2023年4月から神木隆之介(かみきりゅうのすけ)さんが主演のNHK連続テレビ小説・朝ドラ「らんまん(ランマン)」がスタートします!
実在の植物学者・牧野富太郎(まきのとみたろう)をモデルにした主人公・槙野万太郎(まきのまんたろう)の人生を描いた物語です。
そんな朝ドラ「らんまん」ですが、いつの時代を描いた作品なのでしょうか??時代背景や時代設定・年代などが気になると思います。
坂本龍馬やジョン万次郎が登場する!?
今回は朝ドラ「らんまん」の時代背景や時代設定、そして年代を時系列に、主人公の年齢とともにご紹介していきます。
またモデルとなった牧野富太郎さんの人生も時系列で年代をご紹介します。
一部今後のネタバレもご紹介しつつ、年代や時代背景・設定をご紹介しますので、閲覧注意です。
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らんまん時代背景と時代設定・年代は明治時代からスタート?
朝ドラ【らんまん】のモデルは誰?牧野富太郎は実家を破産させた!?
朝ドラ「らんまん」は植物学者・槙野万太郎が主人公で実在の「牧野富太郎」がモデル!
朝ドラ「らんまん」の主人公は植物学者の槙野万太郎です。
以下、ストーリーです。
好きなもののため、夢のため、一途に情熱的に突き進んでいく! 春らんまんの明治の世を舞台に、植物学者・槙野万太郎の大冒険をお届けします!! 連続テレビ小説108作目『らんまん』は高知県出身の植物学者・牧野富太郎の人生をモデルとしたオリジナルストーリー。 その喜びと発見に満ちた生命力あふれる人生を、美しい草花の情景とともに描き、日本の朝に癒しと感動のひとときをお届けします。 時代は幕末から明治、そして激動の大正・昭和へ ― そんな混乱の時代の渦中で、愛する植物のために一途に情熱的に突き進んだ主人公・槙野万太郎(神木隆之介)と その妻・寿恵子(浜辺美波)の波乱万丈な生涯を描きます。
引用元:https://www.nhk.jp/p/ranman/ts/G5PRV72JMR/
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朝ドラ「らんまん」は実在する植物学者の牧野富太郎さんをモデルとした槙野万太郎が主人公です。
モデルとなった牧野富太郎さんさんは生涯で約1500種類以上の新種を発表!そして約40万点以上の植物標本を残したすごい植物学者で、多くの図鑑などの著書が!
そんな牧野さんをモデルとした槙野万太郎が、好きなもののため、夢のため、一途いちずに情熱的に突き進んでいく姿を描くストーリーです。
らんまん年代・時代背景は明治時代からスタート!
朝ドラ「らんまん」は1週目が子役パートからスタートします。
1週目が主人公の万太郎の5歳からスタートします。そしてなんとスタートの年代は1867年、慶応3年、明治時代の初期から物語がスタートします。
そしてなんと・・・あの坂本龍馬と出会う!?
と言うことで、1週目からわかっているネタバレ・年代・時代背景について時系列で、主人公の万太郎の年齢とともに、ご紹介していきます。
年代や年齢は、NHKの「らんまん」ガイドブックの情報
また情報がない場合はストーリーとモデルとなった牧野富太郎さんの史実から予想も交えてご紹介していきます。
らんまん時代背景と時代設定・年代を時系列で【幼少期から少年時代】
1867年(慶応3年)明治時代初期で5歳の万太郎からスタート!
物語は主人公の万太郎が5歳からの1867年からスタートします!
1867年は江戸幕府の15代将軍「徳川慶喜」が政権を天皇に返上する「大政奉還」を行い1868年に、天皇を中心とする中央集権国家を目指した明治政府が誕生します。
大きな時代の変換期に少年時代を迎えていた万太郎。
そんな万太郎は、土佐の佐川村になる銘酒「峰乃月」の蔵元である「峰屋」の跡取り息子として大事に育てられていました。
「峰屋」営む、槙野家は多くの手代、女中、蔵人を抱えるいわゆる、お金持ち♪
父親は、母親のヒサが万太郎を妊娠しているときに、コレラで死亡。そして母親のヒサも病気で床に臥せていました。
そんな万太郎を親代わりのように育ててくれているのが、祖母のタキ。
また万太郎自身も体が弱く、よく倒れてしまい周囲から「弱ミソ」と陰口をたたかれていましたが、タキはそんな万太郎をかばってくれます。
そんな5歳の万太郎は、裏山の境内で驚きの出会いを果たします。それは・・・天狗。
万太郎は天狗だと思ったその男は・・・なんと坂本龍馬。
病弱であることを気にしていた万太郎は「自分なんて生まれてこなくてよかった」と落ち込んでいました。
しかし坂本龍馬から言われた言葉で、自信を取り戻し、自分が何をしたいのか?考えるようになる・・・まさに今後の万太郎の人生を大きく変える出会いとなるのでした。
そして植物に興味を持ちだした万太郎は気になった植物を手上がり次第写生していました。
そんな中、母親のヒサが死去してしまうのでした。
1871年(明治4年)~ 9歳の万太郎が名教館で学び始める
正確な西暦は不明なのですが、万太郎が9歳である数年後に2週目がスタートします。なので3年後の明治4年くらいだと思われます。
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1871年から1872年は明治維新の真っただ中、郵便制度の開始、廃藩置県そして富岡製糸場の設置など。
万太郎は、佐川領主の深尾家の学問所・名教館に幼馴染の寛太と通い始めます。
そこで、長い付き合いとなる、文武両道に抜きんでていた広瀬佑一郎少年と出会います。
また同じく名教館で、万太郎に学問の基礎や植物学、学び続けることの大切さを教える人生の師匠・池田蘭光との出会いも。
1874年(明治7年) 12歳の万太郎が小学校を辞める!?
更に年月が過ぎ万太郎は12歳に。1871年で万太郎が9歳だったので、おそらく1874年くらいでは?と思われます。
万太郎は和漢書はもちろん、英語の本もすらすらと読みこなすようになり、名教館の本を次々と書き写して植物の絵も上手に模写。
しかし家業に全く興味を示さないことを危惧した祖母のタキは、万太郎に商いを学ばせるために名教館をやめさせることに。
ところが、その年、政府が定めた学制によって、名教館の閉校が決まっていました。
ここから全国で一斉に小学校がスタートします。そして佐川を去ることになった師匠・池田蘭光と涙の別れをします。
小学校に通うようになった万太郎でしたが、授業は退屈で、植物の模写を授業中に始めてしまいます。
そんな万太郎なので、教師との関係も悪くなり、小学校を辞めることになるのでした。
らんまん時代背景と時代設定・年代を時系列で【酒の博覧会で初めて東京に!】
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1880年(明治13年)~18歳の万太郎が初めての上京
3週目は万太郎が18歳に成長し登場。
12歳の時から6年後なので、おそらく1880年ごろだと思われます。
そこで来春に東京で行われる、内国勧業博覧会の清酒部に「峰乃月」の出品の話が。
そして春がきて(1881年)万太郎は番頭の息子の竹雄と一緒に上京。
跡取りとしての自覚が出た!と喜ぶ祖母のタキでしたが・・・目的は東京で憧れの植物学者に会うことでした。
そこで、のちの妻となる寿恵子と出会い一目ぼれ。
そして植物学者の野田基善と里中芳生に会い、大満足の万太郎でした。
~1884年(明治17年) ついに植物学の道に進む決意をする!
東京から帰った後、ある騒動が起きます。
博覧会で植物学者と会ったと言う万太郎の様子を聞いた祖母のタキは、姉の綾が実は養子であることを知らされ、兄弟として育てられた2人に結婚するように言います。
困惑する万太郎と綾。そして綾は家出!?という騒動に発展。
最終的に万太郎は自分が、植物学の道に進みたいと言い、涙を流しつつもそんな万太郎を受け入れるタキ。
そして姉の綾が、峰屋のために尽くすことを誓うのでした。
そして、万太郎は竹雄と一緒に上京するのでした。
1881年に万太郎が初めての上京をしてから、騒動が起き、祖母に植物学の道に進むことを宣言して竹雄と上京するまで、ハンドブックのストーリーを確認すると、おそらく1年、2年くらいなのかな?と思うのですが、史実ではモデルとなった牧野富太郎さんが1884年に上京しているので、ここでは1884年と記載しておきます。
ドラマが史実と異なる場合もあるので、正確な年数が判明しましたら、更新します。
らんまん時代背景と時代設定・年代を時系列で【上京し植物学の道へ】
1884年(明治17年)~上京しトラブル続きも妻・寿恵子と再会
竹雄と上京した万太郎でしたが、トラブルが続きます。住む予定だった下宿にも住めなくなったり、大事な植物の標本(まだ発見されていないもの)が大量に盗まれてしまったりします。
しかし、どうにか「十徳長屋」に下宿することが決まり、下宿先の近所の菓子屋「白梅堂」さんで、のちの妻となる寿恵子と再会するのでした。
1884年(明治17年)~東京大学で田邊彰久教授に認められ雑誌制作に乗り出す
万太郎は博物館の植物研究室の野田に紹介状を書いてもらい東京大学の田邊彰久教授のもとに。
小学校中退という学歴の万太郎を相手にしない助教授や学生たちでしたが、田邊は万太郎の研究に興味を持ち、大学への出入りを許可します。
しかし周囲から良く思われなかった風変りな万太郎は孤立。しかしそんな中でも万太郎を認める学生も出てきます。
そして万太郎は植物図鑑を作る決心。そして田邊教授や仲間の学生と一緒に雑誌制作に向けて走り出します。
制作に必要な印刷技術を学ぶために、夜は大畑印刷所で働きながら昼間は大学に通う生活をするように。
1887年(明治20年)寿恵子との結婚と祖母との別れ
万太郎が手がけた植物学の雑誌はついに完成。その出来栄えが田邊に認められます。
そして次に植物図鑑制作に向かおうと思った万太郎は意を決して寿恵子にプロポーズ。寿恵子は受け入れ、2人は結婚することに。
高知の峰屋に戻り、2人で結婚の挨拶。しかし祖母タキはがんの末期でした。
そのあと、盛大に万太郎と寿恵子の結婚式が行われ、その結婚式を見届けたタキは亡くなりました。
わかっているあらすじでは、年代など記載されていませんでしたが、1887年に祖母が亡くなっているので、1887年と記載しておきます。こちらもドラマとは違う可能性があります。
現在わかっているストーリーはここまでで、万太郎が東京大学に出入りし、植物学の雑誌を完成させるところまで描かれています。
以降では、万太郎のモデルとなった牧野富太郎さんの生涯について年代をご紹介していきます。
らんまん・万太郎のモデル牧野富太郎の年代【年表】まとめ!
以降では、万太郎のモデルとなった牧野富太郎さんの人生の年表をご紹介していきます。
ドラマ「らんまん」は牧野富太郎をモデルにしているものの、あくまでフィクションで「大胆に再構成」していると公式で説明されています。
※実在の人物である牧野富太郎(1862―1957)をモデルとしますが、激動の時代の渦中で、ただひたすらに愛する草花と向き合い続けた、ある植物学者の波乱万丈の物語として大胆に再構成します。
登場人物名や団体名などは一部改称して、フィクションとして描きます。原作はありません。
引用元:https://www.makino.or.jp/dr_makino/
なので、牧野富太郎さんの人生の実話とオリジナルが混ざった内容になっているのでは??と思われます。
そして年代・年表についても違う部分もあるかと思いますので、比較してみるのも面白いかもしれません。
文久2(1862年)牧野富太郎が土佐の佐川村に誕生
酒造りと雑貨屋を営む裕福な商家に生まれました。
慶応3(1867年)母親・久壽死去
6歳の時に母親と死別。父親とは4歳の時に死別していて、両親ともにコレラで死去。
以降は祖母の浪子に育てられる。
明治5年(1872年)名教館に入る。
寺子屋に通い始め、植物に関心を持つようになり、野山を歩いて植物採集をする。
そして伊藤蘭林の塾に入り、そのあと名教館に入ります。伊藤蘭林は名教館の教授でもあり、ここで英語や天文・地理などを学ぶ。
明治7年(1874年)小学校に入るも退学
政府が定めた学制によって名教館が閉校となり、小学校にうつるが、わずか2年で退学。この時、14歳でした。
明治10年(1877年)教員をする
佐川小学校からの依頼を受けて教員を務める。
しかし学問をしたいと思い、教員を辞めて弘田正郎の五松学舎に入塾に入る。
明治14年(1881年)はじめての上京
19歳になった富太郎は初めて東京に行きます。上野で開催された内国勧業博覧会を見物するため。
そこで植物学の憧れの「博物図」の著者である田中芳男と小野職愨と対面し植物学への志を新たにする。
明治20年(1884年)家業を辞めて植物学の道に進むため上京
家業の酒造りを継ぐ意志がないことを祖母に告げ、上京。東京大学の植物学教室の矢田部良吉教授と出会い、学内を出入りすることを認めら通いだします。
明治20(1887年)植物学の雑誌の創刊に携わる
東大の植物学教室の学生たちとともに、日本にはまだなかった植物学の雑誌の創刊に携わる。
また祖母の浪子死去する。
明治21(1888年)「日本植物志図篇」第一巻一集を出版・結婚
自ら描きためた植物画を使った「日本植物志図篇」第一巻一集を出版。
大学の近くの菓子屋の娘・壽衛と結婚。
明治22年(1889年)ヤマトグサに学名をつけて発表
27歳で高知で採集したヤマトグサに学名をつけて発表。
明治23年(1890年)マキシモヴィッチを頼りロシア行きを決意も断念
或る日突然に、矢田部教授から植物学教室への出入りを禁止され、ロシアの著名な植物学者・マキシモヴィッチを頼りロシア行きを決意するも、マキシモヴィッチの死によりロシア生きを断念。
明治26年(1893年)大学の植物学教室から助手として採用される
帝国大学理科大学から連絡を受け東京で嘱託、臨時雇用を経て助手となる。
明治29年(1896年)「大日本植物志」の制作に力を注ぐ
「大日本植物志」の制作に力を注ぐようになります。
また日清戦争後、日本の統治下にあった台湾へ植物採集のため出張命令が出る。
このころ助手の月給は安く、実家の援助もなくなり、富太郎と家族は厳しい生活を強いられ、借金を重ねていく。
明治33年(1900年)
38歳で「大日本植物志」刊行を始める。
明治34年(1901年)
「日本禾本莎草植物図譜」と「日本羊歯植物図譜」の刊行を始める。
明治40年(1907年)
45歳の時、東京帝室博物館嘱託となります。そして「増訂草木図説」刊行を始める。
明治43年(1910年)
東京帝国大学理科大学助手の休職を命じられ、同大学の植物調査嘱託となる。
大正15年(1926年)
妻の壽衛の提案で牧野家は東京郊外の大泉で暮らし始める。
昭和2年(1927年)理学博士の学位を得る
65歳で理学博士の学位を得る。
昭和3年(1928年)妻の壽衛の死
妻の壽衛が死去。仙台で発見した新種のササに妻への感謝の気持ちをこめて「スエコザザ」と命名。
昭和15年(1940年)牧野日本植物図鑑が完成
78歳で集大成ともいえる本「牧野日本植物図鑑」を完成。令和の現在でも読み継がれています。
昭和26年(1951年)文化功労者に選出される
湯川秀樹・谷崎潤一郎とともに、第1回文化功労者に選ばれる
昭和32年(1957年)永眠
家族に見守られながら94歳で永眠