織田島製作所が開発中の万能調理器にすっかり魅せられてしまった、池田信用組合理事長の萬平(長谷川博己)。
もう完全にたちばな工房やダネイホン時代の萬平さんの目になっているような…。
でもこれは趣味ですよね…そう、万能調理機を作るという趣味です!
町工場。竹ノ原さんの姿をつい探してしまいます。#まんぷく #朝ドラ #長谷川博己 #瀬戸康史 #山西惇 #金井勇太 #宮田佳典 pic.twitter.com/djmHLYqbQh
— 【公式】連続テレビ小説「まんぷく」 (@asadora_bk_nhk) 2019年1月9日
ダネイホンを作っていたときにもありましたが、研究に没頭するとご飯を食べることすら忘れてしまいます^^;
そんな萬平の体を心配する福子(安藤サクラ)ですが、同じ信用組合で働いている義兄の真一(大谷亮平)も、織田島製作所への入れ込みすぎに不安を感じているようですね。
このNHK連続テレビ小説「まんぷく」は、日清食品創業者である安藤百福さんと仁子さんご夫婦がモデルとなっていますが、実際に安藤百福さんは信用組合で働いていたのでしょうか?
今回は安藤百福さんの信用組合との関わりについて、詳しくまとめてみました。
かなり壮絶な史実のようなので、みなさんびっくりしないでくださいね。
安藤百福は実際に信用組合で働いていたの?
安藤百福さんは実際に信用組合の理事長として働いていました。
大阪にあった「大阪華銀」という在日中国人向けの信用組合で、もともと組合でしたが認可を受け信用組合になったそうです。
ドラマと同じように脱税容疑でGHQによって1948年に逮捕された安藤百福さんは、これもまたドラマと同じように(史実では弁護団を結成)処分取り消しの訴えを起こし、訴えを取り下げれば釈放という取引に応じて4年の求刑だったところ2年ほどで釈放されます。
そして安藤百福さんが釈放されたおよそ1年後の1951年に、大阪で新設されたばかりの信用組合の理事長に就任することになります。
このとき41歳だった百福さんですが、ドラマと同じように世間の評価はとても高かったそうです。
お国と闘ったヒーローとしてもそうですが、実業家や資産家としてもその名は知られていました。
そんな有名人だった百福さんのもとへ、理事長の依頼が舞い込んでくるのは当然といえば当然だったかもしれません。
ですが百福さんは最初その話を断ります。理由はこうでした。
金融の経験もなく、他人のお金を預かることは素人にはできない
こんなことからも責任感の強さが伺えますね。
でも信用組合側も説得を続けます。
名前だけでいいので! あなたのような人がトップにいるだけで信用がつくので!
池田で大鳥屋という織物業を営む大鳥勘一さん。
ただならぬ存在感。まさか闇市を取り仕切ったりは…してないですね(笑)。
それにしてもとんでもないお話を持ってきて下さいました! 理事長!?#まんぷく #朝ドラ #団時朗 #べっぴんさん pic.twitter.com/GWdJ1EBv0l
— 【公式】連続テレビ小説「まんぷく」 (@asadora_bk_nhk) 2019年1月3日
なんども頼み込みにやってくるので、ある意味仕方なく(^_^;)理事長職を引き受けることにしました。
この決断が失敗の始まりだとは知らずに・・・。
安藤百福は信用組合でどんなことをしていた?
万能調理器のモデルはミキサージューサーの発明で実話?【まんぷく】
安藤百福さんは、のちに理事長は断るべきだったと述べています。
金融機関とは、預金や審査、貸付など細かく分かれているので、自分で判断して進めていく現場主義のわたしには肌が合わない。
しかしついつい甘い言葉に乗せられ引き受けることになってしまった。
情に熱い百福さんなので、何度も頭を下げてやって来るので、断りきれなかったのかもしれませんね。
名前だけでいいとはいえ、責任感の強い百福さんはしっかりと仕事をします。
さて、どんなことをしていたのでしょうかー?
百福さんは営業担当者と一緒に組合員の元に行き預金を集めます。 当然百福さんも自分の口座を作り、その口座にほとんどの財産を預けたそうです。
最初は順調に思えたこの信用組合でしたが、大きな過ちは金融の専門家が不在だったということ。
ドラマのように証券会社に勤務していた真一のような人物はいなかったそうです。
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⠀ 【池田信用組合理事長】 立花萬平(47歳) ⠀ 【同専務理事】 小野塚真一(49歳) ⠀ #まんぷく #朝ドラ #長谷川博己 #大谷亮平 ⠀
素人の集まりだったこの信用組合は貸方もルーズであり、だんだんと不良債権が発生していくことに・・・。
組合に預けられた預金は、その日のうちに関係が深い都市銀行に預けられたので、その都市銀行にしてみれば黙っていてもお金が入って来るというシステムです。
逆に都市銀行は、組合員が振り出して交換所へ回った小切手や手形を支払っており、多少の資金不足は都市銀行が面倒をみていました。
この時点でもうアウトですよね〜。
都市銀行が手のひらを返すのはもう目に見えています。
ある日都市銀行から経営の問題点を指摘され、不足金が限度額を超えると態度はさらに厳しいものに・・・(T . T)
ま、当然といえば当然、都市銀行だって慈善事業ではありません。 でも銀行から専門家を派遣させるなりできなかったのでしょうかね?
さて、信用組合の経営が怪しくなってきたきましたが、これから百福さんはどうするのでしょうか?
安藤百福は信用組合でどんな結末を迎える?
そんな中とうとう不渡りを出してしまい、そこから都市銀行の態度が急変!
担保に入れていた組合の建物や敷地は差し押さえられてしまいます(T . T)
百福さんも会長として責任を問われ全財産を失うことに(T . T)
結局百福さんに残ったのは、池田にあった借家、そして後悔の念だったそうです。
なんと!ここでまた財産を失ってしまうんですね。
相当悔しかったと思いますが、そのときのことをご自身でこう戒めています。
自分に似合わないモーニングを身につけようとするのが間違い。自分に似合う洋服を着るべきだ。
責任を持てない仕事はいくら頼まれても引き受けてはいけない、誰かに迷惑をかける。バチが当たったのだ
全財産取られてしまって、こんな発想できますか?
普通なら銀行を恨むと思いますが、百福さんは自分のせいであるとお考えのようです。
しかも没収された財産がすごい!
後年まで持っていたらものすごい財産になったであろうといわれる、心斎橋や御堂筋、大阪駅前の土地や店などすべて失ってしまいます。
このとき百福さん47歳。 賑やかだった安藤家の面影は影も形もなくなってしまいました(T . T)
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普通であれば立ち直れないほどの挫折を味わうのでしょうが、ここでめげないのも百福さんのいいところ♪
失ったものは財産だけ。これまでの経験は血や肉となっている。
そう考えると勇気が湧いたそうです。
やっぱり凡人には無理ですよね〜。この前向きな姿勢はどこからくるのでしょうか?
ほんの少しでもいいので、わたしも見習いたいと思います(^ ^)
そしていよいよインスタントラーメン作りへ?
こうして47歳になって無一文となってしまった安藤百福さんは、ここからインスタントラーメンの開発に取り掛かります。
百福さんが全財産を失う1年前「もはや戦後ではない」という言葉が経済白書で発表、これは戦前の水準に景気が回復したことを受けたものです。
まさにこの時代は食べることに困る時代ではなくなっていたのですが、みんなが飢えていた戦後を知っているが故、百福さんは誰もが簡単に食べられるラーメンを作りたかったのです。
そのとき百福さんはこう誓いを立てたそうです
今後一切銀行には頼らない!!!
銀行は優良企業には喜んでお金を貸すが、本当にお金に苦しんでいるところには貸し渋る。
これは当たり前のことですが、当時の心境はとても冷静には考えられず、このときから銀行には頼るまいと決心したそうです。
やっぱりちょっとは銀行を恨んでいたんですね(笑)
また銀行に頼らないのはこんな理由もあります。
借入という甘い蜜の味は、大切な判断を鈍らせる猛毒である
これは一度借入をしてしまうと、経営に緊張感がなくなってしまうというもの。
百福さんは日清食品創立後も、この意思を貫き通しました。
これが信用組合で安藤百福さんに起こった出来事です。
いやはやびっくりすることばかりですが^^; 百福さんの超壮絶な人生、ドラマでどう描かれるのか楽しみです(^ ^)
まとめ
まんぷく今後の展開ネタバレは?インスタントラーメンは?【朝ドラ】
朝ドラ「まんぷく」で池田信用組合の理事長となった萬平(長谷川博己)。
萬平のモデルである日清食品創業者の安藤百福さんも実際に大阪華銀という信用組合の理事長をしていました。
ですが素人の集まりだったこの信用組合は、やがて不良債権が増えていき、とうとう不渡りを出し差し押さえられてしまいます。
理事長だった百福さんも責任を取る形で個人の財産はすべて没収、残ったのは池田にあった借家だけとなりました。
これが百福さんの信用組合での結末です(T . T)
ドラマでは周りの心配をよそに萬平が爆走していますが(笑)さて、どうなってしまうのでしょうかー?