藤堂先生は戦争で戦死する?エールネタバレはお墓が嫌な予感?

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NHK朝ドラ「エール(えーる)」ではこれから戦争の色が濃くなっていきます(>_<)

主人公の窪田正孝さん演じる古山裕一は次々と軍歌をつくることに。

だんだん食料もなくなっていき、男性には次々と召集令状が・・・。

その召集令状は、森山直太朗(もりやまなおたろう)さん演じる藤堂(とうどう)先生の元にも!

裕一の小学校の先生で、福島三羽ガラスの3人にとっても大事な人物である藤堂先生はこれから戦争に行きますが、まさか戦死なんてことはあるのでしょうか?

この流れだと・・・藤堂先生が死ぬのか?戦死してしまうのか?個人的に嫌な予感ばかり浮かびます。

そうなると、あるシーン、お墓のシーンを思い浮かべる人が多いのではないでしょうか??

今回は朝ドラ「エール」の藤堂先生が戦争で戦死するのか?今後のネタバレと、モデルについてまとめました。

また、現在ドラマで制作中の「暁に祈る」についても藤堂先生が深く関わっていくので、今後のネタバレと、実話についてご紹介させていただきます。

また今後のネタバレをバッチリしていますので、先を知りたくない人は見ないように、ご注意ください!!閲覧注意です。

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目次

藤堂先生は戦争で戦死?エールのネタバレはお墓が嫌な予感?【閲覧注意】

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「エール」の藤堂先生(森山直太朗)は戦死するのか?以降で、原作のネタバレをご紹介していきます。

藤堂先生の今までのネタバレ

まずは藤堂先生のご紹介から(^^)

藤堂清晴(とうどう きよはる):森山直太朗

裕一の小学校の担任。
音楽教育に情熱を傾けている先生で、裕一の作曲の才能をいち早く見いだして応援する。
裕一が大人になってからも良き相談相手となり、音楽の道を応援する。
裕一の紹介で知り合った昌子と結婚。

引用元 公式サイト

藤堂先生は、主人公の古山裕一(窪田正孝)の小学校のときの恩師です。

おとなしく運動が苦手な裕一でしたが、裕一の音楽の才能をいち早く見抜いてくれたのが藤堂先生。

裕一だけではありません。佐藤久志(山崎育三郎)も歌の才能を伸ばしてくれました。

継母に馴染めず、離婚した母親を探しに行った久志。そこで別の家庭を築き幸せそうな母親を見て、失意の中教室にいた久志を見つけた藤堂先生。

そこで一緒に歌を歌ったことで久志の心は晴れました。

そして村野鉄男(中村蒼)にとってもかけがえのない先生。

実家は魚屋を経営していましたが、父親が借金をしたまま一家で夜逃げ。

そんな鉄男に新聞配達を紹介してくれたのも藤堂先生でした。そこから鉄男はがんばり、新聞記者になりました。

このように3人にとっても、かけがえのない存在が藤堂先生です。

そんな藤堂先生ですが、裕一が働いていた川俣銀行の同僚、昌子(堀内敬子)と結婚し、視聴者をびっくりさせました(笑)

二人の間には憲太(宇佐美謙仁)という息子がいます。

藤堂先生の父親は軍人でとってもお堅い人物。軍人にならずに教師になった息子を快く思っていませんでした。

でも底抜けに明るい昌子のおかげで、いい関係が築かれているのかな?と思います。

ではここから今後の戦争のネタバレです!

裕一(窪田正孝)は鉄男(中村蒼)を連れて福島の実家へ行きました。

するとそこへ藤堂先生(森山直太朗)が妻の昌子(堀内敬子)と息子を連れてやってきました。

そこに久志(山崎育三郎)までも!

そこでみんな楽しく過ごしました。。

ですがそのとき鉄男は、軍に頼まれた詩がかけずに悩んでいました。

藤堂先生と裕一はビルマで再会できる?戦死するかしないか?戦地のネタバレ

すると藤堂先生は自分が出征(戦争に行くこと)することになったことを告げ、自分のために詩を書いてほしいと頼みます。

藤堂先生への思いを込めて詩は完成。ようやくその詩で軍からOKが出ました。

鉄男の詩に裕一が作曲、そして久志が歌った「暁に祈る」は大ヒットとなり、藤堂先生は戦地へと旅立って行きました。

藤堂先生は現在のミャンマーであるビルマに出征。

そのビルマに裕一は戦地慰問で訪れることになります。

ここは10月中旬に放送される予定で、演じた窪田正孝さんが「見てほしい」と挙げているシーンです。

命とは?と考えさせられるようなハードなシーンだったそうで、朝ドラから少しかけ離れるような内容になっているそうです。

ある日、新聞記者の大倉憲三から、ビルマに藤堂先生がいるという情報を得て、藤堂がいる駐屯地に裕一が行くことになり、なんと藤堂先生に再会できます!

これは、嬉しいことですね。

裕一は「コンサートがしたくて、手あたり次第に楽器を持ってきました」と言います。そう、戦地の人たちを勇気づけたくて、戦場に行く決意をしたのでした。

藤堂先生は「そんなことだろうと思って、もう集めてある」

2人で固い握手を交わした後、藤堂はギターやトランペットなど楽器ができる兵士を紹介してくれました。

歌うのは藤堂先生。翌日にコンサートを開くことになり、皆で練習し、夜は酒を酌み交わし、楽しい時間をすごします。

翌日、目を覚ました裕一は、藤堂先生から手紙を託されます。奥さんの昌子さん宛てです。「俺が死んだら渡してくれ」と。

なんだか、嫌な予感がよぎるシーンですが、コンサートの準備がすすみます。

有名人の古山裕一の慰問を喜んでいた兵士たち。本番前にもう一度練習をしようとした裕一が指揮の手をあげたとき・・・銃声がして、兵士が倒れます。

なんと駐屯地に、敵の狙撃兵が現れたのでした。

「ここに隠れてろ」と藤堂先生は裕一を車の下に押し込みます。

そして銃撃戦が始まり、この銃撃戦でなんと裕一の前で藤堂先生は撃たれて・・・命を落とします。

「最後にお前に会えて、良かった・・・。妻と息子を頼む」と言い残し。

これは、裕一、辛すぎる大好きな先生との別れでした。

 

藤堂先生が戦争で戦死したフラグだったお墓のシーンとは?

みなさん覚えてますか?わたしもこの前の再放送で思い出しましたが、藤堂先生の初登場?はお墓でした。

そこでお参りをしていたのは、少しお年を召した鉄男です。

わたしのこの時の個人的な感想ですが、藤堂先生は戦死してしまったのかな?と思いました。

また予告では前後に、裕一が、非常に傷つき、なかなか立ち直れない様子が描かれていました。

裕一をどん底に突き落とす1つの要因として、恩師である藤堂先生の戦死はあると思います。最愛の恩師が自分の目の前で壮絶な死を遂げてしまうので。

では藤堂先生のモデルについて検証してみましょう。

 

 

藤堂先生のモデルは戦争で戦死したの?

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「エール」藤堂先生のモデルは、古山裕一のモデル、古関裕而(こせきゆうじ)さんが小学校3年生から6年生まで担任だった遠藤喜美治(えんどうきみはる)さんです。

遠藤喜美治=藤堂清晴

名前も似ていますし間違いなさそうですね!

遠藤さんは福島の貧しい農家に、1891年に生まれました。

古関裕而さんは1909年生まれなので18歳年上になります。

長男ではなかったため農家は継がず、ご自身が卒業した要田小学校の、用務員のようなことをしていたそうです。

働きながら勉強をし、中卒検定に合格し代用教師となりました。

その後も勉強を重ね小学校教員検定に合格し、正式な教師となっています。

いつからかはわかりませんが、福島県師範学校附属小学校に教師として赴任し、そこに古関裕而さんが入学。

教師としてもとても熱心で、創作活動や音楽にとくに力を入れていたようです。

古関裕而さんはこう振り返っています。

遠藤先生は自ら作曲をなさるばかりか、私たちにも童謡を作らせるほど音楽教育に熱心だった

「エール」でも藤堂先生は生徒たちに作曲をさせていました。

古関裕而さんは作曲が楽しく、授業がとても楽しみだったと語っています。

遠藤先生の英断で、古関裕而さんは音楽会のピアノ伴奏を、5年生のときと6年生のときにされたそうです。

その後遠藤先生は上京し、塾を開きます。

古関裕而さんとも交流があり、遠藤先生の作詞の元、古関裕而さんが作曲された校歌も作られました。

もともと勤勉だった遠藤先生。音楽の教育雑誌に論文を書かれたり、手紙の範例本などを出版されたりしています。

遠藤先生がお亡くなりになったのは1971年、80歳でした。間違いなく戦死ではありませんね。

教師としては「エール」のモデルとして間違いないと思いますが、人物像としてはオリジナルなのだと思います。

遠藤先生は貧しい農家の生まれですが、「エール」の藤堂先生の父親は軍人。厳格に育てられています。

そして遠藤先生がお亡くなりになったのは1971年。

ドラマは東京オリンピックが開催されたところからスタートしました。

東京オリンピックが開催されたのは1964年なので、藤堂先生はこのときにはすでにお亡くなりになっています。

ということで藤堂先生のモデルは、古関裕而さんの担任だった遠藤喜美治さんですが、史実を忠実に描いたのは教師である部分だけのようです。

おそらく藤堂先生が戦地ビルマに行き、裕一が慰問に行くというお話も、今後の藤堂先生についてもオリジナルだと思います。

 

 

藤堂先生の戦争時代の暁に祈るエピソードは実話とは違うの?

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ネタバレあります!

「エール」では軍から依頼された「暁に祈る」の制作が始まっています。

「勝ってくるぞと勇ましく~」の大ヒット曲「露営の歌」は公募された詩に、古関裕而さんが曲をつけたもの。

そこに目を付けたのが軍人で音(二階堂ふみ)の姉、吟(松井玲奈)の夫である関内智彦(奥野瑛太)。

「暁に祈る」は軍馬のPRのために軍が作った映画。その主題歌を裕一が頼まれたのです。

裕一は福島三羽ガラスで作れるなら、という条件でその仕事を引き受けました。

福島三羽ガラスとは、福島の幼馴染の3人のことです。

古山裕一(窪田正孝)、佐藤久志(山崎育三郎)、村野鉄男(中村蒼)の3人。

そして詩に悩んでいた鉄男は、出征する藤堂先生から「自分のことを思って書いてくれ」と頼まれます。

藤堂先生を思って書いた詩はようやく軍からOKをもらいました。

ずっと書けなかった詩が藤堂先生の言葉で書けるようになったんですね。ただこれから戦地に行くことを考えると切ないですね。

歌ったのは久志。

こうして「暁に祈る」で福島三羽ガラスはデビューすることになったのです。

ドラマではこのような流れですが、史実ではどうだったのでしょうか?

まず軍が軍馬のPRのために「暁に祈る」という映画を作ったのは事実です。

そして映画の主題歌「暁に祈る」が福島三羽ガラスのデビューとなったのも実話。

史実の福島三羽ガラスは古関裕而さん、野村俊夫さん、そして伊藤久男さんです。

実際に野村俊夫さんは軍から7回詩を書き直されたそうです(^_^;)

何度も書き直されたため、野村俊夫さんがつい「あ~あ」とため息をもらしたそうで、その「あ~あ」が印象的な歌い出しとなりました。

何が転機となるかわからないですね~。

史実でもこの「暁に祈る」は大ヒットとなりました♪

ただ、福島に行き藤堂先生と会ったことで詩ができた、という部分についてはオリジナルかな?と思います。

年代は不明ですが、遠藤先生は東京で塾を開いていました。

それに野村俊夫さんの恩師であったかも不明です。

ということで、「暁に祈る」は福島三羽ガラスの作品であることと、詩を7回書き直されたことは事実ですが(^_^;)、それ以外はドラマのオリジナルかと思います。

これから「エール」は暗い時代へとなっていきます。

 

藤堂先生は戦争で戦死する?エールネタバレばお墓が嫌な予感?のまとめ

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「エール」主人公の古山裕一にとって恩師である藤堂先生は森山直太朗さんが演じています。

裕一の幼馴染、村野鉄男や佐藤久志にとっても恩師である藤堂先生。

その藤堂先生がこれから戦争に行きます。

この藤堂先生のモデルとなる、古関裕而さんの恩師の遠藤喜美治先生は80歳でお亡くなりになったので、戦死はしていません。

ただ人物としては史実と違うオリジナルで描かれています。藤堂先生の戦死が裕一に大きな影響を与えることは確実です。

辛いストーリーとなってしまいますが、それだけ、戦争というのが理不尽で残酷でヒドいものであると、視聴者に改めて知らせることができると思いました。

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