暁に祈るの野村俊夫の作詞と福島三羽ガラスのエピソードは実話?

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朝ドラ「エール(えーる)」では、これからとうとう福島三羽ガラスが誕生、やっと始動します。

福島三羽ガラスとは、主人公の古山裕一(窪田正孝)と自称大型新人歌手(^_^;)の佐藤久志(山崎育三郎)、そしておでん屋を継ぐことになった作詞家志望の村野鉄男(中村蒼)のこと。

3人は福島出身の幼馴染。なので福島三羽ガラス、というわけです。

この福島三羽ガラスは実話で、それぞれ3人にはモデルがいて、「暁に祈る」という曲を手掛けました。

「暁に祈る」は映画の主題歌となり曲も大ヒット♪

しかし、朝ドラ「エール」では村野鉄男が「暁に祈る」の作詞に苦しむ姿が。村野鉄男のモデルになった野村俊夫も「暁に祈る」の作詞で何度もダメ出しを受けて苦労したのしょうか?実話なのでしょうか?

そこでこの「暁に祈る」の実話と、野村俊夫さんの作詞のエピソードや福島三羽ガラスの実話について調べてみました。

さて、「暁に祈る」とはどんな曲なのでしょうか?

今後のネタバレありますので閲覧注意です。

目次

「暁に祈る」で野村俊夫も作詞で苦悩?福島三羽ガラス結成のネタバレ

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ネタバレです!

「エール」の福島三羽ガラスとは、福島出身の古山裕一(窪田正孝)、佐藤久志(山崎育三郎)、村野鉄男(中村蒼)の3人のことです。

1937年、日中戦争が起こりました。

戦時下ではありましたが、まだ国民には大きな影響はありません。

そんなある日、裕一は新聞で公募された「露営の歌(ろえいのうた)」の歌詞を見て、一気に曲を書き上げます。

この曲を佐藤久志(山崎育三郎)が歌い大ヒットに。

そして「露営の歌」は出征する兵士たちの見送りのときに歌われるようになりました。

勝ってくるぞと勇ましく~

というあの曲です。

その大ヒットから1年後。裕一のもとに音(二階堂ふみ)の姉の吟(松井玲奈)と、夫の智彦(奥野瑛太)がやってきました。

智彦は陸軍の馬政課で働いていますが、その陸軍で「暁に祈る」の映画を作ることになり、その映画の主題歌の作曲を、裕一に頼みに来たのでした。

裕一はある条件を出します。

作詞は鉄男、歌は久志が歌うという条件です。

こうして福島三羽ガラスが誕生しました。

やっとですね。当初から「福島三羽ガラス」の名前はずっと出てきましたが、まだかな?まだかな??と思っていた視聴者も多いと思います。でも・・・とうとうやっと活躍できます♪

こんなころから友達?だった3人。

友達というか、裕一は鉄男にいじめられていましたけど・・・(^_^;)

そんな3人がまた東京で出会い、協力して曲を出していきます。なんだか、素敵な話ですよね~。

しかし、村野鉄男は、軍歌の作詞がうまく書けず、先方から何度もダメ出しを受けます。

そして、とうとう「俺には無理だ・・・」とあきらめてしまいます。

しかし裕一はどうしても「福島三羽ガラス」でやりたい!!と思い、ある秘策に。

村野鉄男と一緒に実家の福島に帰り、小学校の恩師藤堂先生に会いにいきます。藤堂先生に村野鉄男の話を聞いてもらうことにします。

藤堂先生は、なんと出征を控えていました。

作詞に悩んでいた村野に「(これから戦地に行く)俺のために作詞をしてくれないか」と言います。

それまであきらめていた村野は奮起し、藤堂先生のために「暁に祈る」の作詞を完成させます。

その作詞の内容は陸軍の馬政課の上司の方に響き、見事採用!ここから福島三羽ガラスの活躍がスタートします。

しかし、実際はどうだったのでしょうか?鉄男のモデルになった野村俊夫さんも同じように作詞で苦労したのでしょうか?

「福島三羽ガラス」実話はどうだったのでしょうか?以降で詳しくまとめていきます。

 

 

暁に祈るの野村俊夫の作詞と福島三羽ガラスの実話のストーリーとは?

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暁に祈るのと福島三羽ガラスの実話は?

「暁に祈る」は1940年の映画「暁に祈る」の主題歌です。

作詞は野村俊夫(村野鉄男のモデル)さん、作曲は古関裕而(古山裕一のモデル)さん、そして歌は伊藤久男(佐藤久志のモデル)さん♪

「エール」の福島三羽ガラスのモデルとなった3人です。

一部だけですが、この動画で聴けますよ♪1分40秒過ぎからです。

引用元 YouTube

この映画「暁に祈る」は、陸軍省が軍馬振興のために制作されました。

早い話、軍馬をアピールするためのものです。

そう・・・スポンサーは軍だったんですね。なので曲の内容には軍の意向が反映されたようです。

ドラマ「エール」と同じですね。裕一に曲の依頼をしてきた吟の夫、智彦も陸軍の馬政課の人でした。

暁に祈るの野村俊夫の作詞エピソードは?

実話では、馬政課の人たちがとても力を入れていたそうで、作詞を担当した野村俊夫さんは、7回も暁に祈るの野村俊夫の作詞書き直しをさせられたそうです(^_^;)

そう・・・このエピソードは実話だったんですね。藤堂先生のストーリーは、ドラマオリジナルでしたが、軍歌の作詞に苦労した話は実話だったんです。

スポンサーが軍だったんで、軍の意向に逆らえなかったという背景もあったと思います。

歌いだしの「ああ」は頭を抱えた野村のため息である・・・と冗談とも本気ともつかない逸話が出るほどでした。

それだけ作詞に苦労したんですね。一方で、作曲も簡単なものではなかったようです。

歌いだしの処理に苦心した古関さん。冒頭部のできの良し悪しは、曲の命運を左右しかねないものですよね。

しかし大ヒット。さすが天才作曲家です。

大ヒットしたのには理由がありました。

暁に祈るの歌詞とは?野村俊夫が描いた兵士たちの思い

「それは詩と曲に、望郷を思う兵士たちの思いが描かれていたから。」

1番の歌詞です。

ああ あの顔で
あの声で手柄頼むと
妻や子がちぎれる程に
振った旗遠い雲間に
また浮かぶ

「露営の歌」とともにこの「暁に祈る」も大ヒットとなりました。

では「暁に祈る」はどんな映画だったのか?

こんなストーリーです。

牧場の跡取り娘だった千代は、母のしげから牧童頭の冬木との結婚を勧められていました。

ですが隣村の真吉と恋に落ちた千代。真吉に嫁いでしまいます。

しげは怒り、親子の縁を切ってしまいました。

 

真吉の親友だった冬木はしげを説得しますが、しげの怒りは収まりません。

やがて真吉は兵士として出征することになります。

 

千代と真吉は太郎という馬を育てていましたが、その太郎も軍に取られてしまいました。

また冬木にも召集令状が。

 

冬木は太郎を自分の馬にしてもらい、太郎のおかげで手柄を立てることができました。

近くに真吉がいると知った冬木は会いに行きますが、真吉は前日に戦死していました。

 

真吉の死は千代やしげにも届き、しげは千代を迎えに行きました。

ですが千代は一生真吉の妻であり続ける、としげに言います。

 

千代の真吉への思いを知ったしげ。千代に謝罪をしました。

戦地では太郎にまたがった冬木が、真吉の遺骨を抱いて入城行進をする・・・。

というお話です。

映画「暁に祈る」に佐藤久志のモデル伊藤久男も出演してた?

ちなみにこの映画に、歌う兵隊役で伊藤久男さんも出演されています(≧∇≦)

ドラマでも佐藤久志が出演していたので、さりげなく実話を入れていたんですね。

そして、曲の大ヒットに反して、残念ながら映画自体は、不振だったそうです。

古関さんは後に自伝で「私の数多い作曲の中で、最も大衆に愛され、自分としても快心の作といえるのが【暁に祈る】である」と語っていました。

こうして、「暁に祈る」が福島三羽ガラスにとって、初の作品となりました。

 

 

暁に祈るで誕生した福島三羽ガラスの実話とは?どんな曲があるの?

露営の歌など古関裕而と伊藤久男の軍歌の実話

福島三羽ガラスは実話です!

◆古山裕一(窪田正孝)=古関裕而

◆村野鉄男(中村蒼)=野村俊夫

◆佐藤久志(山崎育三郎)=伊藤久男

「エール」では同級生ですが、実際の3人は年が違い、伊藤久男さんは福島ではありますが、子供のときに接点はなかったようです。

・古関裕而 1909年生まれ

福島の呉服屋の長男として誕生。西洋音楽を独学で勉強し、世界的作曲コンクールで賞をとったことで日本コロムビアと専属契約。

 

最初はヒット曲に恵まれませんでしたが、流行歌や歌謡曲、応援歌など幅広く手掛け大作曲家になりました。

・野村俊夫 1904年生まれ

古関裕而さんより5歳年上ですが、家が近所で本当に古関裕而さんとは幼馴染。

 

福島民友新聞社で働いていましたが、古関裕而さんの勧めで上京。「福島行進曲」を作詞し、古関裕而さんが曲をつけ発売されましたが、残念ながら売れませんでした(^_^;)

 

その後フリーの作詞家として活動。1939年藤山一郎さんが歌った「上海夜曲」の大ヒットでコロムビアと専属契約を結びました。

・伊藤久男 1910年生まれ

古関裕而さんより1歳年下の伊藤久男さん。

「エール」の佐藤久志と同じ県会議員の父親を持ち、裕福な家で育ちました。

 

ピアニストを夢見て上京。そこで同郷の古関裕而さんと知り合い、コロムビアで吹き込みなどのアルバイトをするように。

 

古関裕而さんの勧めで「今宵の雨」で1933年にデビューしました。

伊藤久男さんの初のヒット曲は1938年の「湖上の尺八」」♪

 

その後連続でヒット曲を出し、スター歌手となりました。

このように大先生となられた福島三羽ガラス。

この3人による曲にはこのようなものがありました。

◆1940年 暁に祈る
◆1948年 若き日のエレジー
◆1953年 岬の灯り
◆1954年 福島音頭
◆1956年 メコンの舟唄

福島三羽ガラスの作品は、それほど多くはなかったようです。

さて、「エール」ではもうすぐ福島三羽ガラスが誕生します(≧∇≦)

梅ちゃんと五郎も気になるところですが・・・。

福島三羽ガラスの誕生、楽しみにしていてください(≧∇≦)

暁に祈るの野村俊夫の作詞と福島三羽ガラスのエピソードは実話?まとめ

福島三羽ガラスのモデルは?古関裕而の実話

朝ドラ「エール」で、もうすぐ福島三羽ガラスが誕生します。

それは映画「暁に祈る」の主題歌を担当した福島出身の3人のこと。

作詞を古山裕一(窪田正孝)、作曲を村野鉄男(中村蒼)、そしてその曲を佐藤久志(山崎育三郎)が歌いました♪

3人は福島の幼馴染ですが、この3人にはモデルがいます。

作詞家の野村俊夫さん、作曲家の古関裕而さん、そして歌手の伊藤久男さんです。

ドラマでも出てきた野村俊夫さんが作詞で苦しんだエピソードは実話だったことがわかりました!

3人とも福島出身。年齢はみなさん違いますが、野村俊夫さんと古関裕而さんは、実際に幼馴染です。

この3人も福島三羽ガラスと呼ばれていました。

3人の初めての曲は、ドラマと同じ「暁に祈る」です。おそらく誕生までのお話も実話と近いと思われます。

3人の活躍、どうぞご期待ください!

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