大河ドラマ「青天を衝け(せいてんをつけ)」も最終回まで残すところ2話のみとなりました。
日本資本主義の父と呼ばれる渋沢栄一(しぶさわえいいち)を吉沢亮(よしざわりょう)さんが演じており、亡くなるまでのその生涯が描かれることが分かっています。
渋沢栄一は91歳まで生きたそうで、吉沢亮さんがその老いた姿をどう演じるのか?注目が集まっていますよね(^^)/
大河ドラマで主要登場人物が亡くなる展開になると、その死因について気になっている方も多いと思います。
長生きした渋沢栄一はどんな死因で亡くなったのか??病気で亡くなったのか?その病名とは?気になりますよね。
今回はNHK大河ドラマ「青天を衝け」の主人公・渋沢栄一の死因とは?病気病名や晩年の活躍についてご紹介していきます。
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渋沢栄一の死因は?病気の病名は?
日本資本主義の父、もしくは近代日本経済の父とも呼ばれる渋沢栄一!
間もなく発行される新一万円札の肖像画としても知られていますが、今回「青天を衝け」の主人公として描かれたことでかなり知名度が高まりましたよね。
演じたのは若手イケメン俳優の吉沢亮さん。
<#青天を衝け 登場人物紹介>
渋沢中の家(なかんち)の長男。幼いころから人一倍おしゃべりで剛情っぱり。従兄である惇忠の影響を受け、読書に没頭する日々を送る。勤勉な父・市郎右衛門の教えを受け、藍玉づくりの仕事の奥深さを知り、思わぬ商才を発揮していく。 pic.twitter.com/1ca6ysQtbT
— 【公式】大河ドラマ「青天を衝け」 (@nhk_seiten) December 14, 2020
序盤はかなり若々しい姿が描かれましたが、後半に差し掛かり白髪交じりの姿になってきましたね。
第39話では明治30年代が描かれているので、渋沢栄一の60代の姿を演じていることになります。
「私は近く、実業界を引退する」と穏やかな顔で篤二に話した栄一。一方、篤二はなみなみならぬプレッシャーを感じているようです。
シーンの撮影後、初めての栄一と篤二、親子2ショット。#青天を衝け#吉沢亮#泉澤祐希#青天オフショット pic.twitter.com/DfIx0yeLg7
— 【公式】大河ドラマ「青天を衝け」 (@nhk_seiten) December 12, 2021
実はこれから20年以上、渋沢栄一は生き続けるんです!
明治、大正、そして昭和まで生き、1931年(昭和6年)11月11日、91歳で亡くなりました。
その気になる死因ですが大腸狭窄症で、亡くなる一か月ほど前には、飛鳥山の自宅の中で東京帝国大学塩田広重教授が出頭し、腹部切開手術を受けたそうです。
手術をしたものの、その病を完治させることはできなかったんですね((+_+))
それにしても当時で、91歳とはかなり長生きです。
さぞかし健康に気を使って、ヘルシーなものを食べていたのかと思いきや・・・
甘味や脂肪分の多い食べ物を好み、時々お菓子をいただくこともあったそう(^^;)
夕ご飯は、天ぷらやうなぎ、けんちん汁などが好物だったみたいです。
好きなものを適度に食べていたのが、長生きにつながったのかもしれませんよね。
渋沢栄一の死亡時の最期に残した言葉とは?
1931年9月に満州事変が勃発した2か月後。
渋沢栄一は91歳でこの世を去ることになります。
渋沢の思いと反して、日本は戦争の道に突き進んでいくことになったのです。
そして気になる渋沢栄一が最期に残した言葉をここでご紹介します!
見舞いに訪れた財界の有力者にこう語っていたそうです。
「私は帝国民としてまた東京市民として、誠意御奉公をして参りました、そして尚ほ百歳までも奉公したいと思ひますが、この度の病気では最早再起は困難かと思はれます、しかしこれは病気が悪いので私が悪いのではありません、たとへ私は他界しても、皆さんの御事業と御健康とを御祈し守護致します。どうか亡き後とも他人行儀にして下さいますな」
引用元:渋沢栄一記念財団公式サイト
死の間際でも、100歳まで生きて世の中に尽くしたいと話していたんです((+_+))
そんな渋沢栄一の人となりを、当時の人々もよく知っていたのか葬儀の日のこと。
棺を乗せた車が走った沿道には、数万の人々が埋め尽くされていたそうです。
渋沢栄一が人々から慕われていたことが、このことからもよくわかりますエピソードですね。
そんな渋沢栄一ですが、その活動を広く紹介する博物館として「渋沢資料館」が1982年に渋沢栄一の旧邸 「曖依村荘」跡(現在東京都北区飛鳥山公園の一部)に設立されました。
引用元:https://www.shibusawa.or.jp/museum/
現在、コロナの影響で予約制のようですが、この機会に訪れてみるのもいいかもしれません。
17(イーナ)です。こんにちは。
今日も暑いですね!
渋沢史料館では、紹介動画「渋沢栄一に会える場所 渋沢史料館」の公開を始めました。https://t.co/aNRG8WGl6I
ぜひご覧いただければ幸いです。— 19(イッキュー)17(イーナ)@晩香廬 (@bankouro) July 31, 2021
そんな渋沢栄一は、血洗島村の農家に生まれ、尊王攘夷を掲げながらも、徳川慶喜に仕え、フランスに渡り、帰国後は大蔵省で務めるも、その後は経済人として活躍!
これまで「青天を衝け」でその生涯が詳しく描かれていましたが、残り2話でその晩年が描かれることになります。
果たして、渋沢栄一の晩年はどのようなものだったのか?
以降で、先取りしてご紹介したいと思います!
渋沢栄一の死の前の晩年は徳川慶喜の名誉回復に奔走!
渋沢栄一は晩年、かつての主・徳川慶喜の伝記編纂事業を推し進めます。
幕末、大政奉還した慶喜は、その後鳥羽伏見の戦いを引き起こし、多くの家臣を大阪に残して江戸に帰還したこともあり、世間からはあまり良い印象を持たれていませんでした。
しかし、臆病者と言われても朝廷へ恭順の意を貫いた慶喜の姿勢こそ、明治維新をより推し進めたと渋沢は考え、その功績を伝記にして世に知らしめたいと思い至ったんです。
当初は伝記にすることを慶喜は乗り気でなかったものの、渋沢の粘りに負けて自らの死後に公表することを条件に伝記編纂事業を許可しました。
慶喜に直接取材をする「昔夢会」というものが設けられて、たびたび慶喜は渋沢の飛鳥山の邸宅に招かれたと言います。
「青天を衝け」第39話でもその様子が描かれていましたね。
【#青天ナビ】
慶喜は、自分の死後何年かたってから伝記を世に出すことを条件に語り始めます。栄一は、慶喜の伝記編纂作業と同時並行で、慶喜に直接取材する会を開催。この会を、慶喜は昔夢会(せきむかい)と名付けます。飛鳥山の渋沢邸に慶喜を招き、1907年から17回開催されました。#青天を衝け
— 【公式】大河ドラマ「青天を衝け」 (@nhk_seiten) December 12, 2021
第39回「栄一と戦争」をご覧いただきありがとうございました。
見逃した方、もう一度見たい方は ぜひ #NHKプラス でご覧ください。
▼配信ページはこちらhttps://t.co/OBeikqYB5H
※配信期限 : 12/19(日) 後8:44 まで
※要ログイン#青天を衝け#追天#吉沢亮 pic.twitter.com/tvsVVitEJ5— 【公式】大河ドラマ「青天を衝け」 (@nhk_seiten) December 12, 2021
しかし編纂事業は慶喜が存命中には完成せず、大正2年(1913年)に徳川慶喜は77歳で亡くなってしまいます。
それから4年後の大正4年(1915年)に「徳川慶喜公伝」と言う名で伝記は完成。
全8冊という大がかりのものになったそうで、刊行に先立ち慶喜の墓前に渋沢は奉告式を執り行ったと言われています。
晩年の渋沢栄一の功績の一つは、徳川慶喜の名誉回復運動だったと言っても良さそうですね。
渋沢栄一の死の前の晩年は平和を願いノーベル賞候補にもなった!
明治42年(1909年)に70歳にして実業家を引退した渋沢栄一は、民間人の一人として外交にも尽力しました。
特にアメリカと中国との親善関係に注力し、4度アメリカを訪問し、中国とは建国の父と言われる「孫文」とも親交があったと言われています。
1920年になるとアメリカは日本人の移民に反対する運動が進み、日米関係は悪化の一途をたどりました。
そんな中でも渋沢は、当時の大統領ハーディングに面会し、ニューヨークでは財界人と交流することで日米の親善のために行動します。
しかし、1924年にアメリカで日本人の移民を排除する法律が成立してしまい、渋沢は大きなショックを受けました。
それでも日米の関係を良好に保ちたいと考えた栄一は、「青い目の人形」による外交に取り組みます。
アメリカの子供たちから青い目の人形が日本に贈られ、そのお返しとして日本からは市松人形を送るというもの。
こうした渋沢の活動は高く評価され、当時「ノーベル平和賞」候補にもなったそうですが、実現には残念ながら至りませんでした。
大河ドラマ第60作の主人公は、新一万円札の顔としても注目される「渋沢栄一」です。
約500の企業を育て、約600の社会公共事業にも関わり、ノーベル平和賞の候補に2度選ばれています!#青天を衝け#2月14日スタート pic.twitter.com/j3VtxGF4hf— 【公式】大河ドラマ「青天を衝け」 (@nhk_seiten) December 7, 2020
そして第一次世界大戦の休戦から8年がたった記念日に、渋沢はラジオを通じて世界平和を訴えます。
自身が幼いころから大事にしてきた儒学の教えをもとに、道徳心から平和を人々に説いたのです。
しかし、そんな栄一の願いもかなわずに、1931年に日本と中国の対立は激化してしまい、満州事変が勃発してしまいました。
渋沢栄一の死因は?病気病名まとめ
今回は「青天を衝け」の主人公である渋沢栄一の死因についてご紹介しました。
渋沢栄一は91歳で亡くなりましたが、その死因は大腸狭窄症という病気です。
死の間際まで100歳まで生きて奉仕したいと語っており、葬儀の日には沿道に多くの人々が集まっていたなど、様々な逸話が残っていますね。
そして「青天を衝け」も残すところ、40話と最終話のみです。
なんと残り2話は15分の拡大版なんです!
栄一の息子・篤二が廃嫡され、孫の敬三が後継者になる。
徳川慶喜、伊藤博文、大隈重信、井上馨などゆかりの人物との別れも描かれることになると思います((+_+))
そして最終回では、渋沢栄一の臨終のシーンもおそらく登場するはずです。
吉沢亮さんが91歳の栄一をどう演じるのかも注目したいですよね。
さらに個人的に気になっているのが、北大路欣也さん演じる徳川家康の存在!
最終回までちゃんと登場してくれるらしいです(^^)/
12月26日の「青天を衝け」最終回は、楽しみでもあり、終わってしまう寂しさもあり複雑な心境です(*_*)