大阪夏の陣で家康の年齢は何歳?死亡説についても

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NHK大河ドラマ「どうする家康」最終回直前では大坂夏の陣が描かれますが家康の年齢は何歳だったのか?また家康が死亡したという説もあるんですよね!今回は「どうする家康」大坂夏の陣での家康の年齢や死亡説についてご紹介します。

目次

大阪夏の陣で家康の年齢は何歳?

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NHK大河ドラマ「どうする家康」も残すところ最終回まであとわずかです。

最終回直前では大坂夏の陣が描かれますが、そのとき家康の年齢は何歳だったのか?

さらに家康が死亡したという説もあるんですよね!

今回は「どうする家康」大坂夏の陣での家康の年齢や死亡説についてご紹介します。

「どうする家康」も物語は最終局面を迎え、家康が晩年に挑んだ「大坂の陣」が描かれています。

大坂夏の陣のきっかけとは?

「大坂の陣」とは徳川家と豊臣家の争いで、方広寺の鐘に印字された文字がきっかけで起こりました。

「国家安康」「君臣豊楽」

この文字が、家康を呪っているといちゃもんを付けたことで、徳川は豊臣に戦いを仕掛けることになります。

ドラマの中では、茶々と大野治長があえて家康を挑発する形で、鐘に印字したという展開でしたね!

そして1615年「大坂冬の陣」でバトルを繰り広げるも、一時は和睦することになった両軍。

家康の年齢は何歳だった?

しかし、再び徳川方が仕掛けたことで、1616年には「大坂夏の陣」が勃発することになるのです。

このとき家康の年齢は73歳でした。

老体に鞭打ち、大阪に出陣したのです。

一方の豊臣家の当主・秀頼は23歳という若さ。

家康にとって、秀頼の若さは驚異そのものだったのかもしれませんよね。

そして12月10日放送の第47回「乱世の亡霊」では大坂夏の陣が詳しく描かれることになります。

以降で「どうする家康」の大坂夏の陣の結末をご紹介します。

「大坂夏の陣」のどうする家康でのネタバレは?

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家康(松本潤)の大筒による攻撃で難攻不落の大坂城は崩壊。茶々(北川景子)の妹・初と阿茶(松本若菜)が話し合い、秀頼(作間龍斗)が大坂に留まることと引き換えに、城の堀を埋めることで和議が成立する。だが乱世を望む荒武者たちは全国から大坂城に集まり続け、豊臣を滅ぼすまで平穏は訪れないと、家康は再び大坂城に兵を進める。そんな中、初と江(マイコ)は、姉・茶々を止められるのは家康だけだと訴える。

引用元:公式サイト

「大坂冬の陣」で徳川軍が撃ち込んだ砲弾に恐れをなした豊臣方は戦意を喪失。

すると家康は即座に和議の使者として阿茶局(松本若菜)を送り、豊臣方は茶々の妹・初(鈴木杏)が交渉し、和睦が成立することになります。

条件としては、秀頼と茶々の身の安全と本領安堵を引き換えに、大坂城の本丸を残して二の丸などは破壊して、堀を埋めてしまう事。

これにより、難攻不落と言われた大坂城は、籠城という最強の武器を失ってしまいます。

その後家康は、京で浪人たちが放火や狼藉を働いているという理由をつけて、家康は秀頼に国替えを通告!

しかし秀頼(作間龍斗)はこれを拒否し、世に言う「大坂夏の陣」が勃発することになるのです。

家康は20万の大軍を率いて大坂城を包囲すると、堀を失い丸裸となった大坂城にもはや勝ち目はありません。

真田信繁(日向亘)ら名だたる武将が討ち死にし、茶々と秀頼は豊臣家の命運が尽きたことを悟ります。

千姫(原菜乃華)は二人と運命を共にする覚悟でしたが、大坂城を脱出して、父・徳川秀忠(森崎ウィン)に引き渡されました。

そして千姫の助命嘆願もむなしく、燃え盛る大坂城で茶々と秀頼は自害!

こうして豊臣家は滅ぼされて、徳川方は勝利することになるのでした。

大阪夏の陣で家康の死亡説とは?

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大坂夏の陣にて豊臣方に勝利した家康。

それから間もなく75歳で病死したとされているのですが・・・

実は、大坂の陣で既に家康が死んでいた??という驚きの説があるんです!

大坂夏の陣では、家康の命を狙った人物がいました。

それは真田信繫です。

真田の3000の兵が捨て身で徳川本陣に攻め込み、家康もあわやの危機に直面しました。

本陣の馬印は倒され家康の陣は大混乱となります。

一時は自刃も覚悟した家康でしたが、体制を立て直して反撃し真田隊は敗走し、真田信繫も討ち死にしました。

これが通説で、家康は生き延びたとされているのですが、もう一つの逸話が豊臣方の武将・後藤又兵衛(ごとうまたべえ)に討ち取られたという説です。

後藤又兵衛とは、黒田長政に仕えた武将で、黒田家から出奔した後に大坂の陣に参戦しました。

又兵衛は、大坂の陣に参戦した家康が命からがら棺の中に隠れて逃げ出そうとしたのを怪しんだそう。

棺を槍で一突き、二つ突きした結果、中にいた家康は絶命。

その棺に入った遺体は大坂の南宗寺に祀られたため、今でも南宗寺には家康の墓があるんです。

南宗寺に伝わるこの家康死亡説によると、家康の死は世の混乱を招くと伏せられて、影武者を立てて一年後に死んだことにしたそう。

しかし明確な根拠がないため、あくまでも創作の域にすぎません。

1616年4月17日に駿府城で病にて亡くなったというのが通説のようですね。

 

まとめ

どうする家康 最終回ネタバレ結末!大阪夏の陣の茶々の死と家康の最期

今回は「どうする家康」大坂夏の陣での家康の年齢や死亡説についてご紹介しました。

大坂夏の陣で73歳だった家康は、生き延びてそれからほどなくして病にて亡くなったとされたのが通説です。

しかし実は大坂夏の陣で後藤又兵衛によって殺されてていた!という説もあるんですよね。

あくまでも逸話で、信ぴょう性は薄いようですが(;^_^A

「どうする家康」では、大坂夏の陣で死亡という展開は無いと思うので、最終回で大往生する家康の姿が描かれると思いますよ!

 

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