わろてんかでだんご師匠のモデルは桂春団治で実在?破天荒な人気落語家の史実とは?

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NHK連続テレビ小説「わろてんか」で松坂桃李(まつざかとうき)さん演じる藤吉が、とてもご執心しているのが波岡一喜(なみおかかずき)さん演じる月の井団吾ですね。団子ではなくて団吾ですよ~!

毎晩遊び呆けいているように見えますが、実は影で大変な努力をしているところを目撃した藤吉は、さらに団吾に惚れ込んでしまったようです。

みなさんご存知の通りこの「わろてんか」にはモデルとされる人物が多数いらっしゃいます。

この大人気の天才落語家、月の井団吾のモデルは初代・桂春団治(かつらはるだんじ)と言われているようです。

初代桂春団治とは、どれだけ破天荒な落語家だったんでしょうね!

 

 

目次

初代桂春団治ってどんな噺家だった?

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初代桂春団治は1878年に大阪で生まれています。
1895年に初代桂文我(かつらぶんが)に弟子入りし、桂我都(かつらがとう)となります。

それからおよそ8年後の1903年に春団治に改名し、7代目桂文治(かつらぶんじ)門下に移籍、爆発的な人気を得ることになりました。

人気者となる一方、その奇行も数多く語り継がれています。

人気の出た弟弟子に嫉妬して、暗闇でボコボコにしたらなんとそれは師匠だった(!)ので数ヶ月逃げ回ったり、川に飛び込んでみたりと、話題作りに事欠かない噺家でした。

1918年師匠桂文治の引退興行の席でいざこざをおこしてしまい、妻である志うの持っていた財産を使って「浪花派」を立ち上げます。

が、想像通り連日馬鹿騒ぎを繰り返し、志うの持っていた莫大な財産を食いつぶしてしまうことに・・・。

多くの借金を抱えてしまった春団治に救いの手を差し伸べたのが吉本興業でした。

初代桂春団治が吉本興業に入ったのが1921年。
借金の返済のため吉本興業に拘束された(笑)といった方がいいかもしれません。

さすが「爆笑王」と言われただけあり、桂春団治の加入により吉本興業は勢いを増し、大阪の寄席ほとんどがその軍門に降りたとされています。

吉本興業に拘束されたとはいえ、桂春団治が黙って大人しくしている人物ではありません。

1925年には何と本物のおせんべいでレコードを作ったことも!
最近アナログレコードも流行っているので若い方もご存じかと思いますが、レコードはビニールでできています。

レコードをおせんべいで作ってどうする!?
と凡人の私は思うんですが、天才は違うんですねえ。

でも運悪く売り出した日が雨でおせんべいがしけってしまい、値段も高かったことからほとんど売れず、桂春団治は大損してしまいます(T . T)

そして破天荒な行動といえば、ラジオ放送です。

当時の吉本興業は放送番組を寄席の敵とみなしていて、芸人の出演を厳しく禁じていました。

が、黙って言うことを聞いている桂春団治でないことは想像できますね(^ ^)

吉本興業の目をかいくぐり、ラジオ出演をした桂春団治でしたが、当然バレてしまい謹慎処分を受けます。

ところがラジオ出演した翌日には寄席に客が殺到。
吉本興業はラジオというメディアの存在を認め、逆にそれを利用して今日の吉本興業があります。

桂春団治がいなければ、吉本興業のメディア進出は遅れていたかもしれないんですね。
そう思うとちょっと胸熱です。

そしてこのラジオ出演のあと、吉本興業の訴えによって財産が差し押さえられるという事態に。

そんなときでも桂春団治は執行官が持っていた差し押さえの紙を自分の口に貼り、「この私を持っていかはったら?」と言い、新聞でも大きく取り上げられました。

この芸人魂、器の大きさが違うんですね。

そして桂春団治は胃がんを患い、1934年57歳でその波乱の生涯を閉じます。

晩年入退院を繰り返す中、優秀で可愛がっていた弟子小春団治に名前を譲るつもりでいたのですが、吉本せいが気に入っていた桂福団治が継ぐことになりました。

そして小春団治は落語を冷遇していた吉本興業に反発し、結局1933年に退社、大阪に居づらくなり東京に移住します。

そんな経緯から吉本興業が取り仕切った桂春団治の葬儀には、出席できなかったという悲しい事実がありました。

そんな桂春団治さんの落語、聞きたくないですか?

当時の音源がCD化されて発売されているんです♪
興味のある方はご覧ください。

 

 

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月の井団吾は桂春団治がモデル?

 

 

波岡一喜さん演じる月の井団吾と北村有起哉さん演じる月の井団真にはお師匠さんがいることがわかりましたよね。

そう、団真の奥さんである中村ゆりさん演じるお夕さんの父親です。

史実でも初代桂春団治には先代にあたる桂春団治がいます。
詳しいことはわからない人物なんだそうですが、この二代目の桂春団治の印象が強すぎたので、初代とされているそうです。

初代桂春団治の本名は「皮田藤吉」といいます。

んん?藤吉???

松坂桃李さん演じる藤吉と同じ名前ですね!
偶然なのでしょうか?

偶然なのか必然なのか、とても悩ましいところですね。

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さて、他にも共通点はあります!

まずは「真っ赤な人力車」
桂春団治も、実際に真っ赤な人力車を走らせたりしたそうです。

そして借金です!

桂春団治も金遣いが荒く、常に借金があったようです。

お酒はもちろん、女遊びなど派手にお金を使っていたようです。

さすがにドラマで女遊びは出てきませんが(笑)お酒でのお金の使い方は凄そうですよね。
ドラマでは常に借金取りに追われているようです(⌒-⌒; )

もうひとつ、ドラマで言っていた月の井団吾の契約金「2万円」ですが、これも史実と同じです!
破格の値段ですが、そのおかげで吉本興業は勢いに乗ります。

まだ登場間もない月の井団吾なのに、こんなに類似点があるなんてちょっと驚きです。

・同じ名前の師匠がいる

・真っ赤な人力車

・借金

・2万円

これからまだまだ桂春団治の奇行がテレビで観れると思うと、ちょっとワクワクしませんか♪

 

まとめ

[https://dorama-netabare.com/archives/27441]

当時の上方演芸は落語が主役でしたが、桂春団治は早口でナンセンスギャグなどもどんどん使う、漫才に近いような落語だったそうです。

桂春団治の死後、エンタツアチャコやワカナ一郎といった漫才がどんどん受け入れられていくようになりました。

ということは、「わろてんか」のキースとアサリが、月の井団吾に代わって笑いの中心になっていくのかもしれませんね。

こんなふうに史実と照らし合わせてドラマを見るのも面白いですね♪

 

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