鳥居元忠の死因と伏見城の最後とは?血天井はどこ?

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NHK大河ドラマ「どうする家康」は伏見城の戦いが描かれ、ついに家臣の鳥居元忠の死亡と最後が!一体どんな死因と最期なのでしょうか?

「どうする家康」鳥居元忠の死因と伏見城での最後についてご紹介。そして「血天井」はどこにあるのか?もご紹介します。

目次

鳥居元忠が死亡の最後は近い?伏見城の戦いが勃発【どうする家康】

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鳥居元忠とは?千代とのエピソードが話題の家臣!

音尾琢真さんが演じる彦右衛門こと、鳥居元忠は家康を幼いころから支える家臣です。

鳥居家は松平家の譜代家臣で、父親の鳥居忠吉はイッセー尾形さんが演じていましたね。

忠吉の3男として生まれ、家督を継いだ元忠は、明るく実直な性格で、悩みがつきない家康の心に寄り添う兄のような存在です。

やや不器用なところがあるものの、戦場ではスイッチが入ったように大活躍をします。

そんな鳥居元忠の印象的なシーンは、武田の忍び・千代(古川琴音)とのエピソードでしょうか!

第36回では、元忠が武田の女・千代を匿っていることが問題となります。

家康は亡き妻・瀬名とゆかりのあった千代を探していたんですよね。

元忠は千代を妻にしていることを認めて、家康から切腹を命じられることも辞さない覚悟をしました。

しかし家康は妻・於愛の助言もあり、元忠のことを許し千代にもこう言います。

「幸せになることは生き残った者の務めであると思うぞ」

こうして千代は、元忠の妻として生きていくという第二の人生を歩むことになったのでした。

鳥居元忠と千代の史実は馬場信春の娘を妻にした実話!

鳥居元忠は死亡の最後が近い?伏見城の戦いが勃発!

家康の決断で、佐和山城に隠居させられた三成(中村七之助)。一方、家康(松本潤)は大坂城・西ノ丸に入り、政治を意のままに行い、周囲から天下人と称されていた。そんな家康を茶々(北川景子)は苦々しく見ている。ある時、会津の上杉景勝(津田寛治)に謀反の噂が広がる。家康は茶々から天下泰平のため、成敗に向かうべきと諭されるが、大坂を離れることに一抹の不安を感じ、留守を鳥居元忠(音尾琢真)に預けることにする。

引用元:公式サイト

そして「どうする家康」はついに天下分け目の戦い・関ケ原の戦いに突入しますが、その直前の「伏見城の戦い」が「どうする家康」でも描かれます。

「伏見城の戦い」といえば、鳥居元忠が大活躍?した家康の今後にとっても大きな影響を及ぼす戦です。

そんな音尾琢真さん演じる鳥居元忠と、古川琴音さん演じる千代が、関ヶ原直前の伏見城の戦いで再び注目を集めそうです。

そして鳥居元忠の死と最後が描かれる??

以降で、第41回、42回のストーリーを判明しているネタバレ紹介します。

知りたくない方は閲覧ご注意くださいね。

鳥居元忠の死因と伏見城の最後とは?

それでは、鳥居元忠の伏見城での最後と死因について、ドラマのネタバレと史実をそれぞれご紹介です。

鳥居元忠の死因と最後の「どうする家康」のネタバレとは?

家康の決断で、佐和山城に隠居させられた三成(中村七之助)。一方、家康(松本潤)は大坂城・西ノ丸に入り、政治を意のままに行い、周囲から天下人と称されていた。そんな家康を茶々(北川景子)は苦々しく見ている。ある時、会津の上杉景勝(津田寛治)に謀反の噂が広がる。家康は茶々から天下泰平のため、成敗に向かうべきと諭されるが、大坂を離れることに一抹の不安を感じ、留守を鳥居元忠(音尾琢真)に預けることにする。

引用元:公式サイト

石田三成(中村七之助)が謹慎となったことで、一躍天下を統べる役割を担うことになった徳川家康。

しかしそれが面白くない同じく五大老の上杉景勝(津田寛治)は謀反を企てます。

それを抑え込むために関東に向かう家康は、留守の京・伏見城を幼いころから一緒にいる忠義の家臣・鳥居元忠(音尾琢真)に任せることにしました。

京を去る前日。家康と元忠は対面し、命に代えても守って見せると胸をたたき元忠は言います。

「殿、宿願を遂げる時でございます。戦無き世を成し遂げてくださいませ」

「彦、任せた・・・」

老いてますます固い絆で結ばれた二人は、お互い涙を浮かべていました((+_+))

そして1600年6月、大坂を出た家康軍は、7月に江戸城にたどり着き会津に向けて進軍。

すると案の定、石田三成が挙兵したという知らせが入ります。

大坂城は乗っ取られ、諸将の妻子たちは人質に取られてしまいました。

こうなると、伏見城を守る鳥居元忠にも危険が迫るだろうが、あの桶狭間を戦い抜いた元忠が助太刀など望むまいと思う徳川の家臣たち。

そして家康は、上杉討伐を中止し小山にて評定を行い、三成討伐を皆に宣言します。

福島正則、山内一豊らの賛同を得て、京に引き返すことにした徳川軍。

そのころ伏見城には三成側に付いた宇喜多秀家の軍勢が迫っており、元忠は奮戦を繰り広げています。

1600年8月、小山から江戸にもどった家康のもとに書状が届きます。

それは伏見城が落ちたという悲しい知らせでした。

鳥居元忠は家臣一同と最後まで見事に戦い抜き、城を枕に討ち死にし、側室の千代もまた夫に殉じたと書かれていたのです!

悲しみに打ちひしがれる家康ですが、各地の大名へ援軍を求める書状を書き続け、いざ関ヶ原の地へ向かうことになるのでした。

鳥居元忠の死因と最後の史実とは?

石田三成と徳川家康の関係は不仲じゃなかった?史実とは?

「どうする家康」では、伏見城の戦いで壮絶な最期を迎える音尾琢真さん演じる鳥居元忠。

以降で史実の鳥居元忠の最期についてもご紹介します。

鳥居元忠は、1539年に鳥居忠吉の三男として生まれました。

長男が戦死して、次男が出家していたため、3男である元忠が鳥居家の跡継ぎとなります。

13歳の頃に、当時10歳の徳川家康に仕え今川家での人質生活をともに過ごしたため、徳川家臣の中でも一・二を争う忠義者とされています。

父・忠吉は元忠にこう教えを説きました。

「君、君たらずとも、臣、臣たれ」

主君が道を誤っても、家臣は道を踏み外してはならない。

元忠はこの教えを心に誓い、家康に一身に仕えたとされているんですよね。

そんな元忠には、豊臣秀吉から官位を与えると言われた時も、家康への忠義からその申し出を断ったなんてエピソードもあります。

そして、鳥居元忠を語るうえで欠かせないのが、関ヶ原の戦いの前哨戦とも言われる伏見城の戦いです。

上杉討伐のために関東に向かうことになり、家康から上方の拠点である伏見城を任されたのが鳥居元忠でした。

家康は関東に向かう前、伏見城にて元忠と深夜まで酒を酌み交わしたと言われています。

ドラマでも描かれたエピソードは、史実なんですね!

幼いころからの家臣を死に追いやるのは、家康にとっても耐え難いものですが、この役割を任せられるのは元忠よりほかにいません。

家康は3000しか兵を置いていけないことを詫びると、元忠は言います。

「殿の天下取りの為なら喜んで捨て石になりましょう。捨て石に3000は多すぎる」

こうして1800人まで兵を減らさせたという逸話もあるそうです。

そして家康が関東に向かうや否や、予想通り三成は毛利輝元を総大将として挙兵します。

毛利輝元は伏見城の明け渡しを命じますが元忠は拒否。

すると宇喜多秀家率いる4万の軍勢が伏見城を襲ってきたのです。

約20倍の軍勢ながらも、伏見城を守る鳥居元忠たちは奮戦して、1週間が過ぎても城が落ちることはありませんでした。

しかし、伏見城の籠城に加わっていた甲賀衆たちが寝返ったことがきっかけで、ついに城の守りは破られてしまいます。

元忠は本丸の総門を開き、迫りくる兵たちと戦い抜きました。

最期は、鈴木重朝に討ち取られたとも、自害して果てたとも言われています。

享年62歳。その死は「三河武士の鑑」と称えられたそうです。

鳥居元忠の伏見城の血天井はどこ?

鳥居元忠が、伏見城で家臣の数百名とともに自害したとき城の床に飛び散った血で染まった床板はその後取り外され、供養のためお寺の天井板として設置されたと言われています。

これが血天井と言われ、歴好きの人にとっては有名ですよね。

この血天井、今でも京都・大原の「宝泉院」でその血痕をはっきり見ることができるそうです。

 

【宝泉院】

住所:〒601-1241 京都府京都市左京区大原勝林院町187

京都には観光地が多数ありますが、ぜひ立ち寄りたい場所ですよね。

引用元:https://kyoto-ohara-kankouhosyoukai.net/detail/5524/

鳥居元忠の死因と最後まとめ

【どうする家康】最終回はいつ?何話まで放送?

今回は「どうする家康」で音尾琢真さん演じる鳥居元忠の死因と最期についてご紹介しました。

鳥居元忠は、関ヶ原の前哨戦と呼ばれる伏見城の戦いで、討ち死にしたとされています。

おそらく「どうする家康」でもその壮絶な最期は描かれそうです。

側室の千代とともに城を枕に討ち死にする((+_+))

涙無しでは見られない展開になりそうです・・・

物語も大詰めを迎えている「どうする家康」、最後まで皆さん是非お楽しみください!

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