於大の方の死因と最後とは?家康の母の史実は?

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2023年NHK大河ドラマ「どうする家康(どうするいえやす)」が好評です!

これまで2回放送されましたが、2話の視聴率も15%を維持するなど、松本潤さんが家康を演じることでもかなり注目を集めていますね。

この作品は、ちょっと頼りない徳川家康が天下人になるまでの「どうする?」の場面を描いていく歴史物語。

妻役に有村架純さん、信長役に岡田准一さんなどキャストもかなり豪華です。

そして家康の母・於大の方(おだいのかた)を演じるのは松嶋菜々子さんです。

かつて大河ドラマ「利家とまつ」で主人公を務め、今回は主人公の母親役ってすごいですよね~。

そんな松嶋菜々子さん演じる於大の方の史実について、気になる方も多いのでは?

於大の方は本当に息子の家康と離れ離れに暮らし、再会したのか?また最期や死因とは??

今回は「どうする家康」の家康の母・於大の方の史実、死因や最後についてまでご紹介します!

目次

於大の方は家康の母親!干支違いの寅が話題?

瀬名姫の死因と最後の史実が衝撃!【どうする家康】

松嶋菜々子さん演じる於大の方は、主人公・徳川家康(松本潤)の強くて少しはじけたところもある母親です!

尾張の緒川城主・水野忠政の娘としてうまれたのち、岡崎城主・松平広忠に嫁ぎました。

そこでのちの家康となる竹千代を産むことになります。

しかし、父・忠政の跡を継いだ兄の水野信元(寺島進)が、松平家と今川家と絶縁して敵方の織田に付いたがために、於大は離縁されてしまいます。

その後、知多郡・阿久井城主・久松長家(リリーフランキー)と再婚し、3男3女をもうけました。

そして家康が独立したのち、夫と共に家康のもとに馳せ参じ、以後は家康と妻・瀬名(有村架純)の良き相談相手になるという役どころです!

第二回から登場し、家康の出産シーンが描かれ、生まれた我が子を「寅の化身だ!」なんていうシーンが印象的でした。

「なにせ、寅の年、寅の日、寅の刻に生まれましたゆえ」

1542年(天文11年)、12月26日、寅の刻(午前4時前後)に生まれたから、寅のように強い子供になるはず!!

しかし本当は、年をまたいで「卯の年(うさぎ年)」だったようですが(;^_^A

これは「三寅の福」と呼ばれており、実際に徳川家康の伝説として語られていますが、諸説あるようで寅年生まれの信憑性は薄いのかも??

そんな於大の方ですが、第3回放送でついに成長した家康と再会を果たすようですね。

そして於大の方は最後どうなって、その気になる死因とは?

以降で、NHK公式ガイドブックからその後の於大の方についてご紹介します。

知りたくない方は閲覧ご注意くださいね。

於大の方の死因と最後とは?どうする家康ではどこまで描かれる?

今川氏真と徳川家康の仲は仲良し?関係はどうだった?

第3回では、妻子がいる駿府に戻るか、本領である岡崎に戻るか迷っている家康のもとに、母・於大が姿を見せます。

立派になった息子を見て喜びをあらわにする於大。

しかし於大は、駿府の今川と手を切り、岡崎に戻るように冷たく言い放つのでした。

「私が今川を裏切れば、妻と子はどうなるか!!」

「それがなんだというのです!つまらぬことです」

於大は主君たるもの、家臣と国のためならば、己の妻や子ごとき、平気で打ち捨てろとまで言ってのけます。

この母の強い言葉を受けて、岡崎に戻る決意をする家康なのでした。

そして第5回では、岡崎に戻った家康のもとに於大が、夫の久松長家康と6人の子供たちを連れて引っ越してきます。

「元康(家康)殿、思う存分、今川領を切り取りなされ!我が夫も大いに働きますぞ!」

こうして母・於大は、家康と共に三河で暮らすことになりました。

のちに駿府から瀬名と子供達も戻ってきて、於大の方は瀬名とも仲良くやっていき、良き相談相手になっていくんです。

第10回では、家康と瀬名の間にその後の子供がなかなか生まれず、「子をポンポン産む側室を置け」なんておせっかいをするシーンもあるようです(;^_^A

その後、家康は三河一向一揆、金ヶ崎の戦い、そして武田信玄(阿部寛)との三方ヶ原の戦いなど様々な戦に挑んでいきます。

公式ガイドブックでは、第19回までストーリーが書かれていますが、於大の方はまだ健在です!

実は、かなり長生きで関ヶ原の戦い以後も生きているんですよね。

「どうする家康」では、まだ徳川家康の生涯のどこまで描くのか分かりませんが、関ヶ原以降の江戸幕府時代も描けば、於大の方の死のシーンもあるかも?

以降で、史実の於大の方について詳しくご紹介したいと思います。

於大の方の死因と最後とは?家康の母の史実は?

享禄元年(1528年)に、、四代緒川城主の父水野忠政と母於富の方の間に生まれた於大の方。この頃は、東に駿河守護の今川氏、北に尾張守護の斯波氏と織田氏が勢力を伸ばしていた時代でした。

天文10年(1541年)には、岡崎城主の松平広忠と政略結婚をします。

駿河の今川と手を結んだ松平家と、尾張の織田と結んだ水野氏の一時的な和睦の意図が強かったと言われています。

その翌年には、嫡男の竹千代(家康)が誕生しました。

しかし間もなく今川と織田の対立が深まり、広忠は今川への配慮から於大の方と離縁。

わずか3歳の家康を残して、於大の方は実家に戻ることになってしまったのです。

数年後、尾張阿久比城主・久松長家と再婚して3男3女を産んだ於大の方ですが、家康のことを忘れることはなく強い親子の絆があったと言われています

家康への連絡が途絶えることはなく、心のこもった慰問の品を送り続けたことで、少年期の家康の心の支えとなったそうです。

そして永禄3年(1560年)に16年の時を経て、息子の家康と再会を果たしました。

2人は取り合い喜んだと伝えられています。

以後、於大の方は家康のもとで暮らすようになります。

さらに時がたち、江戸幕府を開いた家康の勧めで於大の方は、ときの天皇にも拝謁したと言われています。

その直後に病がもとで、慶長7年(1602年)8月、京の伏見城で亡くなりました。

それは関ヶ原の合戦で家康が勝利し天下の実権を握った2年後のことでした。

享年75歳。

愛する息子の成功を見届けてからの死だったんですね。

お墓は東京小石川の伝通院にあるそうですよ。

 

於大の方の死因と最後まとめ

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今回は「どうする家康」で松嶋菜々子さん演じる家康の母・於大の方についてご紹介しました。

於大の方は政略結婚により家康を産むものの、その後離縁されてしまい、幼いころは家康と離れ離れで暮らしていました。

その後成長した家康と再会し、江戸幕府を開くまで長生きして、病によって亡くなったとされています。

今回「どうする家康」では、最終回に近いころまで松嶋菜々子さんは登場するのでは?と個人的には予想しています。

これまでも大河ドラマでは、山田五十鈴さん、大竹しのぶさん、栗原小巻さん、最近では「麒麟がくる」で松本若菜さんなども於大の方を演じていましたね。

松嶋菜々子さん演じる於大の方にも是非皆さんご期待ください!

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