千之助と万太郎のネタバレ対立はモデルも同じ実話?

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NHK朝ドラ「おちょやん」でおなじみの千之助(せんのすけ)と万太郎(まんたろう)の関係・・・ちょっと気になりませんか?

これから「おちょやん」ではこのふたりの対立と過去が描かれます。

そこで今回は朝ドラ「おちょやん」の星田英利さん演じる須賀廼家千之助と、板尾創路さん演じる須賀廼家万太郎のモデルについて調べてみました。

また今後のふたりのネタバレもご紹介させていただきます!

なんと・・・あの有名なチャップリンが登場する??

さて、千之助と万太郎にはどんなどんな対立が?仲が悪い理由とは??

そして2人モデルの人物にも同じように対立していた実話があるのでしょうか?

朝ドラ「おちょやん」の原作の千之助と万太郎の原作の今後のネタバレを紹介していますので、閲覧注意です。

目次

千之助と万太郎のネタバレは?おちょやんで二人の関係とは?

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須賀廼家千之助(すがのやせんのすけ):星田英利

一平の父、天海天海とともに喜劇一座を率いていたが、日本でいちばんおもしろいのは自分であるとの自負を持っている。
とっぴな行動で周囲を振り回す破天荒な男。
千代と一平にとっては、師匠であり、ライバルであり、トラブルメーカーでもある。

引用元 NHK公式サイト

ほっしゃんのイメージが強すぎて、星田英利といわれてもなんだかピンときません(^^;)

そんな星田英利さんが演じる須賀廼家千之助は、喜劇界のアドリブ王と呼ばれる喜劇役者。

一平(成田凌)の父親、天海天海(茂山宗彦)とともに「天海天海一座」を引っ張ってきました。

一平は天海の息子で、座員のみんなからも「ボン」と呼ばれ小さなときから舞台に出ていました。

千之助と初代天海は、一緒に劇団を盛り上げてきた親友どうし。

早くに天海が亡くなってしまい、アドリブで勝手に暴れだす千之助に一平が反抗。

のちに天海天海一座は解散してしまいます。

ひとりお酒を飲みながら、たまに天海を思い出す千之助。

新しく「鶴亀家庭劇」を立ち上げると声がかかるも、一平が座長だったためか参加しませんでした。

千之助は人気役者。彼がいないと動員も見込めません。みんなで必死に千之助を説得し、ようやく参加することに。

ですが千之助はアドリブ王と呼ばれるくらい、台本そっちのけでその場のノリで大暴走します(^^;)

最初はだれも着いていけず、千之助の強引な笑いを取りに行くやり方をしていましたが、みんなも負けずにアドリブで応酬。

泣かせて笑わせる一座として人気を上げていきます。

千之助は座長ではないものの、勝手に台本を自分のものに変えたりする強引なところがあります。

でも実際に笑いをとれるので、一平もそれに従わざるをえません。

一平が書いた親子の愛を描いた作品も、千之助が「マットン婆さん」に書き直してしまいます。

一平のやりたかったことと、全然違うと思われましたが、最後にはちゃんと母と子の愛が描かれ、一平は千之助のことを見直しました。

そんな千之助ですが、天海の葬儀のとき、突然現れた万太郎をものすごい目で睨んでいたのを覚えてますか?

過去に何かがあったのでは?と思った方も多かったと思います。芸名も同じ須賀廼家ですしね。

さて、須賀廼家万太郎とはどんな人物なのでしょうか?

須賀廼家万太郎(すがのやまんたろう):板尾創路

「須賀廼家万太郎一座」を率い、ずば抜けた観客動員数を誇る、喜劇王。
大阪だけでなく、東京でも人気は抜群で、千代や一平たちは、万太郎を超えることを目標に奮闘することになる。

引用元 NHK公式サイト

名実ともに日本一の喜劇王である須賀廼家万太郎。「万太郎一座」の座長でもあります。

万太郎はまだあまり登場回数は多くありません。

ですが登場するたびに強烈なインパクトを残していきます。

まずは天海の葬儀のとき。お弟子さんをたくさん引き連れ、無言で帽子を取り、頭の上にのせていた生卵を、そのまま頭の上で割る・・・。

ちょっと笑えなかった(^^;)芸を披露しました。

そして話題となった早着替え。

お弟子さんがスーツを両側から引っ張ると、スーツは真ん中から破れ、ふんどし一枚になった万太郎に、素早く浴衣を着せます。

そして目の前にいた千代たちに、おだやかに「こんにちは」と声を掛けます。

この意味不明の登場の仕方(笑)やはり喜劇王は日ごろからいろんなネタを持っているんですね。

ですが鶴亀家庭劇ができてからは、家庭劇を温かく見つめる姿も。

一平の二代目天海天海襲名披露のときも、遠くから見ていて、微笑んで帰っていきましたね。

睨みつける千之助とはちょっと対照的です。

さて、ふたりにはどんな過去があったのでしょうか?

千之助と万太郎の今後の対立ネタバレは?チャップリンで対決!?

須賀廼家百久利【すがのやひゃっくり】のモデルは実在?

以下、原作の2人の関係、過去についてのネタバレです。

チャップリンで対決

二代目天海天海を襲名してから3年。鶴亀家庭劇も評判の劇団となり、人気も上がっています。

そんなとき、世界の喜劇王、チャップリンが来日するという報道があり、日本中が沸き立ちます。

チャップリンは実在の喜劇王。みなさんも顔はご存じではないでしょうか。

鶴亀の社長、大山(中村鴈治)はある話題作りを思いつきました。

チャップリンに観てもらう喜劇を、当時一番人気の「万太郎一座」と人気上昇中の「鶴亀家庭劇」に競わせる、というもの。

客の動員数が多かった方の劇を、チャップリンに観てもらうことにしたのです。

たしかに客寄せのいい宣伝になりますよね。

ですが人気は圧倒的に万太郎一座の方が上。

絶対に負けたくない千之助は頭を悩ませます。

万太郎一座のこととなると、敵意をむき出しにする千之助。

千代は不思議に思い、座員のみんなに聞きますが、みんなもその理由は知らない様子。

千之助が書いた台本を「面白くない」と一蹴する一平。どんどん劇団の雰囲気も悪くなっていきます。

ほんの冗談で千之助は小山田正憲(曾我廼家寛太郎)に、万太郎一座にスパイに行け、と言いました。

それを鵜呑みにしてしまった小山田は、万太郎一座の台本を盗み見しようとし、それを座員に見つかってしまいます。

それを聞いた千代は、あわてて万太郎一座に行き頭を下げます。

すると万太郎は自信たっぷりにこう言いました。

「台本なら好きなだけ見るがいい。家庭劇ではそれ以上のものはできないだろう」

「なんでも聞くがいい」と上から目線の万太郎に、千代はまるで関係のない質問をします(笑)

それは千之助とのこと。千之助が万太郎を目の敵にしている理由を聞きました。

ふたりの過去

千之助と万太郎が出会ったのは21年前。当時ふたりは売れない歌舞伎役者でした。

そのふたりが手を組み、須賀廼家兄弟一座を立ち上げたのです。

息もピッタリだったふたりは、人気を分ける看板役者として評判となり、一座の人気も上がっていきます。

ところが!

ある日突然万太郎が、みんなの前でこんなことを言いました。

「千之助の芝居は独りよがり。一緒に芝居をしてても退屈や」

これを聞いた座員たちは大笑い。千之助は恥をかかされてしまいます。

そんなことがあったので、自分は恨まれて当然、と語る万太郎。

でもどうしてそんなことを万太郎は言ったのか?

万太郎はこう答えました。

「決まってるやろ。おもろいからや」

そう言うと万太郎は千代に「チャップリン対決は絶対にわしらに勝てない」と断言し、理由は千之助に聞け、と言います。

千代は千之助を訪ねましたが、千之助は大きな荷物を持っていました。

千之助は家庭劇をやめるつもりのようです。

万太郎のこととなると、冷静ではいられなくなる人をよくわかっていて、そのままだと絶対に万太郎一座には勝てないことも・・・。

万太郎に勝てないことをわかっていた千之助。そのまま去っていきました。

和解

ですがその晩、千之助が一平と千代の元を訪ねてきます。

途中で万太郎に会い、隠れてしまった自分に腹が立ったとかで。。。(^^;)

実は千之助は万太郎のことを恨んではいなかったのです。

役者として万太郎が大好きで、自分のことを認めて欲しかったのです。

千之助は一平に、万太郎一座に勝てる芝居を一緒に作ってくれと頼みました。

こうして親子でもあり師弟でもある父と息子を描いた「丘の一本杉」ができあがり、その素晴らしさに座員たちもやる気を出します。

ようやく鶴亀家庭劇がひとつにまとまりました。

舞台は大盛況。客席には万太郎の姿もあり、満足そうな笑みを浮かべています。

結局チャップリン対決は万太郎一座が15人差で勝ちました。

でも家庭劇のみんなに悔いはありません。

万太郎がひとりで飲んでいました。

そこにやってきた千之助に、万太郎が声を掛けます。

「家庭劇に圧倒的な差で勝つことが先や」

万太郎はチャップリンには会わなかったのです。

チャップリンとの対決はその次。

「兄さんのホンマ楽しそうな顔。久々に見せてもろた」

千之助がそういうと、「もっと楽しませてもらわんと、お前を切り捨てた意味がない」と万太郎。

「いつでもわしを潰しに来い」

そう言われ千之助は「来年の今ごろはわしが喜劇王や」と返します。

そんな会話でふたりは笑いあい、そして火花を散らすのでした。

というのが千之助と万太郎のネタバレです!

千之助は万太郎を「兄さん」と呼んでいるので、万太郎の方が年上なのでしょう。

お互いに相手を意識し、切磋琢磨してきたふたり。

さて、このふたりのモデルの実話とは?

千之助と万太郎のモデルも対立?実話はどうだった?

須賀廼家千之助【すがのやせんのすけ】のモデルはアドリブ王で実在?

モデルのふたりが一緒の劇団にいたことはあったようですが、立場も違うのでおそらく直接の対立関係はなかったと思います。

万太郎のモデルは曾我廼家五郎

曾我廼家五郎(そがのやごろう)さんは1877年、大阪堺市に生まれます。

13歳のときに大阪に母親と一緒に出てきて、丁稚奉公をしていました。

その後歌舞伎俳優の弟子となり、16歳で初舞台を。

曾我廼家十郎さんと出会い「曾我廼家兄弟劇」を立ち上げたのが1904年。五郎さんが27歳のころでした。

ですが1913年、ふたりは仲違いし五郎さんは「五郎一座」を設立。

その後欧州で喜劇を学んだあと、帰国して「曾我廼家五郎劇」を設立します。

1925年に十郎さんがお亡くなりになり、五郎さんは十郎一座のみんなも集め、喜劇の王となっていきました。

1936年の所得番付が1位となり、名実ともに日本の喜劇王となった五郎さん。

ですが咽頭がんを患い、声が出なくなってしまいます。

十吾さんらも参加して五郎劇を盛り上げますが、1948年にお亡くなりになりました。

というのが曾我廼家五郎さん。日本の喜劇王であり、重鎮だった人物。喜劇役者にとってあこがれの存在でした。

千之助のモデルは曾我廼家十吾

須賀廼家千之助のモデルは曾我廼家十吾(そがのやじゅうご)さんです。

日本のアドリブ王と呼ばれた喜劇俳優。

1891年に神戸市で生まれた十吾さん。8歳で俄(にわか)の初舞台を踏みました。

曾我廼家五郎さんが1877年生まれなので、十吾さんは14歳年下になります。結構違いますね。

小さなころからモノマネが得意だった十吾さん、急遽子役の代役として舞台に出たのです。

俄とは即興コントのようなもので、歌舞伎の話をパロディにしたものが多く、喜劇の元祖といえるかもしれません。

十吾さん得意のアドリブは、この即興コントが基本となったのでしょうかね。

1906年に曾我廼家十郎さんに入門。「曾我廼家兄弟劇」設立の2年後です。

以後劇団を転々としたり、自分で一座を作ったりしていました。

1928年に松竹家庭劇を設立します。「おちょやん」の鶴亀家庭劇のモデルです(^-^)

1948年に松竹新喜劇の設立にも参加。老婆役を得意としていました。

1974年に82歳でお亡くなりになりました。

「おちょやん」に出演した曾我廼家文童さんはお弟子さんにあたります。

「おちょやん」では千代が幼少時代に、弟のよしおと山で迷子になったとき、助けてくれた彦爺を演じています。

曾我廼家十吾さんは、十郎さんに弟子入りしたときに「曾我廼家兄弟劇」にも参加していたようです。

そこには曾我廼家五郎さんもいたので、おふたりは同じ劇団にいたのでしょう。

ですが五郎さんはスター役者で、十吾さんは一般の座員。対立できるような立場でもなかったと考えられます。

曾我廼家兄弟劇は分裂してしまい、その後十吾さんは劇団を転々としていたと言います。

さて「おちょやん」の千之助ですが、家庭劇の前に天海天海一座にいました。

この天海天海一座のモデルは「楽天会」で、渋谷天外さんと中島楽翁(箱王)さんが立ち上げています。

ここに曾我廼家十吾さんは参加していません。もしかしたら千之助のモデルの一部に中島楽翁さんがあるのかもしれません。

「おちょやん」の一平と同じように、天外さんの父親も早くに亡くなってしまいます。

その後中島楽翁さんと二代目渋谷天外さんが分裂。一度役者をやめようと思った天外さんでしたが、曾我廼家十郎さんにすすめられ、脚本を勉強するようになりました。

そして十吾さんが31歳のとき、二代目渋谷天外さんが巡業先であいさつに来ます。

天外さんはことのとき16歳だったそうです。

当時五郎劇がダントツで人気だったので、五郎と競わせるため、松竹の後押しで「松竹家庭劇」が設立されます。

十吾さんが座長で、天外さんや千代のモデル、浪花千栄子さんらも参加。

ですがその後天外さんと十吾さんの不仲などもあり分裂。天外さんは妻となった浪花千栄子さんらを引き連れ、別の劇団「すいーとほーむ」を立ち上げました。

戦後、十吾さんが病気になり家庭劇は消滅。

そして五郎さんが亡くなったことで、いくつかの劇団が集まり「松竹新喜劇」が誕生します。

座長は曾我廼家十吾さん。ですが天外さんとまたも対立し、十吾さんは退団してしまいます。

その後松竹家庭劇を復活させた十吾さん。それもまた解散に追い込まれ、晩年は新喜劇にゲストとして呼ばれることもありました。

さて、そんな十吾さんですが千之助のモデルである部分と、そうでない部分がありましたね。

「おちょやん」の天海天海一座には参加しておらず、万太郎一座のトップスターでもありませんでした。

ですが家庭劇のトップスターであり、アドリブ王であり、老婆役が得意というのは千之助と同じ。

では十吾さんと五郎さんにはどんな実話があったのでしょうか?

十吾と五郎の関係

曾我廼家十吾さんと曾我廼家五郎さんは、かなり差のある師弟関係だったと思われます。

年も五郎さんの方が14歳上で、ネームバリューも人気も雲泥の差があったでしょう。

同じ曾我廼家兄弟劇に所属していたと思いますが、対立するような間柄でもなかったと想像できます。

先程紹介した「松竹家庭劇」も「曾我廼家五郎劇」には、太刀打ちできなかったと言われていて、対立というよりも、雲の上のような存在だったのでは?と思われます。

その後は同じ劇団で一緒に芝居をすることはありませんでしたが、五郎さんが病気を患ってから、十吾さんは五郎劇に助っ人として参加しています。

きっと師匠か兄弟子のような存在だったのでしょう。

なのでふたりが対立したということはなかったと思います。

名前も同じ曾我廼家ですが、これもちょっと遠い間柄。

曾我廼家五郎さんが一緒に兄弟劇をやっていた、相方の曾我廼家十郎さんのお弟子さんだったのが十吾さんです。

五郎さんにとっての兄弟子のお弟子さんだった十吾さん。苗字が同じでも、家系がちょっと違いました。

なので今回の千之助と万太郎のエピソードはオリジナルだと思います。

最後はジーンとくる兄弟愛で幕を閉じ、みなさんもほっこりすることでしょう。

千之助と万太郎のネタバレ対立はモデルも同じ実話?まとめ

万太郎一座のモデルは実在の曾我廼家五郎劇?

「おちょやん」千之助と万太郎の因縁とは、21年前のことでした。

2枚看板だった千之助と万太郎。ところが万太郎は千之助が面白い、という理由でみんなの前でバカにして劇団を追い出しました。

でも千之助はそれを恨んでいたのではなく、大好きな万太郎に認めてほしくてがんばってきたのです。

そんなふたりは最後にお互いを認め合い、良きライバルとなりました。

千之助のモデルは曾我廼家十吾さん。そして万太郎のモデルは曾我廼家五郎さんです。

ふたりにはそのような関係はなかったと思います。

同じ劇団にいたことはありますが、十吾さんにとって当時の五郎さんは雲の上の人。十吾さんの師匠は五郎さんの相方、曾我廼家十郎さんでした。

むしろ十吾さんが対立したのは、一平のモデル、二代目渋谷天外さん。

松竹家庭劇も二人のけんかで天外さんが抜けました。

ということで、この千之助と万太郎のお話はオリジナルで、実話とは違うと思います。

千之助と万太郎の対立と和解。どうぞお楽しみください!

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