2023年10月からスタートするNHK朝ドラ・連続テレビ小説「ブギウギ(ぶぎうぎ)」は、戦後の大スター・笠置シヅ子(かさぎ・しずこ)さんがモデルのヒロインの花田鈴子(はなだ・すずこ)で後の歌手・福来スズ子(ふくらいすずこ)の波乱万丈な人生を描くストーリーです。
ヒロイン役を演じるのは、女優の趣里(しゅり)さん。
実在の人物をモデルにしたストーリーの「ブギウギ」ですが、ヒロインの花田鈴子が歩む時代背景・時代設定が何年なのか?気になると思います。
今回は朝ドラ「ブギウギ」の時代背景や時代設定・年代を時系列でご紹介していきます。
戦争時代も描かれる「ブギウギ」の時代設定とは?ヒロインのモデルとなった笠置シヅ子さんの年表もあわせてご紹介していきます。
大正時代からスタートし、昭和を駆け抜ける!?
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朝ドラ【ブギウギ】時代背景と時代設定・年代は大正時代からスタート?
銭湯「はな湯」のモデルは笠置シヅ子の実家!大阪市福島の風呂屋
朝ドラ「ブギウギ」は実在の昭和のスター歌手・笠置シヅ子がモデル
朝ドラ「ブギウギ」の主人公は昭和のスター歌手の笠置シヅ子さんがモデルの福来スズ子(花田鈴子)です。
以下、ストーリーです。
大正の終わりごろ、大阪の下町の小さな銭湯の看板娘・花田鈴子は、歌って踊るのが大好きな天真爛漫てんしんらんまんな女の子です。小学校を卒業した鈴子は「歌と踊りでみんなを笑顔にしたい」と思うようになり、道頓堀に新しくできた歌劇団に入団。必死に稽古にはげんだ鈴子は、メキメキと成長、抜群の歌唱力で頭角を現していきます。
昭和13年、鈴子は上京。そこで、人気作曲家・羽鳥善一と出会い、大きく運命が変わります。鈴子は、作曲家の指導を受け、“スウィングの女王”と呼ばれ人気歌手になっていきます。
しかし、戦争が始まると、鈴子が置かれた状況は一変。鈴子の歌っていた歌は「敵性音楽」となり、鈴子の舞台での歌や踊りが厳しく制限されてしまいます。さらに、鈴子の弟は出征。また、ちょうどそのころ、鈴子の母も病気で亡くなってしまいます。
不幸が重なり悩んでいた鈴子の前に、ある青年が現れます。ふたりは恋に落ち、やがて結婚を誓いあうまでに。しかし、青年の家族は大反対、結婚はなかなか実現しません。やがて戦争が終わり、鈴子は青年の子を身ごもります。ところが、青年は病にかかってしまいます。会えない日々が続き、そして、臨月の鈴子のもとに届いたのは青年の訃報でした。死に目に会えず、結婚もできないままの別れ。数日後、鈴子はひとりで娘を出産しました。
鈴子は、ひとりで娘を育てながら舞台で歌います。そんな中、生まれたのが「東京ブギウギ」です。明るく、飾らず、全身で歌う、鈴子の真骨頂。戦後の傷ついた日本に、その歌声が響き渡ります。鈴子の歌声に合わせて、笑顔で歌い踊る人たちが日本中にあふれていきました。鈴子は“ブギの女王”と呼ばれるようになり、大スター歌手への階段を駆け上がっていきます。
引用元:https://www6.nhk.or.jp/nhkpr/post/original.html?i=39517
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モデルとなった笠置シヅ子さんは、激動の時代をパワフルに駆け抜け、戦後には「ブギの女王」と呼ばれ国民的な大スターとなった方です。
代表曲「東京ブギウギ」は現在でも多くのアーティストがカバーしている国民から愛されている名曲ですね。
ブギウギ年代・時代背景は大正時代からスタート!
朝ドラ「ブギウギ」は1週目が子役パートからスタートし、2週目まで続きます。
そして3週目から大人パートがスタートし、趣里さんの登場です。
1週目が主人公の花田鈴子が小学校6年生(12歳ころ)からスタートします。
スタートの年代は1926年、大正15年と大正時代が終わろうとうする年代から物語がスタートします。
と言うことで、1週目からわかっているネタバレ・年代・時代背景について時系列で、主人公の花田鈴子の年齢とともに、ご紹介していきます。
また情報がない場合はストーリーとモデルとなったさんの史実から笠置シヅ子さんの予想も交えてご紹介していきます。
朝ドラ【ブギウギ】時代背景と時代設定・年代を時系列で【幼少期から少女時代】
1926年(大正15年)大正時代の最後の年に12歳の鈴子からスタート!
物語は主人公の花田鈴子が12歳くらい(小学校6年生)の1926年からスタートします!
舞台は大阪市福島のとある商店街。
鈴子の家族は両親・花田梅吉と花田ツヤと3つ年下の弟の六郎の4人家族。
両親が営む銭湯「はな湯」の看板娘として、個性的な常連客たちと交流していきます。
鈴子は勉強は苦手で歌を歌うのと運動が得意でした。小学校6年生ということで、皆が進路を決める時期、銭湯を手伝おうと思っていた花子に親友のタイ子が花咲少女歌劇団を受けることをすすめてきますが、お金も必要だったことから、行くつもりはなかった花子。
しかし或る日、銭湯の浴場の掃除をしながら、1人で「恋はやさし野辺の花よ」を踊りながら歌っていた鈴子の頭の中には、舞台で拍手喝采を浴びる場面が浮かんできます。
ここで初めて両親に、花咲を受けたい!!と思いを伝えると、両親は応援してくれます。
しかし・・・なぜか試験に落ちてしまった鈴子。そんな鈴子に父親の梅吉が梅丸少女歌劇団(USK)のショーを劇場に見に行こうと言います。
そして花咲よりも鈴子はUSKの方が向いている!!といった梅吉でしたが、なんと試験は前日に終わってしまっていました。
鈴子は事務員に歌と踊りだけでも見てほしい!!と直談判。そこに現れたUSKの林部長が歌ってよいと言ってくれたことから、鈴子は「恋はやさし野辺の花よ」を歌います。
そんな鈴子を見て、なんとUSKに入ることを認めてくれた林!なんとUSKこと梅丸少女歌劇団に合格するのでした。
1927年(昭和2年)~ 12歳から13歳 小学校卒業後に梅丸少女歌劇団に入団!
福来スズ子のモデルは笠置シヅ子の壮絶な生涯!旦那や子供の事件についても
1927年(昭和2年)の4月。鈴子は研究生として梅丸少女歌劇団に入団します。
鈴子の同期は7人でデビューすれば20円の月給がでるものの、それまでは無給でした。
新人の教育係である一期生で男役トップスターの橘アオイから、厳しい指導を受ける鈴子たち。
毎日、厳しい練習に明け暮れることに。
そこで娘役のトップスター、大和礼子の踊りの美しさを見て、憧れて彼女のようになりたいと思う鈴子。
そして1か月がたつと、新人たちはあまりの厳しさに次々とやめてしまい、残ったのは鈴子と白川幸子、桜庭辰美の3人だけ。
タイプの違う白川幸子と桜庭辰美は度々衝突を繰り返し、鈴子は困っていたが、風邪になって寝込んでしまった鈴子の見舞いに来た2人の前で2人を仲良くするために、自分が死ぬかもしれないという芝居をした鈴子。
このことがきかっけで、3人には絆が生まれ、助け合っていくことに。そして梅丸少女歌劇団の1回単独公演で当初は新人の中から1人しか出れないと言われたのにもかかわらず、3人ともデビューが決定!
いずれも水の滴の役(^^;しかしこの公演で3人の正式な入団が決定するのでした。
朝ドラ【ブギウギ】時代背景と時代設定・年代を時系列で【梅丸少女歌劇団でストライキ!?】
花田鈴子のモデルは笠置シヅ子!夫との衝撃の顛末と実家の両親との秘密とは?
1933年(昭和8年)19歳 梅丸少女歌劇団でストライキ!?
3週目は鈴子は1933年の19歳くらいに成長し登場。
梅丸少女歌劇団は人気劇団に成長していて、鈴子は、娘役として活動していたものの、自分にはこれといった才能がないと悩んでいました。
そんな中、梅丸少女歌劇団が慢性的な不況が原因で一部の楽団員の解雇、また劇団員や社員の賃金の減額を発表。
大和礼子が皆を守るために代表となり会社に嘆願書を提出。しかし誠意のある対応をしない会社に失望した大和は団員たちにストライキを呼びかけ、決行されるのでした。
そんなストライキは、大和礼子と橘アオイが責任をとってやめることで、すべての要求を会社が受け入れるという結末に。もちろん、鈴子たちは、大和たちが辞めさせられる結果に納得いきませんでしたが、2人は皆のために退団するのでした。
1934年(昭和9年)~20歳の鈴子が親戚の法事で香川に
ツヤの実家ある親戚の法事に、鈴子が出席するように言われ、ツヤの実家の香川に行くように言われた鈴子。
休暇になったこともあり、弟の六郎と2人で香川に行き、親戚たちに会い、歓迎されて、父親と母親の話を聞くことになります。
そしてその後、衝撃の事実を聞かされることになる鈴子でした。
朝ドラ【ブギウギ】時代背景と時代設定・年代を時系列で【東京に行き羽鳥善一と出会う】
1937年(昭和12年)~23歳の鈴子は東京行きを決意!
大阪で梅丸の幹部として活躍していた鈴子は、結婚して出産を控えていた大和礼子と再会。自分の才能について悩んでいた鈴子の話を聞いてくれた大和。
そんな中、東京の梅丸から演出家が視察にやってきて、鈴子に東京に男女混成の楽しい楽劇団を作るということで、そのメンバーにスカウトされます。
両親に相談するも、意外にも反対する母親のツヤ。そこにはある事情が・・・。
しかしある出来事をきかっけに、鈴子は東京に行く決意をして、その胸の内をツヤに伝え、東京に行くことを認めてもらうのでした。
1938年(昭和13年)~24歳 羽鳥善一との出会い
鈴子は上京し、鈴子の運命を変える、梅丸楽劇団の音楽監督の羽鳥善一と出会います。
羽鳥善一からのレッスンを受けた鈴子でしたが、具体的な指示は何もなく、善一の納得できる歌が歌えない鈴子な悩みます。
そんな中、善一の自宅に行き、妻たちも含めて話をして交流を深めていく鈴子。
それからも厳しい稽古が続いたものの、梅丸楽劇団の旗揚げ公演で見事な歌を披露した鈴子は絶賛をあび、公演は大成功に終わり、善一と鈴子の子弟コンビが誕生するのでした。
1939年(昭和14年)~25歳 スウィングの女王に!梅丸からの移籍話も
鈴子はスウィングの女王と書き立てられる存在となり、人気を博していました。
そして今後、ライバルとなるブルースの女王「茨田りつ子」と出会うことに。
そんな中、梅丸のライバル会社の日宝から移籍の話が鈴子に。実家で母親のツヤが腰痛で入院したらお金がかかる可能性があると弟から聞いて、お金が必要であることから、移籍の話を迷い始めていた鈴子。
そんな鈴子を引き留めるために、羽鳥善一は必死に鈴子のために「センチメンタルダイナ」を作ります。
この曲がきっかけで、移籍を辞めて梅丸に残る決意をした鈴子でした。
朝ドラ【ブギウギ】時代背景と時代設定・年代を時系列で【戦争で厳しい取り締まり】
1939年(昭和14年)~25歳 悲しい別れが
戦争がはじまり人々の暮らしは変わり始めていました。
梅丸には、新たな演出家がやってきて、時勢にあった地味な愛国的な演出を推進するようになり、息苦しくなってくる団員たち。
そんな中、母親のツヤは床に臥すようになっていて、弟の六郎は出征してしまいます。
東京で舞台をしていた鈴子のもとに、母親のツヤが危篤であるという連絡が入りましたが、舞台をとるのか迷い、舞台をやり通すことに。
その後、大阪にかけつけた鈴子。一時的にツヤは起き上がったものの、再び、床に臥せて、鈴子に看取られて亡くなってしまいます。
鈴子は、父親を連れて東京で一緒に暮らすことにするのでした。
1940年(昭和15年)~26歳 警察に連行
戦争が激しくなり、ますまず劇団での舞台の演出の制約が厳しくなっていきまいた。
或る日、舞台で動きだしてしまった鈴子は警察に連行されてしまいます。同じように警察で指導されていたのが「茨田りつ子」でした。
そんな中、梅丸楽劇団はついに解散。途方に暮れた鈴子でしたが、厳しい境遇の中でも歌い続ける「茨田りつ子」に影響されて、ある決意をするのでした。
1941年(昭和16年)~27歳 茨田りつ子と合同コンサート開催
「茨田りつ子」に影響された鈴子は「福来スズ子とその楽団」を結成し活動をスタート。しかし鈴子たちが敵性音楽を歌っていると評判がたつようになり、厳しい状況に。
そんな中、弟の六郎が戦死したと連絡が入ります。
途方にくれる鈴子。そんな中、思うように歌えなくなった鈴子と茨田りつ子を呼び出した善一は、2人の合同コンサートを提案。
開催が決定します。善一は、鈴子から聞いた六郎への気持ちを込めた歌を作り、満員の観客の前で鈴子はその歌を歌うのでした。
鈴子たちは、取り締まりが厳しい東京を離れて地方巡業に出ることに決めるのでした。
朝ドラ【ブギウギ】時代背景と時代設定・年代を時系列で【運命の男性との出会い】
1943年(昭和18年)~29歳 村山愛助との出会いと愛助の母親からの反対
「福来スズ子とその楽団」は地方巡業を続けていました。
愛知に巡業に行った鈴子は、ファンだという大学生の村山愛助と出会います。
村山愛助はなんと大阪随一の演芸会社の村山興行の御曹司だったことがわかります。
その後、村山愛助から熱烈なアプローチを受けた鈴子。村山愛助に徐々に魅かれていたものの、10歳も年下であるという年齢差もあり、関係を深めることに躊躇していた鈴子。
しかし鈴子は自分が村山愛助と交際したいと告白。村山愛助は自分が病弱で戦争に行けないことに悩んでいて、鈴子との交際に自信が持って進めずにいました。
ところが村山愛助は母親からの手紙を受けて、これからふさわしい男になればよいと思い、鈴子との交際を決意します。ところが、村山興行の跡取りの村山愛助と歌手である鈴子の交際を認められないと、愛助の母親のトミから2人の交際を反対されてしまうのでした。
朝ドラ【ブギウギ】時代背景と時代設定・年代を時系列で【村山愛助の病気の看病をする鈴子】
1943年(昭和18年)~29歳 結核で入院の村山愛助からプロポーズ
村山愛助が結核で入院し、感染の危険性があったのだが、病院で懸命に看病した鈴子。
そんな鈴子に元気になったら結婚してくださいとプロポーズする愛助でした。
その後、退院した愛助に尽くして一緒に暮らしていた鈴子。鈴子たちは、楽団としての活動をスタート。
東京で暮らしてい愛助がいる自宅を離れて日本各地を回る慰問を続けていました。
1945(昭和20年)~31歳
村山愛助は病気は完治していないものの、普通に暮らせるまで回復していました。
しかし鈴子が慰問で東京から離れているとき、東京大空襲が。東京に戻った鈴子は、愛助の無事を確認して安心します。
こうして8月6日、広島に原爆が投下され、東京にいた愛助、そして富山県にいた鈴子はその知らせを聞いて衝撃を受けるのでした。
そして長かった戦争が終わろうとしていました。
現在わかっているのは、ここまでのストーリーです。
朝ドラ「ブギウギ」のモデルの笠置シヅ子の年代【年表】まとめ!
以降では、モデルとなった笠置シヅ子さんの人生の年表をご紹介していきます。
「ブギウギ」は笠置シヅ子さんをモデルにしたフィクションとされていて、実話ではないので、オリジナルのストーリーも多々あります。
そして年代・年表についても違う部分もあるかと思いますので、比較してみるのも面白いかもしれません。
大正3年(1914年)誕生
香川県大川郡相生村に生まれる。
昭和2年(1927年)松竹歌劇団に入部
小学校卒業後、宝塚歌劇団を受験したものの、不合格に。しかし道頓堀で松竹歌劇団があることを知り、押しかける形で入部することに。
昭和13年(1938年)作曲家・服部良一との出会い
舞台で歌い踊るシヅ子さんのパワーに魅せられた服部良一さん。やがて服部長一さんはシヅ子さんの人生に大きな影響を与えることになり、2人で数々の名曲を世に送り出していきます。
昭和14年(1939年)「スウィングの女王に」
舞台デビュー後、lすぐに「スウィングの女王」と評価され、人気者に
昭和18年(1943年)吉本穎右との出会い
知人の紹介で吉本興行の御曹司である吉本穎右と出会い恋に落ちる
昭和21年(1946年)喜劇王「エノケン」と初共演、俳優の師に
歌手として活躍しながらも、喜劇女優として舞台に立ち始めます。なかでも喜劇王と呼ばれた「エノケン」こと榎本健一との共演が女優としての魅力を引き出すことに。
昭和22年(1947年)吉本穎右が死去・娘・エイ子誕生
吉本穎右が肺結核で死去。そして2人の子供・エイ子が誕生します。シヅ子は悲しみを吹き飛ばすために、歌を作ってほしいと服部に依頼するのでした。
昭和23年(1948年)東京ブギウギが大ヒットしてブームに
服部が作った「東京ブギウギ」が大ヒットして戦後の人たちを勇気づけました。
昭和32年(1957年)歌手を引退して女優業に専念
43歳を迎えて全盛期のような激しい踊りは難しいと考えて、歌手を引退することに。その後の女優業では「お母さん役」がはまり、新たに女優としての地位を確立。
昭和60年(1985年)歌手を引退して女優業に専念
享年70歳で亡くなりました。葬儀委員長は服部良一がつとめました。