茶々と秀吉の年齢差・年の差は何歳違う?関係な良好だった?

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2023年NHK大河ドラマ「どうする家康」は、10月に突入し残すところ放送も最終回まで3か月となりました。

このドラマは、松本潤さん演じる徳川家康(とくがわいえやす)が、江戸幕府を開き天下を収めるまでの波乱万丈の生涯を描く物語です。

今後はムロツヨシさん演じる豊臣秀吉に従いながらも、虎視眈々と天下を狙う家康の姿が描かれていくことになります。

そんな「どうする家康」ですが、第36回から北川景子さん演じる茶々が登場したことも話題に!!

北川景子さんはお市を演じており、その娘・茶々と2役演じることになりました。

茶々は秀吉の側室となって再登場したのですが、この二人の年齢差・歳の差っていくつ?何歳違いなのでしょうか?

そして母を死に追いやった秀吉との関係や仲・関係がどうだったのか?良好だったのか??気になる方も多いと思います。

今回は大河ドラマ「どうする家康」の茶々と秀吉の年齢差や関係・仲についてご紹介します。

目次

豊臣秀吉と茶々の年齢差が気になる!北川景子の登場で注目が!

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「どうする家康」で豊臣秀吉を演じているのはムロツヨシさんです。

百姓の家に生まれた秀吉ですが、草履取りから織田信長(岡田准一)に仕え、順調に出世していきます。

信長が本能寺で明智光秀(酒向芳)に討たれると、一番に駆けつけて光秀を打ち取り、織田家の実権を握った秀吉。

一方で織田家の重鎮・柴田勝家(吉原光夫)は、信長の妹・市(北川景子)を妻に向か入れて、秀吉と対抗することになりました。

しかし秀吉の力は強く、のちに柴田勝家と市は秀吉によって滅ぼされてしまうのです((+_+))

市の娘・茶々・初・江は、命を助けられて、秀吉のもとに身を寄せることに。

このとき13歳の茶々を演じたのは、子役の白鳥玉季さんでした。

秀吉に対して、不敵な笑みを浮かべる茶々のシーンが話題になりましたよね!

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心の中では何を考えているのか?秀吉に対して、どういう思いを抱えているのか?わからない怖さがありました。

それから茶々はしばらく登場しなかったのですが、9月24日放送の第36回で成長した姿で現れます。

なんと演じていたのが北川景子さんだったんです。

それも銃をぶっ放すシーンでの登場で、かなり度肝を向かれましたね(;^_^A

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なんと茶々は秀吉の側室となっていたのです!

そして第37回では、秀吉の子供を産むことも分かっています。

茶々が秀吉との子・鶴松を産んだ。勢いづく秀吉(ムロツヨシ)は、北条攻めを決定。和平を主張する家康に秀吉は先陣を命じ、勝てば北条領を全て与えると言う。しかし、それは故郷・三河を離れることでもあった。家康は家臣たちに事情を話せないまま、出陣を命じる。秀吉が20万もの大軍で小田原城を包囲する中、家康は氏政(駿河太郎)に降伏を促すが、全く応じようとしない。氏政には関東の雄としての意地があった。

引用元:公式サイト

これから物語も終盤に向けて、茶々の動向から目が離せそうにありませんね。

そんな北川景子さん演じる茶々ですが、秀吉とかなり年齢が離れている気が・・・

年の差・年齢差がいくつなのか?そして母を死に追いやった男の側室になるって二人の仲はどうなの?

以降で、史実の秀吉と茶々についてご紹介します。

茶々と秀吉の年齢差・年の差は何歳違う?親子ほど離れてる!?

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まずは気になる秀吉と茶々の年齢差です。

秀吉は1537年生まれ、茶々は諸説ありますが1567年生まれと言われています。

◆秀吉 1537年生まれ

◆茶々 1567年生まれ

二人の年齢差はなんと30歳!!

父親と子供以上に離れているんですよね(;’∀’)

ちなみに茶々が母・市を失ったのが、1583年なので当時16歳でした。

それから時がたち、1588年に秀吉の側室になったとされています。

側室になったのは、21歳ですね。

そのとき秀吉は51歳!!

当時の50代なので、かなりおじいちゃんだったのではないでしょうか・・・

ツイッターでも史実を知っている人たちは、茶々と秀吉のシーンで早くから反応が。

確かにツイッターの突っ込みの通り、気持ち悪いと思ってしまいます(^^;

茶々と秀吉の関係・仲とは?

このように、親子ほど年の離れた秀吉の側室となった茶々。

その秀吉とは、母・市を死に追いやった仇でもあります。

織田信長の死後、家臣だった柴田勝家と結婚したお市。

織田家の後継者争いをきっかけに、柴田勝家と秀吉が戦を始め・・・秀吉が勝利。

お市は追い詰つめられて夫の柴田勝家とともに娘たちを残して自害したという経緯がありました。

秀吉はお市が自害した後、自らの権力維持のために、かつての主君である織田家を取り込もうと、お市の娘の茶々を側室にしたと言われています。

また秀吉は市に憧れており、その娘の茶々をどうしても欲しかったのでは?という説もあります。

だからと言って茶々がそう易々と受け入れるとは考えにくいです。

そんな状況下で、秀吉の側室となった茶々の真意は、正直定かではありませんが、豊臣家に入り込み子供をもうけて、豊臣を乗っ取る?

そんな茶々の野望が有ったのかもしれませんよね!!

側室となった茶々はのちに秀吉との間に子供をもうけているので、表面上は良い関係だったと思います。

しかし腹の内では、秀吉を恨んでいた可能性はありそう。

あくまでも私の予想ですが(;^_^A

そうなると、はっきりとしていない当時の茶々の心情がどうする家康でどのように描かれるのか?見どころになってくると思います。

茶々と秀吉の子供は?秀頼は本当は秀吉の子じゃない?

続いては、秀吉と茶々の子供についてご紹介します。

「どうする家康」第37回では、秀吉と茶々との間に「鶴松」という子供が誕生!

これも史実通りのことで、1589年に「捨(すて)」という男児が生まれ、のちに鶴松と名乗ることになります。

しかし鶴松は、1591年に幼くして病死してしまうんです。

それから2年後、茶々は再び子供を授かり、今度は「拾(ひろい)」と名付けて、この男子がのちの豊臣秀頼となるんですよね。

ここで一つ触れおきたいのですが、実は秀吉には茶々との間以外には子供はいませんでした。

正室の寧々との間に子は無く、多数側室がいたにもかかわらず子供は授からなかったのです。

若いころに南殿という側室の間に、男子が生まれたものの若くして亡くなったという説もありますが、茶々だけが子供を産んだってなんかおかしいのでは?

私は、本当に秀頼が秀吉の息子なのか疑わしいと思っています!

それでは秀頼の父は誰なのか?

大坂の陣で豊臣家に最期まで忠義を尽くした大野治長では?という声もかねてからささやかれていますね。

ちなみに「どうする家康」では、大野治長を玉山鉄二さんが演じることが分かっています!

「どうする家康」では歴史の中の俗説をかなり採用しているので、茶々と大野治長のロマンスのすえに生まれた子が秀頼だった?なんて展開もあるかも!

そして気になる茶々の子供・豊臣秀頼は、ジャニーズの松本潤さんの後輩・作間龍斗さんが演じることが分かっています。

果たして、茶々と大野治長の関係がどう描かれるのか?個人的には注目しています(^^♪

 

茶々と秀吉の年齢差や関係・仲まとめ

お愛の方の死因と最後を史実から!家康の側室の生涯とは?

今回は「どうする家康」に登場している茶々と秀吉の年齢差や関係性について紹介しました。

年齢は諸説ありますが、二人の年齢差は30歳!

求めに応じて茶々は母を死に追いやった秀吉に嫁ぎ、子をもうけますが本当の思いは謎です。

豊臣家を乗っ取るために、良い関係を保っていたのかも?

そして秀吉と茶々の子供・秀頼は、実は大野治長の可能性もある?

本当のところは分かりませんが、どうする家康ではその辺りの俗説も採用してくるかもしれませんよね(^^♪

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