千姫の死因と最後とは?どうする家康のネタバレも

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NHK大河ドラマ「どうする家康」徳川家康の孫の千姫が登場します。千姫は豊臣秀頼に嫁ぎますが、どのような最後どんな状況で死亡するのか?死因など気になる方も多いと思います。今回は千姫の生涯をまとめて紹介し、最後と死因についてもまとめました。

目次

千姫とは?家康の孫で豊臣秀頼に7歳で嫁ぐ!

関ヶ原の戦いの戦死武将まとめ!西軍と東軍は誰が死んだ?

秀忠と正室・江の長女。家康にとっては目に入れても痛くない最愛の孫娘。

太閤秀吉の遺志に従い、7歳で秀吉の嫡男・秀頼に嫁ぐ。

徳川と豊臣の懸け橋としての重責を負うことに。

引用元:公式サイト

11月19日放送の第44回から、徳川家康の孫娘の千姫が登場します。

演じるのは若手注目女優の原菜乃華さんです。

成長した千姫を演じるので、最初は子役の女の子が登場する可能性が高そうですね。

千姫は、徳川秀忠と江(ごう)の娘で、7歳にして豊臣家と徳川家の関係を強めるために、輿入れをすることになります。

夫となるのは豊臣秀頼です。演じるのは作間龍斗さん!

ちなみに千姫と豊臣秀頼は、実はいとこ同士です。

千姫の母親の「江」と、秀頼の母親の「茶々」が姉妹ですからね。

「どうする家康」で茶々を演じるのは、お市の方に続いての登板となった北川景子さん。

そして「江」を演じるのはマイコさんで、第44回からの登場となります。

「どうする家康」の後半戦から登場する千姫は、ストーリーにおけるかなり重要な人物となりそうです。

果たして、秀頼に嫁いだ先にはどのような運命が待ち受けているのでしょうか?

まずは史実での千姫の生涯・死因や最後についてご紹介します。

千姫の死因と最後とは?生涯まとめ

茶々の子供の鶴松と豊臣秀頼の最後と死因とは?衝撃の生涯まとめ!

秀頼との結婚

千姫は、徳川秀忠とその正室・江との間に生まれました。

7歳にして、いとこにあたる豊臣秀頼のもとに嫁ぎます。

結婚当初二人はまだ子供でしたが、成長後もその夫婦仲は良好だった言われていますね。

2人の間に子供は無かったものの、秀頼の側室が産んだ子を後に養子にしたなんてエピソードもあるそう。

秀頼の死

仲睦まじい千姫と秀頼でしたが、徳川と豊臣の対立が深まったことで、1615年大阪夏の陣にて、秀頼は自害して果てます。

千姫は秀頼とその母・茶々の助命嘆願を願ったものの、かないませんでした。

大坂城から助け出された千姫ですが、その後まもなく再婚の話が舞い込みました。

しかしそのとき一騒動が起こります。

千姫を助け出した坂崎直盛という武将が、千姫を奪おうと計画したのです。

「大阪城から千姫を助け出した者には、千姫を与えてもよい」

家康がそう命じたという噂があり、真に受けた坂崎が約束を反故にしたと行動に起こしたのでした。

結局、坂崎直盛は家臣によって殺されて、坂崎家はお取りつぶしになります。

本多忠刻との再婚

そんな騒動があったものの、千姫は無事に本多忠刻のもとに嫁ぐことに。

この忠刻とは、本多忠勝の孫にあたる男です。

一説には、大坂から江戸にもどる道中で護衛をした忠刻に千姫が一目惚れして嫁いだなんて話もあるそうですよ!

千姫は忠刻との間に、女子と男子をもうけますが、男子は3歳にして亡くなってしまい、さらに忠刻も結婚から10年後に亡くなってしまい、再び未亡人となってしまうんです。

これは亡き豊臣秀頼の呪いで祟りでは?と言われたことも有ったそう。

死因と最後とは

その後は本多家を出て、江戸に移り住み落飾して天樹院と名乗ります。このとき千姫はまだ30歳でした。

それからは弟の三代将軍・徳川家光のもとに身を寄せて、大奥の最高顧問のような立場にあり、幕府においても大きな影響を与える存在だったとも言われていますが、後半生の生涯・最期はあまり詳しく分かっていません。

江戸の吉田御殿なる屋敷に住む千姫が、毎夜のように通りがかる男を引っ張り込んでは乱行に及んでいる・・・なんて千姫のことを妬んだ噂も浮上しましたが、おそらく作り話です。

そして、1666年に70歳で亡くなったとされています。

死因は肺炎とも言われているそうです。

その亡骸は、江戸の傳通院に収められています。

そして以降では、原菜乃華さん演じる千姫について公式ガイドブックから千姫のネタバレ紹介します。

知りたくない方は閲覧ご注意ください。

千姫のどうする家康でのネタバレとは?

リーフデ号事件と徳川家康の史実とは?ウイリアムアダムスと出会いとその後とは?

家康(松本潤)は大坂城で、関ヶ原の戦勝報告を行う。茶々(北川景子)から秀頼と孫娘・千姫の婚姻を約束させられ、不満を隠せない。時は流れ、征夷大将軍となり江戸に幕府を開いた家康。ウィリアム・アダムス(村雨辰剛)らと国づくりに励むが、秀忠(森崎ウィン)の頼りなさが不安の種。そんな中、忠勝(山田裕貴)が老齢を理由に隠居を申し出る。一方、大坂では大野治長(玉山鉄二)が茶々の下に戻り、反撃の機会を伺っていた。

引用元:公式サイト

関ヶ原の戦いが終わり、徳川家康(松本潤)は茶々(北川景子)と幼い秀頼と対面することになります。

すると茶々は秀吉(ムロツヨシ)の遺言に従い、徳川秀忠(森崎ウィン)と江(マイコ)の娘の千姫と秀頼との婚礼を進めるように切り出します。

それから家康は、江戸に幕府を開き、征夷大将軍に任じられたのち、徳川の足元を盤石にしようと、茶々の申し出に従う形で、千姫と秀頼の婚姻も進めることにしました。

しかし、かわいい孫娘・千姫はまだ7歳。

当然、嫁ぐことを嫌がるのですが、家康は心を鬼にして徳川の姫としての心構えを説きした。

「何かあれば、このじじがすぐに駆け付けよう」

千姫はその言葉を受けて、秀頼のいる大坂に輿入れする決意をするのでした。

それから時が経ち、家康は秀忠に将軍職を譲り70歳となりますが、一方の秀頼は偉丈夫な若者に成長します。

千姫との間に子供は無いものの、夫婦仲はすこぶる良好の様子。

家康は秀頼と対面することになりますが、その若き立派な姿を見て危機感を覚えます。

「すずやかで様子のいい、秀吉じゃ・・・」

その後、家康は本多正信(松山ケンイチ)の助言もあり、豊臣家のある出来事をきっかけに取り潰しにかかります。

秀頼は父・秀吉の17回忌のために京の方広寺に大仏殿を建立しました。

そこに作られた鐘にはこう刻まれています。

「国家安康君臣豊楽」

家康の名前を分断して、豊臣を主君とする世を楽しむ、呪詛の言葉である。

そう豊臣家に指摘して、鐘のすりつぶしと大坂からの退去国替えを求めました。

しかし当然、茶々と秀頼、その側近の大野治長(玉山鉄二)は納得せずに、戦に突入することになります。

これが世に言う「大坂の陣」です。

豊臣側には真田信繫(日向亘)らが付いたものの、旧豊臣恩顧の大名たちはこぞって徳川方につき、戦は徳川方優位に進みます。

そして「大坂冬の陣」ののち、一時は和睦をした両者。

しかし徳川方は、大坂城の堀を埋めることを和睦の条件にしました。

丸裸の状態となった大坂城をすかさず攻めることにした家康!

これが「大阪夏の陣」で、真田信繁は「真田丸」という城を作り、徳川方と対峙しますが、豊臣方が盛り返すことは出来ませんでした。

信繫や名だたる武将たちは次々と討ち死に・・・

命運尽きた秀頼と茶々は覚悟を決め、千姫を大坂城から脱出させ、徳川に引き渡しました。

千姫は秀頼と茶々の助命嘆願をしますが、家康は聞き入れません。

「おじいさまは・・・鬼じゃ!!」

そして千姫の思いもむなしく、大阪城から火の手が上がります。

秀頼は一度も戦場に出ることなく、母の茶々と大野治長とともに自害して果てたのでした。

 

千姫の最後と死因まとめ

【どうする家康】最終回はいつ?何話まで放送?

今回は「どうする家康」に登場する千姫の最後と死因についてご紹介しました。

豊臣秀頼に嫁ぎ、家康に豊臣家が滅ぼされたのちは徳川に戻ってきた千姫。

後に本多忠勝の孫にあたる忠刻に嫁ぎますが、再び未亡人となり江戸にもどり70歳で生涯を終えたとされています。

原菜乃華さんが、千姫をどのように演じるのかとっても楽しみです。

「どうする家康」最終回まであとわずかですが、最期まで是非皆さんご期待ください(^^)/

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