NHK朝ドラ「エール(えーる)」では、森山直太朗(もりやまなおたろう)さん演じる藤堂先生(とうどうせんせい)が戦地へと旅立って行きました。
藤堂先生は緊急時に召集される予備役将校だったのです。
そして召集令状は藤堂先生の教え子にも届きます。
召集令状が届くのは、山崎育三郎(やまざきいくさぶろう)さん演じる佐藤久志(さとうひさし)!
この佐藤久志のモデルは、大スターだった伊藤久男(いとうひさお)さんです。
さて、モデルである伊藤久男さんにも戦争で召集令状、いわゆる赤紙が来たのでしょうか?
またドラマでは、なんと「痔」であることからすぐに戦地から戻ってきた佐藤久志。これって本当???
朝ドラ「エール」で佐藤久志に召集令状が来るのは、実話なのか?痔のエピソードは本当なのか?調べてみました。
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伊藤久男に戦争で召集令状が来て痔だった?ドラマでは佐藤久志に赤紙が届く
「エール」では藤堂先生が出征。みんなに見送られ戦地へと向かって行きました。
「 #暁に祈る 」で #福島三羽ガラス がついに世に出ました。
この曲を胸に、藤堂先生は戦地へと出征していきました。#朝ドラエール#窪田正孝#中村蒼#山崎育三郎#森山直太朗 pic.twitter.com/C7bSLDu50e
— 連続テレビ小説「エール」 (@asadora_nhk) September 24, 2020
これから戦争が激しさを増すようになり、裕一(窪田正孝)は戦時歌謡のほか、戦果を伝えるときに流れるニュース歌謡も作るようになります。
庶民には食料の配給も少なくなっていくなか、佐藤久志(山崎育三郎)の元には赤紙(召集令状)が届きます!
そして派手な壮行会をするも・・・なんとすぐに戻ってきます。その理由は「痔」でした。
その後は、慰問をするために、福島に帰るようなのですが・・・
佐藤久志のモデルは伊藤久男(伊藤久男)さんです。
さて、伊藤久男さんにも実際に召集令状が届いたのか?そして「痔」のエピソードが本当なのか?気になりますよね。実は・・・本当に届いたそうです。
伊藤久男さんは古山裕一(窪田正孝)のモデル、古関裕而さんより1歳年下の1910年生まれです。
同じ福島で生まれましたが、地域が離れていたので子どものころは、面識はなかったようです。
ドラマでは、幼馴染の同級生の役だったので、違う設定ですね。
ちなみに村野鉄男(中村蒼)のモデル、作詞家の野村俊夫さんと古関裕而さんは実際にご近所で幼馴染でした。
「エール」の佐藤久志は県会議員のお坊ちゃんで、家はとてもお金持ち。
これは伊藤久男さんも同じで、お金持ちの息子さんでした。当時は珍しかったピアノも実際に家にあったそうです。
伊藤久男さんはピアニストを目指していて、東京農大に入学し上京。
東京でコロムビアに所属していた古関裕而さんと出会いました。
伊藤久男さんは東京農大を家に内緒で退学(^_^;)、勝手に帝国音楽学校に入学してしまいます(笑)
それが家にバレて仕送りは中止。古関裕而さんの紹介で、コロムビアでレコーディングのアルバイトをするようになりました。
合いの手やお囃子などの吹込みをされていたそうです。
その声が評判となり、コロムビアからデビューすることになりました。
「エール」では佐藤久志が歌った「露営の歌」が大ヒットしますが、実話はこの歌は男声合唱。
伊藤久男さんはその中のひとりです。
伊藤久男さん個人としての初のヒット曲は「湖上の尺八」でした。
1937年 露営の歌
1938年 湖上の尺八
1940年 暁に祈る
「暁に祈る」が出た1940年ころから「高原の旅愁」や「白蘭の歌」などが大ヒットとなり、伊藤久男さんは大スターの仲間入り。
ドラマでも映画「暁に祈る」に佐藤久志が出演していたシーンがありましたが、伊藤久男さんも実際に、映画に出演されたそうです。
その後も戦時歌謡を中心にヒット曲を歌い続けました。
さて、そんな伊藤久男さんに召集令状が来たのはいつなのでしょうか?
伊藤久男に戦争で召集令状が来た実話とは?痔のエピソードや慰問や出征は?
伊藤久男に召集令状が!出征しなかった理由は痔?
伊藤久男さんに召集令状が届いたのは1943年。「暁に祈る」から3年後のことでした。
では出征したのか?というと出征はしていません。兵士として戦争には行ってないのです。
なぜかというと痔が悪かったから(^_^;)なんだそうです。
召集令状が来たとき、ちょうど痔を悪くして入院していた伊藤久男さん。
当時の伊藤久男さんの心境はわかりませんが、もし逆に健康で戦地に行っていたらその後の活躍はなかったかもしれません。
そしてその病院の先生が伊藤久男さんの大ファンで、出征しなくてもいいように計らってくれたそうです。
そんなことが可能だったんですね(^^;ちょっとびっくりですが、当時は、あまり大きな声では言えない話だったかもしれません。
大きな病気やケガというふうにしてくれたのでしょうかね?
伊藤久男は戦争で慰問をした?
ですが伊藤久男さんは度々慰問には訪れています。
古関裕而さんは上海やビルマ、シンガポールなどに慰問で訪れていることがわかっていますが、伊藤久男さんの慰問先については詳しいことは、わかりませんでした。
中国戦線に慰問で訪れたことがあるそうで、そのときに伊藤久男さんの歌に涙を流す兵士を見て、流行歌手でいることを決めたそうです。
伊藤久男の歌声は、
こちらからチェックしてみて下さい🤓#古関裕而 #伊藤久男#コロムビアレコード #エールhttps://t.co/WeTIBTfoxx pic.twitter.com/qeG4ej9MtH— コロムビアレコード (@columbia_label) May 23, 2020
慰問とはいえ、戦地にいくことは危険なこと。古関裕而さんの奥様、金子さんも古関さんに「行かないで」と言ったそうですが、当時の日本では、もちろん断ることはできません。
金子さんも断らない、断れないことをわかったうえで、つい口に出てしまった、そう言ってしまったのだと思います。
ということで伊藤久男さんには1943年に召集令状が届きますが、伊藤久男さんのファンだった医師によって出征を免れているという情報がありました。
ドラマでは、佐藤久志に召集令状が届くと言うネタバレしかまだわからないのですが、ドラマでは同じように、出征しないのか?
佐藤久志の戦争中がどのように描かれるのか?気になりますね。
古関裕而にも召集令状が届いた実話とは?
ちなみに古関裕而さんにも終戦間近の1945年に召集令状が届いています。このエピソードが朝ドラ「エール」で描かれるかはまだわかっていません。
召集令状が来たとき古関裕而さんは36歳。老兵と呼ばれるお年です。
この召集令状が届いたとき、古関裕而さんは奥様の金子さんとともに、とても驚いたそうです。
古関裕而さんはお国のために、軍歌を作曲されていて慰問にも訪れているので、召集される可能性が低いと思っていたこともあります。
古関裕而さんはこのとき病気で、びっくりした古関さんが、関係者に問い合わせてみると人違いだったことがわかりました(^_^;)
同じような似た名前の人との勘違いだったとのこと。
当時、こういった間違いが時々あったのかもしれないですね。
ですが一度届いた召集令状は取り消すことができないとのことで、1週間で解除するという約束で入隊したそうです。
しかし、約束の期間はどんどん伸びていき・・・結局1か月軍人として過ごし、自宅に戻ることができたようです。
最初の約束よりも、時間がかかってので、古関さんは「もしかして戦地に行くことになるかもしれない」と覚悟したそうです。
また自宅で1週間で戻ってくると聞いて待っていた金子さんの絶望は相当だったとのこと。
その後、ほどなくして、ようやく終戦となりました。
そして伊藤久男さんは慰問先の山形で終戦を迎えます。
伊藤久男さんも古関裕而さんと同じく、お国のために「熱砂の誓い」「海の海軍」「海底万里」など、たくさんの軍歌を歌った歌手。
召集令状がくる可能性が低かったと思われますが、まさか伊藤久男さんにも間違って届いたのでしょうか?
伊藤久男の終戦後は?軍歌で後悔?
伊藤久男さんは戦後、軍歌を歌っていたという責任を感じ、疎開先で酒におぼれてしまいます(>_<)
覚えてると思うけど、伊藤久男です。
大天狗酒造さんの純米吟醸『伊藤久男』ラベル#エール #伊藤久男 #佐藤久志 #山崎育三郎 #男前 pic.twitter.com/Gl6EJzg3Xi
— 福島県観光物産交流協会 (@fukushimatweet) May 22, 2020
もともと酒豪だったらしいのですが、当時は物資が不足していたことから、メチルアルコールにまで手を出していたとか。
ご本人にはそのつもりがなくても「戦争に加担した歌手」という責任を感じていたのだと思います。
また終戦後日本を管理下においたGHQの追及を恐れていたことも重なっていたそうです。
誰からも慕われていたという伊藤久男さんですが、このときすっかり人相も声までも変わってしまいました。
ですが古関裕而さんらの協力もあり、伊藤久男さんは復活します!
1947年の映画「地獄の顔」の主題歌「夜更けの街」で復活♪
「イヨマンテの夜」「ひめゆりの塔」「あざみの歌」などヒット曲を歌いました。
晩年は後輩の指導や、日本歌手協会の設立などにも尽力しましたが、糖尿病を患い1983年に肺水腫でお亡くなりになりました。
享年72歳。
紅白歌合戦にはなんと11回も出場。
1982年に日本レコード大賞特別賞を受賞。このときご自宅で古関裕而さんと一緒にテレビに出たのが、公の場としては最後でした。
本当に古関裕而さんとは、最後まで親友だったんですね。
壮絶な人生だった伊藤久男さん。「エール」の佐藤久志はどう描かれるのでしょうか。
伊藤久男に戦争で召集令状エールは実話?のまとめ
「エール」では久志に召集令状が届きますが、伊藤久男さんにも実際に召集令状が届いたそうです。ここまでは実話ですね。
ですがそのとき痔を悪くして入院。医師が伊藤久男さんのファンということで、上手く計らってくれて出征せずにすみました。
その後は各地に慰問に訪れ、歌で兵士たちを励ましています。
さて、「エール」では伊藤久男をモデルと下佐藤久志に召集令状が届きます。
実話どおりであれば、久志は病気を理由に出征しないことになります。
ドラマではどうなるのでしょうか。