NHK朝ドラ「エール(えーる)」の主人公は、窪田正孝(くぼたまさたか)さん演じる古山裕一(こやまゆういち)です。
その裕一のモデルとされるのが、福島が生んだ天才作曲家の古関裕而(こせきゆうじ)さん。
「エール」ではこれから戦争の時代へと移っていきます。
戦時下といえばやはり軍歌。古関裕而さんも多くの軍歌を作曲されました。
裕一もこれから軍歌を作曲することになります。
そこで古関裕而さんの作曲した軍歌一覧をまとめてみました。
古山裕一のモデルになった古関裕而さんがどのような思いで軍歌を作曲されたのかー。
そんな実話についてご紹介させていただきます。
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エール古山裕一は軍歌で大ヒット!古関裕而の実話?
エール古山裕一の軍歌のネタバレとは?
エールはこれから戦争時代に突入。
そんな中、作曲家の古山裕一は、軍歌を作曲することになります。
そして、作曲した軍歌の数々が大ヒット!
最初に作曲したのは、「露営の歌(ろえいのうた)」です。
裕一は、新聞の公募で入選した「露営の歌」の歌詞を見て、あっという間に曲を書きあげたんです!そしてその曲を佐藤久志(山崎育三郎)が歌い、売り出されます!
なんとこの曲が出征する兵士の見送りに歌われるようになったことをきかっけに、大ヒット。
その後、今度は映画「暁に祈る」の主題歌の制作を依頼された裕一は、作曲は村野鉄男(中村蒼)、歌を佐藤久志(山崎育三郎)が担当する“福島三羽ガラス”で手掛けることに!
鉄男がずっとおでん屋さんでなくてよかった!!と安心する人も多いと思います(笑)
もちろん簡単には完成とはいかず、鉄男(中村蒼)の歌詞は何度書き直してもOKが出ない状況が続きます。そして歌詞をかくきかっけをつかもうと、裕一は鉄男と一緒に福島に帰り、小学校の担任の先生だった藤堂先生と会い、その言葉を聞いて、作詞をすることに。
そしてついに完成した「暁に祈る」はまたしても大ヒット!
以降も多くの軍歌を手掛けていくことになります。
また裕一は慰問団として戦地に向かい、お国のために戦っている軍人たちを音楽で激励する立場に。
しかし、もちろん大ヒットは嬉しいことですが、戦争に行く人たちが歌い、戦争に行く人を送るときに歌う軍歌。この軍歌を制作してことで後に苦悩することになる古山裕一たち。
予告でも「歌が戦う道具になるのは嫌だ」という鉄男のセリフが印象的でした。
古山裕一のモデル古関裕而の軍歌の実話は?
古関裕而さんは本名を古関勇治といいます。読み方は同じく、こせきゆうじ。
1909年福島の呉服店「喜多三」に長男として生まれ、音楽好きの父親の影響で、小さなころから音楽に触れて育ちました。
㊗️ドラマ再開👏という事で..
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音楽好きの小学校の先生などの影響もあり、9歳のころから独学で作曲を始めています。
1989年80歳でお亡くなりになるまで、5000曲以上も作曲されました。
長男だった古関裕而さんは、実家の呉服店を継ぐべく商業学校へと進学。
ところが学校を卒業する前に、なんと実家の呉服店が倒産してしまい、親戚が経営していた川俣銀行で働くことになりました。
銀行で働きながら作曲活動やハーモニカの演奏などをしていた古関裕而さん。
「エール」の志村けんさんが演じられた小山田耕三のモデル、山田耕筰さんの本で勉強していました。
山田耕筰さんとは手紙にやりとりもしていたそうです。
1929年に世界的作曲コンクールで入賞し、ファンレターを送ってきた金子さんとご結婚♪
山田耕筰さんの紹介もあり、日本コロムビアの専属となり、ふたりで上京しました。
このように「エール」の古山裕一は、古関裕而さんを忠実に描いていますね。
日本コロムビアの専属になってから、しばらくはヒット曲がなかったのも事実。
そして村野鉄男(中村蒼)のモデル、野村俊夫さん作詞の「福島行進曲」がコロムビアでの初レコードになったのも実話です。
さらに、この「福島行進曲」が売れなかったのも実話でした(^_^;)
「船頭可愛や」がヒットしたのも実話。このように実話だらけですね。
1936年に阪神タイガースの「六甲おろし」を作曲するのですが、ここは省略されるのでしょうか?
そしてこれから時代は戦争へー。
1937年には古関裕而さんの代表曲でもある「露営の歌(ろえいのうた)」が発売。
1940年に映画「暁に祈る」が公開され、古関裕而さん作曲の主題歌「暁に祈る」が大ヒット♪
この曲が、福島三羽ガラス(古関裕而・野村俊夫・伊藤久男)初の作品となりました。
福島三羽ガラスは「エール」の古山裕一(窪田正孝)、村野鉄男(中村蒼)、佐藤久志(山崎育三郎)です。
店主の山根からおでん屋を引き継いだ鉄男。#福島三羽ガラス が集う場所になりそうですね😊#朝ドラエール#窪田正孝#中村蒼#山崎育三郎 pic.twitter.com/0mV8iNwf8w
— 連続テレビ小説「エール」 (@asadora_nhk) August 20, 2020
そう、エールで描かれるのと同じで、実話だったんですね。
翌年、古関裕而さんが29歳のとき、中支に従軍。1942年には慰問団派遣員となりました。
1945年、古関裕而さんが36歳のときにおよそ1か月間軍隊生活を送っています。
そしてすぐに終戦となります。
終戦後は、暗かった日本を音楽で明るくしようと尽力。音楽で国民を元気づけました。
軍歌は戦争中に作られた楽曲ということになります。
さて、古関裕而さんはどんな軍歌を作曲されたのでしょうか。
古山裕一のモデル古関裕而の軍歌一覧は?
日本コロムビアでは古関裕而さんを「軍歌の覇者」と謳っていました。
それだけヒットした軍歌が多かったのです。
このような軍歌を作曲されました。
◆露営の歌
◆愛国の花
◆婦人愛国の花
◆憧れの荒鷲
◆暁に祈る
◆南進男児の歌
◆海の進軍
◆宣戦布告
◆英国東洋艦隊潰滅
◆断じて勝つぞ
◆皇軍の戦果輝く
◆防空監視の歌
◆大東亞戰争陸軍の歌
◆アメリカ爆撃
◆空の軍神
◆若鷲の歌
◆決戦の大地へ
◆海を征く歌
◆ラバウル海軍航空隊
◆水兵さん
◆フィリピン沖の決戦
◆嗚呼神風特別攻撃隊
◆比島決戦の歌
◆特別攻撃隊
タイトルがやはり、戦争を思い起こさせるものが多いですね。
「露営の歌」は「勝ってくるぞと勇ましく~」という歌い出しの曲で、召集された多くの兵士たちが、家を出るときにこの歌で見送られたといいます。
この詩は毎日新聞で公募されたもので、市役所の職員が作りました。
この詩を新聞で見た古関裕而さん、列車の中ですぐに曲をつけたそうです。
そしてコロムビアから至急の仕事として、この「露営の歌」の作曲が、古関裕而さんに舞い込みます。
そのときすでに出来上がっていた楽譜を、古関裕而さんは渡したという逸話があります。
この「露営の歌」と「暁に祈る」が大ヒット。
「暁に祈る」は映画の主題歌で、陸軍スポンサーとなった映画から依頼のものでした。
依頼された古関裕而さん、作詞を野村俊夫さんに、歌は伊藤久男さんに、という条件を出します。
それが了承され、福島三羽ガラスとして初となる作品となりました。
しかし、陸軍からの依頼ということで、野村敏夫さんの作詞はなかなかOKが出ずに何度もNGを受けていたとのこと。
苦労して作詞をどうにかこなしたそうです。
また「エール」に出てくるのは「若鷲の歌」。「若鷲の歌」は予科練生の成長を描いた戦時映画『決戦の大空へ』の主題歌です。予科練とは、海軍が若いうちから基礎訓練行って熟練の搭乗員を多く育てようと始めたものです。
作詞の西条八十さんと作曲した古関裕而さんは土浦海軍航空隊に一日入隊し、この経験をいかして、曲が制作されたそうなんです。
軍歌については「エール」でどこまで描かれるのでしょうね。
さて、このような軍歌を作曲した古関裕而さん。胸の内はどのようなものだったのでしょうか?
古関裕而と軍歌の実話その思いとは?
戦後の暗い時代を、明るく元気な曲で国民をけん引した古関裕而さんですが、実際には自分が作った軍歌で苦しんでいたそうです。
大ヒットした軍歌「露営の歌」は、兵士を見送るときに多く歌われ、「若鷲の歌」は特攻隊の青年たちが歌い旅立って行きました。
このことに古関裕而さんはとても胸を痛めていたといいます。
また世間からは戦争責任を問うような声も上がりました。
でもその一方で、古関裕而さんは自分が作った曲は軍歌ではないという信念も持っていたそうです。
軍から直接依頼されたわけではなく、どの曲も一般大衆に寄り添う曲を作ってきた、という気持ちもありました。
なので軍歌ではなく戦時歌謡だ、という信念です。
実際に古関裕而さんの曲は、兵士たちを鼓舞するようなものではありません。
ですが軍歌としてヒットした曲が多かったのも事実。
軍歌を作った7年間が、45年の作曲人生の中で最も暗かったそうです。
では軍歌の仕事は断れなかったのか?
そう思うかもしれませんが、作曲家は作曲しないと生活ができません。
それにそのような仕事を断ることが、非国民とされた時代であり、断れない空気がそのときの日本にはあったようです。
戦争で命を亡くした人、戦争で体が不自由になった元兵士たち。
古関裕而さんもそんな人たちを見ると胸が痛み、戦争責任の追及も覚悟されたといいます。
古関裕而さんの息子、正裕さんによると、古関裕而さんは戦争についてはほとんど語らなかったそうです。
実際に古関裕而さんは戦地にも行き、悲惨な現場も目にしていました。
家族にも語りたくない、いろいろな思いを持っていたのだと思います。
戦争についてもしっかりと描くという「エール」。
みなさんもしっかりと見届けてください。今の平和な時代だからこそ見るべきなエピソードになっていると思います。
古山裕一の軍歌一覧と実話!古関裕而の思いとは?まとめ
「エール」の主人公、古山裕一(窪田正孝)のモデルは、天才作曲家の古関裕而さんです。
「エール」では古関裕而さんのこれまでが、結構忠実に描かれてきました。
これからドラマは戦争へと突入していきます。
多くの軍歌を作曲し、ヒット曲もたくさん生んだ古関裕而さん。
古関裕而さんの作った歌で、戦地へと旅立つ兵士たちも多く、のちにそのことで悲痛な思いをされたそうです。
そんな古関裕而さんの軍歌一覧をご紹介させていただきました。
戦うことを鼓舞するものではなく、兵士の気持ちに寄り添った曲を作ってきた古関裕而さん。
「エール」ではどの曲がかかるのでしょうか。