まんぷくカップ麺はカップヌードルがモデルの安藤百福の実話は?

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まんぷくラーメンのモデルはチキンラーメンです。

チキンラーメンを開発したのは日清食品創業者の安藤百福さん。

ということでNHK朝ドラ「まんぷく」の萬平(長谷川博己)と福子(安藤サクラ)のモデルは、安藤百福さんと奥様の安藤仁子さんです(^ ^)

日清食品といえばチキンラーメンもそうですが、忘れてならないのがカップヌードルですよね!

これからまんぷく食品はカップ麺のこのカップヌードルを開発することになります。

その名もズバリ! まんぷくヌードル!!

今回はこのカップ麺のカップヌードル開発秘話を徹底的にまとめてみました。

さて、どんな苦労のもとカップヌードルは商品化されたのでしょうか?

 

 

目次

安藤百福はなぜカップ麺のカップヌードルを開発したのか?

日本即席ラーメン工業協会のモデルは実在?まんぷくは実話?

チキンラーメンが初めて発売されたのが1958年8月でした。

それから類似品で食中毒が発生、その商品はパッケージはチキンラーメンでしたが、中身はまったくのバッタもん。

またとんでもない安値で偽物が売られていることもあり、安藤百福さんは商品に製造年月日を入れることを決意しました。

そして1966年、安藤百福さんは初めて欧米視察旅行に出かけます。

何のためにって? そりゃあチキンラーメンをワールドワイドな商品にするためにです(^ ^)

ロサンゼルスに到着した安藤百福さんは、すぐに大手スーパーに行きチキンラーメンの試食をさせてもらうべくバイヤーに頼みますが、そこに肝心の丼がありません(T . T)

そもそもチキンラーメンは、どんぶりと箸があればいつでも簡単に食べられる、というのがコンセプト。

するとバイヤーが紙コップを持ってきて、チキンラーメンを2つに割りそこへお湯を入れました。

今でこそお箸を上手に使う外国人は増えましたが、当時はお箸なんて持ったこともなかったでしょう。

そのバイヤーはフォークを使って食べ始め、しかも食べ終わった紙コップをポイっとゴミ箱に捨てたのです。

美味しさに国境はないと考えていた安藤百福さんでしたが、あまりの文化の違いに驚いたそうです。

もうおわかりですね? 紙コップにフォーク、そして容器は使い捨て、これがカップ麺のカップヌードル開発の大きなヒントになりました。

カップ麺のカップヌードル開発の3つの条件とは?

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安藤百福さんは、カップ入りの即席ラーメンを作ることを決め、そのための条件を3つに絞りました。

国際性があること

即席性がより高いこと

ファッション性を新しい包装と容器に盛り込むこと

チキンラーメンのときは、安心安全や利便性などを条件にしていましたが、今回はよりインパクトの強いものを条件にしたようですね。

やはりチキンラーメンを超えるには、目新しいものでなくてはなりません。

この3つの条件にしたのも、アメリカで見た光景がヒントになりました。

自動販売機に備え付けられている紙コップにジュースを注いで飲んだ後、その紙コップをくしゃくしゃにして捨てる

紙コップに固形スープを入れ、そこにお湯を注いで飲んでいた

といった光景です。

物を大切にする日本人、食器を使い捨てするなんていう発想すらなかったのかもしれませんね。

このようなアメリカでの体験から、安藤百福さんの新商品の条件が絞られました。

 

容器となるカップの開発秘話とは?

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アメリカ視察から戻り、新しいカップ入りのインスタントラーメン開発に着手した1970年、即席ラーメンの全体の売り上げは36億食をピークに頭打ちになりました。

そのためにも絶対に必要な新しいタイプのカップ入りの即席ラーメン。

安藤百福さんはまずカップ作りからスタートしました。

紙コップを参考にし、材料は当時日本では珍しい発泡スチロールに決めましたが、当時の発泡スチロールは厚みがなんと2センチ!

しかもカップ型の発泡スチロールを製造するような会社は日本には存在しません。

製缶メーカーが作ってみましたが、底が抜けたり割れてしまったりとうまくいかず・・・。

そこでアメリカのダート社と合弁で「日清ダート」(現在の日清化成)を設立しましたが、科学的な匂いがありました。

これも熱い蒸気を吹き付けることで切り抜け、米国FDA(食品医薬品局)の基準を大きく上回る容器ができあがりました(^ ^)

次はフタです。

安藤百福さんがアメリカから帰国するときに、飛行機の中でマカダミアナッツが入った容器が配られました。

この容器は紙とアルミ箔を張り合わせたようなもので、ピンときた安藤百福さんはこのマカダミアナッツをもうひとつもらって持ち帰ったそうです。

これがのちのカップヌードルの容器になりました。

どんなことでもヒントにしてしまう。。。やはり安藤百福さんは天才だったのかもしれませんね!

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チキンラーメンと同じように麺を揚げても、カップ型の麺は中まで揚がりきらず、うまくいきません。

原点に戻って考えた安藤百福さん、揚げ物は水分があるうちは沈んだままで、蒸発すると浮き上がってくるということを思い出します。

そこで安藤百福さんは、円錐形の鉄型に蒸し麺を入れ、蓋をして揚げてみました。

すると、水分が蒸発して浮き上がってきた麺が蓋に当たってカップと同じ形になったのです!

しかも揚がった麺の下のほうが密度が薄くなるため、お湯を入れると下の方も柔らかくほぐれました。

そして具材ですが、ここにもとことんこだわった安藤百福さん、フリーズドライ製法を採用します。

卵の黄色とエビの赤、そしてネギの緑と見た目も鮮やかになりました(^ ^)

 
 
 
 
 
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蓋をしたおかげで上部が平らになり、具材も乗せやすくなりましたが、今度は麺がうまく容器に入りません(T . T)

次から次へと襲い掛かる難題・・・ですがこれも安藤百福さんはクリアしていきます。

どうしたかというと・・・麺の上から容器をかぶせればいい!という逆転の発想です。

この方法だと麺が固定され、お湯の浸透率も上がることがわかりました。

どんなときでも発想とアイディアで問題を解決してきた安藤百福さん、本当に凄いお方ですよね!

こうしてカップヌードルは誕生したのです(^ ^)

カップヌードルのネーミングとパッケージデザインはどうしたの?

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ネーミングについて、安藤百福さんはアメリカの広告代理店に依頼。 これもすごいですよね〜。

もう世界しか見えてなかったのかもしれません。

そして「カップヌードル」という提案を受け、これに決定しました。

今でこそ海外でも「RAMEN」で通用しますが、当時はラーメンという言葉は海外にはありません。でもヌードルという言葉はあったそうです。

「カップラーメン」ではなく「カップヌードル」になったのは、アメリカの広告代理店に依頼したからなんですね。

そしてパッケージデザインですが、「国際性」を取り入れたものに、ということで大阪万博のシンボルマークを作った大高猛さんに依頼することにしました。

こうして全く新しい食品、カップヌードルが誕生!

さて、その売れ行きとは???

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残念ながら売れませんでした(T . T)

安藤百福さんが満を持して作り上げた渾身の商品でしたが、1971年東京の経団連会館でおこなったカップヌードルの発表会で試食をしてもらった結果、味については絶賛されますが未知の商品にまわりの反応は冷たかったのです・・・。

しかも袋入りのラーメンが25円で売られていたのに対し、このカップヌードルは1個100円!

当時の物価としてはアメリカから輸入されたコインランドリーが1回100円、マーガリンが110円。 そして日本でおなじみのあんぱんが30円、コロッケが40円、銭湯の入浴料が40円の時代でした。

今と比較してみると、カップヌードルは価格が税別で180円なので倍くらいになりましたね。

1968年に発売され大ヒットした「ボンカレー」は1個80円、現在は180円と今はカップヌードルと同じ価格のようです。

銭湯は地域によって違いますが、だいた400円前後なのでなんと10倍! コロッケやあんぱんも3倍くらいになっていて、そう考えるとカップヌードルはあまり値上げをしていない食品といえそうですね。

カップヌードルが受け入れられなかった理由の一つに、日本人は家族で食卓を囲むという文化に反していることがあげられます。

また、立って物を食べるという行為もお行儀が悪いというのもありました。

問屋の反応も冷たかったのですが、ここで諦める安藤百福さんではありません! 新たな流通ルートを開発する作戦を練り始めます。

カップヌードルが大ヒットしたきっかけは?

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問屋から仕入れの依頼が来ないということは、当然店頭にも並びません。

そこで安藤百福さんがどうしたのかというとー。

若手社員たちにカップヌードルとお湯の入ったポットを持たせ、とにかく人の集まる場所でセールスをさせたのです!

デパートや遊園地といた娯楽施設以外にも、官公庁や警察、消防隊や自衛隊に至るまでいろいろなところでセールスをしました。

すると自衛隊では演習場で配られたりしたそうです。 意外なところで需要があったりするんですね〜。

そういえばドラマで土井垣議員(奥田瑛二)も演説の合間にすぐ食べられる、と言ってました。

 
 
 
 
 
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そして1972年2月、ある事件によってカップヌードルは日本中の国民の目に止まることになります、

それがあの浅間山荘事件!!!

連合赤軍による人質籠城事件です。

この模様は連日テレビで放送されましたが、あるときテレビを見ていた安藤百福さんは思わず息をのみました。

それは寒い雪の中、機動隊の方たちが湯気の立ったカップヌードルを立ったまま食べているシーン!!

その直後から警察や報道陣からカップヌードルを欲しいという依頼の電話が殺到しました。

さらに安藤百福さんは若者たちにヒットさせようとタネを蒔いていました。

銀座の歩行者天国で試食販売をしていたのです。

ちょうどマクドナルド1号店がオープンしたばかりで、自由を求める若者たちにカップヌードルをアピール、あっという間に人でごったがえす人気ぶりでした。

お店で扱ってもらえなかったカップヌードル、安藤百福さんは自動販売機で売ることを思いつきます。

お湯の出る専用の自動販売機を作り、大手町にあった日本経済新聞社の食堂脇に置かれました。

こうした努力の末、口コミでカップヌードルが便利でおいしいということが広まり、その後注文が殺到することになりました。

それにしても安藤百福さんの負けない心、すごいですよね〜。

時代の波に救われたこともありましたが、鋭い先見の目と柔軟な発想力があったからこそなしえたのかもしれません。

こうしてカップヌードルは日本に新しい食文化をもたらすことになりました。

まとめ

チキンラーメンパッケージ初代歴代の歴史まとめ

カップ麺のカップヌードルが誕生した実話を詳しくご紹介させていただきました。

さて、この実話はドラマではどのように描かれるのか楽しみですね。

NHK連続テレビ小説「まんぷく」も残すところあと1ヶ月となりましたが、ここにきてまた新しいキャストも発表されました。

大人になった源と幸、それにアメリカ人のレオナルド。そして画家の忠彦にも弟子が!!

そんな新キャストを交えて、いよいよこれからカップヌードルをモデルにした、まんぷくヌードルの開発が始まります。

鈴は静かに余生を過ごしたいなんて言ってましたが、果たして願いは叶うのでしょうか?

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