伊能商会モデル企業は?【わろてんか】小林一三の成功の軌跡とは?

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「わろてんか」で、このところ登場する機会が増えている伊能栞(いのうしおり)ですが、経営する伊能商会がいつの間にか大企業になっていましたね!

映画事業・不動産・百貨店などの多角経営に成功、日本有数の企業に急成長

とナレーションが入っただけで、大企業に成長した経緯は省かれています。

この伊能商会(伊能商店)のモデルとされる企業は、いかにして成功を成し遂げたののでしょうか?

それを知るために、高橋一生(たかはしいっせい)さん演じる伊能栞のモデルとされる小林一三(こばやしいちぞう)さんの軌跡をたどってみました!

 

 

高橋一生演じる伊能栞のモデルは?

影となり日向となり、北村夫婦を支え続けている伊能栞ですが、モデルは小林一三と言われています。

小林一三は阪急電鉄の創始者であり、その後百貨店や宝塚歌劇団などを創立したアイディアマン。

芸能界にも深く関わりのある人物です。

小林一三は1873年(明治6年)山梨県で生まれています。

ご存命であれば145歳!

父親は婿養子で母親は一三が生まれてまもなく亡くなっています。

婿養子であった父親は実家へ戻され、残された一三は姉とともに叔父夫婦に育てられることになりました。

この叔父夫婦はお金持ちで裕福な暮らしができたそうです。

そして15歳の1888年に慶應義塾に入り、1892年卒業すると三井銀行(現三井住友銀行)に19歳で入行します。

1900年、27歳の時に18歳という9歳も年下の女性と結婚、3男2女の子宝に恵まれています。

ちなみに次男の長男の次男がテニスの松岡修造さんです。(ややこしくてすみません)早い話ひいおじいちゃん(曽祖父)っていうことですね。

一三が銀行を辞めたのは1907年34歳のときで、かつての上司である岩下清周が設立した証券会社の支配人になるためでした。

ところがそのとき日本は恐慌という荒波にもまれていて、その話は立ち消えしてしまい失業者となってしまいます。

そんなとき、蓑面有馬電気軌道の設立に関わることになり、その後専務となりました。

この蓑面有馬電気軌道がのちの阪急電鉄です。

ここから小林一三の快進撃が始まります!

まさに伊能栞がやっている映画事業・不動産・百貨店などの他にも宝塚歌劇団を作ったのも小林一三。

都市開発をメインに、現在の鉄道経営の基盤なった多角経営をいち早く進めたアイディアマンでした。

伊能栞と大きく違うところは、伊能栞は映画から会社を大きくしましたが、小林一三の原点は鉄道という点です。

若いときはキザだったということで、ここは一致していますね(笑)

そして小林一三は1957年84歳でお亡くなりになっています。

伊能栞はまだまだ活躍しそうですね♪

 

わろてんかの伊能商会のモデル企業は?

 

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伊能栞の会社も「伊能商会」になりましたが、小林一三の会社は何という名前なんでしょうか?

路線拡大に伴い「阪急急行電鉄」(現阪急阪神ホールディングス)となり、1927年に社長に就任しています。

日本にとって初めてのターミナルデパート「阪急マーケット」「阪急百貨店」を生み出し、ホテル事業、興業、娯楽事業へと手を広げていきます。

興業や娯楽については、1913年(大正2年)に現在の宝塚歌劇団となる「宝塚少女歌唱隊」を結成、鉄道の沿線に宝塚大劇場をオープンさせています。

そして映画に手を着手したのは1937年、「東宝映画」を創設し、ここで登場するのがよしもと興業です!

吉本興業と提携し、吉本芸人が東宝の映画や劇場に出演するという協定が結ばれました。

おや!これはリリコ(広瀬アリス)のことでしょうか?!

成功したらまた映画に出ると約束していましたよね♪

そしてキースとアサリのモデルであるエンタツアチャコの映画「あきれた連中」なども大ヒットを飛ばしています。

関西で大きくなった一三は東京へ進出し、1934年に東京宝塚劇場を解説すると日比谷映画劇場、日本劇場、有楽座などを次々にオープンさせ、関東の芸能界にも大きな存在となりました。

吉本せいは、一代で大企業を作り上げた小林一三になぞらえ、「女小林一三」と言われてもいたそうです。

ドラマでは伊能栞が北村商店の役員となりましたが、実際には小林一三は吉本興業の役員にはなっていません。

ですがせいの弟で風太のモデルと言われる林正之助が東宝の役員になっています。

このように微妙に史実とドラマは違いますが、とてもうまく組み合わさっているようですね。

 

トーキー映画とは?

今回新しくリリコの相方となるべく登場した松尾諭(まつおさとる)さん演じる川上四郎ですが、トーキー映画が主流となり仕事をなくしてしまった人物です。

このトーキー映画とは”talking picture”からきたもので、昔はサイレント映画といい、映画は音声が出ませんでした。

そのため「活動弁士」が映画の進行に合わせて、その内容を解説するのが主流。

声が出るトーキー映画が主流となると、活動弁士たちは職を失ってしまうということです。

川上四郎はサイレント映画で生演奏をする楽師をしていたようですが、職がなくなってしまいトーキー映画を始めた伊能栞が申し訳なく思っています。

さて、ここで史実に戻りますが、日本で初めてトーキー映画が上映されたのは1931年(昭和x6年)です。

小林一三が映画に着手したのは1937年、なのでこの部分に関しては伊能栞と違いますね。

というのも東宝より古くから映画に携わり、日本で初めてトーキー映画を上映したのは松竹です。

のちに松竹の社長となる城戸四郎(四郎!?)が尽力して苦労に苦労を重ね、やっとできたのが「マダムと女房」という映画でした。

さあ、情にほだされて四郎とコンビを組むことになったリリコですが、成功するのでしょうか?

 

まとめ

それにしても伊能栞演じる高橋一生さん、ウインクするとか反則技じゃないですか?

疲れが飛んだ人、箸を落とした人、スマホを落とした人、心臓壊れそうな人が続出しています。

おまけに何かが授かりそうな人まで・・・(笑)

多くのアイディアで時代を作ってきた小林一三のように、伊能栞の今後の活躍にも期待しています!

 


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