本多忠勝と徳川家康との関係や仲は?最強武将の史実!

NHK大河ドラマ「どうする家康(どうする・いえやす)」が2023年1月ついにスタートしました。

主人公は、江戸幕府を開いた徳川家康(とくがわいえやす)で松本潤さんが演じます!

この作品、徳川家康が乱世を終わらせるまでの姿を描く奇跡の物語となっています。

1月8日放送の第1回では、まだ幼くて頼りない家康の姿が描かれましたが(^^;)

かっこいいと話題になったのは、のちに徳川四天王となる家臣・山田裕貴さんが演じる本多忠勝(ほんだただかつ)です!

蜻蛉切(とんぼぎり)という槍を手に数々の戦に臨んだ戦国最強?と言われる人気武将。

「どうする家康」では家康のことを呆れている様子でしたが、史実の関係や仲はどうだったのでしょうか?

今回は大河ドラマ「どうする家康」で山田裕貴さんが演じる本多忠勝についてご紹介していきます!

目次

本多忠勝とは?どうする家康で演じる山田裕貴がかっこいいと話題!

桶狭間の戦い徳川家康の動き・寝返りの史実とは?

大河ドラマ「どうする家康」の主人公は、皆さんご存知の江戸幕府を開いた徳川家康です。

そんな家康も若い頃は臆病で泣き虫だった?

そんな若き日の家康から描いているのが「どうする家康」です。

第1話では、桶狭間の戦いで今川義元が死んだと聞いて家康は逃げ出してしまいました(^^;)

そんな家康をみつけだしたのが、家臣の本多忠勝です!

通称は平八郎と呼ばれています。

家康こと松平元康の松平家の譜代家臣に生まれた忠勝は、桶狭間の戦いで初陣を果たしました。

その後も家康の数々の戦いに参加して、数多くの武功を立て、槍の名手と言われた男。

織田信長や武田信玄にも称賛された猛将なんです!

男気があり、義を重んじ、筋の通らないことは大嫌いな性格。

一方で女性に対して奥手な一面もあるという役どころのようです(;^_^A

そんな忠勝は、時として弱気になる家康を遠慮なく諫めていくことになるんです。

第1話ではちょっと生意気な感じで描かれていましたが、演じる山田裕貴さんがかっこいいとTwitterでも話題でしたね!

そんな山田裕貴さん演じる本多平八郎忠勝の第1話のシーン、そして気になる1月15日放送の第2話の登場シーンも以降でご紹介します!

本多忠勝が徳川家康を怒る!?登場シーンのネタバレは?

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第1話で描かれた「桶狭間の戦い」のシーン。

山田裕貴さん演じる本多平八郎忠勝は、この戦いが初陣でこのとき13歳という設定です!

長い槍を持って「本多平八郎忠勝!こたび初陣を務めさせてござりまする」と登場するシーンはかっこよかったですね。

そして、桶狭間の戦いは、織田信長(岡田准一)軍に奇襲を受けた今川義元(野村萬斎)が死んでしまいます。

家康こと松平元康(松本潤)は、そのショックと恐怖から守っていた大高城から逃げ出してしまうんです(・_・;)

近くの海をさまよい歩いている元康。

するとそこに馬に乗った忠勝がやってきて、長槍を元康に投げつけました。

倒れこむ元康と忠勝は、激しい格闘を繰り広げ、忠勝は元康の首元を掴み言います。

「お前三河もんか!!」

忠勝のその言葉に「主君と知っての狼藉か!」と迫る元康。

すると忠勝は大声を上げます。

「恥ずかしくないのか!!主君などと俺は認めぬ・・・」

こうして忠勝によって、泥まみれの情けない姿で元康や城に連れ戻されることになりました。

そして気になる第2回では、家康こと元康が今川の領地駿府城に戻るか、織田に下って本領である三河の岡崎に戻るか大いに迷う姿が描かれます。

元康は駿府に戻ろうとする中、敵方のだまし討ちにあい大きな犠牲を出してしまうことに。

そして松平家の菩提寺に逃げ込み、亡き父の墓前で手を合わせて、ある決意をした元康。

それは自分の首を差し出して、家臣たちの命だけでも救ってもらおうというもの。

妻・瀬名(有村架純)と子供たちを思い涙を流し、腹に脇差を押し当てていると、そこに忠勝が現れました。

「俺でよければ介錯してやる」

しかし、忠勝の本心はいつの日か元康を主君と仰ぎ、自分の祖父や父のように主君を守って死ぬことだと言います。

そんな忠勝の思いを知り、再び涙を流し元康は「厭離穢土欣求浄土」の経を唱えました。

汚れたこの世を離れて、極楽浄土へ行けと言う浄土宗の教えです。

そして思い出したのは、幼いころの信長とのやり取り。

「地獄を生き抜け!そっしていつか俺がお前の国を奪い合い、食らってやる」

信長のそんな言葉に「竹千代(家康)がそなたを食らってやる」と強いまなざしで言い返す。

そんな過去を思い出した元康の目には、いつしか闘志が蘇っていました!

こうして元康は、三河の岡崎に戻りいかなる敵からも家臣たちを守って見せると決意するのでした。

という事で、第2回でも家康こと元康と本多平八郎忠勝との印象的なシーンが描かれるのでとっても期待がかかりますね(^^♪

それでは以降で、史実の本多忠勝についてもご紹介していきます!

本多忠勝と徳川家康との関係や仲の史実はどうだった?

徳川家康との関係の史実は?

徳川家康の家臣・本多忠勝は、戦国武将の中でも「最強武将」としてかなり人気の高い人物です。

その所以は、57回の戦いの中でもかすり傷一つ無かったということから!

「ただ勝つのみ」という願いから付けられた名前「忠勝」は、まさに名が体を表していますよね。

年齢は家康より4つ年下の忠勝。

「どうする家康」では家康を頼りなく思っているように描かれていましたが、史実では家康との関係性や仲は当初から良好なものだったように思います。

ちなみに、本多忠勝は、酒井忠次、榊原康政、井伊直政とともに「徳川四天王」とも呼ばれていることでも有名です!

桶狭間の戦いで初陣!

そんな本多忠勝は、松平家家臣・本多忠高のもとに生まれました。

しかし2歳の頃に父・忠高は戦死し、叔父の本多忠真のもとで育ち、桶狭間の戦いにて初陣を飾ります。

その後忠勝は印象的な兜を制作。

「鹿角脇立兜」と呼ばれて忠勝のトレードマークでもありますね!

今回、大河ドラマでフューチャーされることもあり、ゆかりの地の岡崎市ではこの兜をかたどったパフェが食べられるみたいですよ(;^_^A

そして忠勝と言えば「蜻蛉切(とんぼぎり)」という長い槍で戦ったことも知られています。

これは三河の一向一揆のあたりから使われていたようで、その長さは6m近くもあったと言われていますね。

その後も徳川家康の家臣として「姉川の戦い」「一言坂の戦い」「小牧長久手の戦い」などで大活躍!

織田信長や豊臣秀吉が家臣として求めるほどの有能な武将だったようです。

1600年の関ヶ原の高いまでで57回の戦に関わるも、無傷だったと言われている忠勝。

その領地は1590年に上総国大多喜10万石。

その後1601年に伊勢国桑名に領地替えされ10万石を有する大名となります。

本多忠勝の最後と死因は?

そんな無傷の猛将、本多忠勝も病には勝てず、1603年に眼病を患ってからは幕府で目立った活躍はせず後に隠居。

1610年に63歳で亡くなったとされています。

本多忠勝はこれまでも大河ドラマで数々の名優が演じていました。

「真田丸」では藤岡弘、さん。「おんな城主直虎」では高嶋政宏さんが演じていましたね。

どことなく体が大きな方が演じられているイメージですが、今回は細身な山田裕貴さんが演じるのは個人的には、ちょっと違うのでは?なんて思いました。

しかし、岡崎城にある資料館の情報によると忠勝は実は細身で、強く見えるように肖像画を8回書き直させたなんて逸話もあるそう。

もしかすると山田裕貴さんのイメージに本多忠勝はピッタリ?なのかもしれませんね(^^)/

本多忠勝と徳川家康との関係は?まとめ

瀬名姫の最後と死因の史実が衝撃!【どうする家康】

今回は「どうする家康」で山田裕貴さん演じる本多平八郎忠勝についてご紹介しました。

蜻蛉切という名槍をもち、生涯戦で傷を負わなかった逸話があるため戦国最強の異名を持ち、歴史ファンからも人気が高い本多忠勝!

これまでは体格のいい豪快な役者さんが忠勝を演じることが多かったですが、今回イケメンの山田裕貴さんが忠勝を演じるのがかなり新鮮です。

第1回の登場シーンもかなり好評だったので今後の様々な戦シーンも期待が高まりますね(^^♪

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