松平定信と倫子の関係が幼馴染は実話?史実とは?

  • URLをコピーしました!
#ad #PR #スポンサー

小芝風花さん主演フジテレビのドラマ「大奥2024」の主人公は徳川家治の正室・五十嵐倫子(いそのみや・ともこ)で松平定信(まつだいら・さだのぶ)との関係が話題です。「大奥」の松平定信と倫子の関係が幼馴染というのは実話なのか史実からネタバレ紹介します。

目次

松平定信と倫子の関係が幼馴染であることが4話で判明!

【大奥】松島の最後の死因とは?どんな人か生涯まとめ

ドラマ「大奥」とは?

時は江戸中期、景気は悪化の一途をたどり、日本国民は質素、倹約、勤労の日々を強いられていました。格差は広がるばかりで、人々はこの景気を改善し、国と国民を豊かにしてくれる将軍の登場を待ちわびています。そんな中、倫子は第10代将軍・徳川家治との政略結婚を強いられ、京から江戸城本丸の裏にある大奥へ渡ると、そこには1000人近くにもおよぶ将軍に仕える女性たちがいました。たった一人の天下人の寵愛を受けるべく、今、女たちの熾烈な戦いの火蓋が切られるのです。一方その頃、大奥を、江戸幕府を、混乱の渦に陥れようと、ある人物が陰謀を企てていて――。

2024年1月からスタートしたドラマ「大奥」は、2003年に初めてフジテレビで『大奥』が放送されてから20年以上の時を経て、新たな令和版!

菅野美穂さん、浅野ゆう子さん、 松下由樹さんと多くの大物女優がメインキャストで出演した人気シリーズが復活!ということで話題になっています。

令和版の「大奥」は江戸中期の10代将軍・徳川家治の時代。武家出身の倫子が政略結婚でやってきたことから、大奥のドロドロした人間関係の渦に巻き込まれていきます。

倫子が正室にもかかわらず、大奥の女たちから、理不尽に苛め、嫌がらせを受けるのは、大奥名物ですね(^^;過去作でも様々な嫌がらせを受けてきた主人公たち。

そして、そんな倫子ですが、松平定信との関係に注目が集まっています。

松平定信と倫子の関係が幼馴染であることが判明!

五十宮倫子(小芝風花)は、お知保(森川葵)が徳川家治(亀梨和也)の側室になったことを知り、動揺する。家治が田沼意次(安田顕)に強要されて側室を持つに至ったことを知らない倫子は心中穏やかではない上、早速御渡りがあると聞かされ、ショックを隠しきれない。

そんな折、増上寺代参が行われることになる。松島の局(栗山千明)は「忙しい上様、御台様に代わって、奥女中たちが代参を務める」と切り出すが、倫子は御台所の大事な公務であるとし、自分も共に参ると発する。松島は御台様が出向くなど前例がないことだと反論するが、家治は倫子に「頼んだ」と言い、代参を認める。

倫子がお品(西野七瀬)を伴って無事に参拝を終えると、猿吉(本多力)が倫子の好物である白みそ煎餅を持って現れる。それは、お品が葉山貞之助(小関裕太)に頼み、特別に作ってもらったものであった。そして、倫子が茶屋で休んでいると、松平定信(宮舘涼太)に声を掛けられる。そこで、定信から“賢丸”という幼名を聞いた倫子は、定信がかつての幼なじみであったことを思い出す。そして、二人は幼い頃に戻ったかのように、江戸の町を散策して楽しんでいたが…。

引用元:公式サイト

第3話ラストで、将軍・家治(亀梨和也)の側室にお知保(森川葵)が選ばれました。

家治と近づくことが出来た正室の倫子(小芝風花)は複雑な思いを抱く中、江戸の町で松平定信(宮舘涼太)と出会います。

なんと倫子と定信は、かつて幼馴染だったのです!

第3話では隠密に大奥の動向を探らせるなど怪しい行動を見せていた定信。

将軍・家治とはいとこ同士で、ある思いを抱き対抗心を抱いている様子です。

倫子に近づいたのも、家治の弱みを握るためかもしれません!

または倫子に恋心を抱いている可能性も?

そんな松平定信ですが、史実でも五十宮倫子と幼馴染だったのでしょうか?

以降でまずは定信の倫子についてご紹介します!

松平定信と倫子の史実とは?

大奥お知保の方【おちほ】モデルは蓮光院で徳川家治の側室!森川葵が演じる!

松平定信は徳川吉宗の孫で後に老中として活躍!

松平定信は、1759年に田安宗武(たやすむねたけ)の息子として江戸で誕生しました。

宗武は8代将軍吉宗の次男なので、定信は吉宗の孫に当たります。

ちなみに宗武は陣内孝則さん、吉宗は伊武雅刀さんが演じていますね!

吉宗は将軍家に世継ぎが出来なかった時のために、自分の子供たちを田安、一橋、清水家と分け、万一の時には分家から将軍を輩出できるようにしました。

世に言う「御三卿(ごさんきょう)」のことです。

この御三卿の一つ「田安家」に生まれた定信は、幼いころから頭が良く、次期将軍候補としても名が上がるほどでした。

しかしときの老中・田沼意次は定信が将軍になることを快く思っていなかったようで、10代将軍・家治に定信を白河藩に養子に出すことを進言。

定信は養子に出されてしまい、将軍家を継ぐ道は絶たれてしまったのです。

白河藩主となった定信は、浅間山の噴火がきっかけで全国で大飢饉が起きた際、領内で一人も餓死者を出しませんでした。

倹約を重んじて、備蓄などをしていたため、その政策が功を奏したのです。

その後田沼意次が失脚し、定信は幕府の老中首座に抜擢されます。

田沼時代とうって変わり緊縮財政、風紀の取締を強化した定信。

歴史の授業でも習った「寛政の改革」の事ですね。

しかしあまりにも厳しすぎるその政策は、市中の反発を招き、外国船も日本近海にやってくる中、定信は1793年に老中を罷免されたのでした。

五十宮倫子は公家出身で家治に嫁ぐ

1738年、皇族・閑院宮直仁親王の娘として京都で生まれた倫子。

わずか10歳にして徳川家治との婚姻が決まり、1754年に江戸城大奥入りして将軍の正室、御台所となりました。

家治との夫婦仲は良く、2人の子供をもうけますがどちらも女の子で、幼くして亡くなってしまいます。

その後倫子は男子を産むことは出来ませんでしたが、側室に男子が誕生し、家基と名付けられたその跡継ぎの養育は倫子に任されました。

しかし、家基は幼くして亡くなってしまい、後の将軍は御三卿の一橋家から出されて、徳川家斉が就任することになるのです。

倫子は34歳の若さで亡くなったとされています。

五十宮倫子【いそのみやともこ】死因とは?徳川家治との子供についても

松平定信と倫子の関係は実話?接点はあったのか史実とは?

そんな松平定信と倫子が「大奥」では幼馴染として描かれますが、果たして実話なのでしょうか?

松平定信、幼名・賢丸(まさまる)は江戸で生まれ、倫子は京の公家の出身なので、2人が幼馴染という設定は史実では無いと思います。

しかし、調べてみたところ定信の母親は京都の公家・近衛家に仕える山村氏の娘(養子)だったようです。

さらに父親である田安宗武の正室が養母だったようで、その女性は近衛通子といいます。

養母が京の公家の出ということは、定信が幼少時代に京に行ったことがあるのかも?

その辺りの事実は、調べた限り分かりませんでしたが(;^_^A

もしかすると、その設定を生かして「大奥」では、定信と倫子が幼いころに今日で一緒に過ごしたことにしたのかもしれませんね!

 

まとめ

大奥の徳川家治の死因や最後とは?倫子の夫が何をしたかエピソードも

今回は「大奥」の松平定信と倫子の関係の史実について紹介しました。

定信と倫子は史実では幼馴染であるこということは確認できませんでした。

しかし定信の養母が公家出身なので、京のつながりは強かったかもしれません。

その辺りを「大奥」では繋げて二人が幼馴染だったと描いたように思います。

第4話では宮舘涼太さん演じる松平定信のシーンがいつもより多いかもしれません!ファンのみならず期待が高まりますね(^^♪

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
目次