「福島行進曲(ふくしまこうしんきょく)」は、朝ドラ「エール(えーる)」で窪田正孝(くぼたまさたか)さん演じる、主人公の古山裕一(こやまゆういち)が作曲する曲です♪
作詞は裕一の幼馴染、中村蒼(なかむらあおい)さんが演じる村野鉄男(むらのてつお)が書きます。
今回はこの「福島行進曲」の実話について調べてみました。
朝ドラ「エール」ではなんと・・・ラブソングとして登場するんです。
実際に裕一のモデル、古関裕而(こせきゆうじ)さんは「福島行進曲」を作曲しましたが、鉄男のモデル、野村俊夫(のむらとしお)さんの作詞で初タッグだったのでしょうか?そして本当にラブソングだったのでしょうか?
そして野村俊夫さんと古関裕而さんの関係など実話なのか?調べてまとめてみました。
福島行進曲を作詞した村野鉄男のモデル野村俊夫とは?
「福島行進曲」の作詞をした野村俊夫さんは、朝ドラ「エール」で中村蒼さん演じる村野鉄男のモデルです。
#エール 休校中のみんなも見てるかな👦👧🎶古関裕而は全国の多くの小学校〜大学の校歌を作曲しました。自分の学校の校歌も調べてみよう‼️👍有名な人かな?地元に縁がある人かな?ちなみに中の人の出身校はエールの裕一&鉄男のコンビ、古関裕而作曲&野村俊夫作詞です(自慢)✨https://t.co/8TmQdn0Vc9 pic.twitter.com/ILbUFMhAVW
— 福島県観光物産交流協会 (@fukushimatweet) April 27, 2020
野村俊夫さんは古関裕而さんより5年早い1904年に福島市に生まれました。
古関裕而さんとはご近所さんで、小さなころから一緒に遊んでいたそうです。
実家は「エール」と同じお魚屋さん。「魚忠」という店名でした。
小学校を卒業後は福島商業学校に進学しますが、家業の失敗や病気などが理由で中退。
その後は富豪の家に奉公に出ます。奉公先で新聞や雑誌などに詩を投稿していたそうです。
野村俊夫さんの本名は「鈴木喜八」というそうですが、このときから「野村俊夫」というペンネームを使っていました。
当時ペンネームを使うのは、身バレをしないため、と言われていました。野村俊夫さんはどうだったのでしょうか。
それから実家に戻った野村俊夫さんは1924年、20歳のときに福島民友新聞社に入社。文芸欄などを担当するようになりました。
このころ新聞社に古関裕而さんを呼び、文芸欄の手伝いなどをさせていた(^_^;)らしいです(笑)
野村俊夫さんは新聞記者の仕事をしながら、「北方詩人」などに詩を寄稿していました。1日に1作つくることを目標としていたらしいです。
1930年に古関裕而さんは金子さんと結婚し、コロムビア専属となり上京しました。
その古関裕而さんに誘われ、野村俊夫さんが上京したのが1931年。「福島行進曲」がレコードになったのもこの年です。
この「福島行進曲」はまだ野村俊夫さんが、福島で新聞記者をしていたときに書かれたもの。
とんとん拍子かと思われますが、実は「福島行進曲」はヒットせず。。。
野村俊夫さんはコロムビアと契約を結べず、日本も不況の真っただ中ということもあり、苦しい生活を余儀なくされました。
福島行進曲は古関裕而と野村俊夫の初タッグ?本当にラブソング?
「福島行進曲」は、朝ドラ「エール」で古山裕一(窪田正孝)にとって初めてレコード化される曲です♪
実話でも、裕一のモデル古関裕而さんにとってコロムビアでは初レコードとなった曲。そして作詞は村野鉄男(中村蒼)のモデル、野村俊夫さんが書きました。
これはふたりの初タッグ作品。おふたりにとって記念となるデビュー曲。1931年に発売されました。
曲の一部ですが、コロムビアの公式サイトで聴くことができます♪
日本コロムビアで、古関裕而生誕110年記念として企画された「あなたが選ぶ古関メロディーベスト30」というCDの宣伝のための公式ページです。
あなたが選んだ古関メロディーベスト30/CD/COCP-41121
古関裕而さんの曲の中から1曲選ぶ、という企画でした。
「福島行進曲」は何位だったかというと。。。64位ということで、ちょっと残念(^_^;)
ちなみに1位は「高原列車は行く」でした(≧∇≦)高校野球の「栄冠は君に輝く」が2位。3位が「長崎の鐘」ということで、やはり有名な曲が揃いました。
それにしても高校野球、残念でしたね(>_<)
では野村俊夫さんが書いた詩をご紹介しましょう。
福島行進曲
作詞:野村俊夫 作曲:古関裕而
胸の火燃ゆる宵闇に
恋し福ビル引き眉毛
サラリと投げたトランプに
心にゃ金の灯愛の影
月の出潮の宵闇に
そぞろ歩こうよ紅葉山
真赤に咲いた花さえも
明けりゃ冷たい露の下
唇燃ゆる宵闇に
いとし福島恋の街
柳並木に灯がともりゃ
泣いて別れる人もある
タイトルは行進曲ですが、どう見てもラブソング♪しかも別れの歌なのでしょうかね?
この歌詞が・・・
3番目の詩に「柳並木に灯がともりゃ」とありますが、このことについて古関裕而さんはこう嘆いていたそうです。
福島駅から大通の両側に柳の並木があったが、いつの間にか切られ今では跡形もない
おそらくその並木道のことを書かれた詩だったのでしょうね。 同じように嘆いた福島の方は多かったかもしれません。
福島行進曲のあと野村俊夫はどうしたの?福島三羽ガラスとは?
「福島行進曲」は福島市民に絶大な支持を受けました。
・・・が。 発売されたのはレコード。まだ当時の庶民にとってレコードを聴く蓄音機は高嶺の花でした。
レコードも高価なものだったので、支持は得られてもセールスは伸びませんでした(>_<)
おふたりともかなり落胆されたそうです。。。
結局野村俊夫さんはコロムビアと契約が結べず、フリーの作詞家になりました。
フリーというと聞こえはいいですが、仕事がないときは別の仕事で稼がなければなりません。
泥棒以外はなんでもやった
というくらい、いろんな仕事を経験されたそうです。
そして1939年。いよいよ野村俊夫さんに大ヒット曲が!
それは藤山一郎さんの歌った「上海夜曲」(≧∇≦)
「エール」では藤山一郎さんをモデルにした山藤太郎(柿澤勇人)が登場していますね。
木枯から歌手の山藤太郎を紹介されました✨
握手のポーズをお願いすると、「会見の写真みたいじゃない?(笑)」と窪田さん👔#朝ドラエール#窪田正孝#野田洋次郎#柿澤勇人#昨年12月に撮影 pic.twitter.com/1V9daQnAxa— 連続テレビ小説「エール」 (@asadora_nhk) May 19, 2020
藤山一郎さんは1930年から40年代にかけ、多くのヒット曲を歌った大人気の歌手です。
このヒットによりコロムビアと契約。その後2000曲にも及ぶ作詞をされました。
野村俊夫さんは元新聞記者ということもあり、戦争には反対の立場。検閲がなかなか通らない時代もあったそうです。
1940年の「暁に祈る」は映画の主題歌にもなり大ヒット。しかもこの曲こそが、古関裕而作曲、野村俊夫作詞、伊藤久男歌、という3人の福島出身者による最初の曲となりました。
この3人こそが「福島三羽ガラス」。「岬の灯り」「メコンの舟歌」などが3人の曲です♪
【#エール 視聴メモ】3話
・「乃木大将」が野村俊夫で、転校生が伊藤久男。前者は作詞者、後者は歌手となり、のちに古関とトリオを組む。なお伊藤は同級生ではなかったので、ドラマ上の設定。
・先生のモデルは、遠藤喜美治。古関に作曲を教えてくれた恩師。 pic.twitter.com/dDK4f56RD7
— 辻田 真佐憲@『古関裕而の昭和史』(文春新書)発売中 (@reichsneet) April 1, 2020
メガネをかけているのが野村俊夫さん。伊藤久男さん、やっぱりかなりのイケメンですね(≧∇≦)
伊藤久男さん、名前を聞いてピンときた方はかなりの朝ドラマニア(笑)
「エール」で山崎育三郎さんが演じている佐藤久志のモデルです!
裕一の幼なじみ、佐藤久志を演じる山崎育三郎さんのインタビューを公開🖊
久志と山崎さんご自身の共通点や、歌を通しての役作りについてお伺いしました🎵#朝ドラエール#山崎育三郎https://t.co/4PIUq20L01— 連続テレビ小説「エール」 (@asadora_nhk) May 16, 2020
その「暁に祈る」は陸軍省が後援となった戦争映画。野村俊夫さんは7回も詩の書き直しをさせられたそうです(^_^;)
軍馬をメインとした映画でしたが、兵隊さんたちの心情がよく描かれていて、大衆受けした映画となりました。
野村俊夫さんもこの作品から検閲が通りやすくなったそうです。
野村俊夫さんは古関裕而さん以外にも、古賀政男さんらとよく曲を作っています。古賀政男さんは「エール」で野田洋次郎さんが演じている、木枯正人のモデル。
大物歌手だった島倉千代子さん、村田英雄さん、美空ひばりさんらにも詩を提供しています
その後も「東京だよおっかさん」「湯の町エレジー」「白虎隊」など多くのヒット曲を送り出した野村俊夫さん。
1951年に日本音楽著作権協会の理事となり、1965年に辞任するまで音楽家が権利を守れるように尽力されました。
そして1966年、術後の腸閉塞でお亡くなりになりました。62歳でした。
野村俊夫さんは歌謡曲以外にも、福島をテーマにした曲や、福島の校歌などをたくさん手がけています。
亡くなる2年前には古関裕而さんと「故郷はいつも瞼に」を作られました。
酒豪だったという野村俊夫さん。「エール」では村野鉄男も酒豪として描かれるのでしょうか。
「福島行進曲」の誕生物語、楽しみです♪
福島行進曲は野村俊夫と古関裕而の初タッグでラブソング?の実話まとめ
「福島行進曲」は古関裕而さんが「紺碧の空」の次に作った曲です。
作詞は野村俊夫さん。古関裕而さんより5つ上の幼馴染です。
福島で新聞記者をしていた野村俊夫さんは、コロムビアと契約をした古関裕而さんに誘われ上京。
最初はフリーで作詞をしていましたが、藤山一郎さんが歌った「上海夜曲」のヒットによりコロムビアと契約を結びました。
その後多くのヒット曲を生みだしています。
野村俊夫さんと古関裕而さんの初タッグは「福島行進曲」。その後同じ福島出身の歌手、伊藤久男さんが歌で加わり、3人による楽曲も多く作られました。
こうしたことから野村俊夫さん、古関裕而さん、伊藤久男さんは「福島三羽ガラス」と言われるように。
初タッグの「福島行進曲」は恋の歌。「エール」では村野鉄男のラブストーリーが描かれます♪
どうぞお楽しみに!