千姫と秀頼の仲・関係とは?結婚から子供についても

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NHK大河ドラマ「どうする家康」成長した豊臣秀頼が登場!そして秀頼と結婚するのが家康の孫娘の千姫(せんひめ)で二人の関係・仲が気になりますね!今回は千姫と秀頼の仲・関係は良かったのか?結婚から子供についても史実からご紹介します。

目次

千姫と秀頼とは?

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NHK大河ドラマ「どうする家康」、2023年11月19日放送の第44回からは、成長した豊臣秀頼(とよとみひでより)が登場します。

そして秀頼に嫁いだのが、家康の孫娘の千姫(せんひめ)です。明かな政略結婚ですが、二人の関係性が気になるところ!今回は「どうする家康」千姫と秀頼の仲・関係とは?結婚から子供についても史実からご紹介します。

家康(松本潤)は大坂城で、関ヶ原の戦勝報告を行う。茶々(北川景子)から秀頼と孫娘・千姫の婚姻を約束させられ、不満を隠せない。時は流れ、征夷大将軍となり江戸に幕府を開いた家康。ウィリアム・アダムス(村雨辰剛)らと国づくりに励むが、秀忠(森崎ウィン)の頼りなさが不安の種。そんな中、忠勝(山田裕貴)が老齢を理由に隠居を申し出る。一方、大坂では大野治長(玉山鉄二)が茶々の下に戻り、反撃の機会を伺っていた。

引用元:公式サイト

豊臣秀頼とは?

まずは豊臣秀頼についてご紹介です。

秀吉亡きあと、豊臣家の復活の期待を背負う若きプリンス。二条城で成人した秀頼に対面した家康は、凛々しく聡明な彼の姿に、圧倒的な脅威を感じる。

引用元:https://www.nhk.or.jp/ieyasu/cast/toyotomihideyori.html

ムロツヨシさんが演じた豊臣秀吉と北川景子さん演じる茶々との間の子供です。

茶々とともに悲劇的な展開を迎えることになるプリンスです。

千姫とは?

そして千姫のご紹介です。

秀忠と正室・江の長女。家康にとっては目に入れても痛くない最愛の孫娘。太閤秀吉の遺志に従い、7歳で秀吉の嫡男・秀頼に嫁ぐ。徳川と豊臣の懸け橋としての重責を負うことに

引用元:公式サイト

家康が溺愛する孫娘。息子の秀忠と正室の江の長女です。

母親の江といえば、上野樹里さんが演じた大河ドラマ「江〜姫たちの戦国〜」の主人公ですね。

関ヶ原の戦いが終わり、江戸幕府を開くことになる家康。

豊臣家との関係性を保つために、秀吉の遺言にも従い、孫娘の千姫を豊臣秀頼の妻に差し出すことになるようです。

気になる成長した秀頼がついに今回から登場します。

演じるのは、主演の松本潤さんの後輩にあたる作間龍斗(さくまりゅうと)さんですね。

そして秀頼の妻となる家康の孫娘の千姫は原菜之華(はらなのか)さんが演じます。

政略結婚をした秀頼と千姫の今後の運命やいかに??

以降で、どうする家康の公式ガイドブックからネタバレ紹介します。

知りたくいない方は閲覧ご注意くださいね。

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ここからは史実の千姫と秀頼の仲がどうだったのかご紹介したいと思います。

千姫と秀頼の関係性はいとこ同士です。

それぞれの母親は、浅井長政とお市の方の娘で、世に言う浅井三姉妹ですね。

秀頼の母は・茶々こと淀殿、千姫の母は江(ごう)で、茶々の妹に当たります。

二人の結婚は、亡き秀吉が望んだことも有り、秀頼11歳、千姫7歳のときでした。

結婚当初二人はまだ子供(;^_^A

いとこ同士でもあったことで、仲は良好だったものの夫婦というよりは兄妹という感じに近かったのかもしれません。

それを象徴するかのように、2人の間に子供はありませんでした。

秀頼は側室の間には子供をもうけているようですからね・・・

秀頼と千姫が仲が良かったというエピソードを証明するものは少ないのですが、千姫が成人する「鬢削(びんそぎ)」という儀式の際に、秀頼は自ら千姫の黒髪を整えたなんて記録があるそうですよ!

仲が良かった秀頼と千姫ですが、大坂の陣では、千姫の嘆願もかなわず、秀頼は自害してしまいました。

ちなみに大河ドラマ「江」では、千姫と秀頼とは相思相愛で仲が良く、夫・秀頼を失った後、父・秀忠を恨み続ける・・・という展開でした。2人の関係性がかなり良かったというように描いていますね。

その後千姫は、大坂から江戸に戻されて、徳川譜代の本多忠刻(ほんだただとき)に嫁ぐことになります。

忠刻とは、あの本多忠勝の孫にあたる武将。

一説には、大坂から江戸にもどる道中で護衛をした忠刻に千姫が一目惚れして嫁いだなんて話もあるそうですよ。

千姫は忠刻との間に、女子と男子をもうけますが、男子は3歳にして亡くなってしまいます。

さらに忠刻も亡くなってしまい、再び未亡人となってしまった千姫。

その後は本多家を出て、江戸に移り住み落飾して天樹院と名乗ります。このときまだ30歳でした。

それからは弟の三代将軍・徳川家光のもとに身を寄せて、1666年に70歳で亡くなったとされています。

千姫の亡骸は、江戸の傳通院に収められたそうです。

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関ヶ原の戦いののち、家康(松本潤)は茶々(北川景子)と幼い秀頼と対面。

茶々は秀吉(ムロツヨシ)の遺言に従い、秀忠(森崎ウィン)と江(マイコ)の娘の千姫と秀頼との婚礼を進めるように切り出しました。

両家が手を取り合うことが何よりも大事と言う茶々ですが、その言葉とは裏腹に退出する家康に刃のような視線を向けます。

一方の家康もその真意を汲みとっており、今後の豊臣家の関係について頭を悩ますのでした。

そして1603年、家康が江戸に幕府を開き、征夷大将軍に任じられます。

さらに徳川の足元を盤石にせんと、秀吉の遺言に従い千姫と秀頼の婚姻も進めることに。

かわいい孫娘・千姫はまだ7歳。

嫁ぐことを嫌がりますが、家康は心を鬼にして徳川の姫としての心構えを説きます。

「何かあれば、このじじがすぐに駆け付けよう」

千姫はその言葉を受けて、秀頼のいる大坂に輿入れする決意をするのでした。

1605年、家康は将軍の座を譲り、徳川秀忠が二代将軍に就任します。

これが面白くないのは茶々でした。

明らかに天下を徳川家が受け継いでいくことを世に示した形になると、側近の大野治長(玉山鉄二)とともに激怒。

それから時が経ち、1611年。家康は古稀(70才)となり、秀頼は父に似ずに偉丈夫な若者に成長しました。

千姫との間に子供は無いものの、夫婦仲はすこぶる良好の様子。

そして家康は天皇の譲位を機に、秀頼を二条城に招き対面することに。

家康は秀頼を上座に据えて対面しようとしますが、秀頼は「大御所様はわが妻のおじい様」と家康を立てて、これまで顔を見せず無礼をしたことを深々と詫びたのです。

この二条城での会見で、世間の称賛を浴びた秀頼。

一方の家康は、恥知らずの無礼者と世間のそしりを受けてしまいます。

秀頼と茶々にまんまとしてやられた形になったのです。

阿茶局(松本若菜)が、秀頼をどう見たか?と尋ねると家康はこう答えます。

「涼やかで様子のいい、秀吉じゃ」

こうして家康は成長した豊臣秀頼に対して脅威を持ち始めたのでした。

そして1614年、秀頼が京都方広寺大仏再興に際して鋳造した鐘の文言にいちゃもんを付けます。

「国家安康」「君臣豊楽」

家康の名前が分断されている!

これは豊臣家が、徳川家をないがしろにしていることを意味する。

秀頼としては全くそんな意図は無かったのですが、家康のこの言いがかりをきっかけに、徳川と豊臣のバトルが勃発。

世に言う「大坂の陣」です。

豊臣側には真田信繫(日向亘)らが付いたものの、旧豊臣恩顧の大名たちはこぞって徳川方につき、戦は徳川方優位に進みます。

そして「大坂冬の陣」ののち、一時は和睦をした両者。

しかし徳川方は、大坂城の堀を埋めることを和睦の条件にしました。

丸裸の状態となった大坂城をすかさず攻めることにした家康!

真田信繁が「真田丸」という城を作り、徳川方と対峙しますが、豊臣方が盛り返すことは出来ず、信繫や名だたる武将たちは次々と討ち死に。

命運尽きた秀頼と茶々は覚悟を決め、千姫を大坂城から脱出させ、徳川に引き渡します。

千姫は秀頼と茶々の助命嘆願をしますが、家康は聞き入れませんでした。

「おじいさまは・・・鬼じゃ!!」

そして千姫の思いもむなしく、大阪城から火の手が上がります。

秀頼は一度も戦場に出ることなく、母の茶々と大野治長とともに自害して果てたのでした。

 

千姫と秀頼の仲・関係とはまとめ

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今回は「どうする家康」の千姫と豊臣秀頼との仲や関係性についてご紹介しました。

夫婦となった二人ですが、いとこ同士の関係です。

夫婦仲は良かったみたいですが、2人の間に子供はありませんでした。

秀頼亡きあとは、本多忠刻に嫁ぎ子供をもうけましたが、夫を早くに亡くし千姫は再び未亡人となりその生涯を終えています。

「どうする家康」では仲睦まじい千姫と秀頼の姿がおそらく見られるはず!

作間龍斗さん、原菜乃華さんの演技を期待したいと思います。

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