竹井千代のモデルは浪花千栄子で喜劇女優で波乱万丈な史実まとめ

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竹井千代(たけいちよ)は、杉咲花(すぎさきはな)さんが演じる新しいNHKの連続テレビ小説・朝ドラ「おちょやん」のヒロインです(^^)

千代のモデルは、新喜劇女優だった「大阪のお母さん」と呼ばれた浪花千栄子(なにわちえこ)さん。

松竹新喜劇の看板女優として活躍後、オロナイン軟膏のCMとホーロー看板は、あまりにも有名です。

そこで今回は朝ドラ「おちょやん」のヒロインの竹井千代のモデルの浪花千栄子さんの史実について調べてみました。

浪花千栄子さんとは、どのような女優さんだったのでしょうか?その生涯とは??結婚離婚を経験し、朝ドラのヒロインのモデルに抜擢されるほどの波乱万丈な人生だったようです。

いろいろ調べてまとめてみました!

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目次

竹井千代のモデルは浪花千栄子で喜劇女優!

おちょやんの意味とは?タイトル由来は朝ドラヒットの法則通り?

竹井千代とは?「おちょやん」のヒロイン

「おちょやん」は11月30日からスタートする新朝ドラです(^^)

現在放送中の「エール(えーる)」は11月28日で最終回を迎え、「おちょやん」にバトンタッチされます。

ヒロイン、竹井千代を演じるのは杉咲花さん。

ほかにはトータス松本さん、宮澤エマさん、篠原涼子さんなどが出演します。

ヒロインの竹井千代はこんな人物です♪

竹井千代(たけい ちよ):杉咲花

大阪の南河内の貧しい家に生まれ、幼いころに母を亡くした。
父と弟の三人暮らしで、小学校にも満足に通えなかったが、口が達者で機転がきく少女だった。

9歳のとき、女中奉公に出された道頓堀で、芝居の世界に出会い、いっぺんにその魅力にとりつかれる。

「女優さんになりたい!」そんな思いは日に日に増すばかりだった。
千代はついに奉公先を飛び出して京都へ向かい、女優の道へ飛び込んでいく──。

引用元 公式サイト

杉咲花さんは千代が17歳になってからの出演。子ども時代は毎田暖乃(まいたのの)ちゃんが演じます。

500人の中から満場一致で選ばれたという毎田暖乃ちゃん。お父さんはトータス松本さんが演じますが、ちょっと似てるかも?(笑)

トータス松本さんはロックバンド「ウルフルズ」のボーカルです♪

千代は女優を目指し、奉公先を飛び出し京都に向かいます。

京都の映画撮影所などを経て、大阪に新しくできた「鶴亀家庭劇」に参加。

そこで喜劇界のプリンス、天海一平と運命の出会いを(#^^#)

天海一平は成田凌(なりたりょう)さんが演じます♪

ふたりは結婚し、千代は喜劇女優として成長していきます。

そして戦争が始まり、道頓堀は空襲で火の海に(>_<)

戦後「鶴亀新喜劇」として復活。ですがふたりの結婚生活は終わりを告げました。

その後千代はラジオドラマに出演。12人の子どもの母親役でブレイクします。

そのドラマは大家族を描いたファミリードラマ。10年間愛されたドラマとなりました。

それによって千代は「大阪のお母さん」と呼ばれ、名実ともに上方を代表する女優となっていきます。

そんな千代の波乱の人生を描いた「おちょやん」。

竹井千代のモデルは浪花千栄子!

朝ドラはあまりモデルに触れたがりませんが(^_^;)、今回は公式に喜劇女優である浪花千栄子さんがモデルだと紹介しています。

ということは、かなり忠実に描かれるということでしょうか。

では、浪花千栄子さんの史実についてご紹介しましょう。

 

 

竹井千代のモデルの浪花千栄子の史実!おちょやん時代から女優になるまで

おちょやんのモデルは女優の浪花千栄子でオロナイン軟膏の看板モデル

浪花千栄子(なにわちえこ)さんは、松竹新喜劇の看板女優として活躍したあと、ラジオドラマで大家族の母親を演じ「大阪のお母さん」と親しまれた女優です。

貧しい家に生まれた少女

1907年(明治40年)に大阪南南河内郡大伴村で生まれた浪花千栄子さん。養鶏を営んでいた貧しい家に、長女として生まれます。

本名は南口キクノ(なんこうきくの)さんといい、弟とふたり姉弟です。

浪花千栄子さんの母親は、弟が生まれた後、浪花千栄子さんが4歳の時に病死してしまい、家のことは千栄子さんがやるようになり、極貧生活を送っていました。

父親は鶏の行商の仕事があり、弟の面倒をみるため浪花千栄子さんは小学校に通えず・・・。

ですが浪花千栄子さんが8歳のとき父が再婚し、ようやく小学校に通えるようになりました。

ですがその義母は家のことは全くせず、学費も払ってくれなかったので、千栄子さんは学校に行くのをやめてしまいました(>_<)

その後母方の祖母の家に預けられた浪花千栄子さん。ところが弟までも祖母に預けられ、千栄子さんは奉公に出されてしまいます。

8歳で弁当屋に奉公に!過酷な労働状況

8歳で道頓堀にあった仕出し弁当屋に奉公に出され、女中兼子守りとして働くようになりました。

今なら信じられないことですよね。8歳で働くって。もちろん違法ですし(^_^;)

ドラマのタイトル「おちょやん」とは、小さなかわいい女中さん、そんな意味の大阪弁。 浪花千栄子さんもおちょやんとして働いていました。

当時睡眠時間はなんと4時間(+o+)子供にとっては少なすぎる過酷な状況でした。そしてこまねずみのように働き詰めの毎日。

厳しい職場でしたが、浪花千栄子さんは頑張って働き、文字も独学で覚え始めます。

のちに浪花千栄子さんはそのころのことを「みじめな思いだった」と語っていたそうです。

竹井千代のモデルの芝居との出会い

そんな浪花千栄子さんの唯一の楽しみは道頓堀の劇場に届いたお弁当を下げに行ったとき、上演中の芝居をのぞき見ることだったそうです。

歌舞伎や新派、新国劇などの芝居を少女だった当時、食い入るように見つめていたようで、当時人気のあった俳優さんたちのセリフや動作を完璧に覚えるほどでした。

このころの経験が後年の浪花千栄子さんの「奥行と怖さのある芝居」に繋がっているのかもしれません。

そして8年が過ぎたころ、突然父がお店にやってきてお金が欲しいと言います。 浪花千栄子さんは衣食住付きだったのでお給料はもらっていません。

父親がお店の主人と言い争いになり、結局15円もらって千栄子さんはそこを辞めることになり、父親と一緒に出て行きました。

浪花千栄子さんが16歳のころです。

京都に行き女優に憧れる

酒屋や木材屋などで働いていた浪花千栄子さん。木材屋ではとても良くしてもらっていたそうですが、2年働いてもお給料がもらえない・・・。

なんと父親が千栄子さんの給料の前借をしていたのです。

2年と1か月働いた浪花千栄子さん、1か月分のお給料をもらい、その木材屋をやめ京都に出ました。 道頓堀でお芝居を見ていて、その華やかな世界に憧れ、女優になりたかったのです。

18歳となった浪花千栄子さん、憧れの京都に行き今でいうハローワークに行きます。 そこで紹介されたのはカフェー「オリエンタル」。

「エール」にも出てきましたよね~カフェー。

ホステスさんが横につく、バーやキャバクラのようなところだったようです。わたしにもその辺の区別はよくわかりませんが(^_^;)

浪花千栄子さんはそこでユリちゃんという女優志望の女の子に出会います。

主に洗い場で働いていて千栄子さんでしたが、ホールに出た方がたくさん稼げるということで、ホールにも出るようになりました。

信用できる友と出会った浪花千栄子さん。

ユリちゃんがカフェーをやめて芸能事務所に入るということで、一緒についていくことになります。

女優として ふたりが入ったのは無名の事務所で、活動前に倒産してしまいました(>_<)

その事務所にいた人の推薦で、村田栄子一座に参加することになります。

 

女優デビューはピンチヒッター!?

最初は女中として働いていましたが、器用だった浪花千栄子さんは村田栄子さんの弟子となり、セリフを教える担当などを任されます。

ある日病気で倒れた村田栄子さんの代わりに、セリフが頭に入っていた浪花千栄子さんが舞台に出ることに(≧∇≦)

しかし、緊張のあまりセリフが頭から抜けてしまい、とっさに舞台上を駆け回り、飛んだり跳ねたり・・・などアドリブでごまかしました。

そのときのリアクションが客に受け拍手喝さいを浴び、その後看板女優となっていきます。

村田栄子さんからパワハラを受けたり、一座の人気も落ちてきたのですが、浪花千栄子さんに将来性を感じた劇場主から映画会社の「東亜キネマ」を紹介され移籍。

香住千栄子(かすみちえこ)という芸名で女優活動を始めます。

当時は無声映画の全盛期でした。

1926年の映画「帰ってきた英雄」で準主役に抜擢され、その後看板女優として東亜キネマを支えました。

ですがこのころ業界全体で賃金の不払いや人員削減などが起こり、浪花千栄子さんは一度業界から離れました。

 

 

竹井千代のモデルの浪花千栄子の史実!結婚・離婚からの波乱万丈な人生

結婚と離婚

1929年。2代目渋谷天外さんや曾我廼家十吾さん、石川薫さんらが立ち上げたばかりの「松竹家庭劇」に助っ人として参加するようになります。

1930年に2代目渋谷天外さんとご結婚。浪花千栄子さんが23歳、渋谷天外さんが24歳のときでした。

天外さんが脚本も書いていたため、脚本家の妻が良い役を演じるわけにはいかない、ということでいい役を演じたことはなかったといいます。

一緒に「松竹家庭劇」を立ち上げた2代目渋谷天外さんと曾我廼家十吾さんでしたが、ふたりはケンカ別れをしてしまいます。

天外さんは浪花千栄子さんを連れ、1946年に「すぃーとほーむ」を結成。

ところが曾我廼家十吾さんが他界してしまい、「松竹家庭劇」などと合併した「松竹新喜劇」を立ち上げました。

ここでも浪花千栄子さんは看板女優として活躍し、人気女優となります。

ところが!千栄子さんの弟子だった女優、九重京子さんと、天外さんが不倫を(>_<)ふたりに子どもが生まれました。

千栄子さんと天外さんには子どもはいませんでした。

自殺なども考えたという浪花千栄子さんでしたが、その後離婚をし「松竹新喜劇」も去ります。

そして女優活動をやめ、1951年に姿を消してしまいました。

 

ラジオドラマで復活し大阪のお母さんへ

当時人気コメディアンだった花菱アチャコさん。朝ドラ「わろてんか」では前野朋哉さんが演じていました。

アチャコさんは「アチャコ青春手帖」というNHK大阪のラジオ番組を始めますが、相手役となる母親役の女性が早々に降板。アチャコさんは母親役に、浪花千栄子さんを推薦します。

浪花千栄子さんの大阪弁は優しく、なにより花菱アチャコさんのアドリブに対応できる数少ない女優。

NHKのディレクターが浪花千栄子さんを探しますが、見つからず・・・。

目撃情報を頼りに、ようやく探し当てましたが、そのときの浪花千栄子さんは着るものもままならず、大阪に行く電車賃すらない状態。

ディレクターは千栄子さんに電車賃を渡し、大阪に戻りました。

こうして大阪にやってきた浪花千栄子さん。「アチャコ青春手帖」に出演すると、たちまち人気が出るようになります。

その後の「お父さんはお人好し」でふたりは夫婦役を。大家族のお母さんとして親しまれ、長寿番組となりました。

人気者になった浪花千栄子さん、映画やドラマのオファーも増えました。

映画はブルーリボン賞を受賞した「祇園囃子」や森繁久彌さんと共演した「夫婦善哉」などなど。

ドラマも「太閤記」や「細うで繁盛記」などのドラマに出演しました。

 

オロナイン軟膏のCMの起用の理由はダジャレ?

このころに出演したのが、あのオロナイン軟膏のCM。

特にこのホーロー看板は非常に有名でご存じの方も多いと思います。

1963年くらいから全国に貼りだされたホーロー看板。

これは、実は当時大塚製薬の営業マンに課せられたノルマだったそうです。

営業マンが釘と金づちで1枚1枚貼ってまわったそうです。

今では街角で見る機会は少なくなりましたが、マニアが集めるコレクターズアイテムになっています。

抜擢に理由にはダジャレもあったんです。

「オロナイン軟膏 オロナインなんこう なんこうきくの? 南口キクノ」

そう、浪花千栄子さんの本名、南口キクノ(なんこうきくの)のダジャレだったんです(笑)

こうして浪花千栄子さんは大阪のお母さんと呼ばれるようになりました。

 

実業家となる

老後を考え、土地を購入。そこに旅館を建てました。

ほかにも養女とともにいくつかの飲食店なども経営するようになります。

女優としても活動を続けていて、映画はなんと200本以上も出演しているとか。

日本の仏教のひとつ、辯天宗では婦人部長として活躍されていたそうです。

ところが1973年、自宅で突然亡くなってしまいました。死因は消化管出血で、享年66歳。

死後、勲四等瑞宝章がおくられました。

なんとも波乱万丈な人生でしたね。戦前戦後を生きたひとたちの人生は、本当に壮絶のひとことです。

そんな浪花千栄子さんをモデルにした「おちょやん」の竹井千代。

どんなドラマになるのか、楽しみです♪

 

竹井千代のモデルは浪花千栄子の出演作品のおすすめをご紹介

小早川家の秋(昭和36年)監督 小津安二郎

京都の造り酒屋の長男の未亡人(演:原節子)と次女(演:司葉子)の縁談が進む中、父親の万兵衛は愛人の家で急死します。

浪花千栄子さんは万兵衛の死をみとる愛人の役を演じていました。

 

蜘蛛巣城(昭和32年)監督 黒澤明

シェイクスピアの四大悲劇の1つである「マクベス」の舞台を戦国時代に置き換えて翻案した時代劇です。

浪花千栄子さんは、主人公の三船敏郎さん演じる鷲津の運命を予言する物の怪(妖怪)を演じました。

鷲津は予言通り、主君を殺害し蜘蛛巣城の主となりますが、やがて予言通り破滅していく・・・というストーリーです。

祇園囃子(昭和28年) 監督 溝口健二

浪花千栄子さんが演じたのは、祇園の茶屋の女将のお君です。

芸子の美代春と美代栄の面倒を見る心優しい女将・・・と思ったら美代栄が強引に迫る客を拒んで怪我をさせると一変し・・・。

因習にとらわれた花柳界を象徴する女将を圧倒的な存在感で演じています。

 

 

竹井千代のモデルは浪花千栄子の史実のまとめ

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竹井千代は新しくスタートする朝ドラ「おちょやん」のヒロインで、杉咲花さんが演じます。

モデルは公式サイトでも紹介されている、喜劇女優で大阪のお母さんと呼ばれ、親しまれた浪花千栄子さん。

ドラマ「太閤記」や「細うで繁盛記」などのドラマや、オロナイン軟膏のCMでも人気の女優さんです。

その人生は壮絶で、8歳で奉公に出され、18歳で女優の道へ進むことになりました。

その後二代目渋谷天外さんと結婚するも、自分の若い弟子だった女優と不倫し、ふたりには子どもが生まれます。

天外さんの劇団を去り、京都で荒れた生活をしていた浪花千栄子さんでしたが、花菱アチャコさんのラジオドラマに抜擢され復帰。

その後はお茶の間の人気者となり、大阪のお母さんとして親しまれました。

1973年消化管出血により66歳でお亡くなりに。

再婚はせず、養女がひとりいました。

そんな波乱万丈を生き抜いた浪花千栄子さんをモデルにした竹井千代。

新しい朝ドラ「おちょやん」にどうぞご期待ください!

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