小山田耕三(おやまだこうぞう)は、朝ドラ「エール(えーる)」で、先日コロナウイルスによりお亡くなりになった志村けん(しむらけん)さんが演じた人物です。
すでに一部の収録が済んでいたことから、その部分はそのまま放送されると発表がありました。
志村けんさんの生前の姿が見れる貴重な朝ドラ「エール」の作曲家の小山田耕三役ですが、一体どんな人物なのか?きになりますよね。
今回は朝ドラ「エール」で志村けんさん演じる小山田耕三のモデルとなる、実在の作曲家の山田耕筰(やまだこうさく)さんについて調べてみました。
「エール」主人公の古山裕一(窪田正孝)のモデル、古関裕而(こせきゆうじ)さんの憧れの人だったそうですが、さて実際の山田耕筰さんはどんな人物だったのでしょうか?
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エールで小山田耕三を演じた志村けんのプロフィールは?
名前 志村けん(しむら けん)
生年月日 1950年2月20日
身長 169cm
出身地 東京都
引用元 公式サイト
志村けんさんは、コロナウイルスによる肺炎で2020年3月29日お亡くなりになりました(T_T)70歳になったばかりです。。。
志村けんさんの父親は小学校の先生でした。志村けんさんが東村山出身というのは、「東村山音頭」であまりにも有名ですね。
男の子ばかりの3人兄弟の末っ子として誕生。中学生のころから学校でコントなどを披露していたそうです。
そんなお笑い好きだった志村けんさん、高校を卒業するころ当時人気だったザ・ドリフターズのいかりや長介さんの家に、弟子入りを志願しに行ったそうです。
本来は音楽バンドだったドリフ。当時バンドボーイが辞めたこともあり、採用されました。
デビューはドリフではなくお笑いコンビ「マックボンボン」のツッコミ担当。すぐに冠番組もできるほど人気コンビとなります。
ところが人気も急降下となり(^_^;)、1973年にドリフのメンバー見習いという立場になりました。
1974年、ドリフのメンバーだった荒井注さんが脱退したことで、志村けんさんは正式にドリフのメンバーに。このとき志村けんさんは24歳でした。
「8時だョ! 全員集合」で日本中の人気者になり、番組が終了した1年後の1986年から『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』がスタート。
その後も「志村けんのだいじょうぶだぁ」「志村けんのバカ殿様」『天才!志村どうぶつ園』など多くのヒット番組をうみだしてきました。
俳優としては1999年の映画「鉄道員」に出演。これは主演の高倉健さんから直に頼まれ、断れなかったから。
それ以来俳優としての活動はありませんでしたが、2020年の映画「キネマの神様」に菅田将暉さんとのW主演となる予定でした。
この出演はキャンセルとなってしまいましたが、朝ドラ「エール」には収録された分が放送されます。
2020年、これまで俳優業はしてこなかった志村けんさんですが、これから俳優としても活動していく予定だったのかもしれませんね。
本当に残念です。ご冥福をお祈りいたします。
エールで志村けんが演じた小山田耕三ってどんな人物?
小山田耕三(おやまだ こうぞう):志村けん
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— 日刊スポーツ (@nikkansports) September 19, 2018
日本を代表する作曲家。
古山裕一(窪田正孝)にとっても憧れの人物。
ちょっとここからネタバレあります!
志村けんさんが先日収録されたシーンのあとにも、また小山田耕三が登場します。というか、予定でした。まだどうなるかわかりませんけど。。。
裕一は、小山田耕三の「作曲法」などの本を読みながら、独学で作曲をしていきます。なので裕一にとって小山田耕三は師匠であり、憧れの人物。
これから大人になった裕一は、世界的作曲コンクールで入賞することになります。志村けんさんが演じた小山田耕三は、その大ニュースを目にする・・・という展開になります。
おそらくそのシーンを収録されたのだと想像しています。
またその後裕一はレコード会社の専属作曲家となりますが、そのときに口添えしたのが小山田耕三。本来採用は見送られるはずだったのですが、小山田耕三のすすめがあり、裕一は専属となることができたのです。
そのことはのちに裕一の耳に入ることになり、推薦してくれた小山田耕三のためにも、いい曲を作らなければ、と裕一を奮い立たせることになります。
ここで裕一は小山田耕三を見かけることになりますが、おそらくそのシーンはまだ撮影されていないのでは?と思います。
代役を立てるのか、もしくはストーリーを変更するのか・・・。原作ではそれ以降もまだ裕一と小山田耕三に接点があります。
「相棒」で大杉漣さんの突然の訃報により、代役で杉本哲太さんが同じ人物を演じましたが、このときは視聴者からは高評価でしたね。
小山田耕三は代役を立てることになるのでしょうか?
さて、その小山田耕三のモデル、山田耕筰さんとはどのような人物だったのでしょうか?
小山田耕三のモデルは作曲家の山田耕筰?どんな作品を作曲したの?
朝ドラエール撮影休止で今後の放送が心配!けど良かった安心の声も
山田耕筰(やまだ こうさく)
日本での西洋音楽分野で、初めて本格的な活動をした作曲家であり指揮者。
日本での西洋音楽の基礎を作るうえで、大きな貢献をした人物。
栃木県立美術館で【山田耕筰と美術】展 開催中!
山田耕筰といえば日本歌曲の作曲者として知られていますが、美術や舞踊、建築にも関心を持っていました。この展示では、絵画のほか、自筆譜、舞台の写真・衣裳画、公演資料、手紙などから、山田耕筰の活動や交友関係を知ることができます。 pic.twitter.com/NiwOEZpxJp
— 音楽之友社出版部書籍課 (@shosekika) January 22, 2020
山田耕筰さんは1886年、明治19年に東京で生まれました。
山田耕筰さんの父親は、医師でありキリスト教伝道者でありましたが、1896年、山田耕筰さんが10歳のときにお亡くなりになっています。
その後母の兄夫婦の養子となり、父の遺言により自営館(後の日本基督教団巣鴨教会)に入館し、昼は働き夜は勉強をする、という生活をしていました。
1901年、山田耕筰さんは姉夫婦に引き取られます。姉の夫はイギリス人宣教師のガントレット。
山田耕筰さんはガントレットから音楽を教わっています。
1904年に母親も亡くなり、その年に東京音楽学校に入学。1908年に卒業し、研究科へと進みました。山田耕作さんが22歳のころです。
1909年に古関裕而さんが生まれていますので、おふたりは23歳違い。
1910年から三菱財閥の岩崎小弥太さんから援助を受け、ドイツへ留学。1912年には日本人として初となる交響曲「かちどきと平和」を作曲されました。
1914年に一度帰国され、東京フィルハーモニーの指揮者に就任しますが、翌年に解散となり、1917年に渡米。カーネギーホールで演奏会を開きました。
1920年に帝国劇場で「タンホイザー」を日本で初めて演奏。その後も東京市民合唱団をつくったり、日本交響楽協会を設立し第1回演奏会を開いたりと、西洋音楽普及のため尽力されました。
オーケストラ楽団の失敗により負債を抱え、茅ケ崎に移り住みます。そこで「赤とんぼ」などの童謡を作曲し再起。
1927年には日本初のトーキー映画「黎明」の音楽を担当。トーキー映画とは、音声が出る映画のこと。それまでは無声映画が主流だったんです。
本名は山田耕作さんといいますが、1930年に名前を山田耕筰に改名。
1936年にはフランス政府からレジオンドヌール勲章受章。1937年に相愛女子専門学校の教授になられました。
1942年に帝国芸術院会員に選出され、1944年に日本音楽文化協会会長に就任。1950年には日本指揮者教会会長に就任されています。
また1954年には映画「ここに泉あり」にご出演。1956年には文化勲章を受章、またこの年に再婚されています。
そして1965年、心筋梗塞により79歳でお亡くなりになりました。
輝かしい功績を残された山田耕筰さん。これまでに幅広い楽曲を作曲されています。その一部をご紹介します。
歌曲
野薔薇
からたちの花
この道
鐘が鳴ります
ロシア人形の歌
愛する人に
童謡
赤とんぼ
お山の大将
七夕
砂山
ペチカ
待ちぼうけ
あわて床屋
歌曲や童謡は北原白秋さんの詩によるものも多く、お二人を描いた映画が「この道(原作「ソングラヰター」)」。
【いよいよ明日❣️WOWWOWでご覧いただけます😊】
1月14日(火)夜7時〜テレビ初登場❣️詩人 北原白秋(大森南朋)&音楽家 山田耕筰(EXILE AKIRA)主演映画「この道」関東大震災や戦争に翻弄されながらも二人の不協和音を繋いだ「音楽の力」をぜひご覧ください🙇♂️ pic.twitter.com/cZbDCaavNR— 北原白秋&山田耕筰映画「この道(原作「ソングラヰター」)」 (@hakushu_no_uta) January 12, 2020
ほかにもオペラや交響曲、交響詩、吹奏楽曲、室内楽曲などのほか、多くの校歌や自治体歌、社歌なども手掛けています。
映画音楽もご自身が出演された「黎明」のほか「新しき土」「川中島合戦」なども手掛けました。
また全国高校野球選手権「大会行進曲」も有名です♪
このような偉大な作曲家、山田耕筰さん。古関裕而さんが憧れるのも当然でしょうね。
そんな偉人を志村けんさんが演じました。
朝ドラ最初で最期の出演となった志村けんさんの演技、みなさんもどうぞ見届けてください。
小山田耕三を演じるのは志村けんモデルは作曲家の山田耕筰のまとめ
小山田耕作は作曲家の山田耕筰さんをモデルにした人物で、志村けんさんが演じます。
一部のシーンを収録後、志村けんさんがお亡くなりになったので(T_T)、その後の出演については今検討中とのことです。
モデルとなった山田耕筰さんは、日本に西洋音楽を広めた第一人者。その功績は計り知れず、古関裕而さんの憧れの人物でもありました。
実際に接点があったという古関裕而さんと山田耕筰さん。「エール」でどのように描かれるのでしょうね。
山田耕筰さんの作曲された童謡のタイトルを見て、とても懐かしくなりました。ドラマでいろんな童謡がかかるといいな~♪と思っています。