渋沢敬三の預金封鎖や財閥解体との関係など史実まとめ

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NHK大河ドラマ「青天を衝け(せいてんをつけ)」はもついにクライマックスに突入!

吉沢亮さん演じる渋沢栄一(しぶさわえいいち)は、実業家から一線を退き、晩年の姿が残り2話で描かれます。

2021年12月19日放送の第40話「栄一、海を越えて」では、栄一の孫の渋沢敬三(しぶさわけいぞう)も登場するんです。

栄一の後継者は息子の渋沢篤二(しぶさわとくじ)だったのですが、問題を起こして廃嫡されてしまいます((+_+))

その後、跡継ぎとして白羽の矢が立ったのが篤二の息子の敬三だったのです!

渋沢敬三は経済人として大いに活躍し、のちに大蔵大臣を務め預金封鎖(よきんふうさ)を行い、財閥解体(ざいばつかいたい)の憂き目にあってしまうことに。

そして民俗学を発展させた人物としても知られているんですよね!

今回は「青天を衝け」の渋沢栄一の跡取りとなる渋沢敬三の史実についてご紹介していきます。

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目次

青天を衝けの渋沢敬三は父親の廃嫡によって栄一の跡継ぎに!

渋沢栄一が廃嫡した渋沢篤二の史実とは?遊び人で女好き?

「青天を衝け」第40話では、実業家として一線を退き、民間外交に奔走すらため海外に渡る渋沢栄一(吉沢亮)の姿が描かれます。

そんな中で、栄一の息子で跡継ぎの篤二(泉澤祐希)がまたもや問題を起こしてしまうんです(・_・;)

かつて女遊びに興じて栄一から謹慎を命じられたこともありましたが、結婚して子供も生まれてからは落ち着いていたはずなのに・・・

史実によると、篤二は芸者に入れあげてしまい、妻を追い出して、芸者を家に入れようとします。

栄一はそんな篤二を認めることが出来ず、ついに廃嫡することを決断。

それでは、誰がその後渋沢家の跡取りになるのか?

その人物こそ、篤二の息子の渋沢敬三です!

このとき敬三は18歳。70歳を超えた祖父から頭を下げられて跡継ぎとなることを受け入れました。

そんな渋沢敬三とはどんな人物なのか?

以降で詳しくご紹介したいと思います!

渋沢敬三と預金封鎖との関係と史実は?

渋沢栄一の死因は?病気病名は?

1896年(明治29年)、渋沢栄一の孫として東京・深川に生まれました渋沢敬三。

父親は先ほども少し紹介した渋沢篤二で、母は渋沢敦子です。

東京帝国大学経済学部を卒業したのち、祖父の栄一と同じく銀行家の道を歩み始めました。

横浜正金銀行(現在の三菱UFJ銀行)に入行し、その後第一銀行(現在のみずほ銀行)に入り、取締役、副頭取を歴任し日本の経済人として主要な地位を築きます。

戦時中の1942年(昭和17年)には日本銀行副総裁となり、1944年(昭和19年)には日本銀行総裁にまで上り詰めたのです!

終戦後は、幣原喜重郎(しではらきじゅうろう)内閣の下で大蔵大臣を務め、新円切替え、財産税導入など経済的混乱の収拾に奔走しました。

この経済政策の中のひとつが預金封鎖です。

預金封鎖とは、銀行預金の引き出しを禁止することです。

戦時中、国は国債を大量に発行し、国民に大量に買わせることで、兵器などの戦争資金を調達しておりました。

しかし、戦時中に発行した国債はあまりにも膨大なものとなり、終戦時の日本の債務は、GDPの約2倍にまで膨れ上がりました。それにつられて物の値段が上がり、強烈なインフレも引き起こしてしまっていたのです。

まさしく当時の日本は、大混乱のさなかでした。

引用元:https://okane-madoguchi.com/senngo-yokinfuusa/

貨幣の流通量を制限したり、インフレの抑制や、国の借金の返済の原資として、国民の財産を割り当てる目的などで行われます。

インフレの抑制のためという名目だった「預金封鎖」でしたが渋沢敬三は後に、当時の膨大に膨らんだ政府の負債を減らすため、または格差の是正を行いたいという目的もあったようです。

2月17日以降、預金の引き出しを制限し、10円以上の日本銀行券(旧円)は3月2日で無効となり、それまでに使うか預金するしか選択肢はなくなりました。

3月3日からは新しく発行した日本銀行券(新円)のみ使用可能となりましたが、1人100円を上限に旧円と新円を1対1で交換する措置もとられました。

生活防衛のため、月給500円までは新円で支給するものの、それ以上は封鎖された預金に振り込まれました。

大卒の初任給が400~500円だった時代、封鎖預金から引き出せるのは、1ヵ月に1人100円(世帯主は300円)までに制限されたのです。

引用元:https://diamond.jp/articles/-/264799

今こんなことが起きたらかなり衝撃的ですが・・・(^^;)

戦後に起きたこの出来事は、現在においても、いつ起きてもおかしくないかもと、警告している専門家もいます。

渋沢敬三と財閥解体との関係と史実は?

そして、アメリカGHQの指令のもと公職から追放されてしまい、渋沢家は財閥解体の対象にもされてしまいました。

財閥とは三井や三菱など大企業一族のこと。

渋沢栄一は財閥の形成を考えておらず、渋沢同族株式会社という持株会社があり、栄一の子どもたちは数多くの企業役員を兼務していました。

三井や三菱など「十大財閥」が指定され、そこには渋沢家は入っていませんでした。ところがGHQは「十大財閥」を指定する前に「十五大財閥」を指定。その中には渋沢家も入っていた。

ということで、渋沢家は財閥という扱いでは無かったので、申請を出せば対象から解除される可能性もあり実際に、GHQは、渋沢家の当主である渋沢敬三に財閥解体の対象解除となる申請を出すように勧めました。しかし渋沢敬三は申請をしませんでした。

戦争で多くの日本人が亡くなったにも関わらず、巨万の富を相続した自らを潔しとせず、財閥解体を受け入れた敬三。

その後は、国際電信電話株式会社の初代社長に就任し、金融制度調査会の会長等、多くの要職を務め国際的な経済人として大いに活躍したのです!

渋沢敬三は民俗学を発展させたことでも有名!

経済人として活躍した渋沢敬三ですが、実は民俗学を発展させた人物としても有名です。

幼いころは、渋沢邸にあった池の魚を眺めているような子供で、近所の子供達を集めて子供会「腕白倶楽部」を作ったりもしています。

「腕白雑誌」という同人誌を作り、冒険小説や昆虫を図入りで解説したり、修学旅行でその土地の高度、温度などのデータを盛り込んだ修学旅行記を作ったりもした敬三!

中学生になると動物学者を目指すようになり、高校の農科を志望していたのですが・・・

父・篤二が廃嫡になったことで、祖父・栄一から羽織袴の正装で頭を床にすりつけんばかりにして農科を諦めるよう嘆願されたことで、経済の道に進むことになったんです。

しかし、大学在学中にも自らが興味を持った分野の研究は続けていました。

このころ、日本民俗学の創始者といわれる柳田国男と出会ったことが、民俗学への造詣を深めていく契機になったようです。

自宅の物置小屋の屋根裏に「アチック・ミューゼアム(屋根裏の博物館)」と称する小さな博物館を設けて、仲間たちと集めた郷土玩具や化石などを展示します。

さらにロンドンに滞在していた時には、ヨーロッパの多くの民族博物館を見分し、郷土玩具から民具全般へと収集の対象をひろげていき、多くの収蔵品を集めていきました。

渋沢敬三は自らを「学者ではなく一実業人」と位置づけ、「資料を学界に紹介・提供すること、そのために努力する研究者の仕事を援助・実現する」ことを使命と考え始めます。

そして晩年に至るまで、博物館に対して強い思いを持ち続け、日本民族学会設立に際し多大の財政的援助を行うなど、学術世界の支援者となったのです。

渋沢敬三は経済人としてだけでなく、文化人としても多大な功績を残した人物なんですよね!!

そんな渋沢敬三は、1963年(昭和38年)に糖尿病と腎委縮を併発して67歳でこの世を去りました。

しかし敬三が作った「アチック・ミューゼアム」は今でも生き続けています!

1942年に「日本常民文化研究所」と改称して、現在では神奈川大学の付置施設となり研究が続けられています(^^)/

青天を衝け渋沢敬三の史実まとめ!

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今回は「青天を衝け」の主人公・渋沢栄一の孫でのちに後継者となる渋沢敬三についてネタバレ紹介しました。

渋沢敬三は経済人として大いに活躍したのち、幣原喜重郎内閣の下で大蔵大臣を務め、預金封鎖を行ったことでも知られています。

一方で、民俗学への造詣も深く「アチック・ミューゼアム」という博物館を作り、今でも神奈川大学で研究機関として生き続けています!

渋沢栄一は有名ですが、孫の敬三の知名度はまだまだですよね(^^;)

しかし、今回「青天を衝け」のクライマックスに登場することで、注目が集まりそうな気がしますね。

渋沢敬三を演じるのは若手俳優の笠松将さんです!

「青天を衝け」40話と最終回はなんと15分拡大版です。皆さん是非ご期待ください(^^)/

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