鶴亀家庭劇のモデルは松竹家庭劇で浪花千恵子の史実とは?

  • URLをコピーしました!
#ad #PR #スポンサー

鶴亀家庭劇(つるかめかていげき)は、NHK朝ドラ「おちょやん」でこれからヒロイン竹井千代(杉咲花)が所属することになる劇団です。

今回はこの「鶴亀家庭劇」のモデルについて調べてみました。

千代のモデルは、大阪の母と呼ばれた喜劇女優の浪花千栄子(なにわちえこ)さん。

浪花千栄子さんは、「おちょやん」で千代が所属している鶴亀撮影所(つるかめさつえいじょ)のモデル、東亜キネマ(とうあきねま)に所属していました。

その後松竹家庭劇(しょうちくかていげき)に参加しています。

鶴亀家庭劇と松竹家庭劇。名前が似てますが、果たして本当にモデルなのでしょうか?

「鶴亀家庭劇」のモデルについて、浪花千栄子さんの史実をご紹介しつつ、まとめていきたいと思います。

原作ノベライズのネタバレがあるので、閲覧注意です。

今すぐU-NEXTに登録【31日間無料体験】

▼今なら朝ドラ「おちょやん」の見逃し配信動画を31日間無料で見放題で視聴できます▼

またU-NEXTでは、明日海りおさんが出演しているドラマ「青のSP」も見放題で視聴可能です。

そして、U-NEXTでは「岸辺露伴は動かない」の「富豪村」や「くしゃがら」が収録されている原作漫画、小説がポイントで読むことができます!

U-NEXThttps://video.unext.jp/

※U-NEXTでしたら、初回登録時に無料で1000ポイントもらうことができます。そしてこのポイントで「NHKまるごと見放題パック」は990ポイントで購入可能になっているので、ポイントを使い実質無料で購入可能です。

※U-NEXT経由で「NHKまるごと見放題パック」に登録することで1話から最新話までの見逃し動画を無料で視聴が可能です。

U-NEXTでは、以下の作品も視聴可能です。

◆高橋一生主演「岸辺露伴は動かない」の「富豪村」「くしゃがら」「DNA」

◆連続テレビ小説「花子とアン」「おちょやん」「エール」「澪つくし」スペシャル版「おしん」「ひよっこ」「カーネーション」「ちりとてちん」など

◆大河ドラマ「麒麟がくる」「いだてん」「西郷どん」「篤姫」「江 姫たちの戦国」など

◆タリオ復讐代行の2人

◆青のSP

◆話題のタイBLドラマ『2gether』『TharnType/ターン×タイプ』『WHY R U?』など多数配信

「タリオ 復讐代行の2人」

「女子高生の無駄遣い」

「きのう何食べた?」

「おっさんずラブ in the sky」

「相棒」シリーズ

「時効警察はじめました」

その他さまざまなジャンルの作品が視聴可能です。本ページの情報は2021年4年1月時点のものです。最新の配信状況はU-NEXT公式サイトにてご確認ください。

※登録から31日の間は一切料金が発生しません。無料期間内に朝ドラ『おちょやん』の動画を見放題で無料視聴できます。

目次

鶴亀家庭劇のモデルは松竹家庭劇?浪花千恵子が所属していたのは?

鶴亀家庭劇のネタバレは?

竹井千代のモデルは浪花千栄子で喜劇女優で波乱万丈な史実まとめ

ネタバレです!

鶴亀家庭劇の誕生

鶴亀撮影所に竹井千代(杉咲花)がやってきて3年が経った1928年。

千代は中堅どころの女優として活躍、名前も出るようになっていました。

そんなある日、千代は社長の大山鶴蔵(中村鴈治郎)と所長の片金平八(六角精児)に呼び出されます。

なんと、鶴亀撮影所を出ていけと言うのです。

それは、これから道頓堀に新しくできる喜劇の一座に女優として参加するためでした。

千代は新しくできた劇団の稽古場へと向かいます。

そこには歌舞伎出身の役者や新派出身の女優などがいて、その中になつかしい人たちも。

天海天海一座の座員たちです。

劇団を任されたのは、鶴亀の社員で劇場の支配人をしていた熊田(西川忠志)。まだ小さかった千代に、台本をくれた人物です(^-^)

そして最後に熊田が座長を発表します。

座長として現れたのは、天海一平(成田凌)でした(≧∇≦)

千代が鶴亀撮影所にいたとき、一平は鶴亀撮影所の脚本部にいて、脚本を学んでいました。

その一平が、新しい喜劇団の座長になったのです。

一平の父親、天海天海が亡くなったあと、一座をけん引していたのは須賀廼家千之助(星田英利)だったので、座員たちは千之助が座長になると思っていました。

千之助がいないなら、と座員たちは出て行ってしまいます(>_<)

千代は千之助に劇団に入ってくれるように頼みにいきますが、断られてしまいます。

引き下がらない千代に千之助はこんな条件を出しました。

わしを笑わしたら劇団に入ってやる

一平は天晴(渋谷天笑)と徳利(大塚宣幸)のもとを訪ね、自分が書いた台本を見せて、自分のやりたい芝居はみんながいないとできない、と説得します。

一方もう一人の座員だった漆原(大川良太郎)は女形。

当時男性しかいないのが主流でしたが、一平は女性も参加させることを考えていたのです。男性は男性の役を、女性は女性の役をやらせることを想定していたので、女形は必要ないのです。

そのため漆原には辞めてもらうと言います。

漆原は一平を殴り続けました。

男役、できるやないか

わざとに一平は漆原を怒らせたのです。

こうして男役として漆原も参加することになりました。

 

 

千之助の加入

あとは千之助だけ。

座員たちもみんなで千之助を笑わそうとしますが、ピクリともしない千之助。

そこへ一平がやってきて、劇団に入ってほしいと頭を下げます。

すると顔から包帯が取れ、漆原に殴られたあとがくっきりと!

その顔を見た千之助は思わず噴き出します(≧∇≦)

これで千之助も劇団に加わることになりました。

初公演は「手違い噺」

劇団の名前は「鶴亀家庭劇」。家族がみんなで楽しめる、普通の人のための芝居を作りたい、という願いが込められていました。

鶴亀家庭劇の旗揚げ公演の題目は「母の捧ぐる記」でしたが、千之助は面白くないと言い、勝手に自分の台本「手違い噺」で進めてしまいます。

そして初日。芝居は順調に進みますが、千之助は客が全然笑ってないことに気づいていました。

突然アドリブを連発する千之助。千代たちはびっくりしますが、客席からは笑いが。

千之助は大暴れし、みんなを舞台から追い出したところで幕が下り、客席は爆笑となりました。

ですが一平がやりたかったのは、力業の笑いではありませんでした。

ですが興行は千之助のおかげで盛況となり、千之助以外の役者たちも、自分の役を掘り下げて考えていました。

そして楽日の日。いつも勝手に暴れる千之助に、ほかのみんなも食いついていきます。

そしてラストは泣いて笑える人情劇となり、幕が下りた後大きな拍手が起こりました。

こうして鶴亀家庭劇は次の公演をすることになります。

ボツになってしまった一平の「母に捧ぐる記」をやることになり、千之助が少し書き直すことになりました。

少しのはずが、大幅に書き換えられた台本(^^;)

ですが最後は一平が描きたかった「母の無償の愛」がテーマとなり、涙と笑いで幕が下り、大きな拍手が起こりました。

鶴亀家庭劇については、現在わかっているのはここまでです。

天海天海一座のみんなと、他の役者が集まってできた鶴亀家庭劇。

さて、モデルは松竹家庭劇なのでしょうか?

 

 

鶴亀家庭劇のモデルは松竹家庭劇?

おちょやんのモデルは女優の浪花千栄子でオロナイン軟膏の看板モデル

鶴亀家庭劇のモデルは松竹家庭劇です!名前もそのまんまですよね(笑)

「おちょやん」で鶴亀家庭劇が誕生したのは1928年でした。

松竹家庭劇ができたのも、同じ1928年。曽我廼家十吾と二代目渋谷天外を中心に旗揚げされました。

曽我廼家十吾は、須賀廼家千之助(星田英利)のモデルで、二代目渋谷天外のモデルは一平(成田凌)です。

もうそのまんま「おちょやん」の鶴亀家庭劇ですね~。

以降では、鶴亀家庭劇のモデルと思われる松竹家庭劇と浪花千恵子さんの史実を紹介していきます。

鶴亀家庭劇のモデル松竹家庭劇での浪花千栄子の史実とは?

千代と一平のネタバレは結婚と浮気と離婚の波乱万丈すぎ?

鶴亀家庭劇のモデル松竹家庭劇は解散してた?

当時喜劇は須賀廼家万太郎(板尾創路)のモデル、曽我廼家五郎の劇団がダントツで人気となっていました。

松竹家庭劇は曽我廼家五郎劇に対抗するため、曽我廼家十吾に打診し、曽我廼家十吾が二代目渋谷天外を誘いました。

「おちょやん」とちがうところは、千之助のモデル、曽我廼家十吾が座長だというところです。

「おちょやん」の天海天海一座のモデル、楽天会の座員たちも加わり、そこに新派の俳優たちも参加して、松竹家庭劇は立ち上げられています。

渋谷天外は脚本で十吾を支えていたそうです。

ですがなかなか五郎劇に追いつくことができません。

新しいスタイルをやりたい天外と、従来の喜劇にこだわった十吾は衝突していきます。

そしてとうとう1931年に解散(>_<)

松竹家庭劇が新しいスタイルで人気に!

周りの協力や、松竹の社長、白井松次郎からの命令もあり松竹家庭劇は復活します。

1936年には東京に進出し、どんどん活動を広げていきました。

1941年には子役だった藤山寛美を、天外が引き抜き、松竹家庭劇は次第に評判となり、戦中戦後を生き延びていきました。

松竹家庭劇は、素人さんを舞台に上げ、突っ込んでいくという新しいスタイルで、アドリブ満載だったそうです。

そして1946年。とうとう長年くすぶり続けたふたりの関係は破綻してしまいます。

たわいのない喧嘩から、天外が劇団を辞めてしまったのです。

その後十吾は松竹家庭劇を続けますが、天外が去った2年後に、目標としていた曽我廼家五郎が亡くなります。

五郎劇の座員たちと、天外が新しく立ち上げていた「すいーと・ほーむ」の座員たちを松竹家庭劇に加え、「松竹新喜劇」が誕生しました。

およそ20年の活動だった松竹家庭劇。

1957年に十吾がまた松竹家庭劇を立ち上げましたが、数年で解散しています。

松竹家庭劇と浪花千栄子の史実は?看板女優になる?

最初浪花千栄子は、座員というよりも助っ人として、ときどき舞台に出演されていたようです。

あまり喜劇はお好きでなかったとか・・・(^^;)

1926年に鶴亀撮影所のモデル、東亜キネマに入った浪花千栄子。ですが1年か2年ほどで辞めて、その後剣劇の大スターだった市川百々之助のプロダクションに入ります。

そして市川と一緒に、スター女優を多く抱える帝国キネマに移籍。ですがギャラの低さに驚き、すぐにやめてしまいました(^^;)やっぱり思い切りが良いですね~。

これは浪花千栄子に限ったことではなく、帝国キネマは金銭面でとてもシビアでした。

知名度も高かった浪花千栄子。いろいろと声がかかり、仕事がなくなることはなかったそうです。

1929年に松竹傘下で剣劇をやっていた「新潮劇」に参加し、松竹専属の女優となりました。新潮劇は一流の俳優ばかりそろった劇団。

浪花千栄子は喜んだと言います。実際にそこで千栄子は多くを学んだそうです。

ここでちょっとネタバレしますが、「おちょやん」の一平と千代はこのあと結婚します(#^^#)

おふたりのモデルとなる、浪花千栄子と二代目渋谷天外も1930年に結婚。

この年に浪花千栄子は正式に松竹家庭劇に配属されています。

浪花千栄子は松竹家庭劇の看板女優として人気を集めていきました。

1946年に十吾と喧嘩別れした(^^;)、渋谷天外が立ち上げた「すいーと・ほーむ」に一緒についていきます。

ということで、浪花千栄子は松竹家庭劇の立ち上げから解散まで、ほぼ参加していたことになります。

そして看板女優として劇団を支えていました。

「おちょやん」の鶴亀家庭劇でも、きっと千代は看板女優として活躍していくことでしょう。

千代の奮闘、楽しみにしています(^-^)

鶴亀家庭劇のモデルは松竹家庭劇で浪花千栄子の史実のまとめ

おちょやん鶴亀株式会社のモデルは松竹?元ネタは?

鶴亀家庭劇は「おちょやん」にこれから出てくる劇団です。

鶴亀で新しく作った喜劇団で、座長は天海一平。

その立ち上げには千代も参加することになりますが、この鶴亀家庭劇のモデルは松竹家庭劇です。

松竹家庭劇は一度プチ解散しますが(^^;)、その後およそ20年近く存続。千代のモデル浪花千栄子は看板女優になりました。

浪花千栄子は松竹家庭劇ができて間もなく、一平のモデル、二代目渋谷天外と結婚。

20年後「松竹家庭劇」の解散のとき、天外と一緒に「すいーと・ほーむ」の立ち上げに参加しています。

松竹家庭劇は戦前戦中戦後の中、庶民を笑わせてきた劇団。

「おちょやん」ではけっこう忠実に描かれそうです。

また久々の天海天海一座のみなさんも登場します(^-^)

そして新たなキャストも登場しますので、どうぞお楽しみに♪

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
目次