【芋たこなんきん】徳永健次郎のモデルは医師の川野純夫でカモカのおっちゃん

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2022年3月からBSプレミアムで再放送がスタートしたNHK朝ドラ「芋たこなんきん(いもたこなんきん)」。

2006年に放送されたNHK連続テレビ小説でヒロイン花岡町子(はなおかまちこ)を藤山直美(ふじやまなおみ)さんが演じました。

花岡町子(はなおかまちこ)の結婚相手は國村隼(くにむらじゅん)さんが演じた町医者の徳永健次郎(とくながけんじろう)です。

健次郎は町子の夫【旦那】となります。

今回は朝ドラ「芋たこなんきん」の徳永健次郎のモデルについて調べてまとめていきます!

花岡町子のモデルは作家の田辺聖子(たなべせいこ)さんです♪そして、田辺聖子さんの夫は医師の川野純夫(かわのすみお)さんで「カモカのおっちゃん」としてたびたび田辺聖子さんのエッセイに登場。ユーモラスな人気キャラでした。

さて、健次郎のモデルになった川野純夫さんとはどのような人物だったのでしょうか?

目次

【芋たこなんきん】徳永健次郎のモデルは医師の川野純夫で田辺聖子の夫!

【芋たこなんきん】妹の孝子【たかこ】役はメイサツキ!現在の活動は?

作家の田辺聖子がモデルの「芋たこなんきん」

「芋たこなんきん」は2006年に放送された朝ドラ。田辺聖子さんが原案された、自伝的な物語です。

ヒロイン花岡町子を演じるのは藤山直美さん。町子の両親役に城島茂さん、鈴木杏樹さん、夫の徳永健次郎を國村隼さんが演じています。

「芋たこなんきん」はこんなお話です。

37歳の花岡町子は開業医、通称「カモカのおっちゃん」と出会い、恋に落ち、やがて結婚。
ところが、この「カモカのおっちゃん」はバツイチで、しかも5人の子持ち、なおかつ両親や兄弟と同居する10人の大家族だった・・・。
作家・田辺聖子の半生と数々のエッセイ集を基に、大阪の戦後復興期から現代へとたくましく生きてきたヒロインと家族を描く。
ヒロインは藤山直美、夫を國村隼が演じた。

引用元:NHK

徳永健次郎とは?ヒロインの夫役

当時の「芋たこなんきん」公式サイトの人物紹介にはこうありました。

奄美大島出身。
大阪市内の天満北商店街の片隅で内科の診療所を開いている。
前妻とは病気で死別し、父母と子ども5人と外科医の妹と一つ屋根の下で暮らしていたが、やがて町子の人柄にひかれて求婚する。
人と関わることが好きで「町医者」という職業に誇りを持っている。
「ま、こんなところ」「そこそこ」という人生観をもつ合理主義者。
見た目は豪胆な奄美育ちで、町子からは、「カモカのおっちゃん」と呼ばれている。

徳永健次郎の少年時代は永井樹くんがえんじていました。

徳永健次郎(國村隼)は「芋たこなんきん」第2話で、町子(藤山直美)が2人の男性の喧嘩を止めに入ろうとしたのを阻止します。その喧嘩でやられていたのは町子の文学学校の友人、小川(上杉祥三)でした。

町子は健次郎にくってかかりますが、小川を打ちのめしていたのは、なんと文学学校の講師、池内(板尾創路)。町子はびっくりします。

小川から先生が町子に謝りたい、と聞き憧れの池内先生がくると思い、朝から大忙しの町子。ところが小川が連れてきたのは町医者の健次郎でした。

3人で仲良く飲んでいましたが、そのうち町子と健次郎は口論に・・・(;^^)

数日後町子が帰宅すると、健次郎が妹の孝子(メイサツキ)と笑い転げながらお酒を飲んでいました。また町子と健次郎は口論に(笑)

言い過ぎたと思った町子は、翌日お詫びのため健次郎の診療所を訪ねますが、そこで妊婦の出産に巻き込まれます。無事出産したあと、町子は健次郎に謝りました。

その後小説を書くことに没頭していた町子。ある日健次郎がやってきて、突然町子にプロポーズを(≧∇≦)

突然のことに戸惑っている町子に吉報が!新人作家の権威ある文学賞を受賞したという知らせです。町子は翌日から健次郎へのプロポーズの返事を保留にしたまま、小説を書くことに夢中になります。

夢中になりすぎた町子は過労で倒れてしまい、健次郎がそれから毎日往診にやってきます。それからふたりはデートをするように(#^.^#)

町子は主婦と作家のどちらも中途半端になると考え、結婚を躊躇していましたが、健次郎は「トータルしたら人生満タンや」と笑い飛ばし、そんな健次郎と結婚する決意をしました。

これが町子と健次郎の出会いと結婚です(^^)このあと町子は忙しくなり、結婚後もしばらく別居したいと言う町子の希望を健次郎は快諾。健次郎の前妻も作家だったため、理解があったのです。

徳永健次郎の家は、健次郎の両親と前妻との子どもが5人。さらに兄と妹も暮らしていました。町子が同居したあと、さらに徳永家は賑やかになっていきます。

徳永健次郎のモデルは田辺聖子の夫の川野純夫!

ヒロインの花岡町子のモデルは、作家の田辺聖子さんと言うことで、健次郎のモデルは田辺聖子さんの夫の川野純夫さんです。

ドラマでは健次郎は再婚で、前の奥さんが亡くなられていますが、川野純夫さんはどうだったのでしょうか?

また川野純夫はどんな方だったのか?以降で詳しくご紹介していきます。

 

【芋たこなんきん】徳永健次郎のモデルの川野純夫とは?

【芋たこなんきん】ネタバレ!原作あらすじキャスト脚本家まとめ

田辺聖子との出会い・再婚

川野純夫さんは鹿児島県出身の開業医で、作家の川野彰子(かわのしょうこ)さんとご結婚されていました。おふたりの間には4人の子どもがいます。

川野彰子さんは2度直木賞候補にもなった作家。1964年病気によりお亡くなりになっています。川野彰子さんがまだ36歳のころでした。

ドラマの中でも健次郎は作家の奥さんが亡くなっていました。

川野彰子さんと田辺聖子さんは作家仲間で、近くに住んでいることから親しくなり、田辺聖子さんはいいお友達ができたと喜んでいたそうです。

急逝を知った田辺聖子さんは神戸新聞に追悼文を掲載。この年は田辺聖子さんが『感傷旅行(センチメンタル・ジャーニィ)』で第50回芥川賞を受賞した年です。この年に川野彰子さんは直木賞の候補にあがっていたそうです。

その追悼文を見た川野純夫さんは、そのころ神戸の荒田町診療所で所長をされていて、、田辺聖子さんのもとへお礼に行きました。

これがおふたりの運命の出会い(#^.^#)このとき川野純夫さんは40歳、田辺聖子さんは36歳のころです。

徹夜明けで髪もボロボロだったという田辺聖子さん(;^^)川野純夫さんはそんな田辺聖子さんに「そんなことをなさってると、いけませんよ」とドライブなどに連れて行ってくれたそうです。

でも4歳という年の違いもあり、意見が食い違うこともしょっちゅう(;^^)仲間でありけんか相手でもありました。ドラマでふたりが喧嘩するのは実話だったんですね(笑)

おふたりは話すうちすっかり意気投合し、話し出すと止まらない間柄に。お互い結婚を意識するようになりますが、ドラマと同じで川野純夫さんの家は大所帯。

前妻との間の子どもが4人、それに両親や兄妹も同居していました。そんな大家族の家事と作家活動を両立できるか、田辺聖子さんは悩んだそうです。誰でも悩みますよね~。

そんな田辺聖子さんに「中途半端と中途半端が寄ったら満タンになる」と話し、そんな豪快で気さくな人柄な川野純夫さん。田辺聖子さんは結婚を決意しました。

おふたりが結婚したのは1966年。田辺聖子さんが38歳、川野純夫さんが42歳のころ。おしゃべり好きな夫婦は周りから「おしゃべり夫婦」と呼ばれていたそうです(^^)

脳梗塞

4人の子ども全員が独立したのが1976年。このとき川野純夫さんは脳梗塞で倒れてしまいます(>_<)その後は車いす生活になりました。

伊丹市にあった自宅で静養していましたが、リハビリはしなかったそうです。そのことについて田辺聖子さんはこう語っておられました。

生きられるだけ生きられればそれで良い、という人で、ある意味侍でした

2001年ころから吐血が止まらないようになり、医師から舌癌で手術はできないと告げられます(>_<)

川野純夫さんの前では明るく接していた田辺聖子さんでしたが、あるとき涙をこぼします (T_T)それをみて川野純夫さんはこんな五七五を言ったそうです。

「かわいそに わしはあんたの 味方やで」

これが川野純夫さんの最期の言葉となりました (T_T)深~い夫婦の愛情が読み取れますね。

2002年1月に川野純夫さんはお亡くなりになりました。享年77歳。こうしておふたりの夫婦生活は、36年間でピリオドを打ちます。

田辺聖子さんは川野純夫さんについて、のちにこうコメントされていました。

人間がこんなに優しくなれるものかと思った。
太陽の恵み、地熱の温かさ、そばにいるだけで温かくなる人でした

素晴らしい伴侶に巡り合えたんですね(^^)

エピソード

①川野純夫さんは車いす生活になったあと、田辺聖子さんの対談の席や、講演会などにはいつもご一緒されていたそうです。

テーブルの端で対談の様子を聞きながら、楽しそうにお酒を飲んでおられたとか。

②1977年から1984年まで、編集者らと阿波踊りの「カモカ連」を結成し、7~80人で毎年阿波踊りに行ってました。

このメンバーでよく挿絵を担当されていた高橋孟さんが、「おっちゃん」のモデルを川野純夫さんにして描いた絵に髭があり、髭を生やしてなかった川野純夫さんでしたが、阿波踊りのために毎年、イラストを真似して髭を生やすようになったそうです。

このとき川野純夫さんは「お茶目でないと生きていけない。それも大人の資格」と言っておられたそうです。

③川野純夫さんと田辺聖子さんの間に子供はいませんでした。でも田辺聖子さんのは連れ子の子どもたちはとても可愛かったとのちにコメントされています。

上の子は再婚したとき中学生だったことから、お母ちゃんとは呼ばせず「聖子おばちゃん」と読んでいたそうです。 

④晩年田辺聖子さんは川野純夫さんについてこう語っています。

正直で素直。自分を飾らない人

そんなところが川野純夫さんの魅力でもあったようです。長男ということもあり、家族のためにという責任感も強かったといいます。

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「カモカのおっちゃん」が田辺聖子さんのエッセイにたびたび登場する、ユニークなおっちゃん。

当初モデルはいないとされていましたが、挿絵を描いた高橋孟さんが川野純夫さんをモデルにしたことから、カモカのおっちゃん=川野純夫さんとして定着しました。

「カモカ」とは関西地方の方言で「怖いもの、バケモノ」などのことで、子どもを噛んで食べてしまう妖怪、という言い伝えがあります。なので関西では子どもを叱るとき「はよ寝ないとカモカがくるよ」などと使っているそうです。

ということは、川野純夫さんは怖いバケモノのおっちゃん???

ドラマのネタバレをすると、町子(藤山直美)が想像していた「カモカ」に健次郎(國村隼)がソックリだったから(≧∇≦)なのでカモカのおっちゃんと呼ぶようになりました。ちょっと健次郎に失礼?(笑)

田辺聖子さんの著書「カモカ・シリーズ」は週刊文春で15年間連載。カモカのおっちゃんとおせいさんが酒席で繰り広げる、辛辣でユーモアの限りをつくした会話が掲載されています。

カモカは怖い存在ですが、田辺聖子さんにエッセイに登場するカモカのおっちゃんは、とてもユーモアのある面白い人物。

ドラマのように田辺聖子さんは、鹿児島出身の彫の深い川野純夫さんを見て「カモカ」を想像されたのでしょうか?(笑)

そんな夫婦愛が描かれた「芋たこなんきん」の再放送、どうぞお楽しみください!

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「芋たこなんきん」が3月28日から再放送されています!小説家でエッセイストの田辺聖子さんの自叙伝的物語で、田辺聖子さんご自身の考案です。

田辺聖子さんは38歳で初めてご結婚されましたが、そのお相手は作家の妻に先立たれた医師の川野純夫さん。田辺聖子さんは川野さんの奥様だった川野彰子さんと友人で、その訃報に手記を寄せたのがきっかけで川野純夫さんと知り合いご結婚。

田辺聖子さんと川野純夫さんはお酒を飲んで喋り倒す、楽しいご夫婦だったようですが、意見の食い違いでよく衝突もされていたとか。。。(;^^)喧嘩するほど仲がいいの見本のようなご夫婦ですね。

そんな川野純夫さんをモデルにしたのが「芋たこなんきん」の徳永健次郎。國村隼さんが演じています。確かに鹿児島っぽいかも!

ドラマでは町子が想像していた妖怪「カモカ」に健次郎がソックリだったことから「カモカのおっちゃん」と呼ぶようになりました。

「カモカのおっちゃん」は田辺聖子さんのエッセイでシリーズ化され、人気となっています。ドラマと一緒にエッセイも読んでみてはいかがでしょうか。

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