石川数正【いしかわかずまさ】その後は?裏切りの後はどうなった?

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2023年NHK大河ドラマ「どうする家康(どうするいえやす)」は、松本潤さん演じる徳川家康の波乱の生涯を描いた物語です。

後半戦に突入し、家康のことを幼いころから支えてくれた家臣・石川数正(いしかわかずまさ)が裏切って、羽柴秀吉のもとにはせ参じるという衝撃の展開を迎えた第33回。

松重豊さんが素晴らしい演技を見せてくれましたよね!!本当に裏切ったのか?それとも徳川家を思っての決断だったのか?

数正の思惑が気になる方も多いと思います。

第34回の放送で、その真意がおそらく明らかになりそうですが、史実の石川数正はその後どうなったのでしょうか?

今回は「どうする家康」石川数正【かずまさ】裏切りのその後について、どうなったのか??ネタバレと史実・実話をご紹介します。

今後のストーリーについてのネタバレを含みますので閲覧ご注意ください。

目次

石川数正【いしかわかずまさ】その後が気になる!裏切りのネタバレと反響とは?

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まずは衝撃の石川数正裏切りの第33回のストーリーを振り返ります。

家康(松本潤)は小牧長久手で秀吉(ムロツヨシ)に大勝。しかし秀吉は織田信雄(浜野謙太)を抱き込んで和議を迫り、さらに人質を求めてくる。その上、秀吉が関白に叙せられたという知らせが浜松に届き、家康は名代として数正(松重豊)を大坂城へ送る。そこで数正は、改めて秀吉の恐ろしさを痛感。徳川を苦しめる真田昌幸(佐藤浩市)の裏にも秀吉の影を感じた数正は、決死の進言をするが、家康の秀吉に対する憎しみは深く――。

引用元:公式サイト

小牧長久手の戦いに勝利したものの、秀吉は織田信雄を取り込み和議を迫ってきました。

その使者を任されたのが石川数正です。

数正は大坂で、関白となった秀吉とその妻・寧々(和久井映見)と対面して、甘い言葉で誘われます。

そんな秀吉の恐ろしさを痛感した数正は、三河に戻ると家康にこう進言したのです。

「殿、秀吉のもとに参上なさってはいかがでしょう」

本多忠勝(山田裕貴)ら家臣たちは猛反対し、小牧長久手で買ったであろうと主張しますが・・・

「勝手はおらん。あんな勝利は些細なこと」だと返す数正。

すると家康は問います。

「わしは秀吉に及ばぬか。劣ると申すか?」

「あれは化け物じゃ。殿は化け物にはかなわいませぬ。臣下に入るべきかと存じます」

岡崎城代として進言すると言う数正に、家康は「岡崎城代の任を解く」と言い、その場を後にしてしまいました。

家康にとって数正は幼いころからそばにいて、間違ったことは厳しくいさめてくれた存在。

だが家康は国を守らなければいけない。

家康は数正と二人になり、心を尽くして数正を説得しました。

すると数正は覚悟を決めて、老体にムチ打ちもう一度大暴れすると家康の前で言います。

「わたくしは、どこまでも殿と一緒でござる」

「羽柴秀吉何するものぞ!われらの国を守り抜き、殿を天下人にいたしまする」

その夜、数正は妻の鍋(木村多江)とともに、城を後にしました。

書置きといびつな木彫りの仏を残して・・・

翌日、酒井忠次(大森南朋)が家康に報告します。

「石川数正、その妻子、その家臣、出奔いたして存じます」

そのころ、数正は大坂城で秀吉と寧々と対面していました。

数正が残した書置きにはこう書いてあります。

「関白殿下、これ天下人なり」

という感じで、数正が裏切ってしまった第33回にはSNSでも反響の声が多数ありました。

これまで家康を厳しくも支えてきた石川数正!

ここで裏切って、宿敵の秀吉のもとに行ってしまうなんて((+_+))

しかし、数正は「どこまでも殿と一緒でござる」と家康に言っていました。

この言葉に嘘はないような気もするんですよね・・・

果たして、石川数正の出奔の真意とは?

以降で、第34回のストーリーを先取りご紹介したいと思います!

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古参の家臣・石川数正の出奔は家中に大きな衝撃を与えました。

困惑し怒る者がいる家臣団に向けて「去った者は忘れよ」と言う家康。

それからというもの、秀吉はなんとか家康を臣従させようとあの手この手を尽くしてきます。

まずは自らの妹・旭(山田真歩)を正室として人質として差し出したのです。

それでも家康の思いは固く、秀吉にひざまずこうとはしませんでした。

すると秀吉は、母である大政所(高畑淳子)まで人質に!!

こうなっては、家康と秀吉の戦いの勝敗を握るのは、出奔した数正の存在です。

「飼い殺しになると分かってなぜ・・・石川数正ともあろう者が」

そう言った大久保忠世(小手信也)に酒井忠次が返しました。

「覚悟のうえで行ったにきまっておるさ」

忠次と数正は、家臣団の中でも幼いころから家康を支えており、その心の内が読めていました。

数正には、ほかの者には見えないものが見えていた。

家康が天下人になり戦の無い世を作るという亡き瀬名(有村架純)との誓いに苦しんでいる姿が。

ここで皆はようやく数正の真意に気付いたのです。

自らが憎まれ役になって出奔することで、戦を避けて家康と徳川を守った。

わざわざ憎まれるような書置きを残して、罪を一人で背負ってまで。

「数正のあほ、たわけ!!」と思わず叫んでしまった家康((+_+))

この不器用な石川数正という男の生きざまが、家康に決意をさせます。

ついに上洛を果たし、関白となった豊臣秀吉への臣従を誓ったのでした。

石川数正【いしかわかずまさ】その後は?裏切りの後はどうなったか史実は?

「どうする家康」では、徳川家の将来のために、あえて自らが憎まれ者となって秀吉のもとに行くことにした石川数正!

史実の石川数正についても以降で少しご紹介したいと思います。

数正の出奔に関しては諸説あり、「秀吉の説得に応じたから」や「秀吉との融和を求める数少ない和睦派で、家中で孤立したから」。

さらに「徳川家のため自ら敵に潜り込んだ」など歴史学者の間でもその意見は割れているみたいです。

個人的には、私利私欲ではなく、徳川家のためにあえて出奔した説を推したいところですね。

そんな石川数正ですが、出奔した後秀吉のもとで小田原征伐などに参戦したのち、信濃国松本城10万石を与えられることになりました。

そして文禄元年(1592)3月、朝鮮出兵にも参戦し、肥前・名護屋に出陣しています。

しかしほどなく、原因不明の病にて60歳でその生涯を閉じました。

秀吉のもとに数正が行ったことで10万石の領地を得た石川家ですが、関ヶ原の戦いの後徳川の天下になると、幕府の重臣・大久保長安と縁戚関係を結びます。

これで石川家も安泰化に思われましたが、長安死後に不正蓄財の罪に大久保家が問われると、それに連座するかたちで、石川家は断絶してしまうのでした。

 

石川数正【いしかわかずまさ】その後まとめ

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今回は「どうする家康」石川数正裏切りのその後についてご紹介しました。

ドラマでは、徳川家のために自らが悪者になって、秀吉と家康の仲を取り持ったという展開となります。

石川数正の真意は裏切ってはいなかったのです((+_+))

史実の数正の出奔については諸説あるようですが、秀吉のもとに行った後、朝鮮出兵の最中に亡くなったとされています。

9月3日放送の第34回は、松重豊さんのラスト出演となるのか?見逃せない展開ですので是非ご期待下さい!!

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