石田三成と徳川家康の関係は不仲じゃなかった?史実とは?

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2023年NHK大河ドラマ「どうする家康(どうするいえやす)」は、松本潤さん演じる徳川家康の波乱万丈の生涯を描いた歴史物語です。

放送も残すところ2か月ほどとなり、間もなく家康を語るうえでは忘れてはならない「関ヶ原の戦い(せきがはらのたたかい)」が描かれます。

関ケ原の戦いで、家康と戦うことになるのは、石田三成(いしだ・みつなり)で中村七之助さんが演じていることも話題になっていますね。

これまでの大河ドラマは、家康と三成はかなり仲が悪そうに、不仲に描かれていましたが、どうする家康では今のところ二人は友好的な関係です。

その二人の関係性がどのように決裂していくかが、関ヶ原の戦いへの伏線になっていきます。

そして気になるのは、史実での家康と三成の関係。

果たして家康と石田三成は本当に二人は不仲だったのでしょうか?実は仲が良かった??

今回は「どうする家康」の石田三成と徳川家康の関係は不仲だったのか?史実をネタバレを紹介していきます。

目次

石田三成とは?徳川家康とどうする家康では不仲でなく仲が良い?

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徳川家康を語るうえで欠かすことが出来ない存在、石田三成は「どうする家康」第35話から登場しました。

演じるのは歌舞伎俳優の中村七之助さんです。

実は家康を演じる松本潤さんとは、高校時代の同級生で親友なんですよね。

石田三成は「治部(じぶ)」と呼ばれており、豊臣秀吉(ムロツヨシ)に仕えて天下取りを支えた武将です。

家康との初対面のシーンは、大坂城で夜空を眺めている場面でした。

三成が夜空を見上げているところを家康が声を掛けます。

すると三成は、南蛮の正座や神話の話などをしてくれ、家康は興味津々!

「古い考えに凝り固まっては、ものの真の姿はつかめません」

そんな三成の言葉に、清々しさを感じた家康。

その後も、小田原攻めで顔を合わせるなど、家康と三成の関係は友好的です。

秀吉が無謀な唐入りを実行しようとした際も、三成は家康に相談する姿もありましたね。

そして、第39回でついに秀吉が死んでしまいました。

これから家康と三成の関係がどうなっていくのか?

仲が良さそうな二人ですが、どのように対立して関ヶ原の戦いに至るのか!!

以降で、NHK公式ガイドブックからネタバレ紹介します。

知りたくない方は閲覧ご注意くださいね。

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太閤秀吉亡き後、遺言にのっとり家康ら五大老、三成率いる五奉行を中心に政を進めていくことになります。

家康と三成は友好的な関係を保っていたものの、家康が力をつけていることを面白くない五大老の一人・上杉景勝(津田寛治)は三成にこう助言しました。

「徳川殿は、狸と心得ておくがよい」

家康に限って、よこしまな野心などない。

三成は芽生えそうになる疑念を打ち消しました。

その後、朝鮮から撤退した加藤清正、黒田長政に心無い発言をしたことで、三成の立場は危ういものになってしまいます。

そんな様子を見て、秀吉の妻・寧々(和久井映見)は「治部が出来なければ、そのときは力あるものにやってもらいたい」と家康に言いました。

その言葉を聞き、亡き酒井忠次(大森南朋)も同じようなことを言っていたと思いだす家康。

さらに忠勝(山田裕貴)、正信(松山ケンイチ)もいつかは家康に天下を狙ってほしいと思っている様子。

翌年、ある問題が起きてしまいます。

それは家康が伊達や福島正則らと許可なく縁組を進めてしまったこと。

秀吉が禁止した勝手に縁組をするという掟を破ってしまったのです。

家康を目の敵にする五大老の毛利輝元(吹越満)は三成に言います。

「言わんこっちゃない治部。これは天下簒奪(てんかさんだつ)の野心有りとみるほか無い」

前田利家(宅麻伸)は最後まで家康を庇うも、三成は家康に謹慎を言い渡すのでした。

一方の家康は、奉行衆を助けるためにやったことであると、三成に説明したく屋敷に呼び、自らの浅慮を詫びます。

「誤解は解いておきたい。わしはそなたの味方である。その類まれない才覚で政を助けてもらえぬか」

しかし、このときの三成の目には、家康が己の保身と徳川のことしか頭に無いと映っていました。

「皆が言うことが正しかったようでござる」

三成は茶々(北川景子)の「家康は平気でうそをつく」という讒言も鵜呑みにしてしまい、家康のことを信じられない状態となっていたのです。

そして五大老の抑え的存在だった利家が亡くなったことで、世の中は騒がしくなっていきます。

三成の屋敷を、かねてから不仲の加藤清正、福島正則が取り囲むという事態が発生!

家康のとりなしで何とか大事にはならなかったものの、三成は豊臣政権を混乱させたことで、所領の佐和山で謹慎となりました。

佐和山に向かう前の三成に家康はこう言います。

「佐和山を訪ねてもようござるか?また夜空を眺め二人で星の話をしよう」

「ご遠慮願いとうござる。私と家康殿は違う星を見ていたようでございますゆえ」

三成失脚で、一躍天下人に躍り出た家康。

しかし今度は、上杉景勝が領地で不穏な動き有りという情報が入ります。

さらに上杉家老の直江兼続が、家康に対する弾劾状を送りつけてきたのです!

これが世に言う直江状。

こうして上杉討伐のために、東に向かうことになった徳川軍。

するとその背後から、石田三成が挙兵を図ります。

裏では茶々が手を引いている様子で・・・

こうして、世に言う「関ヶ原の戦い」の火ぶたがきられることになるのでした。

石田三成と徳川家康の関係は不仲だった?史実はどうだった?

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石田三成と徳川家康の争い、関ヶ原の戦いは1600年に起こり、みなさんご存じのように家康率いる東軍が勝利することになります。

そして家康は江戸に幕府を開いて、260年にわたる太平の世が築かれることになるのです!

しかし皆さん気になるのは、家康と三成の本当の関係性ですね。

かつての大河ドラマでは、三成が家康のことを悪く思って、不仲な様子が描かれていることが多かったですが、今回の「どうする家康」では終始良好な関係を保っていました。

まじめな三成が周囲からの言葉に惑わされ、家康が掟を破ったことがきっかけで、二人の関係が悪化するという描かれ方になりました。

それでは史実の三成と家康の関係性はどうだったのでしょうか?

実は、二人が敵対していたことを明確に示す資料というのは残っていないんだそうです。

むしろ家康は三成のことを評価していて「三成のような家臣が欲しい」とまで言っていたという説もあるそう。

もしかしたら二人は不仲ではなく、仲が良かったのかもしれません。

家康は五大老の中でも一番の石高であったため、周囲から嫌われていました。

三成もその性格から、周囲に敵も多かったようです。

嫌われ者の家康と三成同志、実は仲が良かったのかも?

二人の関係性が悪化したと言われる、大名同士の婚姻の禁止を家康が破ったことも家康の私利私欲が理由では無かったとも言われています。

あくまで豊臣政権の安泰の為にやったこと。

そうであれば、事前に他の大老たちに伺いを立てる必要があった気もしますけどね。

実際のところは分かりませんが、これまでの不仲な家康と三成の描かれ方と史実は、もしかすると大きく違ったのかもしれません。

石田三成と徳川家康の関係まとめ

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今回は「どうする家康」の石田三成と徳川家康の関係性についてご紹介しました。

これまでの作品では、不仲で描かれたことが多かった家康と三成。

しかし史実では、それを裏付ける根拠は無いみたいですね。

三成を買っていたという家康の声もあるようですので、本当は仲が良かった可能性もあるかもしれません。

そんな二人の関係も、後々悪化の一途を辿り、結果的には関ヶ原の戦いが起こることになります。

松潤家康と、中村七之助三成がどのようなバトルを繰り広げるのか?

私生活では親友同士の二人の対立をぜひ皆さんご期待ください!

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