本多忠真の三方ヶ原の戦いの戦死の死因の史実とは?

2023年NHK大河ドラマ「どうする家康(どうするいえやす)」は物語も中盤に突入し、二週にわたって徳川家康と武田信玄との「三方ヶ原の戦い(みかたがはらのたたかい)」が描かれています!

5月14日放送の第18回「真・三方ヶ原合戦」では、その戦いの結末が描かれることになりますね。

前回ラストで松本潤さん演じる家康戦死・・・という悲しい知らせが届きましたが、皆さんご存じのように家康はちゃんと生きています。

その代わりに大事な家臣・武将が何人も死亡・討ち死にしてしまうんです((+_+))

その一人が、波岡一喜(なみおか かずき)さん演じる本多忠真(ほんだただざね)です。

昼間っから酒を飲んでいるちょっと困った武士として描かれており、山田裕貴さん演じる本多平八郎忠勝の叔父に当たる人物ですね!

今回は大河ドラマ「どうする家康」本多忠真の三方ヶ原の戦いでの戦死、死因の史実についてネタバレ紹介します。

目次

本多忠真が三方ヶ原合戦で死亡フラグ?

本多忠真とは?酔いどれサムライ!

三方ヶ原の戦いで家康の死亡・戦死はデマで実話?脱糞説についても

波岡一喜さん演じる本多忠真は、第1話から登場しています。

松平家のために代々身を捧げてきた本多家の武将で、山田裕貴さん演じる本多平八郎忠勝の叔父に当たる人物ですね。

忠勝に武芸を徹底的に叩き込んだ、槍の名将。

しかし無類の酒好きで、昼間から徳利かたてに酒を飲む酔いどれサムライなんですよね(;^_^A

しかしいざ戦場に出れば、鮮やかに槍をふるい忠勝を補佐してくれています!!

本多忠真が三方ヶ原合戦で死亡フラグ?

信玄(阿部寛)は徳川の拠点を次々に制圧。打つ手のない家康(松本潤)は、信長(岡田准一)の本軍が加勢にくるまで浜松城に籠城すると決める。だが、浜松に攻め寄せてきた武田本軍は、なんと浜松城を素通りし、西へ向かおうとする。このまま武田軍を通せば、遠江の民から見限られ、信長の逆鱗に触れる。何より、瀬名(有村架純)ら家族のいる岡崎城が危ない。打って出るべきか、籠城を続けるか――。家康は究極の選択を迫られる!

引用元:公式サイト

第17回では忠勝とともに「三方ヶ原の戦い」の前哨戦でもある「一言坂の戦い」で奮闘します。

合戦シーンはありませんでしたが、顔中血だらけになって戻ってくる二人の姿が描かれていましたね。

忠真が戦の中で酒を飲んでいるシーンもありましたが、これは演じる波岡一喜さんの希望で追加されたらしいですよ!

そして波岡一喜さんの公式インスタには、山田裕貴さんとのモノクロのツーショット写真が載っていました。

この投稿をInstagramで見る

波岡一喜(@kazuki_namioka)がシェアした投稿

この叔父と甥についに別れがやってくる?

第18回の「真・三方ヶ原合戦」で待ち受ける本多忠真の最期とは?

以降で以降で気になる第18話のストーリーをネタバレ紹介したいと思います。

本多忠真は三方ヶ原の戦いで殿(しんがり)を務めて戦死のネタバレ

亀姫役は當真あみ!どうする家康で家康の娘役の大人キャスト

金荼美具足の遺体が信玄(阿部寛)のもとに届けられると、家康(松本潤)討ち死にの知らせは全国に広まった。瀬名(有村架純)は動転しつつも、籠城戦への備えを家中に伝え、信長(岡田准一)は武田との決戦を覚悟する。勝頼(眞栄田郷敦)たちは浜松城に攻め込むが、酒井忠次(大森南朋)の機転で徳川軍は難を逃れた。浜松を後にして西に兵を進めた信玄だが、体の異変に襲われていた。そんな中、徳川家臣団の前にある男が現れる。

引用元:公式サイト

死んだと思われていた徳川家康ですが、実は生きていました!!

本多平八郎忠勝(山田裕貴)と榊原子平太(杉野遥亮)、鳥居彦左衛門(音尾琢真)に守られながら、三方ヶ原近辺の集落に潜伏していたのです。

周囲には敵兵がうようよしており、逃げられる状態ではありません。

そこに、浜松城を守っていたはずの夏目広次(甲本雅裕)がたいまつを持って現れ、金荼美具足を脱ぐように促します。

そう、夏目は自ら身代わりになって、家康を逃がそうとしたのです。

嫌がる家康ですが、夏目は説得します。

「殿、殿が死ななければ徳川は滅びません。殿はきっと大丈夫・・・」

そう言って夏目は金荼美具足をまとって敵兵のする方へ駆け出していくのです。

第17回ラストの遺体は家康じゃなく、夏目広次だったんですね((+_+))

夏目広次【吉信】三方ヶ原の戦いで家康の身代わりで戦死の史実とは?

そして本多忠真は、三方ヶ原の戦いで敗れた徳川兵たちを守るために最後尾を守る殿(しんがり)をかって出ました。

甥の本多平八郎忠勝にこう言葉を残します。

「殿を守れ、平八郎!!」

忠真はぼろぼろの旗指物を地面に突き刺して、ここからは一歩も通さんとばかりに武田の兵に向かいます。

愚直で頑固、勇猛かつ忠義の三河武士として、壮絶な討ち死にを遂げたのでした。

本多忠真、夏目広次という二人の重臣を失った家康は懸命に泣き止もうとするも、涙は泉のように止まりません。

「わしは、皆に生かされた、決してむだにはせぬ!」

二人の家臣によって生かされた家康ですが、一方の武田は急に甲斐に引き返してしまいました。

なんと武田信玄(阿部寛)は病で死んでしまったのです。

本多忠真の三方ヶ原の戦いの戦死の死因の史実とは?

武田勝頼の死因や最後とは?強すぎる大将は実話?

第18回で壮絶な最期を遂げる波岡一喜さん演じる本多忠真!!

以降で史実の本多忠真という武将についても少しご紹介します。

本多忠真(ほんだただざね)は、本多忠豊(ほんだただとよ)の次男として諸説ありますが、1931年に三河にて誕生しました。

1545年「第二次安城合戦」において、父・忠豊が討ち死にし、1549年の「第四次安城合戦」では、兄・本多忠高(ほんだただたか)が討ち死にしてしまいます。

その忠真は、兄の息子でまだ幼かった本多平八郎忠勝を本多家の当主とし、その後見役を務めたのです。

忠勝に徹底的に武芸を叩き込み、天下無双の武将に育て上げた忠真。

二人の関係は父と息子の関係のようであり、生涯にわたり主君である徳川家康に尽くしていくことになります。

そして1572年、徳川と武田の大戦である「三方ヶ原の戦い」!!

徳川軍が大敗すると、忠真は追撃してきた武田軍から主君・家康を守るために殿(しんがり)を務めて、武田軍に追撃して壮絶な最期を迎えました。

「ここからあとへは、一歩も引かぬ」と言い、刀一本で敵陣に切り込んでいったという逸話が残されています。

享年は、誕生年が諸説あるため、40歳前後です。

それから時を経て、1891年明治の時代。

忠真の子孫にあたる、本田子爵によって「本多肥後守忠真の碑」が建てられます。

今回「どうする家康」で本多忠真を演じた波岡一喜さんも、実際にその石碑を訪れたそうですよ。

本多忠真の三方ヶ原の戦いの戦死の死因の史実まとめ

本多忠勝の死因と最後は?どうする家康の【平八郎】

今回は「どうする家康」本多忠真の三方ヶ原の戦いでの戦死の史実について紹介しました。

波岡一喜さん演じる本多忠真は殿を務めて壮絶な最期を迎えました。

史実での本多忠真も、主君・家康を守るために武田軍に切り込んでいき40歳前後で亡くなったとされています。

第18回では、本多忠真以外にも甲本雅裕さん演じる夏目広次も亡くなってしまうので、涙無しでは見れないストーリーになりそう((+_+))

5月14日放送の「どうする家康」での三方ヶ原の戦いを是非皆さんお見逃しなく!!

よかったらシェアしてね!
目次
閉じる