NHK連続テレビ小説・朝ドラ「らんまん(ランマン)」が、いよいよ2023年4月から始まりました(≧∇≦)
主演の神木隆之介(かみきりゅうのすけ)さん演じるのは主人公・槙野万太郎(まきのまんたろう)。
主人公は日本の植物学者である牧野富太郎(まきのとみたろう)さんをモデルに描いた作品です。
「らんまん」はNHK連続テレビ小説第108作目となる朝ドラ。男性が主人公を演じるのは「エール」の窪田正孝さん以来3年ぶりで、12作品目となります。
今回は朝ドラ「らんまん」の主人公の万太郎(まんたろう)のモデルである、牧野富太郎さんについてご紹介していきます!
牧野富太郎さんは「日本の植物学の父」といわれた植物学者。牧野富太郎さん生誕の日は「植物の日」に制定されているすごい方なんです!
そんな牧野富太郎さんとは、どんな人物だったのでしょうか!
牧野富太郎さんは、植物が好きすぎて貧乏生活で、実家を破産させた!?
朝ドラ【らんまん】万太郎のモデルは誰?日本の植物学の父が主人公!
牧野富太郎と坂本龍馬の関係と天狗との出会いは実話?【らんまん】
朝ドラ【らんまん】槙野万太郎モデルは誰?
朝ドラ「らんまん」は2023年4月3日から始まる、第108作目のNHK連続テレビ小説。神木隆之介さん演じる主人公は槙野万太郎。
槙野万太郎のモデルである植物学者の牧野富太郎さんの生涯を描いた作品です。
植物が大好きだった牧野富太郎さんは植物採集に出かける時は、恋人に会いに行くつもりで、蝶ネクタイをつけて、いつも正装だったそうです。
素敵なエピソードですが、こんなお話がたくさんある素敵な方なんです♪
タイトルの「らんまん」は春爛漫、天真爛漫の「爛漫(らんまん)」で、主人公が笑顔で明るく天真らんまんに突き進む姿をイメージしているとのこと。
共演は浜辺美波さん、志尊淳さん、佐久間由衣さん、笠松将さん、広末涼子さん、成海璃子さん、中村蒼さん、田辺誠一さんなどです。
❀✿ #らんまん 相関図✿❀
─────────────高知の人びとの相関図をおさらい📖
放送の前に関係性をチェックしてみてください!#朝ドラ #神木隆之介#4月3日スタート pic.twitter.com/PPogifU0jm— 連続テレビ小説「らんまん」 (@asadora_nhk) March 27, 2023
あらすじ
第1週「バイカオウレン」あらすじ
春らんまんの明治の世を天真らんまんに駆け抜けた植物学者・槙野万太郎(神木隆之介)の物語がはじまる―。土佐の酒蔵・峰屋の跡取りとして生まれた万太郎(森優理斗)は草花が大好きな男の子。生まれつき病弱ですぐに熱を出して倒れてしまう。「万太郎はいっそ生まれて来なければよかった」という親戚の心ない言葉に深く傷ついた万太郎は、病床の母ヒサ(広末涼子)の制止を振りきって家を飛び出してしまう。そして、行き着いた裏山の神社で自らを「天狗」と名乗る謎の武者(ディーン・フジオカ)との不思議な出会いを果たす。
引用元 NHK公式サイト
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[出演] #神木隆之介 #浜辺美波 #志尊淳 #佐久間由衣 #広末涼子 #松坂慶子 ほか#朝ドラ #4月3日スタート pic.twitter.com/26kJlFdH5N
#らんまん 予告映像
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60秒版をお届けします。#NHKプラス では5分版も配信中です。
ぜひ、ご覧ください。https://t.co/BQ5uVLjZCH— 連続テレビ小説「らんまん」 (@asadora_nhk) March 26, 2023
「語り」は宮崎あおいさん♪
4歳のママ・宮崎あおい、37歳キュートな最新ショット!朝ドラ「らんまん」語り担当…夫は #岡田准一 https://t.co/shK3FD4Hc7 #芸能ニュース #芸能 #ニュース pic.twitter.com/l4qNBOY9pS
— スポーツ報知 芸能情報 (@hochi_enta) March 25, 2023
ナレーションは宮崎あおい!
『らんまん』の語りを担当させていただきます宮﨑あおいです。
私にとって、朝ドラでの出会いや経験は今でも何年たってもずっと特別なものです。
このような形でまた朝ドラに関わることができて、とてもうれしいです。神木さん、浜辺さんも
これまでたくさんの現場ですばらしい経験をされていると思いますが、
約1年間役を背負って生きるという朝ドラならではの体験は
きっと今まで味わったことのない特別な日々になると思います。
スタッフ、キャストの方との深いつながりや
観てくださる方から頂く温かい応援は何よりのパワーになると思います。
宝物のような時間になること間違いなしなので思いっきり楽しんでください。
私も、語りという立場で、作品の力になれるように頑張りたいと思います。
ありがとうございました。
引用元 NHK公式サイト
主題歌はあいみょん
気になる主題歌はあいみょんさんの「愛の花」です♪
先日「#らんまん」のスタジオに、主題歌を担当される、#あいみょん さんがいらっしゃいました!
主題歌「愛の花」は、もうすぐらんまんで先取りして聴けちゃいます♪#NHKプラス でチェックしてみてください!https://t.co/OwLZh3OVfv#神木隆之介#らんまん #朝ドラ#4月3日スタート pic.twitter.com/X104YbBE7t
— 連続テレビ小説「らんまん」 (@asadora_nhk) March 22, 2023
脚本を手掛けるのは長田育恵(おさだいくえ)さん。
【会見レポート】愚かだと笑えるか?上白石萌歌&長田育恵が語る、悲劇ではない「ゲルニカ」とはhttps://t.co/ntMdlPqy3V pic.twitter.com/vXHsGLtMAt
— ステージナタリー (@stage_natalie) July 8, 2020
舞台、ミュージカルなどの脚本も手掛けるほか、テレビドラマは「群青領域」「流行感冒」「すぐ死ぬんだから」など、NHKのドラマを多く手掛けてきました。
では、朝ドラ「らんまん」神木隆之介さんが演じる槙野万太郎のモデル、牧野富太郎さんについてご紹介していきます!
朝ドラ【らんまん】万太郎のモデルの牧野富太郎は輝かしい功績の裏で苦労が!
「牧野は自らが精魂込めて描いた精細な植物図を印刷で再現すべく、校正にも最大限の力を注いだ。その徹底した校正はときに印刷屋泣かせでもあったという」『別冊太陽 牧野富太郎』(平凡社)入荷しました。 https://t.co/yjoUrQLTBn pic.twitter.com/b1Znd7B3KL
— スロウな本屋 (@slowbooks) March 26, 2023
牧野富太郎さんは「日本の植物学の父」と呼ばれた植物学者です。1862年高知県で生まれ、94歳でお亡くなりになりました。お亡くなりになる直前まで、日本中を廻り膨大な数の植物標本を作られていたそうです。
牧野富太郎さんが個人的に所蔵していたものが40万枚、命名した植物は1,500種類にも及びます!
牧野富太郎は明治時代に誕生!小学校を中退?
牧野富太郎さんが生まれた1862年は明治維新の目前。鎖国が解かれ、幕府も統率能力を失い、混沌とした世情のなか生まれました。
牧野富太郎さんの生家は酒造りと雑貨店を営んでいて、裕福な家庭です。名家の跡取りとして生まれましたが、3歳のときに父親を、5歳のときに母親を亡くしています。
体が弱かった牧野富太郎さんは、祖母の浪子さんに大切に育てられたそうです。10歳となる1872年から寺子屋に通い始め、このときから植物に関心を持っていたという牧野富太郎さん。
野山を歩いて植物を収集するようになりました。
その後、江戸時代から続く、地元の学問所である「名教館(めいこうかん)」という学校に進学し、英語や物理、天文や地理なども学ぶようになりますが、政府が定めた学制により校舎はそのままでしたが、佐川小学校に名称がかわります。
ところが2年後の小学校を2年で退学してしまった牧野富太郎さん。その理由についてこう語ったそうです。
「嫌になった」
何があったんでしょうね?(;^^)諸説には造り酒屋の跡取りなため、学問は必要ないと考えた、というものもあります。牧野富太郎さんはこのため、小学校中退という学歴を背負って生きていくことになります。
小学校中退後は臨時教師を経て師匠に出会う
小学校を中退してからは、好きな植物採集をする毎日。造り酒屋は祖母と番頭に丸投げし、気ままな生活を楽しんでおられたそうです(;^^)
植物採集などの研究をしながら、15歳から佐川小学校で臨時教員として2年間教鞭をとります。
高知市内の私塾に移り、植物学の師である永沼小一郎さんと出会います。17歳のときに欧米の植物学にも触れ、ますます植物学に傾倒していきました。
19歳になった牧野富太郎さんは、内国勧業博覧会を見学するため、初めて東京に行きます。東京では牧野富太郎さんを魅了した「博物図」の著者の2人と会い、植物学への志を新たにします。
このころ日本では自由民権運動がさかんになっていて、高知でも板垣退助を中心に活動が勢いを増していました。
牧野富太郎さんも運動に参加しましたが、植物学への想いが強く、家業を継ぐ気はないと祖母に告げ、22歳の1884年に上京します。
上京して研究に没頭し実家は破産?
東京では帝国大学理科大学(現在の東大理学部)に出入りし、資料などの使用の許可をもらい研究に没頭。植物図鑑を作りたいという希望を持つようになります。
牧野富太郎さんは東アジア植物研究の第一人者である、ロシアのマキシモヴィッチに標本と図を送ります。
描画がとても上手だったという牧野富太郎さん。マキシモヴィッチから図を絶賛する返事が届きました。
25歳のときの1888年、植物学教室の学生たちと『植物学雑誌』を創刊。
植物学雑誌で #牧野富太郎 博士が新種として発表したヤッコソウ。実は #牧野標本館 のロゴマークのモデルなんだ!ミヤコロンの顔のそばにうーーーっすらマークが入っているの、見える…?#都立大 #TMUトミタロー日記 #イラスト pic.twitter.com/Q3lM9AXjjg
— 東京都立大学 総合研究推進機構 (@miyacolons_tmu) October 3, 2022
植物学の雑誌としては日本初です!
26歳のとき、ずっと構想してきた『日本植物志図篇』の刊行を自費で始めます。印刷工場に出向き印刷技術も学び、絵はご自身でお描きになりました。
出来上がった本はマキシモヴィッチからも高い評価を受けたそうです。
ところが祖母が亡くなり、研究や雑誌の刊行に費用をかけすぎたことから、実家の経営は傾いていきます。
27歳のときに新種の植物を発見し、日本で初めての新種「ヤマトグサ」に学名をつけます。
ヤマトグサをみつけ。日本人が、日本固有種に学名をつけた、最初の植物。「大和草は日本草の意味」と日本を代表する意が込められているらしい。 #牧野富太郎 pic.twitter.com/jNFWPb94xR
— 植物が好きな登山ガイド (@mineatsuc) April 28, 2022
28歳のときに植物学教室への出入りを、突然禁止されてしまった牧野富太郎さん!マキシモヴィッチも亡くなってしまい、行き場をなくしてしまいます。
大学の権威を無視した出版や、生活困窮のため奥様がやむなく始めた料亭などのことなどで、牧野富太郎さんを敵視する人もいたそうです。
逆に植物にかける情熱や、業績などを高く評価する人物も大学には多くいたといいます。
牧野富太郎さんの給料が安かった理由に、学歴がなかったこともあるようです。知識や実力はあったものの、学歴がなかったことで、教授職など高い給料が出る地位につけなかったようです。
ちなみに、後に50歳にして東京帝国大学理科大学から講師として迎えれた牧野富太郎さんは、学歴を持たず権威を持っていなかったにもかかわらず、最高学府の要職に就くことは当時としては極めて稀なことでした。しかし学歴があったら、もっと早くこのような地位につけていたのでは?と思います。
その後、一度実家に戻りますが、1893年の31歳のとき、東京帝国大学理科大学から助手の依頼が来て、また牧野富太郎さんは上京します。
このとき実家はすでに破綻していて、研究費用などで多額の借金を作ってしまった牧野富太郎さん。家財道具一切を競売にかけられたことも(;^^)
ちなみに、経営が困難になった実家は、当時実家の事業を切り盛りしていた番頭と従妹の猶さんに譲り、自分は実家との関係を断ちました。
経営が苦しくなった実家にもそれまで研究に必要な大金を送金してもらっていたこともあり、実家が破綻状態になったもの、富太郎さんへの送金も大きく影響していたのでは?と思われます。
台湾にも植物採集に行ったり、書籍代なども積み重なったりして、家族を養うために借金を重ねてしまったそうです。
帝大が費用を出し、頓挫していた『日本植物志図篇』の代わりとなる『大日本植物志』を刊行することになりました。。。が、こちらは4巻で中断してしまいます。
1912年から1939年まで帝大理科大学の講師を勤めます。
1926年にツムラ順天堂の協力のもと『植物研究雑誌』を創刊。現在も刊行されています。
『植物研究雑誌・第1巻〜8巻(大正5年〜昭和8年)・復刻版・合本6冊揃』
日本の古本屋にて出品中です。https://t.co/Jf2WLnx3IG pic.twitter.com/Vb4wySVh90— 古書 藤原書店 (@koshofujiwara) June 16, 2015
このころから植物学の面白さを広めるため、各地に同好会を作った牧野富太郎さん。植物採集のために足を運んだ土地は、沖縄を除く全都道府県に及びます。
牧野富太郎さん65歳の1927年、東京帝国大学から理科博士を受け取りました。この年に発見した新種の笹に、翌年に亡くなった妻の名前から「スエコザサ」と名付けています。
2/23は #牧野富太郎 博士の妻、寿衛さんのご命日。#北海道大学 で行われたマキシモヴィッチ生誕百年祭に出席した牧野博士は、帰りに #仙台 でササの新種を発見したんだ。寿衛さんを悼んで、このササはスエコザサと命名されたんだって。#都立大 #牧野標本館 #TMUトミタロー日記 #らんまん #イラスト pic.twitter.com/l28PIhcEAS
— 東京都立大学 総合研究推進機構 (@miyacolons_tmu) February 22, 2023
ヘブン河合くんイライラする!志尊淳の演技とキャラがある意味すごい?
晩年
1937年に朝日文化賞を受賞。
78歳になった1940年、牧野富太郎さんの集大成である「牧野日本植物図鑑」を刊行します。これは現在も販売されています!
『ボタニカ』の影響を受けて、『牧野 日本植物図鑑』を買ってしまいました😆 pic.twitter.com/knhmmQsigk
— 百日紅 (@pjBcqquyD3O5mE2) February 27, 2022
終戦間際の大空襲があったときも、標本と一緒に死ぬと言い、動こうとしなかったという牧野富太郎さん。自宅の門が破壊されて、ようやく山梨に疎開したそうです。
1951年に湯川秀樹、谷崎潤一郎とともに第1回文化功労者に選ばれ、国民的スターとなった牧野富太郎さん(≧∇≦)
1956年に牧野植物園が設立されました。
【牧野博士の偉業が丸わかり!】
高知市にある「牧野植物園」は、植物分類学の父・牧野富太郎博士ゆかりの植物園。その博士が2023年4月からのNHKの連続テレビ小説『らんまん』の主人公のモデルとなったことで、牧野植物園が注目を集めています。https://t.co/ONyDhWAGdm pic.twitter.com/jAm711KQer— るるぶ&more. (@rurubuandmore) March 21, 2023
1957年、家族に見守られ94歳の生涯を終えました。1958年に「高知県立牧野植物園」が開園します。
牧野富太郎の業績を記念して作られた高知県立牧野植物園。 pic.twitter.com/JEJuTgRCkM
— 岡 俊介 (@JV5jL3YHgE2LR1V) March 27, 2023
朝ドラ【らんまん】万太郎のモデルの牧野富太郎に妾がいた!?借金で貧乏暮らしを支えた妻
牧野富太郎さんは1890年に小沢寿衛(すえ)さんとご結婚されました。28歳のころだと思います。
出会いは東京大学時代に通学路で。スエさんは通学路にあった駄菓子屋さんの娘さんだったんです。
実はもともとは実家に妻がいた牧野富太郎さん。
先ほど紹介した実家の事業を切り盛りしていた従妹の牧野猶さんです。
祖母が牧野猶さんとの結婚を決めて、それをなんとなく受け入れていたという牧野富太郎さん。
富太郎さんが上京した後は、実家の事業を任されていたそうです。
一方井で、富太郎さんは東京にいるときに、妾がいたのですが・・・その妾がなんと小沢寿衛子さんだったんです。
そのあと、富太郎さんの祖母がなくなったことで、牧野猶さんとの結婚は自然に消滅してしまったとのこと。そのあと、小沢寿衛子さんと籍を入れるのですが、ご実家にいた牧野猶さんは引き続き事業を切り盛りし、大変苦労されたと思います。
先ほどもご紹介しましたが、貧しかった家計を支え続けたという奥様の寿衛さん。自分の俸給の千倍もの借金を抱えた壮絶な貧乏暮らしだった時期もあったそうです。
しかし妻の寿衛さんが牧野富太郎さんを尊敬し、子供たちに「我が家の貧乏は学問のための貧乏だから恥ずかしく思わないように」と日ごろから諭していたそうです。
子どもは13人生まれ、成長したのは7人とのことです。
朝ドラ【らんまん】万太郎のモデルの牧野富太郎のここがすごい!
独学で4万5千冊の本の内容が頭に!?
牧野富太郎さんのすごいところは、独学で植物について学んだこと。植物を知るために、本を片っ端から集めて・・・その数なんと4万5千冊。その本の内容がすべて頭の中に入っていたとのこと。
27歳の時、高知で発見した新種に日本人としてはじめて学名発表!(新種・ヤマトグサに学名を付けた)。
以来、新種を発見しては名もなき草花に名前をつけて、生涯で1500種類以上も命名をしたんです。
絵の才能もすごい!
また子供のころから絵がうまく、研究のために描いた植物図は神業と言われ、世界的にも高い評価を得ています。
ご本人がご自身のことを「植物の精」と自認されていたという牧野富太郎さん。その功績は今後もずっと残されていくでしょう。
朝ドラ【らんまん】万太郎のモデルは植物学者の牧野富太郎のまとめ
朝ドラ「らんまん」は2023年4月3日から始まる、第108回目のNHK連続テレビ小説です。
主人公のモデルとはる植物学者の牧野富太郎さんの生涯を描いた作品で、主人公を神木隆之介さんが演じます。
牧野富太郎さんをモデルにした作品は、2009年に映画化された「黄金花」があります。牧野富太郎さんをモデルにした「牧老人」は原田芳雄さんが演じられました。
牧野富太郎さんは植物学に生涯を費やされた植物学者です。金銭面や大学との軋轢など様々な困難がありましたが、奥様に支えられずっと研究に人生を捧げました。
牧野富太郎さんは「雑草という草はない」という言葉を残しています。ついわたしも知らない草花を「雑草」と呼んでしまっていましたが、反省してこれからは草の名前を調べようと思います!