小早川秀秋が裏切った理由はなぜ?

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NHK大河ドラマ「どうする家康」は関ヶ原の戦いが描かれます。徳川家康率いる東軍の勝利には西軍だった小早川秀秋の裏切りが!なぜ小早川秀秋は三成率いる西軍を裏切って家康側に付いたのでしょうか?小早川秀秋が裏切った理由はなぜ?なのか史実をご紹介します!

目次

小早川秀秋はどんな人?どうする家康で関ケ原のキーパーソン!

どうする家康千代の最後の死因とは?どうなる?

小早川秀秋はどんな人?

「どうする家康」第42回から登場する小早川秀秋を演じるのは、若手俳優の嘉島陸(かしまりく)さんです。

かつては嘉数一星(かかず いっせい)という名前で子役としても活動されていて、大河ドラマは「江~姫たちの戦国~」にも出演。

一時期芸能界から離れていましたが、「花のち晴れ」で俳優として復活!

最近では江口のりこさん主演の「SUPER RICH」なんかにも出演されていましたね。

そんな嘉島陸さんが演じるのは、関ヶ原の戦いを描くのに欠かせない人物の小早川秀秋(こばやかわ・ひであき)です。

亡き豊臣秀吉(ムロツヨシ)の正室・寧々(和久井映見)の甥にあたる人物で、名門・小早川家に養子に入り、豊臣一門衆として筑前など35万石を預かる若き大名。

小早川秀秋はどうする家康で関ケ原のキーパーソン?

石田三成(中村七之助)率いる西軍に付いたものの、裏切って家康率いる東軍に付き、勝利をもたらした武将と言われています。

まさに関ケ原の戦いのキーパーソンとなる人物。もし小早川秀秋の裏切りがなかったら、家康が負けていた?なんて声もありますよね。

豊臣家とゆかり有る小早川秀秋がどのように裏切って家康側に付いたのか?

その辺りは11月12日放送の第43回で描かれることになりますが、公式ガイドブックから先取りしてネタバレ紹介しようと思います。

知りたくない方は閲覧ご注意ください。

小早川秀秋が裏切った理由の「どうする家康」では鉄砲に驚いたから?

鳥居元忠の伏見城の戦いで活躍の史実の顛末とは?

上杉討伐から引き返して西に戻ってきた徳川軍。

関ヶ原の地で、三成率いる西軍と対峙することになります。

周囲山々に囲まれた関ケ原の地には、両陣営合わせて十五万の兵が集結!

東軍の家康は、小高い丘・桃配山に布陣しました。

背後を守るのは本多忠勝、前線には井伊直政軍。

他にも福島正則、藤堂高虎、黒田長政と歴戦の猛者らが敵を血祭りにあげようといきり立っています。

一方の西軍の三成は、関ケ原北西の笹尾山に布陣し、周囲には三成の右腕の島左近、薩摩の島津義弘が付いています。

笹尾山の南に位置する天満山には、宇喜多秀家と小西行長の西軍主力部隊が鎮座し、その南に三成の盟友・大谷吉継が陣を敷きます。

そして南下して中山道を超えた松尾山には、大軍を率いた小早川秀秋が布陣!

さらに西軍の吉川広家率いる毛利勢、土佐の長宗我部元親は、家康が布陣した桃配山の背後の南宮山に入ります。

三成は見事なまでに、徳川勢を取り囲むかたちで布陣することに成功し、このまま戦に突入すれば、東軍の負けは一目瞭然。

しかし家康は不思議と気分は悪くありませんでした。

そし東軍の井伊直政が先陣を切ったことで、各地で激しい戦闘が始まります。

地の利を生かし、西軍が有利に進みますが、決定打となる松尾山の小早川秀秋は動く様子は無し。

吉川が家康の背後を突けば小早川も動くだろうが、吉川率いる毛利軍はのらりくらりと言い訳を付けて動こうとしません。

このとき家康は進軍を始めます。すると西軍の敵方は怯み、味方の士気が上がり始めます。

すると家康は松尾山を見上げて言いました。

「決断する時ぞ、小早川」

大筒を松尾山に撃とうという渡辺守綱に「逆なでするな。天に向かって空撃ちせい」と家康は指示。

鉄砲隊が空に向かって一斉に空砲を撃つと、恐れをなしたのか?ついに決断した小早川の大軍が一気に山を駆け下りて、大谷吉継軍に攻めかかります。

これがきっかけとなり、西軍は総崩れし寝返る者も多数。

こうして石田三成率いる西軍は敗北し、見事家康率いる東軍の大勝利となったのでした。

ということは・・・家康が放った鉄砲に恐怖したことが、裏切りの理由なのでしょうか???

小早川秀秋が裏切った理由とはなぜ?

小早川秀秋が裏切った理由とはなぜ?

これまでの大河ドラマでも関ヶ原の戦いで、家康が小早川秀秋軍に銃や大砲を撃ち込み、震え上がらせて裏切らせたというエピソードは度々描かれています。

今回もこのエピソードは盛り込まれそうですが、この砲撃は重い腰を上げさせるきっかけとなったものの、裏切る真の理由は別にあったと言われています。

ただ砲撃されて怖かったから裏切った訳ではありません(;^_^A

この砲撃エピソードも諸説あり、関ヶ原の合戦直後の一次史料には登場せず、江戸時代中期ごろの文献で登場するため、合戦話をもり立てる作り話ではないかととも言われています。

それでは何故小早川秀秋は西軍を裏切ったのでしょうか?

その理由は、徳川家康に恩義があったためと言われています。

小早川家の当主となった秀秋ですが、晩年の秀吉から領地替えをさせられました。

筑前・筑後30万石から、越前10万石に領地を減らされてしまい、失意に暮れた秀秋。

そして秀吉の死後、家康のとりなしによって領地を取り戻すことが出来たのです。

この出来事に恩が有った秀秋は、当初は毛利一族が西軍に付いたため自らも西軍になったものの、のちに裏切って東軍に付いたのでしょう。

他にも母のような存在で伯母である寧々が、秀吉死後家康を頼っていたことも要因かな?と個人的には思ったりもします。

しかし、それならば最初から東軍に付いても良かったのでは?

実は西軍の石田三成も、小早川秀秋をなんとか自らの味方につけようと必死でした。

三成は、豊臣秀頼が成長するまでの間は、秀秋に関白の地位を与えると約束。

この条件に心が揺れていて、どちらに付くか決めかねていたのかもしれません。

最終的に東軍に付いたことで、裏切り者と言われる小早川秀秋ですが、同じく西軍に付いたものの一切兵を動かさずにその後生き残ることが出来た吉川広家も裏切り者でしょう。

どうする家康で登場するかは分かりませんが(;^_^A

小早川秀秋の関ケ原のその後と最期の死因とは?

そしてこの小早川秀秋は、関ヶ原の戦いの論功行賞として、敗軍の将となった宇喜多秀家の領地・備前国美作51万石を与えられます。

しかし関ケ原から2年後の1602年に、21歳という若さで死んでしまいました。

酒の飲み過ぎによる肝硬変が原因とも言われていますが、関ヶ原の戦いので裏切ったことにより西軍の大谷吉継の祟りに悩まされて死んだ?なんて説もあるそうです。

 

小早川秀秋が裏切った理由まとめ

【どうする家康】最終回はいつ?何話まで放送?

今回は「どうする家康」で小早川秀秋が裏切った理由について紹介しました。

諸説あるようですが、家康が自らの領地をもとに戻してくれたことに恩義を感じて西軍を見限り東軍に付いたという説が有力のようです。

大砲を撃って、家康が怒っているから裏切ったと描かれることが多いですが、この説は後世による創作という可能性もあるとのこと。

小早川秀秋といえば裏切り者というイメージが強いですが(;^_^A

今回の大河ドラマでもおそらく通説通りに描かれそうな気がしますが、嘉島陸さんが演じる小早川秀秋に期待したいところですね!

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