本郷義彦のモデルは本城和彦!日本住宅公団・設計課長で建築家!

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「食の革命」で日本を変えた2人の女性について描いたテレビ朝日のスペシャルドラマ「キッチン革命(きっちんかくめい)」が2023年3月25日、3月26日の2夜にわたって放送されています。

第1夜は、現在でいう「レシピ」である「料理カード」を発明した実在の医師の女性をモデルとした主人公の物語。葵わかなさん、そして壮年期は薬師丸ひろ子さんが演じていました。

そして第2夜は伊藤沙莉さんが日本のダイニングキッチンを開発した建築家・浜崎マホを演じます。

浜崎マホのモデルは実在の建築家の浜口ミホ(まはぐちみほ)さんです。

そんな浜崎マホには、重要なパートナーがいるんです。マホとともに、ダイニングキッチンの開発に挑む日本住宅公団・設計課長の本郷義彦(ほんごう・よしひこ)で、成田凌さんが演じます。

浜崎マホにモデルがいることなので、パートナーの本郷義彦にもモデルはいる??

本郷義彦は実在の建築家・本城和彦(ほんじょう・まさひこ)さんがモデルなんです。また、「プロジェクトX」に登場した住宅計画部課長・尚明も???

今回はドラマ「キッチン革命」で主人公のマホのパートナーで、本郷義彦のモデル本城和彦さんについてご紹介していきます。

目次

本城和彦は日本住宅公団・設計課長で建築家!主人公の浜崎マホのパートナー

浜崎マホ【はまざきまほ】モデルは建築家・浜口ミホで実在!ダイニングキッチンを発明

キッチン革命・第2夜はダイニングキッチンを発明した女性建築家が主人公

まずは、キッチン革命の第二夜のストーリーのご紹介です。

1955(昭和30)年、日本住宅公団の設計課は、いつになくざわついていた。新たに公団住宅を作るにあたって、設計課長の本郷義彦(成田凌)が“お台所のマホ様”とよばれる浜崎マホ(伊藤沙莉)に設計チームのアドバイザーを依頼したためだ。マホは、日本初の女性一級建築士。海外育ちで日本の様式美を無視する曲者ともいわれていた。
 初めの顔合わせで、マホはいきなり「一戸あたり13坪では狭すぎる」と公団の決定に異を唱え、従来の日本家屋で北側にあった台所を南側に置くことを提案。これまで寒い場所での苦しい作業だった“台所仕事”を快適なものにしたい、という理想からだった。
 しかし、戦後日本のひっ迫した住宅事情から13坪という面積は覆らず、マホは“狭さに挑戦する”ことを決意。“妻・栄子(中村アン)のためにも素敵な台所を作りたい”という熱意を秘めた本郷とともに、理想の台所作りに向けて奔走する日々がはじまる。
 狭い台所では動線の確保が困難で、料理がしづらい。そこでマホが思いついたのは、流し台の配列の変更だった。“動ける場所を広くする”のではなく、“動かないですむ”ようにする逆転の発想だった。さらに、じめじめして掃除が大変だった“ジントギ(人造石を成型して研ぎ出した素材)”の流し台を、汚れが落ちやすく、錆びないステンレスに変えることも提案。だが、国内でステンレスを生産している会社はなく、マホは住宅公団副総裁・鈴木仙吉(北村一輝)に、大型プレス機購入を直談判するが…!?
 そんな中、マホが考案した流し台の配列に反対する声が上がり、それをきっかけに綾子(薬師丸ひろ子)とマホが交錯する出来事が起きて…!?

引用元 テレビ朝日公式サイト

戦後復興の荒波の中、“台所”を改革しダイニングキッチンを発明した日本初の女性建築家をモデルとした浜崎マホが主人公です。

モデルは実在の日本初の女性建築家と言われている、浜口ミホさんです。

そして浜崎マホがダイニングキッチンを開発する上での重要なパートナーが、日本住宅公団・設計課長の本郷義彦(ほんごう・よしひこ)さん。

成田凌さんが演じています。

日本住宅公団の設計課長で、理想の台所を作りたいと考え、浜崎マホにアドバイザーを依頼し、そのあと、一緒に開発に取り組んでいく役柄です。

1夜の主人公の仕事のパートナーは同じく医師である夫でしたが、第二夜は違うんですね。

本郷義彦には、こんな美しい妻が♪

妻のために明るい台所を作りたいという思いを胸に、開発に挑んでいく、素敵な夫役のようですね♪

そんな本郷義彦ですが、主人公と動揺にモデルが存在します!

実在の建築家・本城和彦(ほんじょうまさひこ)さんです。以降で詳しくご紹介していきます。

本郷義彦のモデルは本城和彦!日本住宅公団・設計課長で建築家!

キッチン革命のモデルは誰?香川綾と浜口ミホの2人

本郷義彦のモデルは本城和彦さん。

ドラマと同じように、日本住宅公団、現在の「UR賃貸」の初代建築部設計課長であり、浜崎マホのモデルとの女性建築家・浜口美穂さんたちと企画して「ダイニング・キッチン」という造語を生み出すことになります。

本城和彦さんは1938年に東京帝国大学工学部建築科卒業。卒業後は官僚の建築技師集団と言われていた「逓信省営繕課」に入省。

戦後の1946年には戦災復興院業務局住宅建設課技師に。

そして翌年の1947年には総理府経済安定本部部員建築局計畫課勤務し、1952年に建設省営繕局技官を経て、1955年に新たに設立された日本住宅公団本所建築部設計課長として赴任します。

やっと、ダイニングキッチンの開発の舞台にやってきた本城和彦さん。

10年間勤務した中で、浜口ミホさんとのダイニングキッチン開発に取り組みました。

以降は、アドバイザーや教授として指導の道に。東京大学都市工学科教授を歴任し、国連地域開発センター(UNCRO)所長をつとめたり、発展途上国の開発問題に取り組むなど国際的にも活躍したすごい方です!

本郷義彦のモデルの本城和彦だけでなく住宅計画部課長・尚明さんも?

当時、台所の位置は北側で、寒くて暗い、家事をする女性のことなど何も考えていない、ひどい状況でした。

ところが戦後、ダイニングキッチンが作られて、南側に配置されるように。

食事と台所の両方が椅子式になったりと、台所の作りが一変しまう。

この台所を大きく変えたのが本城和彦さんと浜口ミホさんの当時・日本住宅公団の「55-4N-2DK」のダイニングキッチンでした。

日本住宅公団の建築部設計課長だった本城和彦が、浜口ミホさんの革新的な視点に注目し、依頼をして、企画がスタートしました。

現在では狭い印象の6畳のダイニング・キッチンですが、それまで茶の間でちゃぶ台で食事を食べていたので、当時は住戸の中心に配されたテーブル式のダイニング・キッチンはとても明るくモダンに見えたのか、公団からあっという間に他の住宅にも取り入れられるようになります。

ちなみに「ダイニングキッチン」という言葉は本城和彦さんが使い始めたとのこと。

公団は面積制限のために居間(リビング)が基本的につくれませんでいた。

なので「リビング」と区別するために「ダイニング」と呼びはじめたそうです。図面には「食事室兼台所」と書いてありました。

ちなみに、UR賃貸ではないのですが、現在の都営住宅の間取り図にはダイニングは「台所・食事室」と記載されていました。

ちなみにダイニングキッチンの誕生は「プロジェクトX」でも取り上げられていました。

プロジェクトXでは、企画の中心的人物の1人だった住宅計画部課長・尚明さんについて特集されていました。

尚明さんは、本城和彦と東大の同期とのこと。

ここで妻の道子さんが北向きの冷え冷えとした台所で洗い物をする姿を見て心を痛め、キッチンを家の南側に配置し、家族団らんのスペースにしようと考えたエピソードが語られていました。

ドラマでも、妻のために本郷義彦がダイニングキッチンを作ろうと言うエピソードがあるようなので、尚明さんもモデルの1人なのかな?と思います。

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