【田河水泡】モデルは?長谷川町子が弟子の漫画家

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田河水泡(たがわすいほう)さんは漫画「のらくろ」の原作者です。

「のらくろ」といってもピンとこない方も多いかも知れませんね(;^^)わたしはすぐに絵が浮かびますが(笑)

「のらくろ」は映画化もされたり、1970年にはテレビアニメとしても放送された国民的マンガ。

その「のらくろ」の原作者である田河水泡さんにとって、同じく国民的マンガ「サザエさん」の生みの親、長谷川町子さんもお弟子さんでした。

現在再放送中の朝ドラ「マー姉ちゃん」にも田河水泡さんそのままの名前で登場します!

【田河水泡】という名前は役名でモデルが存在するのでは??と思った方もいるかもしれませんが、実在のご本人のお名前なんです!

田河水泡(たがわすいほう)さんとはどのような人物だったのでしょうか?

目次

【田河水泡】はモデルでなく本人の名前!長谷川町子の弟子入りなど史実は?

【マー姉ちゃん】ネタバレ!原作あらすじキャストまとめ

不遇の少年時代

田河水泡(たがわすいほう)さんは1899年生まれ。現在の墨田区である、東京府東京市本所区林町出身です。

1歳のときに母親を亡くし、父親の再婚により叔父夫婦に育てられた田河水泡さん。中国画の愛好家だった叔父の影響で、絵に興味を持つようになりました。

またのちに浮世絵複製家となる、従弟の高見澤遠治さんがたしなんでいた、油絵にあこがれるようになります。

ですが実父が亡くなり、叔父も小学5年で亡くしたことで生活は苦しくなり、小学校を卒業後すぐに奉公に出て働き始めます。

落語作家へ

20歳徴兵され、2年間軍隊生活を送ります。1922年に帰国して日本美術大学に入学。前衛芸術集団「マヴォ」に参加しますが、1925年に解散となりました。

1926年に自作の創作落語を講談社に持ち込み採用されます。本当は小説を売り込みたかったらしいのですが、ライバルが多すぎて断念(;^^)。大衆ウケのいい落語や講談の執筆に変えたそうです。

これが功を奏し、田河水泡さんは売れっ子落語作家になりました(^^)

このときのペンネームは「高沢路亭」。田河水泡さんが作られた落語は現在も語り継がれていて、「猫と金魚」が有名です。

1928年に文芸評論家、小林秀雄さんの妹、小林富士子さんとご結婚♪牧師さんによる洋風の結婚式でした(^^)

漫画家へ

落語作家でありながら、美術大学を卒業していると話題になり、新作落語の挿絵を頼まれるようになります。さらに編集者から頼まれ、合間に漫画も描くようになりました。

1928年に初の子供向け連載漫画「目玉のチビちゃん」が始まります!

1931年から、いよいよ『のらくろ二等卒』連載が「少年倶楽部」で始まります!

当初は2年間の連載予定でしたが、爆発的なヒットとなり結局11年続けられました。

1933年から『凸凹黒兵衛』の連載も始まります。

長谷川町子の弟子入り

1934年、当時16歳だった長谷川町子さんが入門。少女倶楽部で連載を始めました。

朝ドラ「マー姉ちゃん」でも描かれますが、長谷川町子さんはのらくろの大ファン♪母親と姉が奔走し、弟子入りすることができました。

長谷川町子さん一家はクリスチャン。自宅の隣は教会だったことで通うようになり、奥様が先に洗礼を受け、戦後に田河水泡さんも洗礼を受けました。

洗礼を受けた理由は、何度も失敗した禁酒を成功させるためだったそうです(;^^)

そして1941年、戦争により漫画の連載がストップします。軍から許可が下りなかったのです。

戦後の1958年にのらくろ自叙伝の連載が始まり、またのらくろ再ブームへとつながっていきます。

文化人へ

笑いの研究を始めた田河水泡さん。1969年に紫綬褒章を受章。1981年に漫画や落語をとおした笑いの研究本『滑稽の構造』を出版します。

1987年に勲四等旭日小綬章受賞。1989年に肝臓がんにより90歳でお亡くなりになりました。

1998年遺族により遺品が江東区に寄贈され、「田河水泡・のらくろ館」が開設。森下文化センターの1階で常時展示されています。

興味のある方はぜひ立ち寄ってみてください♪

森下文化センター

田河水泡と長谷川町子の弟子入り秘話とは?

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田河水泡さんには多くのお弟子さんがいます。独立して漫画家となった倉金章介、杉浦茂、滝田ゆう、山根青鬼、山根赤鬼、森安なおや、永田竹丸さんなど。

そして長谷川町子さんもそのお弟子さんのひとりです(^^)

長谷川家は九州にありましたが、父親をなくしたことで母親が娘3人を連れ上京。町子さんが14歳の1934年のことです。

このときに連載されていた「のらくろ」の大ファンだった長谷川町子さん。弟子になりたいと宣言します。

母親と姉の毬子さんは、なんとかかなえてあげたいと奔走します。

町子さんは無事田河水泡さんの弟子になることができました。

そんな秘話をご紹介。

朝ドラ「マー姉ちゃん」の原作となっていると言われている「サザエさんうちあけ話」に載っていた田河水泡さんとの秘話です。

お母さんに命じられた毬子さんと一緒に田河水泡さんに弟子入りを願いに行った町子さん。最初は「忙しいから会えない」と断れますが「わざわざ九州から出てきたから一目でも会いたい」と嘘を言う毬子さん(^^;

すごいですよね~。でも、その強引さに負けたのか田河水泡さんは会ってくれることに。そして絵を見せると「いいでしょ。弟子にしましょう。ときどき描いてもってきなさい」と言われ弟子に。

お母さんの思い付きと、お姉さんの鞠子さんの強引さがなければ、町子さんはデビューしてなかったかもしれないと思うエピソードですね。

また、すぐに町子さんを弟子にした田河水泡さんの変わった人な気がします(^^;でも、もしかしたら、見せてもらった絵でその才能を見抜いていたのかもしれません。

そしてお母さんは、同じようなやり方で姉の毬子さんも洋画の大家の藤島武二先生に弟子入りされたそうです。

娘たちに良い教育を受けさせるためには、強引にでもその環境をつくるために奔走されるお母さんが描かれている「サザエさんうちあけ話」を見ると、自分も子供たちのために、何かしなくてはと考えさせられました。

田河水泡さんの教育方針は、教えも叱りも、批評もしないという大らかなものだったそうです。でもそれで町子さんは成長できたのでしょうか?

田河水泡さんは、家に訪れる多くの編集者の人達に「女の子の弟子、珍しいでしょ。よろしく」と引き合わせて、紹介して、人脈を作ってくれたそうなんです。

それが、田河水泡さんの師匠としてのやり方だったんですね。このことがきかっけで1935年、田河水泡さんの力添えにより、「狸の面」で少女倶楽部より漫画家デビュー。「天才少女」というグラビア特集が組まれ、注目されます。

このころ内弟子として田河水泡さんの家で暮らしていた長谷川町子さんです。田河水泡さんの家では家族のようにかわいがってもらったそうです。

時には本気の子弟喧嘩をしたことも。でも、それは町子さんのことをかわいがっていたからこそだったようです。

しかし、ホームシックになってしまい1年経たずに実家に戻ります(;^^)

まだ16歳ですもんね~。

それでも田河水泡先生は、少しも変わらずに、長谷川町子さんを出版社に推薦してくれて、そのおかげで、児童むき漫画のお仕事が絶えなかったそうです。田河水泡さんの人柄がわかりますね。

田河水泡さんはお話し好きだそうで、落語を書かれていたためか、盛り上がりと落ちにこだわっていたそうで、このことが町子さんの作品にも影響を与えていると言われています。

田河水泡の「のらくろ」ってどんな漫画?

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田河水泡さんの代表作のらくろ。黒い野良猫が主人公なので「のらくろ」です。案外わかいりやすいですね。

「のらくろ」は講談社の「少年倶楽部」にて1931年から連載がスタート。のらくろは子どもたちの人気者になります。

主人公の名前は「野良犬黒吉」。ご自身の体験も交えつつ、不遇の野良犬が明るく生きていくストーリーです。

天涯孤独の野良犬、黒吉。犬の軍隊に入隊し、ヘマをしながらも活躍し二等兵、上等兵、伍長へと昇進していき、最後は大尉となり退役します。

ですが1941年、戦争が激しくなり軍からクレームがきたことで連載は中止。復活したのは1958年でした。

雑誌「丸」で連載が始まった『のらくろ自叙伝』をきっかけに、のらくろがまた注目されていきます。

連載中止から17年経っていますが、それでもまだ人気だったんですね~。戦後の混乱で生活もままならない時代だったので、のらくろの復活は17年前にまだ子どもだった人たちにとっても、明るい話題だったのかもしれません。

1967年から『のらくろ漫画全集』が発売。漫画の連載は『のらくろ召集令』、『のらくろ中隊長』、『のらくろ放浪記』、『のらくろ捕物帳』と続き、喫茶店のマスターとなる『のらくろ喫茶店』まで、およそ50年に渡り続けられました。

この「のらくろ喫茶店」を描いていたとき田河水泡さんはなんと81歳(≧∇≦)のらくろは喫茶店のマスターになり、憧れのお銀ちゃんと結婚し完結となりました。

自分の不遇な環境にもめげず、明るく元気に活躍したのらくろは、当時の国民的アイドル。

原作を読んでほっこりしてください(*^^*)

テレビアニメは1970年と1987年に放送されています。

最初ののらくろの声は、初代ドラえもんの声を担当した大山のぶ代さん♪

1987年の「のらくろクン」は現代版にリメイクされたもので、声は坂本千夏さんが担当。

映画は1933年から1938年まで5作品上映されました。

田河水泡役のキャスト俳優は誰?【マー姉ちゃん】

マー姉ちゃんのモデルは誰?長谷川毬子で長谷川町子の姉

「マー姉ちゃん」は現在再放送中のNHK連続テレビ小説。長谷川町子さんの姉、長谷川毬子さんが主人公のお話です。

実話と同じように母親と三姉妹の磯野家。マチ子(田中裕子)が何気なく「田河水泡の弟子になりたい」とつぶやきます。

それを聞いた母親のはる(藤田弓子)は長女のマリ子(熊谷真実)に相談し、マチ子とマリ子のふたりで田河水泡の家を尋ねます。

マチ子は弟子入りを許可してもらいます。

田河水泡はとってもユーモアあふれる人柄で、遊び心満載の人物。高校を卒業したマチ子は田河水泡の内弟子となり、田河家に住み込みますが、これも実話と同じようにホームシックになり、マチ子は1年経たないうちに実家に戻ります。

かなり実話に近い形で描かれているようです。

ここで気になるのが、誰が演じたかですね。答えは愛川欽也(あいかわきんや)さんでした(≧∇≦)

とってもチャーミングな田河水泡を演じているので、楽しみにしていてください♪

【田河水泡】モデルは?長谷川町子が弟子!のまとめ

マー姉ちゃん熊谷真実の年齢と若い頃と現在の活動は?

田河水泡さんは50年も続いた漫画「のらくろ」の原作者です。連載漫画の第一人者として、多くのお弟子さんたちを育てました。

そのひとりが「サザエさん」の原作者、長谷川町子さん。

16歳のころに弟子入りし、田河水泡さんの力添えにより漫画家デビューした長谷川町子さんは、天才少女として世間を騒がせました。

田河水泡さんの内弟子となり、住み込むことになりましたが、ホームシックにかかってしまい1年経たずに家に戻ります。

そんな田河水泡さんと長谷川町子さんが、朝ドラ「マー姉ちゃん」で描かれます(^^)

田河水泡さんを演じるのは愛川欽也さん。マチ子を演じる田中裕子さんとの楽しいやりとり、楽しみにしていてください(≧∇≦)

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