鶴亀撮影所のモデルは?浪花千栄子が所属していた?

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鶴亀撮影所(つるかめさつえいじょ)は、これからNHK朝ドラ「おちょやん」に出てくる映画撮影所です。

今回はこの鶴亀撮影所のモデルについて調べてみました。

鶴亀撮影所は「おちょやん」の井川遥(いがわはるか)さんが演じた女優の高城百合子(たかしろゆりこ)が所属していたところです。

これから杉咲花(すぎさきはな)さんが演じるヒロイン、竹井千代(たけいちよ)も所属することになります。

ということは、千代のモデルである浪花千栄子(なにわちえこ)さんが所属していたところがモデルとなりそうですね。

今回は朝ドラ「おちょやん」に登場する鶴亀撮影所のモデルについて調べてまとめてみました!

さて、浪花千栄子さんの所属していたところとはどこなのでしょうか??

目次

鶴亀撮影所のモデルは?浪花千栄子も所属していたところ?

おちょやん鶴亀株式会社のモデルは松竹?元ネタは?

鶴亀撮影所とは?ネタバレは?

鶴亀撮影所は、上方演劇のドンと言われている大山鶴蔵(おおやまつるぞう)が社長をしている、鶴亀株式会社の映画撮影所です。

大山鶴蔵は、道頓堀の芝居小屋を一手に牛耳る業界の大物。

ずっと舞台で活躍をしてきた鶴亀のトップ女優、高城百合子(井川遥)は映画に行くように言われ、それが嫌で会社を飛び出し、千代が少しの間岡安にかくまっていました。

鶴亀撮影所に関りのある人物をご紹介しましょう。

大山鶴蔵(おおやま つるぞう):中村鴈治郎

大山鶴蔵は演劇界の大物で、芝居小屋や映画なども制作している鶴亀株式会社の社長です。

演じているのは歌舞伎俳優の中村鴈治郎さん。威厳がありまくりですよね~。

これから千代の女優人生に大きく関わってくる人物です。

片金平八(かたがね へいはち):六角精児

鶴亀撮影所の所長、通称カタキン所長。
所長室では、いつもフンドシ姿で空手の型をしている。
普段えらそうに振る舞っているが、大山鶴蔵社長には頭が上がらない。

片金は撮影所の所長。社長に頭が上がらないことから、典型的な中間管理職のサラリーマンといった役どころでしょう(笑)

小暮真治(こぐれ しんじ):若葉竜也

鶴亀撮影所の助監督として走り回りながら、いつか監督をしたいと願っている。
撮影所の大部屋女優となったものの、右も左もわからない千代を助ける。
千代の初恋の相手!?

助監督の小暮。なに!?千代の初恋の相手???(#^^#)

これはまた楽しみなキャラが登場しますね~♪

演じる若葉竜也さんも、これから話題作に続々と出演する期待の俳優。

ぜひ注目してください!

守屋(もりや):渋谷天外

鶴亀撮影所の守衛。経歴は不明。
特に何をしているというわけではないが、撮影所の門をくぐる数多くの女優を見続けてきた。
女優としての千代を、温かく見守っている。

鶴亀撮影所の守衛さんですが、千代との交流もありそうですね。

演じているのは渋谷天外さん。

成田凌さんが演じている、天海一平のモデルが二代目渋谷天外さんなのです!

今回守屋を演じるのは三代目渋谷天外さん。一平の子ども、ということになりますね。

さらに!天海天海一座にいる天晴を演じている渋谷天笑さんは、三代目渋谷天外さんのお弟子さんです。

ちなみに血縁関係はないようです。

見どころ満載な鶴亀撮影所。さて、モデルはどこなのでしょうか?

 

 

鶴亀撮影所のモデルは浪花千栄子が所属していた東亜キネマ?

大山鶴蔵のモデルは?鶴亀の社長は松竹の白井松次郎?

鶴亀撮影所のモデルは、おそらく東亜キネマ(とうあきねま)だと思われます。

というのも、東亜キネマは、浪花千栄子さんが所属していたんです。

以降で、鶴亀撮影所のモデルでは??と思われる東亜キネマについて、詳しくご紹介していきます。

 

 

鶴亀撮影所のモデル?東亜キネマとは?

東亜キネマは1923年に設立された映画会社。設立といっても、もともとあった「甲陽キネマ撮影所」を買収したものです。

親会社は八千代生命でした。

その半年後に「マキノ映画製作所」を吸収合併しますが、対立してしまい牧野省三さんが独立し「マキノ・プロダクション」を設立。

1929年に八千代生命が経営難になり映画事業から撤退したため、牧野省三さんの婿である高村さんが所長となり、立て直しを図ります。

1931年に製作代行をする「東活映画社」を設立しますが、翌年に解散。

兵庫件西宮市と、京都市に撮影所を持っていましたが、結局1932年に買収されました。

なんとも激動の撮影所だったんですね~。

この東亜キネマに浪花千栄子さんが所属していました。

ここに来るまでの、浪花千栄子さんの足取りをご紹介しましょう。

 

 

鶴亀撮影所のモデルと思われる東亜キネマと浪花千栄子の史実とは?

おちょやん大山鶴蔵役は中村鴈治郎!鶴亀の社長役

道頓堀から京都へ

浪花千栄子さんは「おちょやん」の千代と同じように、奉公で道頓堀の仕出し料理屋で働いていました。

ところが父親からお金の無心をされ、別のところで働いたときには、千栄子さんのお給料を父親が前借していく、というありさま(>_<)

見かねた千栄子さんの雇い主が、逃げるように促してくれ、千栄子さんは行くあてもないまま京都に行きました。

カフェーで働く

京都の職業あっせん所で紹介されたのは、男性客のお酒の席の接待をするカフェでの女給(ホステス)の仕事。

お給料も良く、当時の若い女性の憧れの職業でした。

中でも一流といわれた「オリエンタル」というカフェーで、浪花千栄子さんは働き始めます。

女給の仕事は、本当は嫌いな仕事だったそうですが(^_^;)

そのカフェで一緒に働いていた女性とともに、京都嵯峨野にあった無名のプロダクションに応募し合格。

監督と呼ばれる男性から「モダンな顔をしていて、動きにひらめきがある」なんて言われたそうです(#^^#)

ところが!そのプロダクションでは撮影が進むことなく、解散してしまいました。

村田栄子一座へ

ですが監督から気に入られていた千栄子さんは、監督からある女優を紹介してもらいます。

その女優は村田栄子(むらたえいこ)さん。「村田栄子一座」の看板女優で、舞台女優として人気のあった女優です。

村田栄子さんのお芝居を近くで見た千栄子さんは感動し、その場で弟子入りを志願。 浪花千栄子さんはすぐに出演するようになりました。

目を見張るような早い出世に、千栄子さんは監督の口添えのおかげ、と謙遜していたそうです。

さて、その村田栄子さんという人物は、とてもヒステリックな女性だったそうです。 物を投げたり蹴飛ばしたり(>_<)千栄子さんは階段から突き落とされたこともあったとか。

そんなことをされても千栄子さんは忠実に従い、田村英子さんは千栄子さんを気に入っていたそうです。

正チャンの大冒険

村田栄子一座で、吹き出し漫画の先駆けだった「正チャンの大冒険」を舞台化しました。

「正チャン帽」でおなじみの漫画ですが、みなさんはご存知ないですよね(^_^;)

ところが主役の正チャンを演じる女優が倒れてしまいました。

そこでセリフを丸暗記していた浪花千栄子さんに、主役が回ってきたのです。

初の主演舞台。緊張した千栄子さんは、ときどきセリフが飛んでしまい(^_^;)、そのときには飛んだり跳ねたりして大暴れ。

それが観客に大ウケし、それから浪花千栄子さんは一座を代表する女優になりました。

 

 

東亜キネマへ所属

ところが田村英子一座の人気は下降気味。ヒステリックな田村英子さんの下で働いている浪花千栄子さんを見ていた、三友劇場の主が千栄子さんに相談します。

一座は下り坂。ここは映画にいくべきだ。

東亜キネマに推薦するから、そちらに行きなさい

推薦がないと入るのが難しい東亜キネマ。千栄子さんにとって願ってもない話でしたが、芝居のいろはを教えてくれた田村英子さんにも恩があります。

千栄子さんは悩みましたが自分の将来を考え、そのお話を受けることにしました。

東亜キネマに入った千栄子さんは、すぐに香住千栄子(かすみちえこ)という芸名を与えられます。

お給料は当時の一般職の女性と同じくらい。

撮影所の近くに部屋を借り、すぐに映画の出演も決まりました。

東亜キネマを去る

しばらくして、東亜キネマが人員整理を始めます。

舞台あいさつに着る高い衣装代を、自腹で出すことに不満を持っていた浪花千栄子さん。

スキャンダルまみれの女優より、上層部の誘いを断った真面目な女優がリストラの対象になったことにも腹を立てます。

東亜キネマに嫌悪感を募らせていく千栄子さん。

生まれて初めて辞表を書きました。

こうして浪花千栄子さんは東亜キネマを去ります。本当にすがすがしいくらい潔癖な女性ですね。

でも東亜キネマもこんな経営をしていたから、長く持たなかったのかもしれません。

東亜キネマは9年という短い歴史でした。

さて、「おちょやん」では鶴亀撮影所は社長が大山鶴蔵です。大山鶴蔵は松竹の社長だった白井松次郎さんがモデル。

その松竹撮影所が京都に設立されたのが1942年です。東亜キネマが買収されたのが1932年なので、ずっと後になります。

東亜キネマの社長は松竹の社長ではなかったので、ここは「おちょやん」とは違うところですね。

大山鶴蔵は女優となった千代とも関わってくるので、ここはフィクションとなるかもしれません。

千代がどんな映画女優へと成長していくのか、今後が楽しみです(^^)

鶴亀撮影所のモデルは浪花千栄子が所属していた東亜キネマ?のまとめ

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「おちょやん」鶴亀撮影所のモデルは東亜キネマです。

たった9年間しか経営していなかった撮影所でしたが、浪花千栄子さんも所属していたところです。

その東亜キネマに所属した千栄子さん、移籍後すぐに1926年の映画「帰って来た英雄」で準主役を演じました。

東亜キネマを辞めた年はわかりませんでしたが、1929年に「新潮劇」に参加しているので、おそらく2~3年くらいしか所属してなかったと思います。

そんな東亜キネマをモデルにした鶴亀撮影所。

「おちょやん」千代には、どんな波乱万丈が待ち受けているのでしょうか。

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