キースとアサリの漫才コンビモデルはエンタツアチャコで実在?【わろてんか】

  • URLをコピーしました!
#ad #PR #スポンサー

NHK連続テレビ小説「わろてんか」に登場するキースとアサリ。
新しい芸ができそうな感じになってきましたね( ´ ▽ ` )ノ

このキースとアサリのモデルとはどんな芸人なのでしょうか?

エンタツアチャコでは?と言われているようですが、本当にそうなのか検証してみました!

目次

わろてんかでキースとアサリってどんな人物?

[blogcard url=” https://dorama-netabare.com/archives/27390″]

まずはメガネをかけている大野拓朗(おおのたくろう)さん演じるキースはこんな芸人です。

藤吉やリリコと同じ旅芸人一座で育った芸人仲間。 メガネがトレードマークで頭の回転が早く機知に富み、海外文化などについての知識も豊富なインテリ。本人にまったく悪気はないが、たびたびトラブルを起こしては藤吉やてんに迷惑をかけてしまう。のちにはアサリとコンビを組んで旧態の万歳を革新し、いまの漫才に通じる「しゃべくり漫才」を生み出すことになる。

引用元 https://www.nhk.or.jp/warotenka/cast/index.html

そして蛭子能収(えびすよしかず)さんに似ている(笑)前野朋哉(まえのともや)さん演じるアサリはこんな芸人。

歌舞伎役者に憧れを抱くが実力もコネもなく、さらにその顔で役者は無理…と言われて、俄を演じる芸人になった。「銭がないと夢もへったくれもない」と言ってはばからず、周囲からは守銭奴だと思われているが、じつは心根の優しい男でもある。何かにつけてキースと対立するが、そのとぼけた風貌と物言いが、のちにキースとコンビを組んで大きく花開くことになる。

引用元 https://www.nhk.or.jp/warotenka/cast/index.html

そうなんですね、これから二人はコンビを組んで「しゃべくり漫才」で大ウケすることになるんですね!

 

エンタツアチャコってどんな人物?

[blogcard url=” https://dorama-netabare.com/archives/27354″]

まずはキースがモデルといわれる横山エンタツ。

若い頃は職を転々とし、数多くの巡業劇団に参加します。
その後吉本興業にスカウトされました。
漫才作家の秋田實の相談者としても貢献しています。
1941年に「爆笑エンタツ劇団」を立ち上げ全国をまわるとともに、ラジオ番組にもレギュラー出演。
そして1971年脳梗塞で帰らぬ人となりました。

そしてアサリのモデルが花菱アチャコ。

15歳で山田九州男の一座に入り、その後漫才に転向、吉本興業に入ったのが1925年です。
当時は千歳家今男などとコンビを組んでいました。
1939年、映画会社による吉本芸人に引き抜き騒動があったとき、アチャコも契約金を受け取っていましたが、正之助に一喝され契約金を返したことから、吉本興業にとって唯一の専属契約をします。
その契約は1974年直腸癌で亡くなるまで継続されました。

実はこのお二人、正式にコンビを組む前の1922年に、準備なしの即効でしゃべくり漫才を披露したことがありました!

当時はまだ音曲などを使う「万才」が主流だったので、しゃべりだけの漫才は大失敗。
客席からはブーイングとともにみかんの皮まで投げつけられる始末でした。

そしてアチャコは別の芸人とコンビを組み人気者となり、1925年に吉本興業へ。

一方エンタツは9人で一座を組みアメリカへ渡りますが、失敗して帰国。
ですがアメリカで見てきたチャップリンの喜劇などは、その後の芸人としての肥やしになったようです。

 

エンタツアチャコのしゃべくり漫才とは?

このお二人はキースとアサリがこれから花開くことになる「しゃべくり漫才」でトップスターになりました。

お互いを「キミ」「ボク」と呼び合い、日常生活での出来事などで観客を笑わせる手法は、学生やサラリーマンといった新しい世代に大ウケ、「しゃべくり漫才」の他にも「インテリ漫才」とも言われていました。

この二人を見出したのは、吉本せいの弟でのちに吉本興業の社長となる林正之助。

どうやら「わろてんか」では松坂等さん演じる藤吉が見いだすことになりそうですね。

いや、もしかしたら濱田岳さん演じる風太、正之助がモデル?とも言われているので、ここに絡んでくるかもしれませんねぇ。

アチャコとエンタツにコンビを組ませたのが1930年です。

背広にロイドメガネ、それにちょび髭でボケを担当したのがエンタツ。
ツッコミ担当はアチャコでした。

[blogcard url=” https://dorama-netabare.com/archives/27319″]

当時景気が悪かった日本経済、正之助は格安の劇場「南陽館」を作り大盛況、芸人たちもここで漫才のレベルを上げていきました。

当時は胡弓、鼓、三味線を使った「万才」が主流でしたが、エンタツアチャコによる「しゃべくり漫才」がヒットしたことにより「漫才」へと進化。

この「漫才」という言葉も吉本興業が作ったものです。

いろいろ名称の案があったようです。

「滑稽コント」
「ニコニコ問答」
「ユーモア対話」

などなど。

「漫才」に落ち着いて良かったんじゃないでしょうか。
「滑稽コント」とか、今の時代なら「何ソレ?」みたいな感じですよね(笑)

またスーツを着た洋風なスタイルなども、若い世代に受け入れられたんじゃないかと思います!
和服から洋服へと時代の変化と重なったのも、大きかったのかもしれませんね。

エンタツアチャコの名が大阪だけではなく、全国へ広がったのはラジオの影響が大きいようです。

二人の人気のネタが大学野球をモチーフにした「早慶戦」。
これをNHKからラジオでやらないか、と持ちかけられ始めたのが大ヒットします。

 

エンタツアチャコのコンビ解消とその後は?

[blogcard url=” https://dorama-netabare.com/archives/26791″]

ふたりがコンビを解消したのは1934年。
たった4年間くらいしかコンビを組んでいなかったんですね。

コンビ解消の理由はなんだと思います?
仲違い?金銭トラブル?

いえいえ、じつは・・・中耳炎が原因だったんです!

中耳炎にかかったのはアチャコ。
当時無理をして舞台に出続けたため悪化、長期入院を強いられました。

そのためせいと正之助は杉浦エノスケとエンタツを組ませ、事実上これで舞台でのこのふたりの共演はなくなります。

それから吉本興業は東宝と提携して人気芸人が登場する映画の製作に取り掛かります。

ファンからエンタツアチャコが見たいという熱烈な要望があり、映画で共演させることに。

コンビを解消していたエンタツアチャコも、スクリーンの中ではコンビのままで「僕は僕だ」「エンタツアチャコの忍術道中記」「タヌキ紳士登場」など次々とヒット作を送り出し、その作品は100を超えています。

また吉本の他の芸人たちも東宝の舞台に立つことによって、どんどんと名が知られるようになっていきます。

映画といえば「わろてんか」では高橋一生さん演じる青年実業家の伊能栞!
東宝の生みの親である小林一三のモデルといわれているので、これからタッグを組みそうですね♪

 

まとめ

[https://dorama-netabare.com/archives/26789]

やっぱり随分と共通点がありますね。

特にキースに関してはメガネや海外に詳しいところはエンタツそのものです。

実際にエンタツはアメリカで見た”買い物をしたら入れてくれる袋”からヒントを得て、日本で作ってデパートに売り込みに行きましたが、デパートからは「風呂敷があるので・・・・」と断られたこともあるそうです。

パーマ機を売るキースとかぶってしまいました(笑)

そんな史実と照らし合わせて「わろてんか」を見るのが私の楽しみです♪

 

 

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
目次