術習得

・デザイン科

加飾技術の習得

受講料は月額 4,250円。各科とも若干名の募集です。見学を受け付けていますので、興味のある方はこちらにお電話してみてください。

TEL  0748-82-1155
住所 滋賀県甲賀市信楽長野498 

信楽窯業試験場ではほかにも「技術者養成研修」「モノづくりの技術研究生」などの研修生の募集や研究の紹介、試作品の展示、OB展なども開催されています。

研究所の中には土や釉薬の研究室や、石膏型などの意匠デザインなど、窯業に関する全てのものがそろっています。

さて、この「信楽窯業技術試験場」は「スカーレット」の信楽窯業研究所のモデルでしょうか?

 

 

信楽窯業研究所のモデルは信楽窯業試験場なの?

神山賢一の史実と生涯は?スカーレットで武志のモデル

少しネタバレあります!

「スカーレット」の信楽窯業研究所のモデルは、「信楽窯業試験場」で間違いないと思います!

ちょっとネタバレしますが、伊藤健太郎(いとうけんたろう)さん演じる武志(たけし)は、京都の美術大学を卒業後、この信楽窯業研究所で研修を受けることになります。

ちなみに丸熊陶業の照子(大島優子)の息子も一緒に研修します(^^)

そして武志のモデル、神山賢一(こうやまけんいち)さんも、信楽窯業試験場で熱心に釉薬の研究などをされていたそうです。

ということで、この「信楽窯業研究所」のモデルは「信楽窯業技術試験場」で間違いないと思います!

「スカーレット」の信楽窯業研究所の所長は、視聴者から好感度の高い中村育二さん演じる柴田所長。

川原夫婦にいろんなアドバイスをしてくれ、いつも親身になってくれた方です。

そして職員のひとりが紺野まひるさん演じる橘ひろ恵です(^^)喜美子に仕事を持ってきてくれた恩人(^^)

ドラマでは次に事務員が登場します。どうやら武志が好感を持つ女性になりそうですが。。。(≧∇≦)

その事務員とは松田るかさん演じる石井真奈です。

かわいい!!

こんな職員たちがいる「信楽窯業研究所」がこれから武志が修業をする場となります。

それでは武志のモデル、神山賢一さんの史実についてご紹介しましょう。

 

 

スカーレットで武志のモデル神山賢一の史実とは?

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朝ドラ「スカーレット」で武志(伊藤健太郎)は喜美子(戸田恵梨香)と八郎(松下洸平)のひとり息子。

モデルは神山賢一さん。母親は喜美子のモデルの神山清子さんです。父親は、離婚されていますが同じく世界的な陶芸家の神山易久さん。

神山賢一さんは1961年、おふたりの長男として生まれました。ドラマでは一人っ子ですが、賢一さんには久美子さんという姉がいます。

清子さんと易久さんは、同じ陶器会社の同僚として知り合いご結婚。その後ふたりとも会社を辞め、自宅工房を作って陶芸をして生活をしていました。

ですが易久さんはお弟子さんと不倫をし、清子さんに辛く当たるように・・・。見かねた賢一さんがふたりに離婚をすすめ、のちに清子さんと易久さんは正式に離婚しました。

親権や穴窯の権利で泥沼化した離婚となったそうですが、どちらも清子さんのものとなり、その後清子さんは薬品を使わない自然釉の研究を始めます。

なかなかうまくゆかず、清子さんは小さな子供二人を連れ、土を求めて全国を回ったそうです。

いよいよ資金もなくなり出稼ぎにいこうか、と考えていたとき、賢一さんが近所で拾ったと言う陶器の破片を持ってきました。

まさにそれが清子さんの求めていた色(≧∇≦)窯の火の温度、時間、そして灰が降りかかって溶けてできる自然のガラスのような色、ビードロ釉というものです。

清子さんは古代穴窯を作り、窯焚きの日数を増やすことでそのビードロ釉の色を出すことに成功。清子さんは世界中で個展を開くようになりました。

それでも生活は苦しかったそうですが。。。(^_^;)

賢一さんは信楽の工業高校、窯業科で釉薬の研究をしたそうです。卒業後は信楽窯業試験場で3年間修業をします。

釉薬の研究を熱心にされていたそうです。

その後清子さんの工房で陶芸家として活動をスタートさせます。

清子さんが釉薬を使わない「自然釉」にこだわっていたのに対し、親の力を借りたくなかった賢一さんは釉薬を使う「天目茶碗」の制作を始めます。

ところが!そんな親子を不幸が襲います(>_<)

1990年、賢一さんが29歳の冬。腰の痛みを訴えた賢一さんが病院に運ばれます。

そこで告げられた病名は「慢性骨髄性白血病」。 救うには白血球の型、HLAが合う健康な人から骨髄の移植をするしかなく、できない場合は発病後だいたい2年半くらいでみんな亡くなっている。。。というものでした。

清子さんは震えが止まらなかったそうです。

姉の久美子さんともHLAが合わず、当時にはまだ日本に骨髄バンクもありません。

知人たちで「神山賢一君を救う会」が結成され、ドナー探しが始まります。

清子さんも白血病に関する本をたくさん読みました。 そこで海外には骨髄バンクがあることを知り、厚生省の知り合いに相談すると「応援します」との返事をもらいます。

救う会には全国の白血病患者からデータが送られ、ドナーも3000人の希望者が集まりました。 ですが賢一さんに合うドナーは見つからず。。。

賢一さんは自分だけではなく、多くの白血病の患者のため入退院を繰り返すなか、普及活動に専念。清子さんとともに骨髄バンクの設立に尽力しました。

ですが賢一さんは慢性骨髄性白血病から、より進行の早い急性骨髄性白血病へと転化。 完全に型が一致していない清子さんの妹、静子さんから骨髄移植の手術をします。

手術後は回復に向かい、とうとう念願の骨髄バンクの前身となる「骨髄移植推進財団」が1991年12月に設立。

ところが!

3か月後にまた賢一さんは白血病を再発(>_<)日に日に弱っていく賢一さんに、清子さんは遺体を医学の研究に使う献体の話をしました。

清子さんも一緒に入る、というと賢一さんは笑って応じたそうです。

賢一さんは入院前に大壺を作っていて、清子さんはその壺をお弟子さんの協力の元焼き上げ、賢一さんのもとへ届けました。

そのころ賢一さんは目からも血を流すようになっていて、その壺を見た賢一さんは、赤い涙を流されたそうです。

辛かったでしょうね、清子さん。。。普段涙を見せなかった清子さんも、たまらず涙を流したそうです。

1992年4月。清子さんに背中をさすられ、子守唄を聞きながら賢一さんは永眠。31歳でした。

清子さんは現在も骨髄バンクの活動をされています。

このように神山賢一さんは、31歳で若い生涯を終えました。「スカーレット」の武志も同じような運命となってしまうのでしょうか。

武志を演じる伊藤健太郎さんの演技にも注目ですね。

信楽窯業研究所のモデルは信楽窯業試験場のまとめ

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「スカーレット」で大学を卒業した武志が修業をするのが「信楽窯業研究所」です。

モデルは実在の「信楽窯業試験場」で、実際に今でも研究生を募集しています。

武志のモデル神山賢一さんも、そこで釉薬などについて研究、修業をされていたそうです。

賢一さんは残念ながら31歳で白血病によりお亡くなりになりましたが、武志はどうなるのでしょうか。

これまで神山清子さんの人生も史実に近いので、もしかしたら武志も。。。(T_T)

悲しい結末にはしてほしくありませんが、ドラマはどこまで史実に忠実に描かれるのでしょうね。

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