本多正信と徳川家康の関係・史実は?三河一向一揆で裏切り?

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2023年1月から始まったNHK大河ドラマ「どうする家康(どうするいえやす)」は、誰もが知る徳川家康(とくがわいえやす)のちょっと頼りない若き頃の姿から描いている歴史物語です。

続々と歴史上の有名人物が登場し、先週は北川景子さん演じる信長の妹・お市(おいち)の方も登場し大いに盛り上がりましたね。

そんな「どうする家康」ですが、2月5日放送の第5回からは、松山ケンイチさん演じる本多正信(ほんだまさのぶ)が登場!

徳川家臣団の中でも嫌われ者で、なんと家康を裏切っちゃう?

個人的には、家康の晩年までを支えた有能な家臣というイメージだったのですが果たしてその真相とは!!

今回は大河ドラマ「どうする家康」の本多正信と徳川家康の関係・史実についてご紹介していきます。

目次

本多正信は徳川家臣団の嫌われ者?【どうする家康

徳川家康とお市の方の関係は結婚の可能性もあったって本当?

本多正信とは?

松山ケンイチさんが演じる本多正信は、父の代から松平家に仕える直臣です。

正信の父親ははじめは酒井家に仕え、のちに松平家の直臣となる。正信も松平家に仕えるが、口ばかりでいい加減な行動が多いため、家臣団の間ではその存在が煙たがれている。実際は知恵者で家康の妻子を今川家から奪う奇策を家康に授けるなど、常識にとらわれない発想の持ち主。

「三河一向一揆」混乱の折に三河を出奔する。のちに帰参を果たし、やがて家康の参謀として活躍する。

引用元:どうする家康・ガイドブック

大河ドラマ「平清盛」で主演を務めた松山ケンイチさんが家臣役とは、本当に豪華すぎですね。

そんな正信は口ばかりでいい加減な言動が多いため、家臣団の中でもその存在が煙たがられているも、実際はかなりの千恵者!

常識にとらわれない発想の持ち主で、徳川家康を最後までしっかりと支えていくんです。

本多正信と本多忠勝は親戚??

ちなみにすでに第1回から登場し、カッコイイと話題の山田裕貴さん演じる本多忠勝!!

苗字が同じなので、親戚では?と思う方もいるかもしれませんが、近しい関係ではありません。

もとをたどると同じ先祖に行き着くようですがね(;^_^A

同じ「本多」でも、忠勝と正信はかなり異なるキャラのようです。

そんな徳川家臣団の中でも嫌われ者で、イカサマ師?と呼ばれる本多正信について、以降でNHK公式ガイドブックからネタバレ紹介します!

知りたくない方は閲覧ご注意くださいね。

本多正信と徳川家康の関係のネタバレ!三河一向一揆で裏切って追放される?

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松山ケンイチさん演じる本多正信は、第5回「瀬名奪還作戦」から登場します!

今川を見限った松平元康(松本潤)は、駿府にいる妻・瀬名(有村架純)と子供たちを助け出すすべを思案。

そこに家臣団の一人・大久保忠世(小手伸也)が、「誰もが考えないような奇策を思いつく者がいる」と言いにくそうに切り出しました。

その男の名前は「本多正信」!

しかし、重臣たちは「ならぬ、ならぬ」と一斉に異を唱えるのです。

「あれはイカサマ師じゃ」

「わっぱの頃から悪知恵の働くやつで」

などひどい言われよう笑

三河武士の恥とまで言われた本多正信ですが、今は任を解かれて鳥の世話をしているという。

しかし興味を抱いた元康は、正信に会いに行きました。

すると正信は、瀬名と子供たちを助けてみせると豪語。

「お方様とお子様方を、こっそり駿府から盗み出すのです」

その方法は、忍びの服部党に銭を与えて、駿府に送り込むというもの。

頭の服部半蔵(山田孝之)を中心に動こうとしますが、半蔵は今や形ばかりで百姓も同様。

配下の伊賀者も、チリジリバラバラで・・・やはり「イカサマ師なのでは?」と元康は不安になりますが、その作戦は実行に移されました。

瀬名たちのいる駿府の関口家に忍び込んだ半蔵たち。

事前に助けがくることを文で知っていた瀬名でしたが、なんと計画は瀬名の母・巴(真矢みき)が、お田鶴(関水渚)に口を滑らせたことで今川に知られてしまいます。

なんとこの正信の計画は失敗に終わってしまうのです(・_・;)

その後、今川方の鵜殿の息子を生け捕りにして、瀬名と子供たちを交換するという策を提案した正信。

石川数正(松重豊)が談判に赴き、無事に瀬名たちは人質交換という形で、見事に元康のもとに帰ってこれることになるのです。

という事で、失敗したものの瀬名奪還に一役買った本多正信ですが、実はそれからは元康を苦しめることになります。

第7回では、三河にて一向一揆が巻き起こり、その門徒たちの反乱に頭を悩ませる元康。

寺の中に戦を指示する軍師がいるのでは?

なんとその軍師の正体が、本多正信でした。

元康は一向宗の住職との間でなんとか和睦を結び、一向一揆は何とか収まることに。

そして正信と元康は対面します。

弁明しない正信に元康が問うと「過ちを犯したのは殿だから」と正信は答えました。

「民が仏にすがるのは、現世が辛いから。自らの役目も果たさず民から救いの場を奪うとは何事か!」

憤怒の形相にてりつける正信に、元康は詫びたうえで、正信に三河からの永久追放を申し付けるのでした。

という事で、本多正信は家康を裏切って追放されてしまうんです(;^_^A

しかし史実通りであれば、再び徳川家臣に戻ってきますのでご安心ください!

以降で気になる史実の本多正信についてご紹介します。

本多正信と徳川家康の関係・史実は?裏切り続けたのに良好?

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本多正信、通称「佐渡守」は三河に生まれて徳川家の前身、松平家から仕えた家臣です。

しかし1563年三河一向一揆にて、一向宗側に立って家康と袂を分かつことに。

一揆平定後、正信は三河から追放され、浪人となってからは京に行き松永久秀と交流もあったなんて噂もあるようです。

浪人時代の詳しい資料はあまり無いようですが、1570年「姉川の戦い」当たりで再び家康のもとに仕え始めたと言われています。

以降は徳川家康の参謀として数々の戦に参加していくことになります。

そして1600年関ヶ原の戦いでは、家康ではなく息子の秀忠の参謀として上田合戦に参加した正信。

しかし、上田城を守る真田昌幸に惨敗してしまい、秀忠は関ヶ原の戦いに遅参してしまうことになります。

正信にとっては、三河一向一揆に次ぐ二度目の失敗?かもしれませんが、家康の正信への信頼は揺るぐことなく、その後江戸幕府を開いたのちも正信は幕府運営の一手を任されました。

家康の晩年において、正信は一番の側近となったと言われていますが、その石高は2万石ほど。

本人が固辞したとも言われていますが、武功より行政面に優れた正信は、戦国時代においてそこまで石高を得ることが出来なかったのかもしれません。

そして豊臣家が滅亡したのちの1616年に家康が亡くなります。

後を追うように、本多正信も亡くなったとされます。享年79歳。

京都の本願寺にその亡骸は祀られているという説もありますが、正確な情報は分かりませんでした。

 

本多正信と徳川家康の関係・史実まとめ

瀬名姫の死因と最後の史実が衝撃!【どうする家康】

今回は「どうする家康」で松山ケンイチさんが演じる本多正信について紹介しました。

若いころに三河一向一揆が原因で徳川家康のもとを離れるも、のちに徳川に戻り参謀として活躍した本多正信!

家康と秀忠二代に仕えているので、その関係性はかなり良好だったのでしょう。

一度裏切った正信を再度召し抱える家康にも脱帽ですが、それだけ正信が有能な人物だったんでしょうね。

これまでも大河ドラマの家康ものには必ずと言っても登場する本多正信ですが、今回は若い頃の正信がえがかれるのはちょっと新鮮です。

松山ケンイチさん演じる一癖ある正信役を期待したいと思います(^^♪

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