北条時政の死因や最後は?鎌倉殿の13人の追放は実話?

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NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人(かまくらどののじゅうさんにん)」も残すところ放送が3か月となりました。

最終回に向けて、主人公の北条義時(ほうじょうよしとき)の周辺人物が続々と退場していき、2022年9月18日放送の第36回では中川大志さん演じる畠山重忠(はたけやましげただ)も死んでしまうことに((+_+))

そのきっかけとなったのが、義時の父と義理の母である北条時政(ほうじょうときまさ)とりくです。

SNSでは、「時政パパ」と呼ばれ、たびたびトレンド入りするほどの人気があるキャラクター?

畠山重忠の一件から、義時と時政は対立することになり、なんと父親である時政は息子の義時に追放されてしまう!?(・_・;)

果たしてこの追放エピソードは実話なのでしょうか?そして気になる時政の最後や死因とは?

今回は「鎌倉殿の13人」で北条時政の追放、死因や最後についてネタバレと史実についてご紹介していきます!

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目次

北条時政の死亡が近い?鎌倉殿の13人で年下妻・りくを愛する憎めない父親!

オンベレブンビンバとは?意味とは?鎌倉殿13人のタイトルの考察が盛り上がる!

坂東彌十郎さん演じる北条時政は、主人公・北条義時(小栗旬)の父親です。

伊豆に流罪となった源頼朝(大泉洋)の才を認め、娘の政子(小池栄子)を嫁に出したことで、頼朝の舅となり力をつけていきました。

義時と政子の母である妻を亡くしたのちは、京都から公家の娘・りく(宮沢りえ)を迎えて溺愛します。

年下の美しい妻・りくが本当に大好きで、りくの言うことは何でも聞いてあげる時政!

戦上手で交渉下手で少し頼りないものの、なんだかんだ憎めない父親なんですよね(;^_^A

その後は平家討伐にも貢献し頼朝と度々ぶつかりながらも、有力御家人としての座を維持していきます。

曽我兄弟の仇討ち事件の際は、烏帽子親という立場から時政にも危機が及びそうになるも、義時の機転に救われてその地位は保たれました。

曽我兄弟の仇討ちで時政が源頼朝の暗殺を計画?史実はどうだった?

頼朝が死んでからは、娘婿の阿野全成(新納慎也)を次の鎌倉殿に望む時政!

しかしライバルの比企能員(佐藤二朗)が乳母夫となっていた源頼家(金子大地)が鎌倉殿となったことで、比企と北条の対立は悪化の一途をたどります。

その後時政は比企能員を滅ぼして、孫でもある頼家を修善寺に追放し、のちに頼家は暗殺されてしまいます((+_+))

そしてもう一人の孫である実朝(柿澤勇人)を鎌倉殿に据えて、初代執権の座に就き鎌倉幕府の実権を握ることになりました。

執権となり野心を持ち始めた時政は、もともとの領地の伊豆だけではなく、比企が治めていた武蔵にも手を伸ばし始めて、娘婿の畠山重忠(中川大志)との関係も悪化していくことに・・・

そんな中で、時政とりくの息子である政範(中川翼)が謎の死を遂げたことで、さらなる争いが発生してしまったのです!

この争いがきかっけで、もしかしてとうとう死亡!?という気もしますよね。

鎌倉殿の13人は、次々と大物たちが死亡していき「死ぬどんどん」とSNSで揶揄されるほど(^^;

そうなると、次は誰???争いをするならば、まさかの時政、死亡してしまう!?となってしまいますよね?

以降では、史実からご紹介していきます。

北条時政は義時に追放される?鎌倉殿の13人で死亡フラグ?

鎌倉殿の13人大竹しのぶが歩き巫女役!占いおばば役でサプライズ出演で反響!

政範の死を悲しむ時政とりく。

政範は病死とされていましたが、実は時政の娘婿の平賀朝雅(山中崇)に毒を盛られて殺されていたのです!

そして朝雅は傷心のりくにこう告げます。

「毒を盛ったのは、畠山重保(杉田雷麟)だ!」

畠山重保とは、重忠の嫡男のことです。

この話を鵜吞みにしたりくは夫である時政に頼みます。

「畠山を討ってちょうだい!!」

愛する妻・りくの頼みを断れない時政は、苦渋の思いで娘婿である畠山重忠に謀反の疑いありとして討伐することを決意。

しかし当然義時らの反対にあってしまい、討伐するにも将軍・実朝の命令も必要になってきます。

そこで時政は祖父の地位をうまく使い、孫の実朝に文書に判を押させてしまうのです。

重忠を討つ大義名分を得て、ついに戦が再び起きてしまいます!

9月18日放送の第36回「武士の鑑」では、中川大志さん演じる畠山重忠の壮絶な最期が描かれることになるでしょう(´;ω;`)ウゥゥ

北条政範の死因は暗殺?畠山重保への疑惑と滅亡は実話?

文武両道で武士の鑑と呼ばれた重忠が謀反など起こすはずがない!

そんな思いが届かず、重忠を守り切れなかった義時。

重忠の軍はわずか百数十騎で、謀反は偽りだったと義時は時政を痛烈に批判。

この一件で時政の御家人からの信頼は揺らいでいくことなります。

追い詰めらえた時政とりくは、将軍を実朝から娘婿の平賀朝雅にすげ変えようと画策することに!

しかし、政子が実朝を義時の館に移して守ったことでこの企みは失敗に終わります。

その後、失脚した時政とりくは伊豆へ追放されて、平賀朝雅は幕府の命を受けて殺害されることになるのです。

史実通りだと、畠山との争いにおいては、時政は死亡することはありません。

どうにか、追放だけで済むのですが・・・そんな時政の最後や死因の史実とは??

北条時政の死因や最後は?追放は実話?

鎌倉殿の13人【のえ】の史実とは?義時の3人目の妻は伊賀の方で悪女?

おそらく北条時政とりくの陰謀は、9月25日放送の第37回で描かれることになりそうです。

歴史上ではこの出来事は「牧氏の変」と呼ばれています。

「りく」は史実では「牧の方」と呼ばれていたため、その名に絡んでつけられたのだと思われます。

そして実の子供たちに伊豆に追放されてしまった北条時政!

このエピソードももちろん実話です。

現将軍を引きずりおろして、別の将軍にすげ変えようと謀反を企むなどかなりの重罪。

実の父親でなければ、きっと追放では済まされず殺されていたでしょうね((+_+))

その後、時政は政治の表舞台に返り咲くことはなく、追放から10年後の1215年に78歳で亡くなったとされています。

その死因は病気で腫瘍によるものだったそうです。

周囲の大物たちが、次々と残忍に殺害される中、病死ということで、ドラマ「鎌倉殿の13人」の時政を見ていると、いつもいろいろやらかしてしまっている割には、ラッキーだったのでは?と思ってしまいますね。

静岡県の伊豆の国市の願成就院という寺に北条時政の墓はあるそう。

そして気になる「牧の方」ですが、時政の死後は娘を頼って京に戻ったとされています。

平賀朝雅と死に別れた娘は公家の藤原国通に嫁いでおり、牧の方は京都で贅沢にその後の余生を送ったんだとか。

「鎌倉殿の13人」でも時政の死が描かれのち、宮沢りえさん演じる「りく」が京都に戻り贅沢三昧なんてシーンもありそうな予感がしますね(^^;)

 

鎌倉殿の13人時政の死因や最後まとめ

鎌倉殿の13人最終回はいつ?いつまで放送?

今回は「鎌倉殿の13人」の北条時政の死因や最後についてご紹介しました。

時政とりくは、実朝から平賀朝雅に将軍をすげ変えようとして、ついに義時と政子と決裂して伊豆に追放されることになります。

それから10年後に病で亡くなる時政。

一方のりくは時政の死後、京都に戻り娘とともに贅沢に暮らしていたとされています。

「鎌倉殿の13人」でも史実通りに描かれて間もなく時政とりくも追放されてしまうことに・・・

まあ自業自得ではありますが、物語でいい味を出していたトラブルメーカーの二人が退場してしまうのはちょっと残念(;^_^A

しかしまだ亡くなるわけではないので、伊豆で何か企みながらも果たせずに悔しがる時政とりくのシーンが登場する可能性もあるかもしれませんね(笑)

 

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