安藤百福の塩作り実話はドラマと違う?日清食品で製塩をした?【まんぷく】

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重労働なうえ食事も粗食で最初の給料もわずか・・・という状況で、不満が募っていた塩軍団たちも、福子(安藤サクラ)が提案した慰労会で、なんとかモチベーションを保てるようになった、NHK連続テレビ小説「まんぷく」。

慰労会そのものはちょっとグダグダ(笑)でしたが、鈴(松坂慶子)の国定忠治が思いの外ウケて、塩軍団たちも大喜び♪ またみんなで一丸となって塩作りに励んでいます。

このドラマで社長である萬平(長谷川博己)のモデルは、日清食品創業者である安藤百福さんです(^ ^)

 

 
 
 
 
 
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安藤百福さんも実際に塩作りをしていましたが、どのように製塩をしていたのでしょうか?

そして日清食品の時代に塩作りをしていたのかも気になります。

そんな安藤百福さんの塩作りについてまとめました!

 

 

目次

まんぷくで萬平たちはどうやって塩を作ってるの?

まんぷく世良がムカつくし最低でヒドイ!裏切りのピンハネに批判集中

戦争が終わり疎開先から大阪に戻った福子(安藤サクラ)と萬平(長谷川博己)、それに鈴(松坂慶子)は、自分たちの家が空襲で焼失(T . T)

家が残っていた福子の姉、克子(松下奈緒)の家に居候させてもらいますが、いつまでもご厄介になっているわけにもいかず、世良(桐谷健太)の紹介で泉大津に引っ越すことにしました。

引越し先には母の鈴と、香田家に泥棒に入った神部茂(瀬戸康史)も一緒について行くことに。

 

 
 
 
 
 
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その引越し先は元軍の施設で、大きな81枚もの鉄板が放置されていました。

何かに使えないかと思案していた萬平は、ある日近所のラーメン店で味の薄いラーメンを食べます。

なぜ味が薄いのかというと、塩が足りないからでした。

人の役に立つことがしたかった萬平は、ここで鉄板を使った塩作りを思いつきます!

ものすごい想像力ですよね。

早速神部を連れて塩の本場、赤穂まで勉強に行きました。

そこで基礎を学んできたふたりは、さっそく試作品作りに取り掛かります。

ドラマではこのように塩作りをしていました。

浜辺に鉄板を傾けて置き、傾けたその先にバケツを置きます。

鉄板は太陽光で徐々に熱くなるので、その鉄板に上の方からゆっくり海水を流し込むと、海水は少しずつ蒸発しながら下のバケツに落ちていきます。

バケツに落ちた海水は、蒸発された分塩分が濃くなっていますよね。

その塩分が濃くなったバケツの海水を、さらにまた鉄板の上から流すことを繰り返すと、どんどん塩分の濃い水になっていきます。

一度使った鉄板は、海水で冷えてしまうので、温めておいた別の鉄板を交互に使うようにします。

こうすることで塩分の濃い「鹹水(かんすい)」が出来上がります。

この鹹水を鍋で煮詰める作業のことを「煎熬(せんごう)」といいますが、煎熬をすると「塩の花」ができます。

さらにそこから余分な水を落とすと塩が出来上がります♪

ここで落ちた余分な水が、豆腐を固めるために使う「苦汁(にがり)」です。

こうやって塩が完成。

この作業をするためには、男手が必要ということで、神部が連れてきた14人があの塩軍団です。

 

 
 
 
 
 
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重労働の末ようやくできた塩でしたが、萬平が目指すのは白い純度の高い塩。

鉄板についたサビが塩についてしまうと、茶色い塩になってしまい価値も下がってしまいますが、丁寧に鉄板を拭く作業は、効率を悪くしてしまいます。

鈴も試作品で作った茶色い塩にはイヤな顔をしていましたが、生産性が上がらないとわかると「多少茶色くても・・・」「でも孫には食べさせたくない!」

なんていう鈴らしい発言をしていましたね(笑)

ドラマではこのように丁寧に、上質な塩を作って専売局に売っていますが、実際に安藤百福さんの塩はどのようにして作られていたのでしょうか?

 

安藤百福は、どうやって塩を作っていたの?

 

 

ズバリ言うと、ドラマとほとんど同じです!

ただし百福さんは勉強にはいっておらず、独学で作られたそうです。

やはり発明家で研究家の百福さん、疎開先で赤穂の塩田を観察したことがあり、そこからヒントを得て作りました。

萬平と同じく疎開先から戻って住むことになったのは泉大津。

まんぷく塩作りの専売制とは?実話と闇市販売の世良のネタバレも

近くには造兵廠(兵器や車両などを製造したり修理していた軍の工場)の跡地があり、管轄していた鉄道局に熱心に訴えたところ、土地も建物も資材までもが無料でもらえることになりました。

その資材の中にあったのが、大量の鉄板。

百福さんも萬平と同じように、その鉄板を見て塩を作ろうと思いつきました。

太陽光で熱した鉄板に海水を流し込むことを繰り返し、できた鹹水を大釜で煮詰める、という作業。

ね?萬平と同じでしょ?

では百福さんはこの塩作り、日清食品のときにやっていたのでしょうか?

 

安藤百福は日清食品の時代に製塩をしていたの?

 

 

萬平が専売局に塩を売ることができる許可をもらい、立ち上げたのが「たちばな塩業」です。

 

 
 
 
 
 
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会社として正式に認められて専売局に塩を卸しています。

では百福さんはどうだったのかというとー?

百福さんは塩を売っていませんでした!

じゃあ何のために塩を作っていたの???

もちろん塩が足りない時代でしたが、そもそもは慈善事業のようなものでした。

働く場所もお金もない若者たちに、仕事と食事、それにおこづかいを与えることで社会の役に立つと考えたのです。

塩はご近所さんに無料で配り、塩を使ったふりかけを販売していたそうです。

というのも塩は勝手に販売してはいけない時代だったのです。

世良から電話がありましたよね。

闇市で売ったら儲かるぞ

たちばな塩業のモデルは?まんぷく安藤百福の塩つくりはドラマと違う?

手に入らないからこそ、塩は闇市で高く売買されていたのでした。

さて、ではこの頃百福さんの会社は日清食品だったのでしょうか?

申し訳ございませんが、正確なところはわかりませんでしたm(__)m

ただ、百福さんが塩業を始めたのは1947年の頃だと想像できるのですが、百福さんが最初に立ち上げた会社は「中交総社」という名前で、設立は1948年。

泉大津で設立されたこの会社は製塩と漁業をしていましたが、その後魚介類の加工販売や繊維工業、栄養食品の開発などに手を広げていきます。

なので塩を作っていた最初の頃は、会社という組織ではなく、いわばボランティアのようなものだったのだと思います。

1948年「中交総社」を立ち上げ、1949年に大阪市北区に本社を移し「サンシー殖産」と商号を変更。

「日清食品」という商号になったのは、チキンラーメンが発売された1958年のことでした。

塩業や漁業などをしながら10年経ちチキンラーメンが発売。

それにともない今では誰もが知る「日清食品」という会社名になりました。

ということで、百福さんが塩業をしていた頃は「日清食品」ではありません。

個人的にはドラマで「たちばな塩業」を設立する前の、会社組織ではなかった頃と同じなのかな?と思っています。

 

まとめ

塩作りは実話?まんぷく製塩は安藤百福も塩軍団の若者を集めた?

塩業に関することについては、ドラマと史実はだいたい同じだと思います。

塩軍団もいましたし、百福さんの妻、仁子さんの母親須磨さんも塩軍団の面倒をみていたと言います。

さらに! 週末だけお手伝いに来ている、タカ(岸井ゆきの)のモデルであろう、香田家の長女もタカと同じように福子たちのお手伝いをしていたそうです(^ ^)

それにしても岸井ゆきのさん、26歳ですよ! びっくりしちゃいます(笑)

このように細かいディティールまで似ている萬平と百福の塩作り。

ということは、これからチキンラーメンを発明するまでには、まだまだ時間がかかりそうです。

どんな紆余曲折が待っているのか・・・。

世良さん!

もう萬平さんを騙さないでくださいね!!

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