槙野寿恵子の晩年とは?病気の病名から死亡についても

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NHK連続テレビ小説・朝ドラ「らんまん」は実在の植物学博士・牧野富太郎(まきの・とみたろう)をモデルにした主人公の槙野万太郎(まきのまんたろう)の物語で、最終回まであとわずかとなりました。

神木隆之介(かみきりゅうのすけ)さんが演じる万太郎の妻は、浜辺美波(はまべみなみ)さん演じる槙野寿恵子(まきの・すえこ)。

槙野寿恵子にはモデルが実在しています。牧野富太郎さんと、牧野寿衛子(まきの・すえこ)さんです。

「らんまん」視聴者のなかには壽衛子さんが、牧野富太郎さんよりかなり早くにお亡くなりになったのをご存じの方も多く、その死について気になっている人も多いと思います。

一体、朝ドラで「らんまん」では寿恵子の死亡までの晩年はどのように描かれるのでしょうか??

今回は朝ドラ「らんまん」槙野寿恵子の晩年、死亡までをネタバレを、モデルの牧野壽衛子さん史実と併せてご紹介させていただきます!

槙野寿恵子の晩年の過ごし方とは?病気で亡くなる?病名は?

ドラマの最終回のネタバレも紹介しているので、知りたくない人は閲覧注意です。

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目次

槙野寿恵子のモデル牧野寿衛子の晩年①待合を売却して家を建てた!

関東大震災の牧野富太郎の実話は渋谷で揺れを楽しむも雑誌消失!?

年齢

朝ドラ「らんまん」で、寿恵子が誕生したのは1865年です。モデルの寿衛子さんは1873年生まれなので、8歳も年齢差があります。

万太郎は史実と同じ、1862年生まれ。「らんまん」寿恵子とは3歳差、史実では9歳差となります。

結婚した年代も、史実とは違いました。「らんまん」では1882年、史実では6年あとの1888年です。

関東大震災のとき、万太郎と富太郎さんは61歳、寿衛子さんは50歳、そして寿恵子は58歳になっています。

史実では牧野富太郎さんは1957年に94歳でお亡くなりになり、寿衛子さんは1928年に55歳でお亡くなりになりました。

子ども

らんまん万太郎の子供役キャスト一覧!子役と大人役

朝ドラ「らんまん」の子どもの人数も、史実とは違いました。

最初に女の子が生まれたのは史実もドラマも一緒ですが、「らんまん」では1884年、史実では1893年のこと。

どちらも幼少のとき亡くなっています。

次に生まれるのが女の子なのは、史実もドラマも同じ。次女ですが、長女として成長しました。

牧野富太郎さんと寿衛子さんの間には、13人の子どもが生まれましたが、成人したのは6人。医療や食料事情が良くなかったため、亡くなってしまったそうです。

「らんまん」万太郎と寿恵子の間には5人生まれ、長女の園子以外は成長しました。

長女の千鶴(遠藤さくら)は、万太郎の助手をしている虎鉄(濱田龍臣)と結婚♪万太郎はおじいちゃんに、寿恵子はおばあちゃんになりました!

待合を経営

らんまん千歳と虎鉄の結婚は実話?モデルの史実とは?

らんまん」寿恵子のモデル、寿衛子さんが待合を経営していたのは実話です!

牧野家の家計がずっと苦しかったのも、ドラマと同じです。

牧野富太郎さんの給料だけでは家族を養えず、しかも研究費にはお金を惜しまないお坊ちゃん気質(;^^)な牧野富太郎さん。

牧野富太郎さんの実家も、高知の酒蔵「岸屋」で、仕送りを続けてもらっていましたが、やがて経営が破綻してしまいます。

そして毎年のように生まれてくる子どもたち。

高利貸しからお金を借りるようになり、交渉などは寿衛子さんが担っていたそうです。

お金の管理は寿衛子さんががしていて、牧野富太郎さんも「並大抵の苦労ではなかったろう」と回想しておられました。

また、寿衛子さんは産後3日目にして、遠くの債権者のところまで、断りに行ったこともあったそうで、牧野富太郎さんは何度思い出しても胸がいっぱいになると。

 

牧野富太郎著『牧野富太郎自叙伝』(講談社2004年)より

引用元 NHK公式サイト

牧野富太郎さんが研究に没頭できたのは、このように寿衛子さんの援助があったからにほかなりません。

寿衛子さんもまた「道楽息子を一人抱えているようだ」と言っていたそうです。

それだけ窮していた牧野家。寿衛子さんは待合を経営することにしました。

寿衛子さんは3円の資金で待合を始めています。渋谷の荒木山にある小さな一軒家を借り、実家の別姓をとって「いまむら」というお店の名前にしたそうです。

「らんまん」にもあったように、当時の渋谷はまだ開発されておらず、家賃なども安かったのだろうと思います。

場所をこれから発展する池袋にしたのは、寿衛子さんに先見の明があったのでしょう。

寿衛子さんは別居し単身赴任?で待合を経営されていました。これにより家計はとても助かったといいます。

ところが学内で、学校で働く人の妻が、待合を経営するとはけしからん、などと言われるようになり、寿衛子さんは胸を痛めていたそうです。

牧野富太郎さんは、生活のためにやっているのに、何が悪いのか、と思っていたようですが(笑)

待合は順調に経営していたのですが、関東大震災が起こります。

関東大震災

関東大震災の牧野富太郎の実話は渋谷で揺れを楽しむも雑誌消失!?

関東大震災が起こったとき、牧野一家は渋谷の荒木山にいたそうです。

家は多少瓦が落ちた程度で、無事でしたが、「植物研究雑誌」第三巻第一号を全部無残な状態に!大丈夫だったのは見本の7部だけでした。

店も無事でしたが、これにより景気が悪化し、待合の支払いを踏み倒すたちの悪い客が増えてきました。

世の中の風向きが変わりつつあることを感じた寿衛子さんは、ある決意をすることになります。

牧野富太郎さんの自叙伝によると「やはり素人のことで、長くは続かず」とあります。

実際に待合を経営されていたのは、数年のことと思われます。

牧野寿衛子は待合を売却し家を建てた!

寿衛子さんは、関東大震災をきっかけに、富太郎さんのために待合「いまむら」を売却した資金で、の田舎の雑木林の真ん中に、小さな一軒家を建てることに。

選んだ場所は震災の被害が少なく、都心からの移住者が増えていた武蔵野。北豊島群大泉村(現在の練馬区東大泉)の雑木林が広がる土地でした。

火事の多い都会を離れ、林の中に一軒家を構える。ゆくゆくは家の標本館を中心に、植物園を作りたい、と言う夢を寿衛子さんは持っていたのです。

もうすべてが牧野富太郎さんのためだったのですね!人生を賭けて尽くした寿衛子さん。

そして大正14年の暮れに着工した家は翌年の5月に完成しました。現在の練馬区牧野記念庭園の地です。

この時、富太郎さんは64歳。寿衛子さんは52歳だったそうです。

ところが家の完成を喜ぶ間もなく、寿衛子さんは病に倒れてしまいます。

槙野寿恵子のモデル牧野寿衛子の晩年②病気の病名と死亡まで

牧野寿衛子の病気・病名とは?

病名は卵巣がんだったそうです。

死亡時に病名が判らなかったそうですが、牧野富太郎さんは今後の研究のため、患部を大学に送っていました。

それにより卵巣がんだと判明したのではないでしょうか。

痛みに耐えながら、寿衛子さんは家計のことを心配され、治療にも積極的ではなかったといいます。

なんと自己犠牲の強いお方なのでしょう。

体調を崩し、入退院を繰り返していたといいます。

寿衛子さんが闘病中、結婚に失敗した次女が戻ってきて、寿衛子さんは次女に牧野富太郎さんの面倒をみてもらえると、安心されたそうです。

寿衛子さんが永眠されたとき、仙台に植物採集に出かけていた牧野富太郎さん。

急いで駆け付け、涙が枯れるほど泣きつくしたといいます。

スエコザサ

牧野富太郎さんは仙台で発見した、新種のササに「スエコザサ」と名付けました。

墓碑には亡き妻への感謝と愛情を込めた、牧野富太郎さんの俳句が刻まれています。

家守りし妻の恵やわが学び
世の中のあらん限りやスエコ笹

スエコザサは自宅書斎の前や、天王寺のお墓の前にも植えられました。

東大泉に建てられた家は、現在も「練馬区立牧野記念庭園」として残されています。

槙野寿恵子の晩年とは?病気の病名から死亡までのネタバレは実話とは違う?【閲覧注意】

らんまん百喜役の大人キャストは松岡広大!万太郎の息子役出演作品は?

それでは、ドラマの寿恵子の死はどう描かれるのか?以降でネタバレをご紹介していきます。

NHK連続テレビ小説「らんまん」最終回に、槙野寿恵子(浜辺美波)が死亡することがわかりました!

2023年9月20日放送の「らんまん」第123話で、関東大震災が描かれました。

史実で関東大震災は、1923年9月1日に発生しています。

槙野家が住んでいた長屋は倒壊。近くで火事も発生しています。

槙野家は渋谷に避難。渋谷は被害が少なく、寿恵子の待合「山桃」も無事でした。

ここに家族全員が集まり、みんなの無事が確認できました。

長屋に戻ってみると、万太郎(神木隆之介)が40年かけて集めた、標本や原稿が無残な姿に・・・。

そんななかでも、たくましく咲くムラサキカタバミを見て、嬉しくなった万太郎。

万太郎はムラサキカタバミの植物画を描き、この気持ちを誰かに渡したい、と寿恵子に話します。

寿恵子は百喜(松岡広大)と大喜(木村風太)に、広い土地を探してほしいと頼みました。

そして「らんまん」は最終週に突入!タイトルは「スエコザサ」です。このタイトルが出たことで、寿恵子が死亡することがわかりますね((+_+))

寿恵子は待合「山桃」を売ったお金で、東京郊外の大泉村の土地を購入。

都会よりも火事の被害が少ない場所で、万太郎の標本を火事から守り、図鑑を完成させるという万太郎の夢のためでした。

買った土地に屋敷を構えた槙野家。ここには万太郎、寿恵子、千鶴(本田望結)の3人が幸せに暮らしています。

ある日波多野(前原滉)がやってきて、前原と徳永(田中哲司)の推薦で、万太郎が理学博士になることを伝えます!

史実でも牧野富太郎さんは、寿衛子さんが亡くなる1年前の1927年に、理学博士号を取得されています。

ですがご本人は博士号にはまったく興味がなく(笑)周りから勧められ、しかたなく学位論文を提出した、とありました(;^^)

さらに「学位を押し付けられ、すっかり平凡になってしまった」とも(笑)でも寿衛子さんはきっと喜んだでしょうね。

「らんまん」でも心から喜ぶ寿恵子。

ところが寿恵子は病に倒れてしまいます(>_<)

万太郎は寿恵子の看病をしながら「日本全国の草花を載せた図鑑を完成させる」という、寿恵子との約束のため研究を続けていました。

万太郎は新しく見つけた植物を「スエコザサ」と命名し、それを寿恵子に伝えます。

それを聞いた寿恵子は、最終回で死亡する・・・という結末になります。

今のところまだ病名はわかりません。史実と同じであれば、卵巣がんですがどうでしょうか。

スエコザサも、史実では寿衛子さんが亡くなった後に命名しているので、寿恵子の病名も違うのかもしれませんね。

ということで、病名はわかりませんでしたが、槙野寿恵子は最終回で病気のため死亡します。

「らんまん」寿恵子は1865年生まれなので、関東大震災のときには58歳です。

史実では1928年、55歳でお亡くなりになっているので、関東大震災から5年後になります。

死亡する年代が史実どおりだと、1928年に寿恵子は63歳になります。

朝ドラ「らんまん」で寿恵子は、63歳で死亡するのかも?と個人的に予想しています。

槙野寿恵子の晩年と病気の病名から死亡までのまとめ

槙野寿恵子が待合茶屋「山桃」を渋谷に!商売の実話とネタバレ【らんまん】

NHK連続テレビ小説「らんまん」浜辺美波さん演じる寿恵子のモデルは、万太郎のモデルである牧野富太郎さんの妻、寿衛子さんです。

寿衛子さんは経営していた待合を売ったお金で、東大泉の雑木林のなかに一軒家を建てました。

火事の多い都会を離れ、ゆくゆくは家を資料館にし、植物園をつくるという夢を持っていたそうです。

ところが一軒家に越して間もなく、寿衛子さんは卵巣がんにより他界。55歳でした。

朝ドラ「らんまん」でも寿恵子の晩年が判明しました。

寿恵子は最終回に、亡くなってしまいます。

史実では奥様が亡くなったあと、新種の笹に「スエコザサ」と名付けましたが、「らんまん」では違います。

万太郎は新種の笹に「スエコザサ」と名付けたことを、病床の寿恵子に伝え、寿恵子は息を引き取ります。

死なないでほしいな~と思っていましたが、寿恵子は最終回で亡くなってしまいます。

「らんまん」最終回までもう少しですね!最後までお楽しみください!

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