新ドラマ「仰げば尊し」で情熱的に指導する教師の樋熊迎一役の寺尾聰さん。
数々の熱い台詞に心を打たれた人もいるでしょう。
そんな熱い演技をする寺尾さんのプロフィールや経歴、若い頃の活動から病気の噂までまとめてみました。
寺尾聰のプロフィールとは?
名前:寺尾聰(てらおあきら)
生年月日:1947年5月18日
出身地:神奈川県
引用元:www.at-style.com/biography.php
寺尾さんの父親は俳優の宇野重吉さん。戦前から戦後にかけて演劇界をリードしてきたすごい名優さんです。
最初は宇野さんが主宰する劇団に研究生として入団を希望してましたが父親から親の七光りとして見るだろうと懇意だった石原裕次郎さんを紹介されました。
自分の力で這い上がってこいという父親の愛だったのでしょうね。
石原プロに所属していましたが俳優としての道の違いから離脱して今は個人事務所をたちあげています。
寺尾さんは1973年に女優の范文雀さんと結婚しましたが一年で離婚。その後、元モデルの星野真弓さんと結婚されています。
女優にモデルを次々にゲットして若い頃はモテモテだったことがわかりますね。
寺尾聰の過去の出演作とは?
黒部の太陽(1968年)
国盗り物語(1973年)
西部警察(1979年‐1982年)
雨あがる(2000年)
こころ(2003年)
半落ち(2003年)
優しい時間(2005年)
博士が愛した数式(2006年)
さまよう刃(2009年)
ようこそわが家へ(2015年)
寺尾さんは若いころから俳優として活動をしていますが、年齢とともに味がでてセリフ一つでも重みを感じさせることができると評判です。
「西部警察」(1979年)でスマートな都会派刑事だが人情味あふれる一面もある松田猛役を演じてきました。
年齢を重ねて深みが出てきた寺尾さんは「雨あがる」(2000年)でお人好しの浪人を好演してアカデミー賞最優秀主演男優賞を受賞してます。
最近では月9「ようことわが家」で嵐の相葉雅紀さんのお父さん役を演じていました。気が弱いやさしいお父さん役でしたが、最後は家族を守るために強い父親になって頑張る姿が印象的でした。
年を重ねたこその深い味わいは寺尾さんだからこその役柄を最近は多く演じていますね。
まだまだ現役で活動をされていくのを楽しみです。
寺尾聰は病気なの?
人はずっと健康でいられるのも難しいことです。
寺尾さんも30歳の胃の大病を患い2/3も摘出されたことがあるようです。東南アジアでしばらく療養されてから仕事に無事に復帰しています。最初は胃に激痛が走り動けなくなったけどご自分で救急車を呼んでシャワーを浴びて待っていたそうです。動けなかったんじゃなかったんですか(笑)
最近は目がおかしいと話題になったこともありました。
「軍師官兵衛」(2014年)で徳川家康役を演じた時に右目が少しおかしいとなったようです。ですが、実際は演出でした。
寺尾さんは「家康は表に見せる顔と自分のなかにある裏の顔がある」と思ったようなので何かを企んでいるように見せていたみたいですね。
役柄にこだわった演出で、目の他にもあまり台詞を喋らないようにしていたようです。
喋らなくても演技する。寺尾さんだからこそできることですね。
体調には気をつけて頑張ってほしいです!
寺尾聰の若い頃の活動って?性格は?
寺尾さんは俳優としてだけでなく、音楽についても才能をみせていました。
「ルビーの指輪」(1981年)は空前の大ヒット。次々と記録をうちたてました。
発売当初はさほど売れていなかったようですが一ヶ月後に徐々に売り上げを伸ばしてオリコンで1位を獲得してます。
ちなみに当時は売れて天狗になってしまった、尖っていたというようなことご本人が何かの番組で言ってしまいた。この頃はかなりの「寺尾聰ブーム」だったので、調子にのってもしょうがないですよね。また若いころは相当やんちゃだったようです。
そういう時期を越えて、今は落ち着いた素敵なおじさまになったんですね。
当時人気番組だったTBS系の「ザ・ベストテン」で12周連続1位という最長記録を出しました。日本レコード大賞やFNS歌謡祭でグランプリを受賞して、紅白歌合戦にも出場しています。レコード大賞とアカデミー賞最優秀男優賞の両方を獲得してるのは寺尾さんだけです。
俳優の活動を中心にしていましたが2005年から歌手活動を再開してます。
現在でもステージでシャズベースをプレイしたり、アルバムなども発売しています。
まとめ
年齢と深い味わいを見せる演技力と渋い歌声で魅了する音楽活動、ドラマの教師役としてピッタリですね。
まだまだ元気で活躍されていくのが楽しみです。