まんぷくラーメン発明実話!安藤百福の子供のいじめは本当?

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本当にいろいろあった福子(安藤サクラ)と萬平(長谷川博己)の人生、ようやくインスタントラーメンの輪郭が見えてきたNHK連続テレビ小説「まんぷく」です。

このドラマは日清食品創業者の安藤百福さんと仁子さんご夫妻をモデルにしていますが、安藤百福さんは実際にどうやってインスタントラーメンを開発したのか気になりませんか?

なんてったって世紀の大発明となったインスタントラーメンですからね!

そこで今回は、安藤百福さんのインスタントラーメン発明に関する実話についてまとめてみました。

ドラマと同じように信用組合の理事長を引き受け、その後無一文となってしまった安藤百福さん。

そして百福さんと仁子さんの間には男の子と女の子のふたりの子供がいましたが、その子供たちがいじめに合っていた???

さて、インスタントラーメン発明の裏にはどんな実話があったのでしょうかー?

最後にちょっとドラマのネタバレあります!

目次

安藤百福にとって起死回生の発明はどうしてラーメンだったのかー?

まんぷくチキンラーメンのネタバレ!福子や子供がまた受難?

戦後の貧困時代、闇市でラーメンに満面の笑みを浮かべる人たちがいて、食こそが人々を明るくする。

そう思っていた百福さん、その思いが発明への原動力になりました。

「ラーメンを作ろう!」

 

 
 
 
 
 
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百福さんは幼い頃から家事をするようにしつけられていたため、料理の経験はあったそうですが、当然ラーメンなんて作ったことはありません。

ですがラーメンにしようと思ったのは麺類とは古くから東洋で食べられていて、世界中へと広がっていった伝統の加工食品だと信じていたことと、中でもラーメンは屋台では行列ができるほどの大人気だったからです。

みんなが大好きなラーメン、このラーメンが家庭でカンタンに作れるようになれば、多くの人が喜んでくれるはず!

百福さんはそんな確信を持ち、また一から挑戦を始めました。

研究のテーマは「家庭で手軽に味わえることができる、お湯だけですぐに作れるラーメン」。

ラーメンを家で食べる習慣がなかった当時、これを思いついただけでもすごいことです。

ドラマにもある裏庭が実際に百福さんの家にもあり、そこに小さな小屋を建て、中古の製麺機と中華鍋、それに小麦粉などを購入し、百福さんの挑戦が始まりました。

安藤百福はどうやってインスタントラーメンを開発したのか?

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百福さんはインスタントラーメンを開発するにあたってこんな5か条を考えていました。

おいしくて飽きない味
保存性が高い
調理がカンタン
コスパがいい
安全で衛生的

最初から自分への課題が大きすぎませんか?(^_^;)

でもそこは妥協を許さない百福さん、ドラマの萬平と同じです。

研究は朝5時から深夜まで続けられ、近所の人からも変な目で見られていたそうです(^_^;)

麺作りも小麦粉と水分の黄金比がわかるまでは試行錯誤し、配合が決まると近所のうどん屋に打ってもらうことにしました。

そして肝心の味付けです。

百福さんは麺にスープが染み込んでいる麺にこだわっていました。

均一に味を染み込ませるためジョウロを使い、あとは自然乾燥させることで成功。

ですが次が問題、長期保存を可能にするためには乾燥させる必要があり、さらにお湯を注いだだけで食べられるようにしなければなりません。

百福さんはなかなかこの問題をクリアできないでいました。

そんなある日、問題クリアのヒントをくれたのが妻の仁子さん♪

仁子さんが天ぷらを揚げているのを見た百福さん「これだ!」と閃いたそうです。

小麦粉で作った衣は油であげると水をはじき出しますが、よく見ると表面には細かい穴が空いていて、そこから泡が出ています。

試しに麺を揚げてみた百福さん、すると麺も同じように穴が空き、その麺にお湯を注ぐと穴からお湯が吸収され、元のやわらかな麺に戻りました!

すごいですよね〜麺を揚げるなんていう発想、当時としてはとても画期的なことだったと思います(^ ^)

この油で揚げる方法は「瞬間油熱乾燥法」と名付けられ、長いこと百福さんを悩ませていた「保存性」とお湯をかけるだけで食べられる「簡便性」を見事にクリアしたのです。

こうして百福さんが描いていたラーメンの形ができ、いよいよ試作へとなりました。

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いざ試作品を作ろうにも、百福さんにはお金も手伝う人もいません。

さて、みなさんならここで試作を諦めますか?

百福さんは諦めませんでした。 お金はなくても手伝ってくれる家族がいたからです(^ ^)

 

 
 
 
 
 
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百福さんは妻の仁子さん、それに子供たち、さらに仁子さんの母親須磨さんの手も借りました。

わたしの予想では、ドラマでは鈴(松坂慶子)が「武士の娘がこんなことを・・・」と文句を言いながら楽しそうに手伝うんじゃないかと思っています(笑)

そして萬平LOVE(笑)な神部茂(瀬戸康史)も我先にとやって来そうですね。

では実際に誰が何をしたのかご紹介しましょう。

まずはスープ作りを仁子さんと須磨さんが担当。 鶏肉のぶつ切りや鶏ガラ、それに香辛料を圧力釜で3時間ほど炊いたそうです。

ちなみになぜ鶏肉だったかというと、以前鶏を締めようとしたときに血が飛びちってしまい、その現場を息子の宏基くんが見てしまい、トラウマとなり鶏肉を食べられなくなってしまいました。

でも鶏ガラスープなら美味しそうに食べるのを見て、鶏肉が苦手な人でも食べられる万人に受け入れられる味だと思ったからなんだそうです。

のちに世界中に広まるインスタントラーメンですが、もし牛や豚だったら宗教上食べられない人もいたので、チキン味は大正解だったといえるでしょう。

さて、インスタントラーメン作りに話を戻します。

仁子さんと須磨さんが作ったスープを麺に注ぎ、熱いうちに手でほぐして陰干しをして、ほどよく乾燥したのを百福さんが手で触って確かめる、という作業。

その麺をお手製の枠に入れて四角い状態で、気泡が小さくなるまで揚げ、全体が黄金色になったら完成です。

麺が冷めたらいよいよ子供たちが活躍します。

まずはお兄さんの宏基くんが麺を1個ずつセロハンの袋に入れていき、そして妹の明美ちゃんがシーラーで閉じていきます。

シーラーといっても今のような手でカンタンにできるようなものではなく、足踏み式のものでときどき明美ちゃんは火傷をしていたそうです(T . T)

この作業を繰り返し1日に400食作りましたが、その毎日はまるで戦場だったとか・・・(^_^;)

のちに百福さんはこのように語っています。

遊びたい盛りの子供たちが、嫌がりもせずよく手伝ってくれた

本当に家族の助けがあったからこそできたインスタントラーメン。

でもこの子供たちがいじめにあっていたとか???

安藤百福の子供たちはいじめにあっていた?

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ちょっとここでネタバレします。

ドラマではこれから萬平がおかしなことをしていると噂になり、それが原因でふたりの子供たちがいじめにあってしまいます(T . T)

確かに毎日毎日自宅裏の小屋に閉じこもり、わけのわからない(笑)作業を繰り返しているので、周りの人が変に思うのも不思議ではありません。

そんなことからいじめられた子供たちが萬平にインスタントラーメンの開発をやめるように訴えます。

でも福子は萬平のインスタントラーメンの開発を応援していて、やめてくれとは言ええず、萬平も「これは世の中のためだ!」と言い開発はやめません。

ドラマではこんなシーンがこれから描かれますが、では実際に百福さんの子供たちはいじめられていたのでしょうか?

当時屋台のラーメンとは、失業者などがやむなくやっている商売、というイメージ(偏見)があり、実際に仁子さんは友人から同情されたこともあったとか(^_^;)

ましてや父親がラーメン屋となると、やっぱり子供たちもいじめの対象に???

でも調べてみたら、子どもがいじめにあったと言う情報は入って来ませんでした。

実際に百福さんも周りからは奇異の目で見られていたそうですが(^_^;)子供たちに被害が及ばなくて良かったです。

完成したインスタントラーメンはその後どうなる?

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こうして1958年、世界で初となるインスタントラーメンができました!

百福さんがよく口にしていた「チキン」という言葉から「チキンラーメン」と名付けられ、当時はお湯をかけて2分で食べることができたそうです。

さっそく周りの人に食べてもらいましたが・・・評価はさまざま。 無理もないですよね〜これまで口にしたことのない食べ物なんですから。

百福さんはアメリカにいる貿易会社の知人にこのチキンラーメンを送りました。

ドラマだとこの方でしょうか。

 

 
 
 
 
 
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まだ国内販売も決まっていないのに、その知人からはすぐに500ケース欲しいとの依頼が!

このとき「食べ物には国境がない」と百福さんは思ったそうです。

そして国内はというと・・・梅田の阪急百貨店の地下で試食販売をしたところ、主婦たちが「ほんまのラーメンや!」と驚いたそうです。

用意した500食はすぐになくなり、これで手応えを感じた百福さんは問屋に交渉に行きます。

・・・が、問屋の反応は冷ややかで、当時はうどん玉が6円、乾麺でも25円という時代。

それがこのチキンラーメンは35円でした。

見た目には乾麺と変わらないものに、誰が35円も払うのか?というものです。

確かに見た目は乾麺と変わりありませんが、チキンラーメンはお湯をかけるだけで食べられるという全く別のもの。

さらに百福さんが求めたのは現金決済! お金がなかったからで、実際にこの頃百福さんは知人から借金をしていました。

そんな状況ではありましたが、突然問屋から「いくらでも持ってきて!」と注文が殺到します。

なんと消費者から欲しいとの声が殺到したのです。

こうしてチキンラーメンは大ヒット商品となり、ようやく百福さんの想像力と執念が身を結ぶこととなりました(^ ^)

チキンラーメンが正規の販売商品になったのが1958年8月、その年の12月に「日清食品」と社名を改めました。

この社名の意味は「日々清らかに豊かな味を作りたい」。

そして日清食品は販売網を広げ、工場も大きくしていきますが、ここまでの大ヒットになったのはある存在のおかげがあります。

それはテレビです(^ ^)

このころはまだテレビ、冷蔵庫、洗濯機は庶民には手の届かない家電でしたが、街中にある街頭テレビで見ることができるCMを流したのです。

当時月額2000万円という巨額を投じた百福さん、まさに先見の目があるとは、こういう人をいうのだと思います。

またその頃大手スーパーのチェーンが誕生し、チキンラーメンと卵を並べて販売し、これも大ヒットとなりました。

こうしてチキンラーメンの名は全国に知れ渡り、大企業へとなっていきました。

これが安藤百福さんのチキンラーメン開発の軌跡です。

これまでドラマでは結構百福さんの人生を忠実に描いてきましたが、このチキンラーメン誕生についてはどのように描かれるのでしょうか?

まとめ

立花萬平のモデルは安藤百福でインスタントラーメン開発!まんぷく【長谷川博己】

安藤百福さんは2007年1月5日に96歳でお亡くなりになりました。

お亡くなりになる三日前まで元気にゴルフをしていたといい、前日にはお餅入りのチキンラーメンを社員と一緒に食べたそうです。

そしてその3年後の3月奥様の仁子さんが94歳でお亡くなりになられました。

現在日清食品はドラマの源のモデルである百福さんの息子、宏基さんが代表取締役です。

ドラマではまだチキンラーメンの足元しか見えていませんが、この史実と照らし合わせながら今後のドラマを楽しんでみてはいかがでしょうか。

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