磯野マリ子のモデルはサザエさんの長谷川町子の姉!

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磯野マリ子(いそのまりこ)は、2021年9月27日から再放送される1979年に放送されたNHKの朝の連続テレビ小説・朝ドラ「マー姉ちゃん(まーねえちゃん)」の主人公です(^^)

そして、磯野マリ子のモデルは、あの国民的マンガ「サザエさん(さざえさん)」の著者である、長谷川町子(はせがわまちこ)さんの実姉、長谷川毬子(はせがわまりこ)さん!

ドラマ「マー姉ちゃん」ではサザエさん誕生までの家族の奮闘や、その歩みなどが描かれました。

今回は朝ドラ「マー姉ちゃん」の主人公、磯野マリ子のモデル、長谷川毬子さんについてまとめました。

さて、長谷川毬子さんとはどのような人物だったのでしょうか?

目次

磯野マリ子はサザエさん誕生に関係?モデルは長谷川町子の姉!

マー姉ちゃん熊谷真実の年齢と若い頃と現在の活動は?

磯野マリ子は9月27日から再放送される1979年のNHK連続テレビ小説「マー姉ちゃん」の主人公。ドラマ初主演の熊谷真実(くまがいまみ)さんが演じました(^^)

熊谷真実さんも61歳になられました。なんといっても42年前のドラマです。熊谷真実さんは当時19歳だったんですね~。

ちなみに妹の磯野マチ子を演じた田中裕子さんは現在66歳なので、熊谷真実さんより5歳も年上です。

磯野家は4人家族。母親のはる(藤田弓子)、長女のマリ子(熊谷真実)、次女のマチ子(田中裕子)、そして三女のヨウ子(早川里美)です。

ドラマは長谷川町子さんの著書「サザエさん 打ち明け話」をもとに作られました。戦前から戦後まで、力まずに生きた、女だけの家族の生活を描いた作品です。

庶民の暮らしが明るさや強さ、それに笑いと涙で綴られていています。

サザエさんといえば、原作者の長谷川町子さんが有名ですが、実は、陰で支えていた長谷川町子さんのお姉さんの存在も大きなものでした。

「マー姉ちゃん」の主人公の磯野マリ子のモデルは、このお姉さんです。

脚本は『3年B組金八先生』シリーズでおなじみの小山内美江子さん。朝ドラは『本日も晴天なり』、大河ドラマは『翔ぶが如く』なども手がけています。

ほかにはマリ子の夫役に田中健さん、マチ子の師匠となる漫画家に愛川欽也さん、そして菊池寛役はフランキー堺さんが演じました。

熊谷真実さんが元気いっぱいに演じたマー姉ちゃん。放送は9月27日(月)からBSプレミアム・BS4K 同時放送となります。

月曜から土曜まで、朝7時15分から毎週6話ずつの放送。土曜日には午前9時半から一気に6話放送されます(≧∇≦)

再放送にあたり、主演の熊谷真実さんからこんなコメントが。

え!本当に!と何度も聞き返してしまいました。
だって、42年前ですよ!私のデビュー作マー姉ちゃん!
嬉しくて嬉しくて飛び上がりました。

去年還暦になった私はコロナで還暦のお祝いらしい事もできませんでした。

芸歴も42年になりました。マー姉ちゃんは私の原点。
あの作品がなかったら今の私はここにいません。マー姉ちゃんの放送が私の還暦祝いの何よりのプレゼントになりました。

本当にありがとうございます。

自分で言うのもなんですが、今見てもらいたい内容かも知れません。楽しんでいただけましたら嬉しいです。

引用元 NHK公式サイト

コメントから溢れ出る、熊谷真実さんの元気の良さは健在です!

ぜひみなさんもサザエさんの誕生秘話、再放送でお楽しみください♪

以降では、ヒロインのモデルの長谷川町子さんのお姉さんについて詳しくご紹介していきます。

磯野マリ子のモデルは長谷川毬子!長谷川町子の姉

マー姉ちゃんのモデルは誰?長谷川毬子で長谷川町子の姉

磯野マリ子は朝ドラ「マー姉ちゃん」の主人公。サザエさんの原作者、長谷川町子さんの実姉、長谷川毬子さんをモデルにしています。

長谷川毬子さんは1917年に佐賀県に長女として生まれ、福岡で育ちました。

長谷川毬子さんには3人の妹がいましたが、次女は5歳のときに亡くなったため、三女の町子さん、四女の洋子さんの3姉妹として育ちます。

長女の毬子さんは1919年生まれ、三女の町子さんは1920年生まれ、そして末娘の洋子さんは1925年生まれなので、毬子さんと洋子さんは6歳違い。

長谷川毬子さんが筑紫女学園を卒業したあと、1934年に父親が亡くなってしまいます。毬子さんが17歳のころですね。

母親は3人の娘たちを連れて上京し、東京で暮らし始めます。

原作を読んだのですが、この母親・・・すごい人です。今で言うシングルマザーですが、娘たちの教育のために、住み慣れた街を後に、東京に移り住んだんです!

もちろん、お金持ちでもありませんし、大変なことだったと思います。しかし、この東京に出てきたことで、お母さんの計算通り、3姉妹はその才能をそれぞれ開花します。

毬子さんは洋画家の藤島武二に弟子入りします。

しかし・・・母子家庭が東京で暮らしていくのは、大変なことです。長谷川家は経済的なピンチに!?

その藤島武二が講師を務める学校、川端画塾に通い始め、毬子さんは家計を助けるために、自分が描いた挿絵を出版社に売り込んでいました。

その挿絵が「真珠婦人」などの作家、菊池寛の目に留まり、講談社発行の「婦人倶楽部」で掲載されるようになります。

婦人倶楽部はには芥川龍之介、有島武郎など多くの著名人が執筆者となり、当時「主婦の友」「婦人公論」「婦人画廊」と並び「戦前の四大婦人雑誌」として人気を博していました。

そのため挿絵を描いていた長谷川毬子さんも、売れっ子画家として注目されていきます。

当時は、忙しさから40度の熱を出して、仕事に打ち込んだこともあったそうです。

そして世田谷区に住んでいた長谷川家ですが、仕事がやりやすいように、文京区に移り住みます。

一番下の妹、洋子さんは菊池寛に弟子入りしていました。

のちに菊池寛のススメにより無試験で文藝春秋に入社しています。

毬子さんが挿絵を描いていた婦人倶楽部では、官能的な描写のある作品もあり、その挿絵を見た母親の貞子さんは激怒します。

貞子さんは敬虔なクリスチャンだったのです。

そのことから毬子さんは児童向けの仕事をするようになりました。

一方、町子さんは小さな時から絵が上手で、当時人気だった漫画「のらくろ」の大ファン♪作者の田河水泡の弟子になりたいと言い出します。

町子の夢をかなえるため、母親の貞子さんと姉の毬子さんはいろいろと手を尽くし、町子さんは田河水泡に弟子入りすることができました。

これ、本当にすごいです。「忙しいから会えない」と言われた、母親。普通ならば諦めてしまうんですけど「九州からはるばる出てきた」と嘘とつき(笑)強引に先生に会い、町子さんの絵を見せて、弟子にしてもらったんです。

どうやら、同じようなやり方で娘たちを、すごい先生たちの弟子にしたそうです。

長谷川家の三姉妹の才能、実力もすごいんですが、母親の力もすごいんですよね。いくら実力があっても、チャンスを掴まなくては成功はありません。そのチャンスを娘たちに与えていた母親。

そして町子さんは15歳で天才少女としてデビュー(≧∇≦)人気連載漫画も描くようになります。

ところが戦争が激しくなり、長谷川家は東京を離れ福岡に疎開します。

福岡で毬子さんは朝日新聞社記者の東学さんという男性とご結婚♪ですが結婚生活はわずか1週間で、東さんは戦地へと向かいます。

そして東さんはなんと戦死してしまいました (T_T)その後毬子さんは誰とも結婚せず、ずっと独身を通します。

町子さんが福岡の地元紙に「サザエさん」の連載をスタート。

そんなときに在京の有名出版社から毬子さんと町子さんに仕事のオファーがきます。

また家族で東京に戻りますが、毬子さんは画家にはならず、福岡の家を売ったお金で「姉妹社」を設立。

家族の奮闘と団結で、サザエさんを自分たちで出版。国民的マンガへと成長しました。

姉妹社は町子さんが代表で、出版の管理や営業などを毬子さんや洋子さんの姉妹でやっていたそうです。

1985年に町子さんが館長となり、長谷川美術館が設立。

1992年に町子さんが亡くなったあとは毬子さんが館長に就任し、名前も「長谷川町子美術館」に改称されました。

このときに姉妹社は解散し、町子さんの版権は美術館に移管されています。

毬子さんは2012年、96歳でお亡くなりになりました。洋子さんは今もご健在のようです。

2020年には美術館の分館として「長谷川町子美術館」が長谷川町子生誕100年を記念してオープンしました。。

引用元 YouTube

長谷川町子美術館

住所 東京都世田谷区桜新町1-30-6

電話 03-3701-8766

アクセス 東急田園都市線 桜新町駅下車 徒歩7分または 東急バス 桜新町1丁目下車 徒歩1分

休館日は基本的に月曜日ご年末年始

入館料は一般900円、65歳以上800円、大高生500円、小中生400円です。

公式サイトはこちらになります。

長谷川町子美術館

テレビアニメとはまた違った、原作のサザエさん。美術館に会いに行ってみてはいかがでしょうか。長谷川毬子さんや町子さんも待っていることでしょう(^^)

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磯野マリ子は朝ドラ「マー姉ちゃん」の主人公で、サザエさんの原作者、長谷川町子さんの実姉、長谷川毬子さんをモデルにしています。

サザエさんは長谷川家が、東京から福岡に疎開したときに誕生しました。

福岡に疎開した町子さんは西日本新聞社の絵画部で働き始め、1946年に創刊された「夕刊フクニチ」に掲載する連載漫画を頼まれます。

これが「サザエさん」の誕生です。

町子さんは海岸付近を妹の洋子さんと散歩中に、家族の名前を思いついたそうです。

ですが町子さんと毬子さんに東京での仕事のオファーがきたため、このときまだ独身だったサザエさんを結婚させ、いったん打ち切りになりました。

ということは、東京に行かなければマスオさんもタラちゃんも誕生しなかったってこと?

それはそれで感慨深いですね~。サザエが独身だったらアニメはどうなっていたのでしょうね?

そして長谷川家は福岡の家を売り、1946年の暮れに一家で上京。そして1947年1月3日から「夕刊フクニチ」でサザエさんの連載が再開。ほかの地方紙でも連載されるようになりました。

この年に町子さんが代表となり、姉妹社を設立。家を売った資金でサザエさん第1巻を出版します。

最初に2万部刷り、すべて入金になったのでさらに毬子さんは2万部増刷しました・・・ところが!納品した本はB5版の横綴りというサイズで、店頭に並べにくいと大量に返品されてしまいます(>_<)

家に山積みになったサザエさんの本。母の貞子さんがB6判に変えればいい、と提案し第2巻はB6番に変更。

毬子さんたちが自ら頼み込み、納入していきます。

この第2巻が好評だったため、また第1巻の注文も来るようになり、その後また第1巻もB6番で再出版されました。

サザエさんは国民から愛される漫画となり、1946年から朝日新聞の朝刊に掲載。当時26歳だった長谷川町子さんは新聞4コマ漫画の第一人者となります。

朝日新聞では1974年まで連載が続けられました。このとき3年間の休載とされていましたが、結局サザエさんはそのまま終了となっています。

サザエさんはこのように、三姉妹と母親に支えられ出版されてきました。

母親の貞子さんは、女性が活動することが難しかった時代に、娘たちを鼓舞し家を切り盛りしてきたパワフルな女性。

そして妹の洋子さんもずっと姉妹を手伝ってきましたが、後年姉ふたりと仲違いしてしまいます。

相続のことで思い違いがあった、という話もありますが洋子さんは相続を放棄していて、本当のところは当人しかわからないそうです。

ということでサザエさんは新聞の連載として1946年にスタートし、1974年まで掲載されました。

テレビアニメとしてスタートしたのは1969年。まだ新聞で連載されているときでした。

テレビアニメも50年以上続いてるってすごいですよね~(#^.^#)どこまで記録を伸ばすのかも楽しみです♪

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磯野マリ子は朝ドラ「マー姉ちゃん」の主人公で、熊谷真実さんが演じました。

モデルはサザエさんの原作者、長谷川町子さんの実姉である長谷川毬子さん。

毬子さんは九州で生まれ育ちますが、父親が亡くなり母と二人の妹とともに東京に移り住みます。

絵を習い挿絵を出版社に売り込んでいましたが、それが菊池寛の目に留まり、婦人俱楽部に挿絵として使われ有名になります。

妹の町子さんも15歳で天才少女として画家デビュー。その後福岡に疎開することになり、地方紙に掲載される4コマ漫画「サザエさん」が誕生。

家族はまた東京に戻り、姉妹社を設立。画家としてオファーのあった毬子さんでしたが、画家にはならず姉妹社で営業などの仕事に奔走します。

ディズニー並みに著作権にうるさかったという姉妹社。現在は解散して長谷川町子さんの版権はすべて長谷川町子美術館に委ねられれています。

毬子さんは2012年、94歳でお亡くなりになりました。そんな長谷川家が描かれた「マー姉ちゃん」。

再放送をどうぞお楽しみください!

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