おちょやん寛治は戦死する?慰問から生きて帰ってくるのかネタバレ

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NHK朝ドラ「おちょやん」で前田旺志郎(まえだおうしろう)さん演じる松島寛治(まつしまかんじ)は、ヒロインの千代(杉咲花)と一平(成田凌))夫婦にとって本当の家族のような存在です(^-^)

実の我が子のように一平と千代は寛治(かんじ)を可愛がっていますが、世の中は戦争が激しくなり、みんな食べていくのもやっとの状況。

寛治は突然兵隊さんたちの慰問のため、満州に行くと言い出しました。

千代と一平は必死で止めますが、これから寛治は満州に行くことになります。

寛治がどうなるのか心配ですよね。。もしかして、戦死してしまう??

そこで今回は朝ドラ「おちょやん」の寛治が慰問で戦死してしまうのか??生きて戻ってくるのか、原作からネタバレしていきます。

また寛治のモデルと言われている藤山寛美も戦時中に慰問に行ったのか??についてもご紹介していきます。

さて、寛治は慰問から生きて帰ってくるのでしょうか?それともまさかの戦死???

目次

おちょやん寛治は戦死する?心配すぎる慰問のネタバレは?

おちょやん寛治は何歳役?年齢設定と千代との年齢差は?

松島寛治(まつしま かんじ)とは?:前田旺志郎(まえだおうしろう)

新派の劇団の座長の子だが、早くに父を亡くした。
大山鶴蔵社長の命令で鶴亀家庭劇に預けられ、千代と一平のもとで生活することになる。

引用元NHK公式サイト

公式の人物紹介に「早くに父を亡くし」とありますが、「おちょやん」では父を亡くしたため、家庭劇で預かることになりました。

楽屋で掃除をしていた寛治を見た家庭劇のみんなは、寛治を泥棒だと勘違いして大騒ぎ(^^;)

そこに熊田(西川忠志)が来て、父親を亡くしたため遠縁の親せきが引き取りに来る1か月後まで、鶴亀家庭劇で面倒をみてやってほしい、ということ。

一平は台本を書くときに気が散る、という理由でほかの劇団員に寛治を預かれないか聞いてみました。

天晴(渋谷天笑)は独身の一人暮らし、徳利(大塚宣幸)は子どもが5人!

それに貸家住まいなのでムリ、というルリ子(明日海りお)や、いつ彼氏がくるかわからないから・・・と言う香里(松本妃代)など、誰も寛治を引き取れる人はいません。

仕方なく(^^;)一平が引き取ることになりましたが、なぜか千代は大張り切り。

子どものいない千代は、子どもがいたらこんな感じ?と寛治を自分の子どものように面倒をみます。

ふたりは15歳くらい年が離れている設定です。実際には前田旺志郎さんが20歳、杉咲花さんが23歳で3歳しか違いません。

ちょっと親子というシチュエーションに違和感をお持ちかもしれませんが(^^;)、15歳違うとインプットしてください(笑)

いたずらもするしよく笑う寛治でしたが、時折ふっと怖い表情をすることもあり、千代は少し違和感を感じていました。

寛治が何をしても許し、かいがいしく世話を焼こうとする千代。何度も「お母ちゃんと呼び」と寛治に迫ります(笑)

そんなある日、鶴亀の大山社長(中村鴈治郎)から一平が預かったお金が紛失してしまいます。

探しても見つからず、大山社長に謝りに行く一平。

ところがそのお金は寛治が盗んだのです。一方的に自分を信用する千代に苛立ち、寛治は自分で千代に盗んだことを告げます。

千代は寛治を連れて大山社長に謝りに行きました。

大山社長は警察を呼ぶと言いますが、千代は寛治の世話をするのは大人の役目、と言い自分が寛治を更生させると断言。

でも寛治の心は閉じたまま。

寛治は母親のことは知らないで育ち、新派の座長だった父親からは、俳優としての才能がないので、裏方の仕事をさせれられていたのです。

父親から見放された、そう思った寛治は誰も信用せず固く心を閉ざしてしまいました。

千代も一平も親には苦労させられた子ども時代を過ごしてきました。

その話を寛治にして、自分たちは裏切らない、これからも一緒に暮らそう、そう言うとようやく寛治の心も開かれたようです。

それ以来寛治も家庭劇の一員として、俳優の仕事もするようになりました。

一平と千代、そして寛治は本当の親子のように暮らし始めます。

戦争が激しくなり慰問を決意する寛治

ところが戦争が激しくなり、大阪大空襲がありました。道頓堀も焼け野原となり、岡安は一部を除き焼失、福富楽器店は跡形もなくなってしまいました。

なんと福富楽器店の菊(いしのようこ)と福松(岡嶋秀昭)が空襲で帰らぬ人に・・・(>_<)

かろうじて被害に遭わなかった一平と千代の家に、みつえ(東野絢香)と息子の一福(歳内王太)も一緒に住むことになりました。

そんなとき、突然満州に行くと言い出した寛治。

前々から俳優仲間に誘われていたようですね。

食卓を見ればわかるように、本当に食料が不足していたこの時代。

一福は自分たちのせいで、寛治が家を出ていくのでは?と心配しましたが、寛治は逆だと言いました。

ふたりが来たから安心して満州に行ける、お給金がもらえるので仕送りもできる、と。

一平は戦況が厳しく、日本が負けると考えていて、そんなときに満州にいたら大変なことになる、と心配し満州行きを反対します。

でも寛治の気持ちは変わりませんでした。

 

 

寛治は満州へ・・・しかし音信不通に

松島寛治役は前田旺志郎!元人気子役のまえだまえだ

寛治(前田旺志郎)が満州に行くと告げてから数日後の早朝、ひとりで家を出ようとする寛治を千代(杉咲花)が待っていました。

毎月必ず仕送りすること。できなくなったらすぐに戻っておいで

千代は寛治の安否確認のため、毎月仕送りをするように言ったのです。

「仲間を見捨てても、必ず生きて帰ってきて」と千代は寛治を見送りました。

ですが寛治から仕送りがきたのは最初の1回だけで、千代と一平の心配は募ります・・・。

8月15日。日本が負けて終戦になりました。

一平は劇団のみんなを呼び戻し、焼けてしまった道頓堀を離れ、全国を廻ると宣言。

そして3年が経ちました。家庭劇は大八車を押しながら全国を廻っています。

ある日一平は大山社長に呼び出されました。

道頓堀に新えびす座が再建されたので、客寄せのため新しい劇団「鶴亀新喜劇」を立ち上げるというのです。

その新喜劇の座長をやらないか、というもの。

ですが家庭劇を見放された恨み(^^;)がある一平。そう簡単にイエスとは言いません。

こうして、千代たちは、戦後、あたらいい生活をスタートさせたのですが・・・3年たっても寛治は生きて戻ってきていません。

やはり・・・戦死してしまったと考えるのが自然ですよね・・・。

以降で、更にネタバレを紹介します。

おちょやん寛治は戦死する?慰問から生きて帰ってくるの??

それでは、いよいよ寛治の安否がわかります!

鶴亀新喜劇

考えた末、一平は座長を引き受けることにします。それは寛治のためでもありました。

もし寛治が満州から戻ってきたら、いつでも芝居ができるような場所を残しておくためです。

こうして一平が座長の「鶴亀新喜劇」が立ち上げられました。

劇団員も増え稽古が始まります。ある日稽古から帰った一平と千代。

するとそこには寛治が!(≧∇≦)

寛治は無事生きて帰ってきました!

寛治が生きて帰ってきた!驚きの真実とは?

寛治は仕送りもせず、連絡もしなかったことをふたりに詫びました。

そしてあのガラス玉を千代に渡します。

千代が小さなときに亡くなった母、サエ(三戸なつめ)の形見のガラス玉です。

千代はずっとお守り代わりとして大事に持っていました。

ところがある日ヤクザとなり、千代を逆恨みしていた弟のよしお(倉悠貴)が現れ、千代に嫌がらせをします。

千代と一平がその誤解をとき、よしおが帰っていくときに千代がよしおに渡しました。

きっと返しにくるんやで

そう言って渡したガラス玉を、寛治が持っていたのです。

寛治は満州で博打に負け、からまれていたところをよしおに助けられました。

よしおは日本が降伏することをいち早く知り、寛治に一刻も早く逃げるように促します。

でも寛治は千代との約束を破ったという負い目があります。

よしおは寛治にこう言いました。

姉やんなら心配いらん。アホやなぁと笑って許してくれる

そう言ってよしおは寛治にガラス玉を託し、逃げ遅れた女性を助けに戻り、そこで命を落としてしまいました(>_<)

寛治は満州で大変な思いをしながらも、ガラス玉を千代に渡すことを生きがいに、苦難を乗り越え帰国したのです。

よしおとの約束を守ってくれてありがとう、生きて帰ってきてくれてありがとう

千代はガラス玉を握りしめました。

ということで、寛治は無事に生きて帰ってきます(≧∇≦)

よしおが死んでしまうのはとても切ないですが・・・。

でも寛治が無事なのは嬉しいですね。

さて、その寛治が参加した慰問団とはどのようなものだったのでしょうか?

 

 

おちょやん寛治のモデルの藤山寛美も慰問団に参加したの??

おちょやん戦死するのは誰?召集令状のネタバレ

ここで寛治が参加した満州慰問団のご紹介です。

満州国は現在の中国の東北部にあり、1932年から1945年にかけて存在。1932年に日本軍が建国したのです。

ですが中国はこの建国を認めず日本と対立してしまいます。

日露戦争により、中国の領土であった満州の一部を支配することになった日本軍。日本軍はもっと領土を広げるため、満州事変を起こしました。

これにより日本軍は満州での占領地を拡大していき、日本は国際的に非難されるようになります。

それでも日本は満州を開拓するため、開拓団を広く募集し、多くの移住者たちが満州に移り住みました。

ですが1945年、終戦の直前にソ連軍が満州に侵攻し、満州国は消滅。ソ連が満州を支配しました。

こう見てもずっと戦闘が絶えなかった地域であったことがわかりますね。

史実では太平洋戦争に入る1941年ころから、日本軍の慰問が行われていて、その中には満州も含まれています。

慰問団は兵隊さんたちに歌や笑いなどで労をねぎらうもの。「わろてんか」では慰問団わろてんか隊という、芸人による慰問団が描かれました。

わろてんか隊のモデルは、芸人たちによる慰問団「わらわし隊」。こういった慰問団があり、寛治のモデル、藤山寛美さんも実際に慰問団の一員として1945年に満州に渡っています。

俳優なのでお芝居で兵隊さんたちを癒していたのだと思います。戦争に参加しないので安心、というわけではありません。戦闘の激しい地域に行くこともあるので、実際に笑わし隊でも慰問先で亡くなって芸人さんたちがいました。

日本の敗戦後の満州はソ連軍に占領され、住んでいた日本人たちは身の回りのものを売るなどして、なんとか食いつないでいたそうです。

収容所に入れられた日本人もたくさんいて、藤山寛美さんもその一人。

みなさん生きていくだけで精いっぱいのなか、過ごされていたそうです。

藤山寛美さんが帰国できたのは、1947年のこと。敗戦から2年後の秋のことでした。

満州では本当に大変な思いをされたそうで、命からがら帰国できたそうです。

帰国後は松竹新喜劇の顔として、長年松竹をけん引していく人物になりました。

まだ原作は途中なのでわかりませんが、おそらく寛治も新喜劇の中心俳優になっていくのでは?と思います。

満州から戻って、大きくなった寛治を前田旺志郎さんがどう演じるのか、とても楽しみです(^-^)

おちょやん寛治は戦死する?ネタバレまとめ

朝ドラおちょやん【かんじ】のモデルは藤山寛美

「おちょやん」寛治は終戦前の戦争が最も激しいときに、慰問団として満州に渡りますが、ちゃんと生きて帰ってきます!

しかも千代の弟、よしおと満州で知り合い、よしおから形見のガラス玉を預かってくる、というオマケ付きです(^-^)

「おちょやん」で描かれるかどうかわかりませんが、ソ連軍に侵略された満州で、敗戦国である日本人はひどい扱いを受けたことでしょう。

寛治もその環境の中、大変な思いをして何とか帰国します。

その後寛治は新喜劇で大活躍することになると思います。

このように寛治は無事帰ってくるので、みなさんどうぞご安心ください(≧∇≦)

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