田河水泡(たがわすいほう)さんは漫画「のらくろ」の原作者です。
「のらくろ」といってもピンとこない方も多いかも知れませんね(;^^)わたしはすぐに絵が浮かびますが(笑)
「のらくろ」は映画化もされたり、1970年にはテレビアニメとしても放送された国民的マンガ。
その「のらくろ」の原作者である田河水泡さんにとって、同じく国民的マンガ「サザエさん」の生みの親、長谷川町子さんもお弟子さんでした。
現在再放送中の朝ドラ「マー姉ちゃん」にも田河水泡さんそのままの名前で登場します!
【田河水泡】という名前は役名でモデルが存在するのでは??と思った方もいるかもしれませんが、実在のご本人のお名前なんです!
田河水泡(たがわすいほう)さんとはどのような人物だったのでしょうか?
【田河水泡】はモデルでなく本人の名前!長谷川町子の弟子入りなど史実は?
不遇の少年時代
田河水泡(たがわすいほう)さんは1899年生まれ。現在の墨田区である、東京府東京市本所区林町出身です。
昭和6年に「少年倶楽部」で連載が開始された「のらくろ」は、のらくろが手柄を上げて出世するアイデアが大受けして長期連載化、昭和8年に最初のアニメ映画になり、キャラグッズが多数出て単行本は日本漫画史上最初の百万部越えの大ヒットになった。写真はのらくろグッズに囲まれた作者の田河水泡。 pic.twitter.com/aDDUtlcbcO
— 竹熊健太郎《地球人》 (@kentaro666) February 3, 2021
1歳のときに母親を亡くし、父親の再婚により叔父夫婦に育てられた田河水泡さん。中国画の愛好家だった叔父の影響で、絵に興味を持つようになりました。
またのちに浮世絵複製家となる、従弟の高見澤遠治さんがたしなんでいた、油絵にあこがれるようになります。
ですが実父が亡くなり、叔父も小学5年で亡くしたことで生活は苦しくなり、小学校を卒業後すぐに奉公に出て働き始めます。
落語作家へ
20歳徴兵され、2年間軍隊生活を送ります。1922年に帰国して日本美術大学に入学。前衛芸術集団「マヴォ」に参加しますが、1925年に解散となりました。
1926年に自作の創作落語を講談社に持ち込み採用されます。本当は小説を売り込みたかったらしいのですが、ライバルが多すぎて断念(;^^)。大衆ウケのいい落語や講談の執筆に変えたそうです。
これが功を奏し、田河水泡さんは売れっ子落語作家になりました(^^)
このときのペンネームは「高沢路亭」。田河水泡さんが作られた落語は現在も語り継がれていて、「猫と金魚」が有名です。
落語【猫と金魚】描いてみた。
あの、“のらくろ”の田河水泡先生が作った落語なんですね、私は最近知りました。 #落語 #猫と金魚 #田河水泡 pic.twitter.com/zRDHYMHXCe— 柳家権之助 (@gonnosukedesu) November 27, 2018
1928年に文芸評論家、小林秀雄さんの妹、小林富士子さんとご結婚♪牧師さんによる洋風の結婚式でした(^^)
漫画家へ
落語作家でありながら、美術大学を卒業していると話題になり、新作落語の挿絵を頼まれるようになります。さらに編集者から頼まれ、合間に漫画も描くようになりました。
1928年に初の子供向け連載漫画「目玉のチビちゃん」が始まります!
田河水泡さんはマヴォに参加していたこともあったからか、かなりモダンな感覚を持たれていた方で特に初期作品にはデザイン的にクールな感覚のものが多いですね。
怪獣つながりでいえば「目玉のチビちゃん」の一篇であるこの作品(’29年)に出てくる怪魚もなかなかかっこいいです。 https://t.co/CndIOg1pka pic.twitter.com/iUI7p1azWQ— わとそん (@doctoruwatson) November 7, 2019
1931年から、いよいよ『のらくろ二等卒』連載が「少年倶楽部」で始まります!
「のらくろ」から昭和戦前期の子供マンガに迫る企画展、田河水泡の原画も並ぶhttps://t.co/KRGY7uDXrq pic.twitter.com/lW7fXsXI2s
— コミックナタリー (@comic_natalie) August 2, 2019
当初は2年間の連載予定でしたが、爆発的なヒットとなり結局11年続けられました。
1933年から『凸凹黒兵衛』の連載も始まります。
凸凹黒兵衛は一目惚れですね。 pic.twitter.com/DPGyZO2u4w
— なつき (@natsukissweet) August 14, 2017
長谷川町子の弟子入り
1934年、当時16歳だった長谷川町子さんが入門。少女倶楽部で連載を始めました。
朝ドラ「マー姉ちゃん」でも描かれますが、長谷川町子さんはのらくろの大ファン♪母親と姉が奔走し、弟子入りすることができました。
長谷川町子さん一家はクリスチャン。自宅の隣は教会だったことで通うようになり、奥様が先に洗礼を受け、戦後に田河水泡さんも洗礼を受けました。
洗礼を受けた理由は、何度も失敗した禁酒を成功させるためだったそうです(;^^)
そして1941年、戦争により漫画の連載がストップします。軍から許可が下りなかったのです。
戦後の1958年にのらくろ自叙伝の連載が始まり、またのらくろ再ブームへとつながっていきます。
文化人へ
笑いの研究を始めた田河水泡さん。1969年に紫綬褒章を受章。1981年に漫画や落語をとおした笑いの研究本『滑稽の構造』を出版します。
本日7月21日は #烏骨鶏の日 なのですが烏骨鶏に関する本がなかなかみつからないのでこれでご勘弁下さい。
『滑稽の研究』田河水泡https://t.co/VLvVs64AyD
「のらくろ」の巨匠が「滑稽とはなにか」を真摯に探求。国内外の美学、論理学等の論考を渉猟するほか、芸能… pic.twitter.com/fpyVUoqMK6— 丸善ジュンク堂書店劇場 (@junkudo_net) July 21, 2017
1987年に勲四等旭日小綬章受賞。1989年に肝臓がんにより90歳でお亡くなりになりました。
1998年遺族により遺品が江東区に寄贈され、「田河水泡・のらくろ館」が開設。森下文化センターの1階で常時展示されています。
清澄白河、森下辺りに来てます。打ち合わせ前に、ふらっと「田河水泡・のらくろ館」にきてみた。 pic.twitter.com/ZzZuq8HjtF
— 上の助 空五郎/Soragoro Uwanosuke (@baronkzw) January 10, 2017
興味のある方はぜひ立ち寄ってみてください♪
田河水泡と長谷川町子の弟子入り秘話とは?
マー姉ちゃんの方言の博多弁の評判は?何言ってるかわからない?
田河水泡さんには多くのお弟子さんがいます。独立して漫画家となった倉金章介、杉浦茂、滝田ゆう、山根青鬼、山根赤鬼、森安なおや、永田竹丸さんなど。
そして長谷川町子さんもそのお弟子さんのひとりです(^^)
平凡社「別冊太陽 長谷川町子」に「長谷川町子の戦中戦後」1頁の短文を掲載しました。田河水泡師事と松本かつぢに師事した上田とし子にも触れています。 pic.twitter.com/aT65VQ4xoU
— 夏目房之介 (@fusa811) May 28, 2021
長谷川家は九州にありましたが、父親をなくしたことで母親が娘3人を連れ上京。町子さんが14歳の1934年のことです。
このときに連載されていた「のらくろ」の大ファンだった長谷川町子さん。弟子になりたいと宣言します。
母親と姉の毬子さんは、なんとかかなえてあげたいと奔走します。
町子さんは無事田河水泡さんの弟子になることができました。
そんな秘話をご紹介。
朝ドラ「マー姉ちゃん」の原作となっていると言われている「サザエさんうちあけ話」に載っていた田河水泡さんとの秘話です。
お母さんに命じられた毬子さんと一緒に田河水泡さんに弟子入りを願いに行った町子さん。最初は「忙しいから会えない」と断れますが「わざわざ九州から出てきたから一目でも会いたい」と嘘を言う毬子さん(^^;
すごいですよね~。でも、その強引さに負けたのか田河水泡さんは会ってくれることに。そして絵を見せると「いいでしょ。弟子にしましょう。ときどき描いてもってきなさい」と言われ弟子に。
お母さんの思い付きと、お姉さんの鞠子さんの強引さがなければ、町子さんはデビューしてなかったかもしれないと思うエピソードですね。
また、すぐに町子さんを弟子にした田河水泡さんの変わった人な気がします(^^;でも、もしかしたら、見せてもらった絵でその才能を見抜いていたのかもしれません。
そしてお母さんは、同じようなやり方で姉の毬子さんも洋画の大家の藤島武二先生に弟子入りされたそうです。
娘たちに良い教育を受けさせるためには、強引にでもその環境をつくるために奔走されるお母さんが描かれている「サザエさんうちあけ話」を見ると、自分も子供たちのために、何かしなくてはと考えさせられました。
田河水泡さんの教育方針は、教えも叱りも、批評もしないという大らかなものだったそうです。でもそれで町子さんは成長できたのでしょうか?
田河水泡さんは、家に訪れる多くの編集者の人達に「女の子の弟子、珍しいでしょ。よろしく」と引き合わせて、紹介して、人脈を作ってくれたそうなんです。
それが、田河水泡さんの師匠としてのやり方だったんですね。このことがきかっけで1935年、田河水泡さんの力添えにより、「狸の面」で少女倶楽部より漫画家デビュー。「天才少女」というグラビア特集が組まれ、注目されます。
このころ内弟子として田河水泡さんの家で暮らしていた長谷川町子さんです。田河水泡さんの家では家族のようにかわいがってもらったそうです。
時には本気の子弟喧嘩をしたことも。でも、それは町子さんのことをかわいがっていたからこそだったようです。
しかし、ホームシックになってしまい1年経たずに実家に戻ります(;^^)
まだ16歳ですもんね~。
それでも田河水泡先生は、少しも変わらずに、長谷川町子さんを出版社に推薦してくれて、そのおかげで、児童むき漫画のお仕事が絶えなかったそうです。田河水泡さんの人柄がわかりますね。
田河水泡さんはお話し好きだそうで、落語を書かれていたためか、盛り上がりと落ちにこだわっていたそうで、このことが町子さんの作品にも影響を与えていると言われています。
田河水泡の「のらくろ」ってどんな漫画?
田河水泡さんの代表作のらくろ。黒い野良猫が主人公なので「のらくろ」です。案外わかいりやすいですね。
【入荷情報】田河水泡『のらくろ漫画大全』『のらくろ漫画集 全4冊』入荷しました!昭和初期の子供漫画を代表する田河水泡の代表作「のらくろ」。その人気は高く様々なグッズが作られるなど社会現象となりました。手塚治虫は幼少期にのらくろを模写し技術を磨いていたと言われています。#のらくろ pic.twitter.com/WW5B6hH7U0
— 愛書館・中川書房 (@aisyokan) December 2, 2017
「のらくろ」は講談社の「少年倶楽部」にて1931年から連載がスタート。のらくろは子どもたちの人気者になります。
主人公の名前は「野良犬黒吉」。ご自身の体験も交えつつ、不遇の野良犬が明るく生きていくストーリーです。
本名、野良犬黒吉と今日初めて知りました。 pic.twitter.com/9ALVuvCrPA
— 松田康洋 (@matsuda44) October 14, 2018
天涯孤独の野良犬、黒吉。犬の軍隊に入隊し、ヘマをしながらも活躍し二等兵、上等兵、伍長へと昇進していき、最後は大尉となり退役します。
ですが1941年、戦争が激しくなり軍からクレームがきたことで連載は中止。復活したのは1958年でした。
雑誌「丸」で連載が始まった『のらくろ自叙伝』をきっかけに、のらくろがまた注目されていきます。
のらくろ自叙伝/田河水泡・莫山書話/榊莫山・ハンタートンプソン集・with Thee MICHELLE GUN ELEPHANT・浅井健一詩集・JAZZ百番勝負 など 古本入荷です⇒ http://t.co/pevdriolX2 pic.twitter.com/5Z5v6lfGsd
— ちはや書房 (@chihayabooks) June 13, 2015
連載中止から17年経っていますが、それでもまだ人気だったんですね~。戦後の混乱で生活もままならない時代だったので、のらくろの復活は17年前にまだ子どもだった人たちにとっても、明るい話題だったのかもしれません。
1967年から『のらくろ漫画全集』が発売。漫画の連載は『のらくろ召集令』、『のらくろ中隊長』、『のらくろ放浪記』、『のらくろ捕物帳』と続き、喫茶店のマスターとなる『のらくろ喫茶店』まで、およそ50年に渡り続けられました。
「のらくろ」⑮完結編
昭和56年発行を文庫化軍隊を退役後、一般社会に出て
悪戦苦闘する
やっと見つけた仕事が喫茶店
結婚もできた
ご祝儀を孤児院に寄与する
心優しい、のらくろに涙 pic.twitter.com/wXcaGXcCml— かとちゃん (@chocobusuka_kt) February 15, 2021
この「のらくろ喫茶店」を描いていたとき田河水泡さんはなんと81歳(≧∇≦)のらくろは喫茶店のマスターになり、憧れのお銀ちゃんと結婚し完結となりました。
自分の不遇な環境にもめげず、明るく元気に活躍したのらくろは、当時の国民的アイドル。
原作を読んでほっこりしてください(*^^*)
テレビアニメは1970年と1987年に放送されています。
最初ののらくろの声は、初代ドラえもんの声を担当した大山のぶ代さん♪
1987年の「のらくろクン」は現代版にリメイクされたもので、声は坂本千夏さんが担当。
映画は1933年から1938年まで5作品上映されました。
田河水泡役のキャスト俳優は誰?【マー姉ちゃん】
「マー姉ちゃん」は現在再放送中のNHK連続テレビ小説。長谷川町子さんの姉、長谷川毬子さんが主人公のお話です。
実話と同じように母親と三姉妹の磯野家。マチ子(田中裕子)が何気なく「田河水泡の弟子になりたい」とつぶやきます。
それを聞いた母親のはる(藤田弓子)は長女のマリ子(熊谷真実)に相談し、マチ子とマリ子のふたりで田河水泡の家を尋ねます。
マチ子は弟子入りを許可してもらいます。
田河水泡はとってもユーモアあふれる人柄で、遊び心満載の人物。高校を卒業したマチ子は田河水泡の内弟子となり、田河家に住み込みますが、これも実話と同じようにホームシックになり、マチ子は1年経たないうちに実家に戻ります。
かなり実話に近い形で描かれているようです。
ここで気になるのが、誰が演じたかですね。答えは愛川欽也(あいかわきんや)さんでした(≧∇≦)
皆さまおまっとさんです。愛川欽也です😃。今日は「横浜」😃。#アド街 pic.twitter.com/9y5OC304y5
— ジューシーフルーツ (@vAKVSZALP6lGU4c) March 27, 2021
とってもチャーミングな田河水泡を演じているので、楽しみにしていてください♪
【田河水泡】モデルは?長谷川町子が弟子!のまとめ
田河水泡さんは50年も続いた漫画「のらくろ」の原作者です。連載漫画の第一人者として、多くのお弟子さんたちを育てました。
そのひとりが「サザエさん」の原作者、長谷川町子さん。
16歳のころに弟子入りし、田河水泡さんの力添えにより漫画家デビューした長谷川町子さんは、天才少女として世間を騒がせました。
田河水泡さんの内弟子となり、住み込むことになりましたが、ホームシックにかかってしまい1年経たずに家に戻ります。
そんな田河水泡さんと長谷川町子さんが、朝ドラ「マー姉ちゃん」で描かれます(^^)
田河水泡さんを演じるのは愛川欽也さん。マチ子を演じる田中裕子さんとの楽しいやりとり、楽しみにしていてください(≧∇≦)